【追加エピソード】帰還した姫君~それは密やかな帳の中で~
第一章後の新エピソードです。
※ウォルヴァンシア王宮医師、ルイヴェル・フェリデロードの視点で進みます。
──Side ルイヴェル
『──ふふ、嬉しそうだねー、ルイちゃん』
今日という一日が終わりを迎える頃。
自室にあるソファーで寛ぎながら新しく購入した魔術書を読んでいた俺の耳元で、陽気な男の声がした。
それはこの場に存在する者の音ではなく、俺が耳に着けているピアス型の、通信用の魔道具が特定の者からの連絡を受け取り、半ば強制的に繋げられた上での通信。
本来は、互いの『パス』を知った上で片方が通信開始の許可を相手に求めるべきものだが、今回のように許可を求めず、それを必要とせず、強制的に通信を繋げられる方法が幾つか存在する。
当然の事だが、たとえその方法を知っていたとしても、誰しもがそれを行使し、成功出来るわけではない。
「ふぅ……」
分厚く、興味深い内容が綴られた魔術書のページを一枚めくりながら、通信の相手である男の姿が見えるよう、魔道具であるピアスに声なき音で命じる。
ピアスが深緑の光を淡く発し、俺の目の前へと『ある男』の姿を映し出す。通常であれば、その姿だけでなく、周囲の景色も映るはずだが……。
その男の周囲は闇に包まれており、寝台を背にしたどこかの室内、という情報だけが伝わってくる。
通信の魔道具が発する光がなければ、当の本人の姿さえも、同じように闇の中へと同化していた事だろう。
「暇だな、お前も」
『えぇー……。やーっと、陛下から押し付けられた面倒な仕事が終わったところなのに、交流を図ろうと連絡した友人にそれー? はぁ、ルイちゃんは相変わらず、自分のスタイルを崩さないねー』
青の髪に縁どられた、始終、その顔に笑みを浮かべているという印象が一番にくるその男の名は、──サージェスティン・フェイシア。
この異世界エリュセードに属しながらも、別領域と呼ばれる空間に創造された、──竜煌族の領域、ガデルフォーン皇国。
国土、国力において、紛れもなく大国とされるガデルフォーン皇国は女帝が治めており、そして──。
「それは失礼した。だが、こんな礼儀を欠いた時刻、人の時間を強引に奪うような輩に歓迎の言葉が必要か? ──ガデルフォーン皇国騎士団長、サージェスティン・フェイシア殿?」
嫌味を込めて微笑んでやれば、魔竜の騎士を束ねる男は、サージェスティンは、機嫌を損ねる気配も見せず、笑みを深めた。
『強引、ねー……。話す気がなかったら、通信自体突破させないと思うけどなー? ルイちゃん、機嫌が悪かったり、話す気皆無だったら、荒れてる感じが丸わかりだもん。つまり、今は別に連絡をしても問題はなかった、って事でしょ?』
確かに機嫌は悪くない。
ずっと待ち望んでいた俺の『気に入り』がこの世界に、この国に、俺の許へと帰って来た。
多少、俺の意に反する事態もあったが、『気に入り』がすぐ近くに在るのだと思うと、サージェスティンの行動など些細な事だ。
むしろ、笑い飛ばしてやれるくらいには、今の俺は寛容だ。
『デレデレだねー。『あの子』が帰ってきて、有頂天って感じかな? 俺達にとってはそれほどの月日じゃなかったけど……、ルイちゃん的には、千年の時の流れよりも……、寂しかったよね?』
このウォルヴァンシア王国の王兄、ユーディス殿下が異世界の人間である女性との間に設けた娘、──ユキ。
共に在った時間は、あまりに短かった。
ユキが幼かったあの頃、定期的にその帰還を待ち望み、俺は双子の姉であるセレスフィーナと共に、よく相手をしてやっていた。
無邪気で、好奇心旺盛な……、飽きのこない、愛らしい娘だった。
だが、ユキが七つの歳を迎えようとしていたあの年……。
ユーディス殿下は、俺の手から、いや、このウォルヴァンシア王国の者達から、あの笑顔を奪い去った。
別世界の地で、ユキがその世界の住人として生きていく為に、異端だと、つまはじき者とされぬように、ユキの中からも、──俺達の存在を奪った。
ユキの中に眠る、魔力と、もうひとつの未知なる力、そして、俺達との記憶を封じる事により、生きていく世界をひとつに定められた。
「寂しい、か……。たかが幼子一人が消えただけ……。だが、俺にとってはもっと別の……、いや、お前のその言葉もまた、正解かもしれないな」
『あの頃のルイちゃん……、かなり荒れたもんね。セレスちゃんや王宮の皆も凄く心配してたし……、俺も、ね』
それ程に、俺達にとってあの小さな王兄姫は、大切な、決して失えない宝そのものだった。
特に一番その喪失の痛みが酷かったのは……、恐らく、俺とレイフィード陛下だろう。
俺達二人は他の者達よりも、……ユキに対する思い入れと情が深すぎた。
だが、荒れていた俺とは違い、レイフィード陛下は民を蔑ろに出来る方ではなく、心に痛みを抱えながらも、国王としての責務を全うされていた。
俺も一応は自身の責務を果たしていた、とは言えなくもないが、周囲を気遣い、慈愛に満ちた笑みを浮かべるレイフィード陛下とは違い、周囲に随分と迷惑をかけた。
俺の目の前の映像の中から寂しげな笑みをこちらに向けているサージェスティンもまた、幼き頃のユキと何度か交流を持っていた事もあり、俺の憔悴状態に困惑していた者の一人だ。
「……世話をかけた」
『あはは。いいよー、今は幸せいっぱいでしょ? ならいいよー。俺は俺の大好きな人達が、みーんな笑顔で胸いっぱいにあたたかなものを感じてくれていたら、それで大満足! ね? ルイちゃん。これから楽しい事いっぱいだよー!』
多忙な仕事ばかりで疲れているだろうに、この男はどんな時であっても、他者を気遣う。他者の幸せを心から喜び、その笑みに他の思惑など一切滲んでいない、……所謂、お人好しで面倒見の良さが際立つタイプという奴だな。
だが、それもこの男の側面のひとつでしかない。
『俺はこれから少しの間だけ休暇があるけど、その後、また任務だからねー。ユキちゃんと感動の再会が出来るのは、まだまだ先かなー』
「記憶がない状態だからな。その感動の再会で傷を負わないよう、祈ってやる」
『あー、聞いてる聞いてる。ルイちゃん、再会したユキちゃんから『初めまして』って言われたんでしょー。それ、地味にくるよねー。ズキッと』
「……誰から聞いた?」
ユキとの再会を果たした場所は、このウォルヴァンシア王宮の敷地内。
あの時は余計な邪魔が入らぬよう、人払いをしていたはずだが……。
サージェスティンはその無害そうな印象を与える笑みの影響で騙されがちだが、各国の様々な情報を常にその手へと集めている。
どこの国にも、他国の情報を探りに諜報員の類が放たれているのは普通の事だが、あの帰還の日に張られていた結界さえすり抜けて来た鼠がいたとはな……。
『ふふ、大丈夫だよ。本人曰く、『音しか盗み聞き出来なかったんだよー!! それも、一部だけ!! もうっ、ケチだよねー!! 腹立つわぁー!! 仕事させてよー!! ぷんすかっ。ぷいっ!!』って……、結構不満だったみたいだけど……、一番腹が立つのは、なんでユキちゃんの帰還情報を、俺があんまり好きじゃない、っていうか滅茶苦茶ウザイあの人から聞かなきゃいけなかったのかなーっ……、て事かな』
……笑っているが、こいつには珍しく不満の感情が滲み出ているな。
「なるほど……。誰かはわかった。災難を通り越して、面倒極まりない。同情しておいてやる」
ユキの情報をサージェスティンに流した、どこかの国の間者。
サージェスティン自身も国の手足となる者を放っているが、思い出しただけで苛々としてくる、と言いたげな気配で丸わかりだ。
恐らく犯人は、サージェスティンが苦手としている、某国のあの諜報員だろう。どこに居ても、その場に馴染み、異質さなど感じさせないのが各国の諜報員達の基礎とも言える能力だが、サージェスティンに情報を与えた、いや、勝手に騒々しく語っていったのだろう諜報員は、その点では異質であり、異質でないとも言える。
「で? いつまで通信越しで話している気だ? 手土産はあるんだろう?」
魔術書をテーブルに置き、足を組み直しながら別の方向に、サージェスティンの映るそれにではなく、視線を向け、声をかける。
『あ、バレちゃったー?』
「わざと気配の片鱗を察知させておいて茶化すな」
通信の映像が光の粒子となって消え去り、視線の先……、俺の寝室に続く扉が開き、その中から清廉なる白を基調とした騎士服を纏った男が出てくる。
「びっくりさせようと思ったのになー」
「転移の気配は感じなかった。サージェスティン、お前、俺がいない隙に、常時使用可能の転移陣をどこかに張っただろう?」
あれなら、たとえ誰かが転移してきても、通常の詠唱発動からではない為、転移の気配を小さく抑えられる。
昼間か? 昨夜はなかったのだから、今日の昼間あたりが怪しい。
何本かのワインが入っているらしき袋を抱えているサージェスティンに、いい加減にしろと睨みを利かす。
だが、この男が俺の睨み程度で動じるわけがない。
俺のテーブルの上に茶色い袋からワインを取り出して並べていき、ご丁寧につまみの類まで……。
「お前、最初から飲みに来たな?」
「せーかーい! お休み前にパァーっとやりたくなっちゃってねー! ルイちゃんの好きなワインもあるし、おつまみも好みの選んで買っておいたんだー」
「はぁ……。俺も明日は休みだからいいが、……愚痴は聞かんぞ? 特に、あの例の諜報員絡みのはな」
「え? 聞くよね? 俺があの人にどっれだけっ面倒な目に遭わされたか、一緒に苦労を分かち合ってくれるよね? ねー?」
「……わかった」
いつになく、しつこい。
ワインのコルクを飛ばしながら、一人でせっせと飲み会の準備を始めるサージェスティンの、その内側に隠されていた疲労困憊の気配を観察しつつ、俺は俺で、気に入りのワインの瓶をさっさと自分の側に引き寄せる。
「ねー、ルイちゃん」
「何だ?」
ワイングラスに一人で気に入りの銘柄の中身を注いでいると、向かいのソファーにようやく腰を下ろした魔竜の騎士が言った。
「記憶がなくても、絆は消えないからね」
「…………」
血の繋がりなどないというのに、その心からの親愛を感じさせる兄の如き抱擁の笑みをは何なのか……。
あぁ、やはりこの男は、他者の事ばかりだな。
グラスに注いだワインに口をつけようとしていた俺はそれをテーブルに置き、俯き加減に笑みを浮かべてから顔を上げる。
「当然だ」
それは、絶対の自信と、もう二度と大切な存在を手放してなるものかという、──俺の決意の表れだった。