表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第一章~狼王族の国・ウォルヴァンシアへの移住~
24/261

仲直りは破天荒?

 アレクディースさんとの面会を断られてから数日後……。

 私の部屋へと、ロゼリアさんが訪れてくれた。

 騎士団長さんが命じていた面会禁止令が解けたのだと、これでアレクディースさんに会えると。

 そう伝えてくれたロゼリアさんにお礼を言って、私はすぐに支度をし始めた。

本当は、騎士団のお仕事が終わった頃に行った方がいいのでは、とも考えたけれど……。 

 正直、もうそんな心の余裕なんかなくて、私はアレクディースさんに早く会いたい一心で騎士団への道を急いだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ハァアアアアッ!! ――ッ、くぅっ」


「またこの前と同じパターンか~? もう少し防御を固めろよ!! ハァッ!!」


 この前と同じ光景。騎士さん達が二人一組でペアを組み、本物の真剣を手に互いの腕を磨き合う為に打ち合っている。

 そこに恐れや迷いは一切なく、気合の声が耳に響いてくる。

 怖いぐらいに激しい訓練の光景だけど、前回と同じく、どの人も皆、その表情は輝いていた。


「お、ロゼ。おかえり~。……と、そっちは?」


 訓練場で繰り広げられている団員さん達の様子を真剣に見ていた、壁側の少年。

 高校生、くらい、かな? 手合わせの順番を待っているのだろうか?

 近づいてみると私よりも背が高くて、何だか大人びた雰囲気を纏っている子だった。

 少しクセのある、首の少し下の辺りで縛ってある白銀の長い髪と、首の内側に見えた紅色の髪。

 色合いが何だか、なんだか獅子舞カラーのように見える。

 

「あれ……?」


 この子は確か、……あぁ、そうだ。

 私の部屋の外にある庭に飛び込んで来た、狼姿のアレクさんを追いかけて来た……、あの時の人だ。怒鳴っていた時と少し雰囲気が違って見えたから、別人かと思ってしまった。


「あ、あの……、こんにちは。この前、狼の姿になっていたアレクさんを、追って来た方、ですよね?」


「ん?」


 おずおずと尋ねてみると、少年は一瞬きょとんした顔をした後、突然私の頭にその手をぽふんと置いてきた。な、何……?

 穏やかだったその笑みが深まり、満面の花真っ盛りのようになった少年。


「お帰り!! 姫ちゃん」


「え?」


 姫、ちゃん……? お帰りと、当たり前のように笑顔で受け入れられてしまった私の戸惑いを置き去りに、くしゃくしゃと、撫でまわされる頭。

 子供扱いをされているようで複雑だけど、……でも、こうされるのは、何だか初めてじゃない気がする。


「あ、あの……」


「団長、ユキ姫様に記憶がない件を、お忘れになっていませんか?」


 私の戸惑いを察したように、ロゼリアさんが前に出て助け舟を出してくれた。

 それを受けて、ルディーさんはまた、一瞬ポカンとした表情をした後に。


「そうだったぁ……、そうだったな。姫ちゃん、記憶封じられてんだよな。そりゃわかんなくても当たり前か~。はぁ……、けど、けどっ、なんか寂しいっ」


「それは私も同じです。さぁ、改めてユキ姫様にご挨拶を」


 片手を額に当てて呻いた少年が、少し寂しそうな視線を送ってくる。

 これで何回目だろう……。レイフィード叔父さん、王宮医師のお二人、レイル君や三つ子ちゃん達。それから、王宮内で出会った、私の幼い頃を知る人達。

 優しくして貰う度に覚えてしまうのは、記憶のない私に、初めての挨拶をしてくれた人達の、今の少年と同じ、その寂しげな笑顔への罪悪感。

 この最初の瞬間だけは、どうにも慣れない。


「あぁ、ごめんなっ。そんな顔すんなって。たとえ姫ちゃんに記憶がなくても、俺は全然気にしない。もう一回、最初から始めれば良いだろ?」


 安心させるように、今度は満面の笑みで声をかけてくれた少年が、私の前で丁寧に一礼してみせた。


「ユキ姫様のご帰還、遅ればせながら、心よりお喜び申し上げます。私はルディー・クライン。このウォルヴァンシア騎士団の長を務める者。どうぞお見知りおきを……。な~んてな」


「ルディー、さん……。ふふ、よろしくお願いします」


 騎士団の団長さん。まさか、こんなにも若い人が団長を務めているなんて……。

すぐには信じられなかったけれど、彼のお茶目なウインクと笑顔に、私は差し出されたその手に温もりを返した。

 

「で? アレクに会いに来たんだろ?」


「はい。今、お話をさせて頂いても大丈夫ですか?」


「勿論! 姫ちゃんから来てくれて助かった。あの野郎……、騎士団の副団長ともあろう男が、姫ちゃん一人に怖気づきやがって、まったく」


「え?」


 呆れ顔で溜息を吐いたルディーさんに、トクリと不安の鼓動が加速し始めた。

 

「やっぱり……、ご迷惑、なんでしょうか」


「は? いや、違っ!! そういう意味じゃねーから!! ただ、う~ん……、アレクの奴、な。姫ちゃんに迷惑かけたって、傷付けた、って……、落ち込んじまっててなぁ」


 やっぱり……、まだ気にしてるんだ、アレクディースさん。

 私はもう気にしていないのに、むしろ、早くお礼を言いたくて堪らないのに……。

 どうしよう。このまま会いに行っても大丈夫なのかな? 迷惑に思われたら……。

 もし……、話したくないと、拒まれてしまったら。

 

「まぁ、会ってみればわかるだろうけど、アレクの事は気にしなくていいからな? 何だかんだ言ったって、姫ちゃんに会えば覚悟も決まるだろ。って事で、アイツは裏の訓練場だぜ」


「は、はいっ。ありがとうございます、ルディーさんっ」


「アレクの事、頼むな」


「はい!!」


 悩んでいても仕方がない。私に出来る事は、アレクディースさんに正面から向き合って、この心を届ける事。大丈夫、たとえアレクディースさんが私を拒んでも、絶対に、諦めない。

 女は度胸と愛嬌、そして、予想外の大胆な行動力が物を言う。

 そう満面の笑顔で教えてくれたのは、お母さんだ。


『幸希。自分が向き合う相手に対して遠慮ばかりしていたら、人の心に思いなんてひとつも届かないの。だ・か・ら、結果を怖がらずにドカン! と、ぶつかる事を忘れずにいてね。そうすれば、結果だってちゃんとついてくるはずだから』


 一度、頭上に広がる清々しい青の世界を見上げ、自分の中の不安を消す為に、息をひとつ吐く。

 大丈夫、逃げたりなんかしない。きっとアレクさんは、私の事を待っていてくれている。

 そう信じて、私はロゼリアさんと一緒に、騎士団の裏側にあるという訓練場に足を踏み出した。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ハァアアアアアアアアッ!!」


「――攻撃に入るタイミングが遅い。俺の動きから、変化する気配から、意識を逸らすな!!」


 飛び交う大きな叱咤の声と、気合の入った声を張り上げながら剣技を繰り出す団員の皆さん。

 あっちの訓練場所も沢山の人で溢れていたけれど、こっちも凄い……。

 巨大な魔術の陣らしきものが刻まれた真っ白な石畳。

 その周囲には、陣を取り囲むように同じ色合いのしっかりとした柱が幾つも並んでいる。

 ルディーさん達のいた場所と違うのは、それだけじゃない。

 剣に色違いの光を纏わせた団員の人達の姿があるという事。ある人は燃え盛る炎を、ある人は、荒れ狂う波のような動きを見せる水を……。

 それ以外にも、雷や風、自然界に必ずある要素を含んだ力を軽々と操り、打ち合っていた。

 そして、私が一番この目に映したかった人の姿を、真正面に捉える。


「ふぅ……、これくらいで良いだろう。一度休憩に入れ」


「はい!! 有難うございました!! 副団長!!」


 風に靡く、月の光を受けて輝くような、銀の髪。

 鋭い抜き身の刃を手にしているその人。

 団員の皆さんとは少し違うデザインの騎士服に耳を包み、見上げてしまう程に高いその長身の姿を、ゆっくりと私のいる方へと向けてくる。

 あぁ、……間違いない。私が捜していた、ずっと、ずっと謝りたいと、お礼を言いたいと、そう願っていた、――心優しい、狼さん。


「アレクディース、さん……」


「――っ!! ユ、キ?」


 信じられないように、その美しい蒼の双眸を大きく見開き、剣を地面に落としてしまったアレクディースさん。切っ先が地面に触れたけれど、傷はつかなかった。

互いに視線を逸らせずに、じっと見つめ合う事数秒……。

 何か、何か、言わないと……。そう思って歩み出そうとした、その時。


「――え?」


 引き寄せられるように一歩踏み出そうとした私の横を、突然の突風が駆け抜けた。

 視界の先が一瞬だけ光に包まれ、雄々しい一頭の狼……。

 その存在が私の横を通り過ぎ、猛スピードで駆け去って行った事実を飲み込んだのは、それからまた、十秒ほど後の事。

 ロゼリアさんが、狼になったアレクディースさんを呼び止めようとする声が響いた事さえ、どこか遠くの出来事のようで……。自分が、拒まれてしまった事を、徐々に受け入れ始める。


「アレク、さん……っ」


「ユキ姫様!! 申し訳ございません!! まったく、何をなさっているのか……っ」


「ロゼリアさん……、私、アレクディースさんに、嫌われてしまったんでしょうか?」


 頬に伝う涙と共に、小さく呟いたその言葉に、自分で言っておいて、自分で傷付いた。

 話をするのも嫌なんですか? 私と同じ場所にいたくないって、そう、思ったから……。

 その場に崩れ落ちてしまいそうになった私だったけれど……。


「嫌です……っ」


「ユキ姫様……?」


「ちゃんと話もしてないのに、勝手に逃げないでください!! アレクディースさん!!」


「ユキ姫様!?」


 このままで終われるわけがない。一度拒まれたくらいで逃げる事なんて……。

 

「ウチの家訓のひとつ!! 女は愛嬌!! 度胸!! そして、行動あるのみ!!」


 きちんとお互いの顔を見て、ちゃんと納得出来る着地点に辿り着くまで、絶対に逃がさない。

 普段はお父さんに似て穏やかな気質だと言われる私だけど、いざという時は、お母さんそっくりの行動力が勇気と共に湧いてくる。

 その遺伝子に感謝しながら、私は全速力で逃げた狼さんを追いかけ始めた。

 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「はぁ、はぁ……、どこ、ですか、アレクディース、さんっ」


 表側の訓練場まで全速力で走って来た私は、何事だと驚いている団員さん達の真ん中で立ち止まり、ぐるりと周囲を見まわしてみた。

 この中に逃げ込んだかと思ったのだけど、銀毛の狼さんも、目印となる銀長髪の騎士様の姿も、ない。


「お尋ねします!! 副団長さんは、どこですか!?」


「「「「「……あっちです!!」」」」」


「ありがとうございます!!」


 剣を揮う手を休め、団員の皆さんが親切に全員一致で同じ方向を指差してくれた。

 訓練場から、屋内の通路に続く道。

 流れてくる汗を腕で拭い、追って来てくれたロゼリアさんが少々お待ちを! とかけてくれた声を振り切り、もう一度、――全速力で追跡開始!!


「ユキ姫様ぁあああああっ!!」


 これでも昔から、運動会の徒競走やリレーでは、必ず一位を取り、チームをトップに導いた経歴を持っている。狼さん相手にそれが通用しないのはわかっているけれど、でも、――負けられない!! ロゼリアさんの焦っている声を背にしながら、私は走る。前へ、前へ、アレクディースさんの後を追って――!!



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「おい!! アレク!! お前何やってんだよ!! 姫ちゃんにずっと会いたかったんだろ!! 逃げちゃ意味ないだろうが!!」


『放っておいてくれ……。ユキに合わせる顔なんか、今の俺にはないっ!!』


 騎士団の人達が事務仕事の類をする為の区域らしきその場所を走っていた私は、親切な団員さん達のお陰で、ようやく奥にある副団長室の前に辿り着いた。

 金装飾のされた大きな落ち着いた色合いの茶色い扉の前で、ルディーさんがそれを叩き付けながら、中にいるらしきアレクディースさんへと声をかけ続けている。


「ルディーさん!!」


「あぁ、姫ちゃん!! ごめんなぁ、アレクの奴、臆病風に吹かれちまいやがって……。実戦じゃ怖いもの知らずのくせに、何やってんだか」


「この中に、アレクディースさんが……」


 ルディーさんと場所を代わって貰い、そっと扉の表面に手を添える。


「アレクディースさん、私です……、幸希です。顔を見せてください」


『……』


「アレクディースさん……。お願いですから、私と話を」


『……っ』


 懇願した直後、扉に何かバチリと静電気のようなものが走って、私は思わずその場から離れてしまう。ルディーさんが、「あちゃぁぁ……」と、げんなりした表情を見せると、防音の術が張り巡らされたのだと説明をしてくれた。

 防音……、そ、そこまでして、私の顔も見たくなければ、話もしたくない、と?

 深まる悲しみと共に、私の中でじわりじわりと膨れ上がってくる、怒りのような気配。


「はぁ……、ここまでとは。アレクの野郎っ」


「ルディーさん」


「ん? ――って、姫ちゃん!? な、なんか、怖っ!! 笑ってんのに、怖っ!!」


「団長!! ユキ姫様!! 申し訳ありませんっ!! 途中で部隊長に掴まりまし、……て」


 扉の前で打ち震えている私と、正直なリアクションで廊下の反対側にへばりついたルディーさんを、ロゼリアさんが遅れて発見した。ひくりと、彼女の美しい口元が歪む。


「ユキひ」


「ロゼリアさん、ルディーさん、副団長室って……、窓、ありますか?」


「「え?」」


 きょとんと、揃って首を傾げたお二人。

 私はその反応を笑顔で見つめながら、自分勝手なお願い事を口に出す。


「窓です。防音の術を張っていても、中は見えますよね? それと、こんな事をお願いして悪いんですけど……、防音の術を解除出来る人、この王宮にいませんか? いるなら手伝って頂きたいんですが」


「か、かしこまりました!! すぐにお連れします!! 団長、ユキ姫様を副団長室の窓側にご案内、お願いいたします!!」


「え? あ、あぁっ、わかった!! 姫ちゃん、こっちだ!!」


「ありがとうございます。ルディーさん、ロゼリアさん」


 扉の前で待たなかったのは、あまりにも立派な扉を壊したくないから。

 慌てながら案内を始めてくれたルディーさんの後を追いながら、今日中に絶対仲直りの目標を掲げて走り始めた私。

 

(待っててください、アレクディースさん……!! 私は、貴方から絶対に逃げたりしません!!)



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「――で? 臆病者の狼を引き摺り出す為に、俺を呼び出した、と」


「申し訳ありません、ルイヴェル殿。ですが、これは我が騎士団の、いえ、ユキ姫様の御為なのです。何卒、お力を」


 カーテンの閉まっている窓の前で待機していた私の所に、ようやく防音の魔術を解いてくれる人が現れた。白衣を颯爽と靡かせながら、眼鏡をクイッと調整する仕草と共に、面白そうな笑みを向けてきた……、王宮医師のルイヴェルさん。

 その笑みに、ぞくりと何かただならぬ悪寒のようなものが走る。

 

「つーか、よく考えたら、俺達も解呪くらいは普通に出来るよな? ロゼ」


「ユキ姫様の迫力に、つい、その事を忘れ去っておりました……。ですが、せっかく来て頂いたのですし、ここはひとつ。ルイヴェル殿に頑張って頂きましょう」


「お、お願いしますっ。ルイヴェルさん」


 何故かこの王宮医師様を前にすると、双子のお姉さんには感じない、独特の緊張感を感じるというか……。どうにも落ち着かない気分になってしまう。

 けれど、今はそんな事を気にしている暇はない。一刻も早く、中のアレクディースさんと話をしなくては。私の前に立ったルイヴェルさんに頭を下げると、数秒間……、気まずい沈黙が落ちた。


「解呪するだけでよろしいのですか? 窓を開けて中に踏み込む事も出来ますが」


「だ、大丈夫ですっ。防音の術を解いて頂けるだけで、助かりますからっ」


「……承りました。全て、我がウォルヴァンシアの麗しき王兄姫殿下のお望みのままに」


 うぅ……、何だか、この人は苦手だなぁ。私に対して変に恭し過ぎるというか、なんか……、敬語や物腰が、わざとらしい。

 私が窓の前から退くと、ルイヴェルさんが解呪の為にその場所に立った。

 短い詠唱が一瞬だけ、その唇から小さく零れ出し、――硝子を一度だけ砕き割ったかのような音が耳に届く。


「完了しました。俺はルディー達と共に控えておりますので、また何かあれば、お声をおかけください」


「ありがとうございました。その時は、また、よろしくお願いします」


 これで、アレクさんとお話が出来る。最初は中々出て来てくれないだろうけれど、大丈夫。

 声をかけ続ければ、きっと、応えてくれる……。

 窓を二、三度、中にいるアレクディースさんに気付いて貰えるようにノックすると、ガタリ、と、室内から物音が聞こえた。


「アレクディースさん、ユキです。勝手に術を解いてしまって、ごめんなさい……。だけど、私……、貴方と話がしたいんです。騎士団の副団長さんと、ではなく、私の不安な心に寄り添ってくれた、あの日、庭園で私の姿をその蒼に映してくれた、心優しい狼さんと」


『……』


「確かに、最初は驚きました。だって、自分のベッドに……、銀色のもふもふさんじゃなくて、立派な大人の男性がいたんですから」


『……』


「その時は、貴方が誰だかわからなくて、とても……、酷い事をしてしまいました」


 アレクディースさんの事を知らなくて、大切な友達が、あの心優しい狼さんが、貴方だって、知らなくて……。驚いた挙句、怒ってその頬を引っ叩いてしまった。

 あの時の、部屋から逃げる前の、貴方の傷付いた表情を、私は忘れられない。


『……違う。傷付けたのは、欺いたのは、俺だ』


 呻くように、胸に溜め込んでいた苦しさを吐き出すように、室内で低い音が響いた。

 

『俺は、何も知らないお前に……、自分が人の姿になれると告げず、獣としてしか、接していなかった。お前の心を……、酷く、傷付けた、罪人だ』


「違います。アレクディースさんは、私の心を救ってくれた、心の温かな人です。私は、ずっと……、貴方に言いたかった。ごめんなさい、と、ありがとうございます、を」


『……そんな事を言われる立場じゃ、ない。あの時、人の姿に戻ってしまっていた俺に驚いて、酷く怯えているお前の姿を目にした時、欺き続けてきた罪深さを、思い知ったんだ……っ』


 心優しい上に、自分を追い詰めやすい人……。

 私を傷付けたと思い込んで、ずっと一人で、……自分を責めていたんですか?

 その悲痛な重苦しい声音に胸を痛めながら、私は言葉を重ねてゆく。


「私は、傷付いてません。狼さんの、貴方のお陰で……、この異世界での毎日が、不安や寂しさに埋め尽くされなくて、済んだんです」


『……』


「アレクディースさんがいてくれなかったら……、私、毎晩一人で泣いてました。誰にも言えずに、全部、自分の中で、抱え込んだままだったかもしれません」


『……』


 どうすれば伝わるんだろう。

 私が傷付いていない事、怖がってなんかいない事、もう一度、貴方の顔が見たいと、話がしたいと、そう願っているこの思いを、どうすれば……。

 沈黙に包まれてしまった室内の気配に、私も、続ける言葉を見つけられずに、黙り込んでしまった。


「お~い、アレク~!! いい加減出て来いって~!!」


「副団長、女性であるユキ姫様に負担をおかけするなど……、副団長にあるまじき、いえ、男性としてどうかと思いますが」


「ユキ姫様、如何なさいますか? 必要でしたら、私が、――っ!?」


 背後から私の援護をしてくれていたルディーさんとロゼリアさんの声を耳にしながら、ぐるぐると仲直りの手段を考え込んでいた私は、自分の目の前で起きている変化に気付いていなかった。

 内側から鍵の掛かっている窓の表面に……、徐々に亀裂が入り始めている事を。

 そして、ルイヴェルさんがいち早くその異変に気付き、私の傍へと駆け寄ろうとしてくれた、その直後。


「どうして……、どうして……っ。怒ってないって、傷付いてないって、そう言っているのに……」


 アレクディースさんが、狼さんがっ、一人で傷付いている事が、許せない……。

 どんなに言葉を尽くしても、受け入れてくれないその心が、アレクディースさんの傷を癒す力を自分が持っていないことが……、堪らなく、悔しいっ!!

 

「駄目……、駄目……っ。私は、……私はっ!!」


「待て!! ユキ!! 感情を暴走させるな!!」


 急速に、意識がどこか遠くに投げ出されるかのように、私の思考や感覚が朧気になった瞬間、聞こえたのは、――懐かしい響きと、焦りの声。

 身体の奥底から、何か熱いものが……、これは、何?

 キラキラと淡く光っていたそれが、膨れ上がるように私の外へ溢れ出そうと暴れ出す。

 そうか……、これを、ぶつければいいんだ。本能的に、そう、悟った。


「アレク!! 今すぐ逃げろ!!」


『――っ!? ユキ!?』


 意識が現実に還った時にはもう遅かった。

 副団長室の窓だけでなく、周囲の壁、その全てに大きな亀裂が走り……。


「え……」


 瞼を開いた時には、邪魔な物が全て、私の前から消えてなくなっていた。

 防御の構えを取っていたアレクディースさんの姿が、瞳に映り込む。

 一歩、一歩……、私はふらふらと前に進みながら、やがて、全速力でその胸の中へと飛び込んで行った。


「アレクディースさんっ!!」


「ユキ……っ」


「お願いします!! 何度だって謝りますから、だからっ、だからっ、逃げないでください!! 私を、嫌わないでください!!」


「……だが、俺は」


 私を優しく引き剥がそうとするアレクディースさんの背中にまわしている腕の力をさらに籠め、私は縋り付くように拘束を強めた。

 絶対に離さない。この機会を逃したら、きっとアレクディースさんはもう、私を傷付けないようにと、さらに自分の心を傷付けて……、二度と会ってくれないかもしれないから。

 だから、離さない。仲直りをするまでは、絶対に!!


「あ、アレクディースさんはっ、私がこの異世界に来て、初めて出来たお友達なんです!! ずっと可愛いもふもふさんだと思ってましたけど、ひ、人の姿にもなれるなら、言葉を交わす事が出来るなら、もっと、もっと、仲良くなれるはずです!! だから、お願いですから……っ」


 子供みたいにみっともなく泣いて……、男性に抱き着いている大胆さにも気付かず、私は困惑している蒼の双眸を見上げながら、必死になって頼み込む。

 

「アレク……、ユキ姫様の願いを、お前は拒むのか?」


「ルイ……」


「あまり真面目に生きすぎるな。大切なものを失くしたくないのなら、自分を許してやる事も、相手の為になると、そう覚えておけ」


「……良い、のか? 俺は、ユキを」


 上手く言葉さえ紡げなくなった頃、ルイヴェルさんが静かな物言いでアレクディースさんを説得にかかってくれた。

 それは上から目線のようなものではなく、相手への信頼や情の強さを感じさせる、穏やかな音。

 アレクディースさんは両腕を彷徨わせたまま、不安げに私を見下ろしてきた。

 騎士団の副団長様なのに、訓練中はあんなに力強くて迷いのない声を発していた人なのに、どうしてこんなにも……、迷子の子供のような揺らぎを見せるのだろうか。

 そっと、アレクディースさんの両腕が私の身体を包み込み、壊さないように、傷付けないように、と、気遣ってくれている事がわかる力加減で、抱き締めてくれた。


「本当に……? 本当に、後悔、しない、か? 俺はまた、お前を傷付けてしまうかもしれないのに」


「そん、なの……。誰に、だって……、ある、ものですよ。友達、なんですから、喧嘩だって、します」


「ユキ……」


 遠慮ばかりしている関係は、何も生み出さない。

 心と心が通い合うという事は、喜びばかりではなく、様々な感情を伴うもの。

 だから、たとえ、いつか傷付いてしまうとしても、私は構わない。

 大切なお友達を失う悲しみに比べたら、何度傷付いたって、それを乗り越えて、私は向き合い続ける。その覚悟があるから、全身全霊で、アレクディースさんにぶつかった。

 

「すまなかった、ユキ……」


「仲直り、……してくれます、か?」


「あぁ。こんな情けない俺で良ければ、これからも、友でいさせてくれ」


「勿論ですっ」


 狼さんを胸に抱いた時の感触とは違うけれど、やっぱりこの人の腕の中は温かい。

 ようやく私を受け入れてくれたアレクディースさんの態度に安心し、そのまま身を委ね続ける。

 ――しかし。


「きゃっ」


「ユキっ」


「アレク、あまり不用意に自国の王兄姫殿下を抱き締めるな。下心ありと、陛下に仕置きをされる可能性が大だ。――ユキ姫様も、どうか慎みをお持ちください」


 び、吃驚した……。急に後ろの襟首を勢いよく引っ張られたかと思うと、子猫みたいにぷら~んと。ルイヴェルさんの手に持ち上げられてしまっていた。

 何だろう……。この人、少し不機嫌になっている気がするのだけど、気のせい?

 アレクディースさんを冷ややかに見つめ、声音にも微かな温度差が窺える。

 そして、ドサリと絨毯の上に落とされた私が、背後に顔を向けると……。


「あの~、すんませ~ん……。突然部隊長室の壁が窓ごとぶっ壊れたんですけど~」


「こちらもです。ここら一帯の壁沿いが全て……、見事に瓦礫の山と化しました」


「一体どういう事なんですか~? これじゃあ落ち着いて仕事が出来ませんよ~」


 アレクディースさんと私を隔てていた邪魔なもの。

 目の前から一瞬で消え去ったように思っていたけれど……、全然違っていた。

 粉々に砕け散った窓の破片らしき物、、真っ白な壁の一部だった物が、室内や庭の両方に大小の欠片となって積み重なっている、この現実。


「あ、あの……」


「ルイ……、これは」


「……」


 庭の方で頭を抱えているルディーさんと、その隣で放心しているロゼリアさん。

 集まって来ている団員さん達の数は、目の前でどんどん増えて行く。

 もしかして……、いや、現実的に考えて、あり得ない、とは思うのだけど。

 まさか、原因は……、犯人は、私、じゃない……、よね?


「あ、あの……」


 日本で暮らしていた一般家庭の、超能力者でもない私が、そんな恐ろしい真似を?

 いやいや、私には何の力もないし……。いや、一応、お父さんの娘だから、魔力はあるの、かな?生み出された惨状を眺めていたルイヴェルさんが、ちらりと私に深緑の双眸を向けて来た。

 怒っては……、いないようだけど、う~ん……、何だか、呆れられているような気が。


「すぐに修復師に仕事をさせましょう。随分と脆くなっていたようですからね。壁も、窓も」


 だから、どうして元凶……、犯人が私に確定したかのように、じっとこっちを見ながら言うんですか!! 情けなく涙目になっていると、ルイヴェルさんがもう一度、今度は団員さん達の方を見ながら告げる。


「老朽化だ。すぐに修復師に仕事をさせる。集中出来ない者は、適当に部屋を見つけて仕事をしていろ。――いいな?」


「「「「「「はぃいいいいいいいい!!!!!!!」」」」」」」


 まるで脅迫でもされたかのように、団員さん達が仕事用のリストやら書類やらを抱えて、一目散に全速力で解散してしまった。

 ……残されたのは、私達、五人だけ。

 庭に生えている太めの木に手を当てて、何かブツブツと呟いていたルディーさんが、ロゼリアさんに慰められながら中へと入ってくる。


「つーわけで……、無事? に、仲直り出来て良かったな、姫ちゃん」


「は、はいっ。ご協力、ありがとうございました!!」


「世話をかけてすまなかった。ルディー、ロゼ」


「構いません。ただ……、壁と窓が治るまでは、王宮大図書で、仕事をお願いいたします」


「わかった……」


 本当に、壁や窓の老朽化のせい、だったの、かな……。

 スカートに付いた汚れを払いながら立ち上がりかけた私は、自分の胸に手を添えてみた。

 さっき……、身体の、胸の奥が凄く熱くなって、何か見えたような、感じたような、そんな気がしたのだけど。結局、壁の崩壊は何に原因があったのだろうか……。


「私、なのかな……。でも、力の使い方なんて知らないし。あ、やっぱり、壁の老朽化かな?」


 自分の中で芽生えた疑問を打ち消すように笑ってみたら、また、ルイヴェルさんから意味深な視線が。だから、その視線の意味は何なんですかっ!! 物凄く気になるんですけど!!

 いや、違う。この人は、私が異世界エリュセードに帰還したあの日、初めて顔を合わせた瞬間からこうだった。何か言いたそうにしているのに、結局それは言葉にしてくれない人。

 あの時から時々、ルイヴェルさんに見つめられると何かむず痒いというか、落ち着かないというか。実は何気に、日常の中で気になる不思議要素となっていた。


「あの、ルイヴェル、さん……。私に、何か……?」


「いえ、何も。失礼いたしました。それと、今回の惨状は、本当に老朽化によるものですから、どうぞお気になさらずに。では」


 何だろう……。せっかくアレクディースさんと仲直りが出来たのに、あの王宮医師様は大きな謎を私の心に刻み付けて行ったような気がする。


「ユキ」


「は、はいっ!!」


 ルイヴェルさんが立ち去ると、すぐ傍にアレクさんが膝を着いて私の頬をその手に包み込んでくれていた。穏やかな蒼い双眸に、心配そうな気配が浮かんでいる。

 

「俺の為に、苦労をかけて、すまなかった……」


「え? あぁ、大丈夫ですよ!! 追いかけっこ、結構楽しかったですし、こうやってまた、アレクディースさんとお話が出来ると思うと、全部必要な事だったんだな、って、改めてそう思えますから!!」


「有難う……。それと、俺の事はアレクと呼んでくれ。お前にはそう呼ばれたいと思う。――そして、これからも、よろしく頼む」


「はい!! 勿論です!!」


 私にそっと微笑みかけると、アレクさんは銀毛の狼さんの姿へと変身して、私をその大きくて温かな毛並みの中に包んでくれたのだった。

 ルディーさんもロゼリアさんも、やれやれと苦笑していたけれど、私と同じように、喜んでくれている。


「ふふ、もっふもふ、ですね~」


『喜んでくれて、良かった……。お前が望むなら、いつでも言ってくれ。この姿が、お前の役に立つのなら』


「ありがとうございます、アレクさん!!」


 柔らかな陽の光が差し込んでくる室内で、私はようやく取り戻せた友情に、ニッコリと笑みを返した。異世界に引っ越して、最初の試練だった、初めてのお友達との問題。

 ほっとする安堵感と、晴れがましいこの気持ち。


(本当に、本当に……、良かった~!!)

2016・04・19 改稿。

ストーリー、一部変更。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ