攫われた王兄姫の行方
今回は、最初に、ウォルヴァンシアの王レイフィード、
中盤に、幸希
後半に、ウォルヴァンシア副騎士団長、アレクの視点を入れてあります。
――Side レイフィード
「――報告を」
理蛇族の王国から急ぎ帰国を果たした僕は、玉座の間に揃っていた子達の不安を煽らないように、極力冷静に務めて自分の在るべき座に腰を下ろした。
見据えた先には、王宮医師であるセレスフィーナが蒼白となった顔色で、今起きている緊急事態に関する報告を紡ぎ始める。
夜更けにユキちゃんの部屋に現れた正体不明の、姿の見えない何者かが、あの子を攫って消えてしまった事。カインやルイヴェル、アレク、ルディー、その他の人員がウォルヴァンシアの王国中を捜索してまわっている事……。
ユキちゃんを攫った人物の目的は定かではなく、王宮中が不安に揺れていた。
「一体何故……」
現時点で出揃っている情報を元に考えれば、あの不穏を抱く少年達の一味が手を出してきた、という可能性もある。狼王族と、異世界の人間との間に出来た子供。
その身の内に秘めた力は、未知なる可能性を宿している……。
あの悪趣味な少年達なら、ユキちゃんのその力を利用して更なる事態を引き起こす事を望んでやりそうだけど、もし、彼らに連れて行かれた場合……、その行方を追いきれるかどうか。
それに、可能性としては低いけれど、ユキちゃんが異世界人とのハーフである事を知っている他国の王が、戯れに連れ去った……、という茶番じみた可能性も、ないわけではない。
だけど、幾ら豪快でマイペースな王達だからといって、何も言わずに連れて行くだろうか?
事後報告で自国に招いた的な事を言ってきそうなものだが、現時点でその報告はない。
「恐れながら陛下……。ユキ姫様を連れ去った者の事なのですが」
「何か判明した事があるのかい?」
「はい……。ユキ姫様の庭に残っていた気配から、アレクが察した事なのですが」
深緑の双眸に揺らめく、セレスフィーナの強く増している不安の気配。
彼女が口にしたその手がかりとなるべき言葉、ユキちゃんを攫った人物の足取り……。
その報告を受けた僕は、ついさっきまでこの身を寄せていた国の統治者の話を強く思い返す事になってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side 幸希
「ん……」
何だろう……。身体が、とても冷たい何かに沈んでいるような気がする。
それに、誰かが私の事をじっと見つめているような……、視線の気配が。
軽い頭痛を覚えながら瞼を開くと、見えたのは青白い光によって淡く照らし出された薄暗い世界だった。ここは……、どこ?
ゆっくりと視線を巡らせてみれば、自分が水を張ったような場所に顔だけを出した状態で沈んでいる事がわかった。何だろう……、指先を少し動かしてみたら、ねっとりと。
水、というよりも、水飴的な感触をわずかに感じる。何でこんな仕様の場所に沈んでいるんだろう。目覚めと共に胸に溢れ出した不安を感じていると、瞼を閉じている時に強く感じた視線の主らしき人影が、躊躇もなく水飴的なねっとりとした中へと踏み込んできた。
感情の読めない、底冷えのするような青の双眸……。
私よりも幾つか上に見えるその男性は、私の両頬を濡れたその手で包み込むと、真顔を変える事もなく、ただ一言。
「馬鹿姫」
「……え」
今……、真顔で私の事を、「馬鹿姫」、って……、言ったような。
その他にも、色々と私の心に痛すぎる言葉を平然と静かに囁いてきたから、目を丸くする他ない。
何故悪口ばかりを連呼されなければならないの? どう考えても初対面の男性に、私が何をしたというの?
起き上がろうとしても、ねっとりと絡みつく水飴的な液体のせいで、身動きがままならない。
「貴女は、また同じ道を歩むつもりなのですか……、馬鹿姫」
「同じ、道……? 貴方は、だ、れ……?」
だから、どうしてそう冷静な顔で、人の事を馬鹿姫と連呼するのだろうか。
悪意も、敵意も感じられないから、余計にその言葉をどう受け止めていいのか困ってしまう。
しかも、こんな至近距離で額を突き合わせた状態で意味不明な悪口を何度も何度も。
それに、同じ道、って……、どういう事なの? また、という言葉も気になる。
だけど、それを尋ねても、綺麗な青の眼差しが私を見つめてくるだけ。
「貴女は、とても愚かな存在です」
「あの……」
戸惑い疑問を口にする私を静かに見つめた後、その男性はゆっくりと身体を離した。
どろりと絡みつく水面を掻き分け、私が沈んでいる大きな円を描くプールのような浴槽から、緩やかな坂を上っていく男性をぼんやりと見送る。
そして、私の顔を見下ろせる位置に腰を下ろすと、やれやれといった様子で胡坐を掻いた。。
「貴女の封印が、一番強い事は知っています。けれど、無意識にまた同じ道を辿ろうとするところは、最早救いようがない」
「あの、貴方……、一体、何なんですか? 初対面でいきなり人の事を、ば、馬鹿姫、とか、失礼すぎますっ」
それに、私をこんな見知らぬ場所に連れて来たのは、視線の上にいるこの男性で間違いないはずだ。不思議な青い光に縁取られた、長くクセのない白銀髪の人……。
記憶の中を探っても、情報は何も出てこない。間違いなく、初対面のはずだ。
「まさか……、マリディヴィアンナ達の仲間、なんですか?」
説明も何もなく強引に攫われてきた事といい、可能性としてはそれが一番……。
だけど、白銀髪の男性は不満げに否定の言葉を零し、また私の事を馬鹿姫と呼んだ。
今の響きには、どこか拗ねた気配が僅かに感じられる。
「オレは、ある神の目覚めの余波を受け覚醒した存在……。貴女が今口にした名は知りません」
「ご、ごめんなさい……」
ある神、って……。アレクさんの事だろうか?
余波を受けて覚醒したと静かに伝えてくる白銀髪の男性は、自身が神だという事を口にし、他にもそういう存在がいる事を仄めかした。
だけど、その神様が何故、私を王宮から攫う事になるのだろうか……。
白銀髪の男性から嫌な気配や、敵意めいたものは感じないけれど、早く王宮に返して貰いたい。
帰りたいと口にする私に、白銀髪の男性は眉を顰め、首を横に振った。
「暫くはここにいてもらいます。衣食住は保障しますのでご安心を」
「困ります! あんな形で連れて来られたんですよ!! 今頃、皆さんが私の事を探しているはずですっ」
意識を失う前に見えた、カインさんやルイヴェルさん、セレスフィーナさんの焦った顔。
皆さんに迷惑をかけてしまっている罪悪感を感じながら、私は強く言葉を重ねた。
用事があるのなら、後日ウォルヴァンシア王宮に来てほしい。
皆さんのいる場所でなら、私もゆっくり話を聞けるから……。
それなのに、白銀髪の男性は首を振って「駄目です」の一点張り。
「禊が終わったら、着替えて休んでください」
「人の話を聞いてください!! 送ってくれないのなら、私、一人でも帰りますから!!」
たとえ悪い人に見えなくても、この場所に留められる謂れはない。
身体に力を入れ、どろりと纏わりついてくる液体を肌に感じながら、私は浴槽を出ようと足掻いた。けれど、白銀髪の男性のように、なかなか上手く前に進む事が出来ない。
這い上がろうと思っても、ねっとりとした液体が動きを封じ込めるように纏わりついてきて……。
「まだ禊が終わっていない……。もう少しだけ、我慢していてください。姫」
「嫌です!! 何の説明もなく、要求だけ突き付けられて頷けるわけがありません!!」
「姫の為だ。二度と、姫に辛い思いをさせない為に、オレは……」
敬語と素の口調が混じる白銀髪の男性は、私の目元にその手のひらを翳すと、再び微睡の中へと誘っていった……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side アレクディース
「ユキ!! ユキぃいいい!!」
王宮内に生じた、神だけが行使する事の出来る気配を感じ、その発生源であるユキの部屋に急いだというのに、すでに彼女の姿はなく……。
ルイ達と共に捜索に出た俺は、その消息を掴めずに、暗い森の中で苛立ちを深めていた。
すでに王都からは遠く離れ、捜索の手はあらゆる場所に及んでいる。
確かに、俺と同じ神の気配を感じたはずなのに、面倒な仕掛けが捜索の手を迷わせているせいで、それを解きながらの追跡は、ついに国外にまで俺達を誘ってしまった。
「アレク!!」
俺と同じ場所を捜索していたルイが、銀狼の姿から人の姿へと変じながら古木の太い幹から飛び降りてくると、もうこの森を探す事は無意味だと伝えてきた。
確かに、ユキを連れ去った誘拐犯は、意図的に自身の気配を複製し、巧妙にあちらこちらへとそれを仕掛けて、俺達の捜索の手を阻んでいる。
これでは、ユキの許に辿り着くまで、どれだけの無駄な時間がかかってしまう事か……。
「もうウォルヴァンシアの地を離れた、という線も考えられるが……。アレク、お前の目覚めた神の力で行方を掴む事は出来ないのか?」
「神が神を謀る……、と言えばいいか。俺も神の力を操れるようになったとはいえ、こういう幾重にも張り巡らせた仕掛けを解く作業は、どうにも苦手分野だ。むしろこういうのは、ルイの方が得意分野だろう?」
「俺はお前とは違って、ただの狼王族に過ぎないからな……。さっきから本物の気配を辿ろうとやっているが、あの不精髭の男……、ヴァルドナーツとはまた違った誤魔化しの気配に、頭を悩ませているところだ」
大抵、こういう複雑な攪乱をしてくる敵というのは、捻くれ者だ。
自身の性質を反映したが如く、自分の尻尾を掴ませないようにあれこれと仕掛けを施してくる。
ただ、今回俺が感じた気配は、あの一味の誰でもない、別の誰かの気配だった。
「ルイの手を煩わせるという事は、本当に厄介で捻くれきった相手だな……」
「アレク、言いたい事があるなら、俺の方を向いて堂々と言ったらどうだ?」
「ユキを攫ったのが神だというのは、間違いないと思う……。覚醒した神の気配がしたからな」
だが、彼女を攫うような理由など、エリュセードの神々にあるのだろうか。
彼女は狼王族と、異世界の女性との間に生まれた異分子ではあるが……。
ユキの気配はとても温かく、それに惹かれた神が興味本位で攫ったという可能性も……。
「真顔でスルーとはいい度胸だな、アレク……」
「ん? どうしたんだ、ルイ」
じっとりと咎めるような視線を感じ振り向けば、ルイが物言いたげに俺の事を睨んでいた。
その手に、鋭く長い爪のついた黒爪と呼ばれる武器を装備し始めているんだが、周囲にあるのは獣や捜索隊の気配だけで、敵と呼べる気配は……。
まぁ、いいか。俺は再び森の中に視線と注意を巡らし始めた。
「俺が本体に戻っていれば、まだ探しやすいんだが……」
「神の力を揮うには、それに適した器が必要……と、そういうわけか。だが、今のお前にそれは無理なんだろう? だとすれば、地道に探すしかない」
「そう、だな……。で? 何で俺の胸ぐらを掴み上げる事になるんだ? ルイ」
「気にするな。ただの気分だ」
俺の胸ぐらに黒爪をぐいっと食い込ませたルイが、眼鏡の奥の深緑にあきらかな怒りの気配を浮かべた。
ルイ自身も、俺と同じように、いや、それ以上に、ユキの行方と無事を気にしている。
その抑え込んでいる苛立ちや焦りが、表に出てきているのかもしれない。
ルイにとっても、ユキは大切な子だからな……。気持ちはよくわかる。
一体何の目的でユキを攫ったのか……、俺はきっと、その人物を前にしたら、怒りのままに剣先を突き付けてしまうかもしれない。
「カインやルディーの方からは、まだ何の連絡も飛んで来ないが……、アレク」
「何だ?」
小さく舌打ちを漏らしたルイが、黒爪から俺を解放し、銀フレームの眼鏡を折り畳んだ後、白衣の胸ポケットに仕舞った。
フェリデロードの象徴たる深緑の双眸に見定めるかのような気配が宿り、俺を見据える。
「このエリュセードには、ディオノアードの欠片を抱いて眠りに就いた神々の魂が転生し、その人生を歩んでいると言っていたが、――神の全てが、エリュセードの民に好意的な感情を抱いていると、言い切れるか?」
「それは、この世界と異世界の間に生まれたユキを、疎む神がいると、そう言いたいのか?」
「可能性の話だ。それに、あの不穏を抱く奴らもまた、神の可能性があると……、そう言ったのはお前だろう」
ガデルフォーンの地で、古の魔獣を甦らせた不穏なる者達……。
銀青の髪を纏う子供が率いるその一味は、確かに……、ディオノアードの欠片による汚染を受けていた。黒銀の光による力、あれは、ディオノアードの負の恩恵を受けた者が行使する力だ。
そして……、あの銀青を纏う子供は確かに、神の気配を感じさせていた。
普通に考えれば、悪しき存在と呼ばれた、ディオノアードの鏡に洗脳された神々の一派に属していた存在なのだろうが……。どうにも、腑に落ちない不快感が胸の奥で渦巻いている。
自身の記憶に欠損が見られるという不安もそれに拍車をかけているが……。
あの子供が神だとして、それが誰であったかという記憶が……、ない。
マリディヴィアンナ、ヴァルドナーツ、そして、カインに似た男……。
あの三人は間違いなくエリュセードの地に生まれた命に違いない。
だが、その存在に関しても、色々と違和感を抱いている。
確かにあの一味なら、ユキに対してあれこれと悪趣味な真似を仕掛けてきそうだが、欠片を抱いて転生している神々に、ユキを疎むような理由は……。
元々、平穏を愛する神々が多かった記憶があり、俺は不穏分子がいるという答えを出せそうにもなかった。
「そうか……、お前がそう言うのなら、敵意によるユキの拉致という可能性は、とりあえず消しておくか」
そう言いながらも、ルイの目に安堵の気配は微塵も浮かんでいない。
白衣を風に靡かせて翻し、面倒な仕掛けを解きながら次の町に向かうと口にして、さっさと森を抜ける為に走り出してしまった。
その姿が闇に紛れて消え去ると、他の捜索隊も別の場所に移動し始めたのか、不気味な静寂が俺の周囲を取り囲んだ。
「ユキ……」
必ず、夜が明ける前に、お前の事を探し出す。
だからどうか……、無事でいてくれ、ユキ。
俺は右拳を強く握り締めると、先に行ったルイ達の後を追って森を抜け始めた。




