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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第四章『恋惑』~揺れる記憶~
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子犬の不安と、迎え人

子犬になってしまったヒロイン、幸希の視点で進みます。

 ――Side 幸希



「キャンディ~、どうしたのぉ~? なんだか……、ふあぁぁ、元気がないわね~」


『クゥゥン……』


 王都の中でよくわからない人達に出会ったその日の晩、私は自分の寝床となった御主人様のベッドのすぐ傍にある籠の中で真っ黒な毛並みの身体を丸めていた。

 今日は色々と疲れる事があったけど……、何だろう、この奇妙な感覚は。

 初めて会ったはずの、あの三人の男性達の顔が頭の中から消えないでいる。

 知らない、記憶にないはずの……、見知らぬ人達。

 

「ん~……、明日の朝になってもその調子なら、お医者様のところにいきましょうね~、ふぁぁぁ」


 お医者様……。そういえば、あの眼鏡の男性は白衣を着ていた。

 あの人もお医者様なのだろうか。私に触れてきた手が、何かを確認するように動いていた気がする。

 まるで……、私の事を知っているような、深い知を抱く深緑の瞳の人。

 それに、あの真紅の瞳の男性の失礼さは、前にも同じような思いをした既視感を感じさせたように思う。そして……、穏やかな蒼の眼差しの男性が私に向けた、優しい心地のする視線。

 

『ワフッ……』


 彼らは一体……、私にとって、何なのだろうか。

 レアンティーヌにぶつかってきただけの人という認識では片づけられないと思えるのは、途中からあの三人が私に向けてきた、探るような視線。

 銀髪の物静かそうな男性と真紅の瞳の男性は、正体のわからない何かを私の中に見ているような気配を滲ませていたように思えるけれど、眼鏡と白衣姿の男性の方は違っていたように感じられる。

 どちらかといえば、自分の中に芽生えた答えに確証を抱く為の視線……。

 そう、本能的に感じた私は、同時に怖くなった。

あの人達と一緒にいたら、今の幸せが壊れてしまうのではないかという不安を、この胸に抱いた。

 それを察してくれたレアンティーヌに連れられて逃げる事が出来たけれど、本当に逃げてよかったのだろうか? 御主人様と合流して家に戻って来てからも、私はあの人達の事が忘れられないでいる……。


(私は……、ただの、野良犬。それを、御主人様に拾って貰って、今は……、幸せ)


 この幸せを手放したくない。ずっと、御主人様とレアンティーヌと一緒に……。

 もしかしたら、私が野良犬になる前に面識があった人達という可能性もあるけれど、だとしても、私はこの優しい居場所を失いたくない。

 レアンティーヌが御主人様と合流した時、あの三人の男性達は異国からの旅行者だから、数日もすれば出て行くだろうと話していた。という事は、その数日を何事もなく隠れて過ごしていれば、もう会う事もない。だから、この胸の奥で微かに騒いでいる不安は……、明日になれば治まる、はず。


「ん? キャンディ、どうしたの~? ふあぁぁ……、もう夜も遅いのに、お外に行くの~?」


『ワンッ……。クゥゥゥン』


 だけど、どうしても今の気分のままじゃ眠れなくて、私は寝床を抜け出す事にした。

 外に続く扉までゆっくりと歩いて行き、私の願いを察してくれた御主人様が先回りして扉を開けてくれる。


「少しだけよ? ちゃ~んと、この家に帰ってらっしゃいね? でないとボク、寂しくて泣いちゃうんだから、ふあぁぁ……」


『ワフッ……』


 御主人様の言葉を理解している事を確かな頷きと共に返した私は、月明かりに照らされた外へと出て行く。王都の外れにある御主人様の家の周りには、あまり家やお店の姿はない。

 その代わり、緑豊かな敷地が広がっていて、犬の私には良い遊び場所となっている。

 澄み渡った夜風を胸に吸い込みながら、私はゆっくりと走り出す。

 子犬の小さな手足が大地の息吹を踏み締める、誰もいない、私だけの場所。

 やっぱり気分が優れない時は、思いっきり走るに限る。

 胸の奥で騒いでいた不安が、身体を撫でる夜風に攫われていく。

 これなら、もう少し走れば、気持ち良く寝床に戻る事が出来るだろう。

 そう、確かな実感を感じていた、――その時。


「随分と気持ち良さそうに走っているな?」


 静寂に満ちていた世界に落ちた、聞き覚えるのある、音。

 それは、私が走り回っている地上ではなくて、上空の方から聞こえたように思う。

 まさか……、まさか、引き寄せられるように、私は視線を夜空へと向ける。

 雲一つない、美しく広がる夜の海。その中に見えた、――夜風に煽られ靡く白衣。

 どうして、この人がここにいるの? どうして、私を見ているの?

 再び騒ぎ出した鼓動と共に、私は身を翻し御主人様の許へと逃げ出そうとする。

 しかし、すでに私の背後にまわっていた影が、ひょいっとその腕に私を抱き上げてしまった。


『キャウウゥゥンッ!! ワンッワンッ!!』


「大丈夫だ。怖がらなくてもいい。俺達はお前を迎えに来たんだ。――ユキ」


 ユ……キ? 

 私を抱き上げたその人、腰に剣を携えた銀髪の男性が、私をその胸に優しく抱き締める。

 その感触が、何だか懐かしいように思えるのは……、気のせいなのだろうか。

 私の中にある怯えと戸惑いを宥めてくれるかのように、銀髪の男性は私の毛並みを優しく労わるように撫でてくれている。

 

「けどよ……、これが本当にユキなのか? 確かに妙な感じはするが、俺達の事、全然わかってねぇみたいぞ?」


 ……出た。御主人様から貰った大切な名前を馬鹿にした人。

 銀髪の男性のすぐ傍にいたらしい真紅の瞳の男性こと、カインさん。

 突然の再会に怯えている私の首根っこを掴んで、今度は自分の腕の中へと私を抱き寄せようとしたけれど、銀髪の男性がその手を叩いて私を取り戻した。


「ユキに触るな……。お前のせいで怯えている」


「俺だけのせいじゃねぇだろうがっ。……なぁ、そんなに怯えるなよ。お前の事を食っちまおうとか、そういう事をしにきたわけじゃねぇんだぞ?」


『クゥゥゥン……』


 とても温かい銀髪の男性の撫で方に落ち着きを覚え始めていた私は、強気な口調を少しだけ弱めたカインさんに顔を覗き込まれる。

 この人も、銀髪の男性も、何故私の事を『ユキ』と呼ぶの? それは誰の名前? 

 私には、御主人様から貰った大切な名前がある。キャンディー、それが私の名前。

 それ以外の名前なんてない。

 

「おい、ルイヴェル。さっさとユキの状態を診ろよ。記憶だけじゃなく、姿までこんなになっちまって……」


「恐らく、理蛇族の、シルフィオン王子のせいだろうな。自分に関する何もかもを封じた上で、この状態になったんだろう……」


 空から地上へと舞い降りた眼鏡の男性が、その指先を私へと伸ばしてくる。

 どうしてこの三人は私の事を追いかけて来たのだろうか。

 私はただの野良犬で、そこから御主人様に拾われて飼い犬となった、ただ、それだけの存在。

 この三人とは、会った事もない。


「神の力というのは、厄介なものだな。魔力と自身の気配を極限まで抑え込み、全身を別の気配しか感じられないようにコーティングがしてある。これが……、ユキの不完全さというわけか」


 魔力? 気配? 神の力? この人は何を言っているの?

 銀髪の男性の腕から私を抱き上げた眼鏡の男性が、ビクビクと怯える私をその胸に抱く。

 私は『ユキ』じゃない。そんな名前は知らない。ただの飼い犬なのにっ。

 この人達は、私が『ユキ』という人だと断定して話を進めている。

 

『グルル……!!』


「おい、ちょっと待てっ。何で怒ってんだよ!! ユキ!! お前いい加減にしろよな!!」


「ユキ……、落ち着いてくれ。何度も言うが、俺達は敵じゃない。俺達はお前の」


『ワンッ!! ワンッ!! ガルルッ!!』


 『ユキ』というのが誰なのか、この人達が私にとって一体何なのか、そんな事はもうどうでもいい。それよりも、彼らは私を迎えに来たと言った。それが一番聞き捨てならない。

 私は御主人様の飼い犬。キャンディという名前を貰って幸せを手に入れた、元野良犬。

 その優しい世界を壊そうとする存在は、――絶対に許さない!!

 私はこの檻のような腕から逃げ出そうと、鋭く尖った小さな牙を眼鏡の男性の身に突き立てた。

 けれど、痛がるどころか、静かに私の頭を撫でながら溜息を吐いただけ。

 力が弱かったのだろうかと、もう一度渾身の力で同じ場所に噛み付いた。


「やめておけ。お前のような子犬に何をされたところで、大した痛みではない」


「滅茶苦茶出血してるくせに、何で顔色変わんねぇんだよ、お前は……」


「ルイ、何とかしてユキの記憶と、この姿をどうにか出来ないのか?」


 だから!! 私は『ユキ』じゃない!!

 きっとこの人達は誰かと勘違いをしているんだ。私と同じ外見のひ……、あれ?

 私……、その『ユキ』という存在が、何故『人』であると、そう断定しているの?

 ただの子犬でしかない私を、『ユキ』と呼んでいるのなら、普通は、その対象が同じ『犬』であると思うべきなのに、どうして……。

 弱々しい鳴き声と共に牙を退けた私は、眼鏡の男性の顔を見上げた。

 私の中の何かを見透かすように、……愛おしさを含んだ眼差しが注がれている。


『クゥゥゥン……』


「お前の反応を見ている限り、俺達の言葉は理解出来ているようだな? 俺達の事を、飼い主から引き離しに来た存在だと、そう思っているんだろう?」


 ずばり何も言っていないのに図星を突かれてしまった。

 それに対し、こくりと頷いてみせると、「では、まずはお前の飼い主に会うのが先だな」と、眼鏡の男性は他の二人を促して私の家へと歩き始めた。

 そういえば、どうやってこの人達は私のいる場所を、御主人様と住んでいる家を探し当てたのだろうか? 迷いなく向かった足取りは、御主人様の家の扉をノックしている。


「はぁ~い、どなた様~? ふあぁぁ……、え? キャンディ? と、……あ~」


「ご無沙汰をしております。獅貴族、ゼクレシアウォード王弟殿下、レオン・ロヴェル様」


 マグカップを手に出て来た御主人様が、その目を丸くして眼鏡の男性を見ている。

 御主人様の名前は、最初に出会って介抱された時に聞いていたけれど、……王弟殿下?

 それって、物凄く地位のある人なんじゃないだろうか。

 

「ただのレオンでいいわよ。ふあぁぁ……、とりあえず、中に入ってくれる? ボクの可愛い子犬ちゃんに温かいミルクを淹れてあげたいのよ」


 顔見知り……、なのだろうか。御主人様は私と三人の男性達を中に招き入れると、手早く来客用のお茶の支度を始めた。

 床に下ろされた私は、すぐに御主人様の足元へと駆け寄っていく。

 御主人様の傍にいれば、きっと守ってくれる。そう信じて、その温もりに縋りつく。


「……滅茶苦茶懐いてんなぁ、ユキの奴」


「ユキ……」


「自身を犬だと、本気で思い込んでいるようだからな。人語を話せないのも、ユキの中に在る力が働いているからだろう」


 御主人様に促されテーブルへと着いた三人が、私の方を熱心に見てくる。

 やっぱり……、この人達は私の事を知っているのだろうか?

 彼らが私の事を『ユキ』と呼ぶ度に、心の中で何かが騒ぎ出す。

 

「――なるほどねぇ。ふあぁぁ、キャンディが、ウォルヴァンシアのお姫様、か」


「レオン殿下は、ユキ……、いえ、キャンディをどこで拾われたのですか?」


「ん~とねぇ、ちょっと仕事で行ってた人間の国で、ね。ふあぁぁ……、キャンディが、……ゴミ漁ってるとこにバッタリって感じかしら」


「「ユキがゴミ漁り!?!?」」


 仲が悪そうに見えた銀髪の男性とカインさんが、御主人様の腕に抱かれている私にぎょっとした視線と声を向けてきた。……そうしなければ生きられなかったのだから、そういう反応はやめてほしい。野良として、日々を生きる方法は非常に少なかったのだから。

 眼鏡の男性の方は、その深緑の瞳を細めただけで特に何も言わなかった。

 出されたマグカップの中のホットミルクに口をつけつつ、その瞼が閉じられる。


「ルイヴェル!! すぐに診ろ!! ユキが変なモン食ってねぇか、今すぐに調べろ!!」


「ルイ、ユキの身にもしもの事があったら……、いや、彼女をそんな目に遭わせた自分が、俺は許せないっ」


「……黙っていろ」


 失礼な……。ちゃんと食べられる物を選んで食事をしていたというのに。

 カインさんの方は大騒ぎで眼鏡の男性、ルイヴェルさんという名前のその人に怒鳴りつけ、銀髪の男性の方は頭を抱えて絶望を感じているかのように唸り始めてしまった。……何なの、この人達。

 

「ふふ、面白い子達ね~。ふあぁぁ……、だけど、君達の言い分が正しいかどうかは、まだわからないわけじゃない? ボクのキャンディーが本当に、そのお姫様かどうか」


「レオン殿下、お疑いなのですか?」


「だってね~、君達の話じゃ、そのユキちゃんって子は、気配も魔力も消えてるんでしょ? それなのに、ウチのキャンディを見てそう感じたからって、それだけの根拠じゃ納得出来ないわよ~」


 そうだそうだ!! 確かに私自身、奇妙な感覚を味わってはいるけれど、そのお姫様だという証拠がない。大体、何でお姫様=子犬の私になるのだかっ。

 御主人様と一緒に、リズムを揃えてテーブルを前足で叩く。ダンダン。

 勘とかそういう話じゃ困るんだよ、君ぃ~。的なニュアンスだ。

 御主人様と私の息の合ったその動作に、銀髪の眼鏡の男性が……、若干イラッとした顔をした。


「……確かに、レオン殿下の仰る事も理解出来ます。しかし、ユキ姫様がご自身にかけた術は、徐々にではありますが、綻びを見せています」


「ふぅん……、ふあぁぁ、で?」


「それを証明する為にも、ユキ姫様……、いえ、キャンディの診察と、術への干渉をお許し頂きたいのです」


 何かされる、という事なのだろうか。

 私はくるんと御主人様の方に振り向いて、その胸にしがみついた。

 やっぱり怖い……っ。今のお話から考えてみると、この人達は、私がその『ユキ姫様』という人だったら、ウォルヴァンシアという国に連れて帰る気らしい。

 もしそうなってしまったら、私は御主人様と離れ離れになってしまう。

 そんなのは絶対に嫌だっ。診察なんて受けたくないっ。


「ふぅ……。すぐには、無理ねぇ」


「何でだよ!! そいつは今記憶を失ってるだけで、何もわかってないだけなんだぞ!!」


「そこよ、そこ。ふあぁぁ……、何もわからないから、怖い。キャンディの不安がわかんないの? 坊や」


「誰が坊やだああああ!!」


 うるさい……。二つの耳をぺたんと垂れさせた私は、御主人様の胸にぐりぐりと顔を押し付けて現実から逃げようと瞼を閉じる。優しい御主人様の温もり……、ここが、私の居場所。

 お姫様なんて知らない。私は、ただのキャンディ。飼い犬のキャンディ。


「落ち着け、カイン。レオン殿下、申し訳ありません。少々これは短気なもので」


「ふふ、いいわよ~。ふあぁ……、その子、イリューヴェルのカイン皇子でしょう? 何回か見た事あるけど、前よりは丸くなってるわね~。反抗期終わったの?」


「ああ? 何で獅貴族の王弟が俺の事知ってんだよ。いや、悪評は届いてたかもしんねぇけど、俺はアンタと会った事なんかねぇぞ」


 どんなに瞼をきつく瞑っても、耳は周囲の会話を拾ってしまう。

 早く帰ってほしいのに、どうして御主人様は追い出してくれないんだろうか?

 か細く鳴き声を漏らしていると、私は徐々に積み重なった一日分の疲労が限界を迎えたのか、とろん……と、心地の良い睡魔に襲われ始めた。

 

『クゥゥン……、ワフッ』


「と、あら? キャンディ? ……そうね、色々ありすぎて、疲れちゃったのよね? 休んでいいわよ。寝床に運んであげるから」


 カインさん達と話をしていた御主人様が、優しい声音で子守唄を歌うように私を眠りへと誘っていく。この現実から逃げていいのだと、そう許されているようで、私は揺り籠の中にいるかのような温かさを感じながら……、ことん、と、意識を闇に溶かしていった。

☆御主人様

レオン・ロヴェル=ゼクレシアウォード

現国王の実弟であり、王弟。

自由な生活を好み、王都の外れで気ままに生きています。

オネェ言葉で喋りますが、女装をしたり男が好きだったりはしません。

一人称は『ボク』、喋り口調の中に、必ず眠そうな欠伸が入るのが特徴です。

姪後であるレアンティーヌの武術のお師匠様でもあります。


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