ウォルヴァンシアへの帰還
ファニルは、サージェスが色々と支度を整えてから、あとでウォルヴァンシアへ送る予定です。
翌日、私達はガデルフォーンでの遊学を終え、ウォルヴァンシアに帰る日を迎えた。たったの一ヶ月程度だったけど……、何だか何年もいたような、不思議な感覚を覚えている。
ウォルヴァンシアを離れた時と同じように、寂しさを感じている自分。
私は、女帝であるディアーネスさんやラシュディースさん達に、別れの挨拶を告げる。
「一ヶ月間、本当にお世話になりました。皆さんに教わった沢山の事、決して忘れません」
「うむ。これからも精進する事を忘れず、学び生きるが良い」
少女姿のディアーネスさんが槍の後部を地に打ち付けると、玉座の間全体に、薄紫に光る星屑がきらきらと降り注ぎ始めた。
これは一体……。荷物をおろし、両手のひらに星屑を受け止めようとしたけれど、肌に触れた瞬間、それは幻のように溶け消えてしまう。
触れた感覚もなく、夢と現の狭間だけに存在するかのように、不思議な心地良い余韻だけが心に触れて、消えていく。
「これは、旅立つ者への祝福を意味する術だ。ウォルヴァンシアに戻ってからの日々が、よりよいものとなるように、とな」
「とても、綺麗ですね……。ありがとうございます」
その光景に惚れ惚れとしていた私に説明をくれたのは、穏やかな笑みを湛えているラシュディースさん。
玉座の前に立ち、術を行使してくれているディアーネスさん、それから、見送りに集まってくれた皆さんに、私は感謝の気持ちと共に頭を下げる。
結局、遊学中になすべき事は何も出来ずに終わったようなものだけど、この国で出会った皆さんとの交流は、築いた絆は、これからも続いていく事だろう。
顔を上げた私は、一人一人の顔をしっかりと見つめながら、自分の心に彼らとの日々を、教えて貰った大切な想いを改めて刻みつけてゆく。
「皆さん、また、お会いできる日を、楽しみにしています」
「ユキちゃん、元気でねー。寂しくなったら、いつでもおいでー。サージェスお兄さんが両手を広げて待っててあげるから、ね?」
「ふん……、せいぜい、術の鍛錬に励め。小娘」
「と、ウチの愚かな部下が可愛くない事を言っていますが、心の中は寂しさのあまりどしゃぶりの豪雨模様です」
両腕を胸の前で組みそっぽを向いたクラウディオさんの心の内を淡々と補足してくれたのは、魔術師団の副団長シルヴェストさんだ。
その横では、団長のヴェルクさんもコクコクと頷いてくれている。
確かに、クラウディオさんの物言いは友好的ではないけれど、ただ素直でないだけの恥ずかしが屋さんだって事は、よくわかっている。
本当だったら、……クラウディオさんの横にはいつも、その心を代弁してくれるユリウスさんの姿があったはずなのに。
(ユリウスさん……)
私はクラウディオさんの方に歩み寄ると、下ろされたその左手を掴んだ。
意味がわからず震えを覚えたクラウディオさんだったけど、振り払うような事はしなかった。その左手を強く両手で握り締め、真っ直ぐに彼の顔を見上げる。
「大丈夫、です……。絶対に、大丈夫、です」
それだけを、祈りを込めて伝える。
その意味を、口にしなくてもわかってくれたのだろう。
クラウディオさんの双眸に優しい気配が宿り、その時初めて……。
「有難う……、ユキ」
クラウディオさんが、私の音を呼んでくれた。
けれど、すぐに我に返ってしまったのか、クラウディオさんは気恥ずかしそうに眉根を寄せて私の手を軽めに振り払った。
「お、お前のような小娘に心配されるまでもない! ……さっさと、ウォルヴァンシアに帰れ」
「クラウディオー、君、本当に損な性格してるよね? ユキちゃんに嫌われても知らないよー?」
「ふん! 小娘一人に嫌われようと、俺は……、俺はっ」
「物凄く辛いそうです。ですから、素直でない我が愚かな部下ではありますが、心の端にでも覚えておいてあげてください」
「シルヴェスト副団長!!」
サージェスさんとシルヴェストさんの二人に挟まれ文句と暴露をされたクラウディオさんは、顔を真っ赤にして抗議し始めた。
「ふふ」
まだこんなに元気があるなら、大丈夫、かな。
元の場所に戻り、最後の礼をディアーネスさんに向けた後、私達は彼女の発動させた転移の陣の光に包まれ、――ガデルフォーンを後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「「「ユキちゃ~ん!! お帰りなさぁ~い!!」」」
転移が無事に終わった瞬間、私達を元気良くお出迎えに走って来てくれたのは、ウォルヴァンシアの三つ子ちゃん達……、の、はずなのだけど、あれ?
腕に抱きとめた三人の大きさが……、何か、違うように感じられる。
ぺたぺたと三人の身体を触ってその正体を探ろうとしていた私は、顔を上げた無邪気な表情を見て、確信した。
旅立つ前に見た時は、確かに……、三、四歳ぐらいだったはずなのに。
「父上、これは……!!」
私の感じた動揺は、一緒にウォルヴァンシア王宮の玉座の間へと戻ってきたレイル君達も同じだったようで、玉座からこちらに向かって歩いてくるレイフィード叔父さんへと問いの声が投げられた。
「ふふ、吃驚してくれたみたいだね~。レゼノス達が尽力してくれたお蔭で、この子達も少しだけ成長出来たんだよ」
「「「おっきくなれたんだよ~!!」」」
以前は三歳から四歳ほどの姿をしていたというのに、一ヶ月の遊学を終えて帰って来てみれば、――まさかの小学校低学年ぐらいの姿に成長してしまっていた。
狼王族は、三十歳程の年齢に近くになれば、ようやく大人の姿へと変わる事が出来ると聞いていたけれど、三つ子ちゃん達のこの急激な成長は一体……。
レイル君達もその変化に戸惑っているようだし、本来の成長過程とは、何かが違うのかもしれない。
「レイル君、君も後でレゼノスの所に行ってきなさい」
「父上、ですが……、また、弟達の身に何かあったら」
「そのあたりは大丈夫だよ。レゼノス達も研究を進めてくれていたし、事は慎重に進めている。安心して『治療』を受けなさい」
安心させるように微笑んだレイフィード叔父さんと、レイル君の辛そうな表情の意味は……。私には、よくわからないものだった。
だけど、後ろに控えていたルイヴェルさんとアレクさんは、何かを知っているような様子で静かに瞼を伏せている。
たったの一ヶ月で急成長を遂げた三つ子ちゃん達。
レイル君の言っていた、『また』という言葉。
レゼノスおじ様達が進めている研究、治療、それは一体……。
事情がわからない事が煽りとなって、私の胸の中で、新たな不安の芽が顔を出した。
「あの、レイフィード叔父さん……」
「ユキ、帰還早々驚かせてすまなかったね。こちらにきなさい。夏葉も部屋でお前の帰りを待っているよ」
「お父さん……」
一体何を話しているのか、それをレイフィード叔父さんに尋ねようとした私を、お父さんが呼び止めた。私の傍に寄り、荷物を受け取った足で、お母さんの許に急ぐように促してくる。
どうして……? 今、意図的に私が問いかけようとした声を、お父さんはわざと遮ったように思う。
それに、いつもなら両手を広げて「ユキちゃ~ん!!」と突進してきそうなレイフィード叔父さんが、やけに静かだ。
「なぁ、三つ子達って……」
「カイン皇子! 君も疲れただろう? さぁ、私と一緒に来なさい。夏葉が君の顔も見たがっていたからね!!」
流石に気になっていたのか、翳った表情をしているレイル君に尋ねしようとしたカインさんを、お父さんが高速でその首に腕をまわし、私と一緒に玉座の間を出ようと促しにかかった。
やっぱり、意図的だ。きっと、聞いてはならない事だから、お父さんは……。
レイル君達家族に、どんな事情があるのかはわからない。
だけど、お父さんがこんなにも気を遣うという事は、複雑な何かがあるという事なのだろう。
私のお父さん相手に逆らう事も出来ず引き摺られて行くカインさんの後を追い、私も玉座の間を出始める。その際に、俯いているアレクさんが顔を上げるのと同時に、視線が合った。
「アレクさん……」
キスの一件から、落ち着いてアレクさんと話す時間が持てていない。
あれは事故のようなものだったのだから、お互いに忘れるほうがいい。
そう、思い込もうとしているのに、アレクさんの顔を見ると、あの時の感触が蘇ってくるかのようで……。無意識に、自分の唇に指先を触れさせてしまう。
私の視線に気付いたのか、ルイヴェルさんが首を横に振って「放っておけ」と無言の合図を送ってくる。異変の原因がわかるまでは、何が起こるかわからない。
だから……。
「幸希、早く来なさい!」
「あ、はい!!」
それでも、ちょっとだけ……、と、アレクさんに近寄って行こうとした私を、玉座の間の外からお父さんが急かした。今は、無理、か。
日を改める事に決め、私はお父さんの後を追っていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お帰りなさい、幸希。ガデルフォーンでは大変だったそうね。怪我をしたりしなかった?」
両親の部屋に足を踏み入れると、ベッドにクッションを置いてそこに背を預けて微笑むお母さんの姿があった。まだ朝の時間帯とはいえ、何故夜着の姿でベッドにいるのだろうか。
もしかして、体調を崩したのではと駆け寄った私に、お母さんは首を振ってそれを否定する。
そしてここでも、三つ子ちゃん達に関して感じたような違和感を、お母さんに感じた。ううん、お母さんだけじゃない。
さっきはレイフィード叔父さん達の事もあってお父さんの姿に関する違和感さえも、流してしまっていたけれど……。
「どうして、……若返ってるの?」
新手の美容整形にでも手を出したのかと一瞬思いかけたけど、それを口にしたらお母さんに頬を抓られた。い、痛いっ。
お母さんの傍に寄り添うように立ったお父さんが、くすくすと楽しげに笑っている。その姿にきょとんとしていると、私の傍に座り込んでいたカインさんが能天気に欠伸を漏らしてこう言った。
「若返ったんじゃなくて、元に戻っただけだろ」
「え?」
「カイン皇子の言う通りだよ。お父さんもお母さんも、本来はこちらの姿なんだ」
レイフィード叔父さんと同じくらいの若さ、つまり、元の四十代ほどの外見から一気に二十代後半程の姿になったお父さんが、その指摘に頷いた。
お母さんの方は、お父さんよりも少し若いくらい、かな。二十代半ばぐらいの姿になっている。
「このエリュセードでは、幸希が暮らしていた世界のように、たった八十年程で息絶える者は滅多にいないんだ。人間も、普通に百年以上の時を生きる。そして、私達のような人間以外の種族は、千年近く、あるいはそれ以上の寿命を有している」
それは、前にレイル君も言っていた。
私は日本では大人の年齢だけど、狼王族としては、まだ少女期と呼ばれる期間にある子供年齢なのだと。
本来であれば、もう少し幼くても不思議ではない事も、教えて貰った記憶がある。
「私の実年齢はまだ二百歳近く、と言ったところだが、人間の外見で言えば、二十代半ば~三十代にかけてのそれが、本来の姿となる。そして、夏葉は私の伴侶となっているからね。私と同じ程の寿命になっているんだ」
「あれだろ? 人間を長寿の種族が伴侶にする際は、先立たれるときついから、長寿の種族側と契約を結ぶ事で寿命を同じくらいに共有できるってやつだろ? けどよ……、幸希の親父さんにひとつ聞きてぇんだが」
「何だい?」
絨毯の上で胡坐をかいて、ぽりぽりと頬を掻いたカインさんが、ちらりと私の顔を見上げた。
「何で、寿命の共有契約まで結んだってのに、別の世界で暮らしてたんだよ」
確かに、それはそうかもしれない。
長寿の種族であるお父さんと、人間であるお母さんが恋をして結婚して、寿命を共有しているのなら、わざわざ地球で暮らす必要があったのだろうか?
それに、私も狼王族と人間のハーフ。寿命は人間以上だと、前にルイヴェルさんとセレスフィーナさんからの診察を受けている時に教えて貰った記憶がある。
どちらにしろ、地球で暮らすにはいろいろと無理があったんじゃないだろうか。
その問いを受けたお父さんが、「確かにね……」と苦笑を零した。
「カイン皇子の言う通り、人間でない者が別世界の、それも寿命の短い者達の中で暮らす事は有益とは言えない。けれど私は……、いや、私と夏葉は二人で話し合い、結婚前にある事を決めておいたんだ」
「どういう事?」
「生まれてくる子供が、別世界に適応し、何の問題もなく成人までいけたら……、私と夏葉、それから、幸希の寿命をフェリデロード家の医術をもって、人間と同じぐらいに留める、とね」
「ふぅん……、つまり、幸希が適応出来なかった場合は、元の寿命で生きるって決めてたわけか? 他の世界の女と結婚ってのも凄ぇが、長寿の種族的に、寿命が短くなるってのは、怖くなかったのかよ?」
狼王族も、千年は余裕で生きる種族だと聞いている。
そんなお父さんが、人間と同じ寿命になるという事は、相当の覚悟がいるのではないかと、そう思ったのはカインさんだけではなく、私もだ。
「夏葉のいない千、二千の時よりも、彼女の傍に寄り添っていきる短い生涯の方が、私にとっては充実しているのだよ。そういうカイン皇子も、私と同じ立場になったら、どうかな?」
「わかってて言ってるよな?」
「それは勿論、ね。愛する女性よりも、自分の永き寿命を惜しがるような男だとは、思っていないからね」
愚問だっただろう? と笑うお父さんに、カインさんは少しだけ赤くなって横を向いてしまった。
今のは多分、もし私が元の世界で生きる事を選んだ場合、カインさんだって自分の寿命を捨てて……。その、好きな相手である私と一緒に人間の時間を生きてくれるんだろう? って事を確信したお父さんからの問いだったって事、だよね。
「ま、番犬野郎も同じ答えを出すだろうけどな」
確かに、私の事を心から想ってくれるあのアレクさんだったら、迷いなく自分の永い寿命を即答で捨ててくれる気がする。
「ふふ、幸希はいいわね~。想いを向けてくれる素敵な男性が二人もいるなんて」
「夏葉、君を想うのは、私一人で十分だろう?」
にこやかに微笑んだお父さんが、その美しい顔をずいっとお母さんに近づけると、誤魔化すように笑っているお母さんの頬に人目も構わずキスをした。まったく……、この二人は。
「お前の両親って、本当フリーダムだよな」
「はは……、すみません」
「俺も頬チューしていいか?」
「駄目ですよ」
さりげなく寄越された問いを、私はのほほんと笑顔で却下した。
ダンっと絨毯に拳を打ち付けたカインさんが、羨ましそうにお父さんとお母さんの仲睦まじい様子を睨む。ルイヴェルさんにボコボコにされたというのに、はぁ……、まだ私との触れ合いを諦めてくれていないようだ。
「あぁ、すまなかったね。説明の続きだが、地球ではわざと自分達の姿を人間達に合わせていたと、そう思ってくれたらいい」
「じゃあ、どうしてウォルヴァンシアに戻っても、すぐに元の姿に戻らなかったの?」
「ふふ、それはね、あまりに沢山の変化を幸希に見せると、受け止めきれないかな~っていうお父さんの心遣いだったのよ」
二十年も暮らしてきた世界を去り、記憶を封じられた状態で異世界への移住が決まった私からしてみれば、それだけでも重大事。
さらに言えば、異世界での生活やルールに慣れる為に大忙しの私を心配し、徐々に説明をしていこうと気遣ってくれていたのだそうだ。
「それと、もう最初の勉強の段階で学んで知っているかもしれないが、幸希は地球で言えば、二十歳だけどね、このエリュセードでは、一年は二十四ヶ月。それを経て、ようやく人間も他の種族もひとつ歳をとるんだ」
「うん。それは本で読んで知ってたんだけど……、あの、今までにちょっと質問しづらくて遠慮していたんだけど、……結局、私って幾つなの?」
地球で生まれ、十二ヶ月を一年とし、私は二十年の時を過ごした。
けれど、このエリュセードでは二十四ヶ月を一年とし、それによりひとつ歳をとる。……という事は? 意味がわからず首を傾げて見上げてきたカインさんと目が合う。
「エリュセードの年月で換算すると、幸希……、お前はまだ、十歳という事になるね」
「……マジか?」
「そんな……っ、私、本当のお子様、だったの?」
ショックを受けたのは私だけじゃなかった。
カインさんも自分の顔を片手で覆って、やけに深刻そうに項垂れてしまっている。
まぁ、確かに……、二十歳という実年齢を聞いた時にも驚いていた人だったから、さらに十歳引かれたら、色々とショックだろう。
事実的なものでいえば、私より遥かに年上だというカインさんは、実質十歳児の私に愛の告白をしたという事なのだから……。あちらの世界だったら、完全に犯罪だ。
「ふふ、幸希~、そんなに落ち込まなくていいのよ~? 貴女は狼王族と人間のハーフだから、ちょっと事情が違うのよ~」
「え……」
希望を灯すかのように、お母さんのほのぼのとした補足が入ってきた。
絨毯に項垂れていた私は、ばっと勢いよく顔を上げ、サササッとベッドに駆け寄っていく。
「幸希、貴女はね……、狼王族と人間のハーフだから、成人までの成長の仕方がちょっと特殊なの。万が一に備えて出産場所となったのはこのウォルヴァンシアだけど、生活は地球だったでしょ?」
「う、うん」
「こちらの世界とは違い、向こうの世界に流れている時の法則の影響を受けたお蔭か、狼王族の子供達よりも早く成長する事が出来たの。まぁ、完全に地球の法則に適応していたわけではないから、身体も心も、地球の女の子達よりも幼めだけどね」
「つ、つまり……?」
結局自分は十歳なのか二十歳なのかと喉を鳴らしていると、カインさんもそれを聞きたそうに、私の背後に近づいていた。
むぎゅむぎゅと押さないでください、カインさんっ。
「結論だけで言えば、今の幸希の実年齢は、二十歳ではない、ね」
「そ、そんなっ」
「けれど、十歳でもないんだよ」
そう言って小さく笑ったお父さんが説明してくれたのは、エリュセードへの帰還の際に行われた、ルイヴェルさんとセレスフィーナさんからの診察結果に関する事だった。
別の世界の時の流れを受けて生きていた私は、エリュセードへの帰還と同時に、幼少期に一時的な帰還を遂げていた時とは違い、完全にエリュセードの法則に適応し、今後は二十四ヶ月を一年として、ひとつ歳を取る仕様に変化していたらしい。
これからは、エリュセードの時の流れに倣って歳を取っていく。
けれど、これまでに地球の影響を受けて生きてきた私の身体は、エリュセードと地球、二つの世界の影響を半分ずつ受けていたらしく、現在の狼王族的実年齢は……。
「じゅ、十六、歳……」
まさかのマイナス四歳!!
一気に高校生年齢にまで退化してしまったの? 私……。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、非常に迷う年齢だった。
というか、私の見た目の幼さとぴったり一致してしまった。
いや、十歳と言われるよりはマシだけど……。
「で、でも、レイル君が言ってたよ? 私もあと十年ぐらいしたら、大人の姿になる、って」
「通常、狼王族の成人は二十五~三十歳を迎える間ぐらいに起こるからね。レイルの言っていた事は本当の事だよ。だけど、お前の実年齢の事は、レイルには言ってなかったからね。普通に二十歳という言葉を信じてしまったんだろう」
「お父さん……、私、これから何歳だって人に説明すればいいのかな? 自分としては、二十歳の気分だったんだけど」
思わぬマイナス四歳にショックを受けていると、別に四歳ぐらいのズレなど大した事はない、胸を張って二十歳でいいんじゃないかな? と両親に微笑まれてしまった。
地球では、二十年の時を感じてきたのだから、身体的な実年齢は別に気にする必要もない、と。
むしろ、マイナス四歳で得したわね~! と、お母さんに頭を撫で撫でされてしまう始末。四歳、されど四歳のズレ。地味にショックだった。
「恐らく……、二つの世界の血を継ぐ者が、自分に適していない世界で生きていた為に、結果的に二十年の時が限界点となり、身体に異常をきたしたのだろうね」
「なるほどな……。二つの世界の血を継ぐ子供なんて、滅多に生まれるもんじゃねぇだろうし、俺も幸希の事以外、聞いた事なかったもんなぁ」
「ふふ、実はね……。幸希だけじゃないのよ」
「お母さん、それって……」
自分のお腹の辺りを愛おしそうに撫でたお母さんの顔を見て、私はすぐに悟った。
二人が急に元の姿に戻った訳、夜着を纏った状態でお母さんがベッドにいる訳。
「赤ちゃん……?」
「正解。まだ男の子か女の子かはわからないけれど、貴女に弟妹が出来るのよ~」
「幸希の親父さん……、色々あっても、やる事はやってたんだな」
カインさんも興味津々にお母さんのお腹を見つめている。
ガデルフォーンに行っている間に、まさか新しい命が芽生えていたなんて……。
不思議な感動と共に、私はお母さんのお腹に手を伸ばした。
まだ、妊娠初期という事で、中の様子が伝わってくるわけではないけれど、ここに、私の弟妹達がいるんだ……。
「地球にいた時は、幸希の事もあったからね……」
子供の頃はよく、弟や妹が欲しいとお母さんに強請っていたような気がする。
だけど、その時はわからなかったけれど、私の事があったから、新しい命を育む事が出来なかったんだ……。狼王族と人間のハーフであり、二つの世界の血を継ぐ子供だった私は、不思議な力を有していたし、地球に適応して生きていけるかもわからなかった。だから……。
「エリュセードで暮らしていくのなら、何も心配はないからね」
「あぁ、でも、二人で計画して作ったわけじゃないのよ~? 本当に自然にというか」
「ふふ、良かったね、お父さん、お母さん」
この歳で弟妹が出来るなんて不思議な気分だけど、同時に嬉しくもある。
身体を大事にして元気な赤ちゃんを産んでねと伝えた私に、お母さんがにっこりと微笑む。
そして、カインさんの方に視線を向けると、……何故か、うっとりとした眼差しがこちらに注がれていた。
「か、カイン、さん……?」
「なぁ、ユキ……」
「は、はい?」
「俺、最初はお前似の女がいい……」
「カイン皇子、父親である私の前でいい度胸をしているね?」
突然何を言い出すの!! と、つられて赤くなってしまった私は、カインさんが大真面目に妄想を爆発させている姿を目の当たりにしてしまった。
私のお父さんに首根っこを掴まれても、「想像すんのはタダだろうが!!」と必死に抵抗して自分の妄想を口にしているし……。
「ふふ、カイン君は幸希の事が大好きなのね~」
「うっ……、そ、それは」
「で? ガデルフォーンではどうだったの? 少しは恋の発展はあったのかしら?」
あったというべきか……。面倒な方向に亀裂が入ったというべきか……。
私はサイドテーブルに置かれていた水差しの中身をグラスに注ぐと、それを少しだけ口に含んで、溜息をついた。お父さんとカインさんは、タイミングよくというべきか、部屋の外に出てしまったし、お母さんに相談をしてみるべきかな。
「ねぇ、お母さん……、私、少女期のせいっていうよりも、自分自身が優柔不断な気がするの」
「どうして?」
「アレクさんとカインさん、二人が向けてくれる想いを知れば知るほど……、どちらの事も大切で、すっごく困った事になっているような気がするの」
「それは……、どちらも好きで、選べない、って事かしら?」
そう、なんだろうか……。
アレクさんの事も、カインさんの事も、一緒に過ごす時間に違いはあったけれど、そんな事は関係なく、日に日に、とても大切な存在へと変わっていくのを確かに感じている。
けれど、それは自分の答えを出すのにとても厄介な事で……。
「ディークさん……、ルイヴェルさんの従兄の人なんだけど、その人がね、言ってたの。恋はするものじゃなくて、いつか必ず落ちるものだ、って」
「そうね~。お母さんも気づいたらお父さんの事を好きになってたわ」
「その時はね、それで納得して、もう焦る事はしないって決めたんだけど……。ちょっと、困った事になっちゃって」
お母さんは自分のお腹を撫でながら、好奇心と母親としての慈愛を含んだ眼差しで続きを促してくる。お父さんや他の人には絶対に言わないでほしいとお願いし、私はガデルフォーンで過ごした日々の中で、アレクさんとカインさんから二度目の告白をされた事、それから、帰還を前に大変な事が起こった事を伝えると、「あらまぁ」と楽しげに笑われてしまった。
お母さんは物事に対する耐性や順応性が高いというか、どっしりと構えているような人だから、こうやって困惑している私よりも、物事を広い目で見ているかのしれない。
「アレクさんがねぇ……、ちょっと心配ではあるけれど、確かに真面目で一途そうな人だものね。幸希が心配する気持ちはよくわかるわ」
「話をしたいんだけど、事故のようなものだから忘れてほしいって伝えても、なかなか立ち直ってはくれない気がして……」
「あら、駄目よ」
「え?」
急にお母さんの眼差しがスッと冷えたかと思うと、指先を私の唇に当ててきた。
「アレクさんは、幸希の事が好きなんでしょう?」
「そ、それは……、うん」
「たとえ事故みたいなものでも、好きな人の感触を忘れろっていうのは、男女どちらにしても、結構切ないものよ~? アレクさんは真面目だから罪悪感を抱いてくれているでしょうけど、同時に、貴女との触れ合いを忘れたくないって、そう思っているはずよ」
確かに、忘れましょうと伝えた時に、アレクさんは……。
自分に自覚がない行動だったとしても、それを事故と片付けられる事に傷付いていたような気が。
だけど、そうしないとお互いの関係がぎこちないままだし……。
「何とも思っていない者同士だったなら、事故でもいいとは思うけれど……。アレクさんは貴女の事が好きで、幸希だって、嫌いじゃないんでしょう?」
「う、うん……」
「じゃあ、忘れずに覚えておいてあげなさい。男の人って、結構そういうところ、繊細で可愛いから」
相手を傷付けないように気遣ったつもりが、時に相手の心を踏み荒す行為になる事もある。
女性が思うよりも、男性は物凄く繊細で扱いが難しいのよ? と微笑したお母さんが、自分にも水をと水差しを指さした。私はもうひとつのグラスに水を注ぎ、それをお母さんに手渡す。
「有難う。……だけど、ハーフである幸希に、少女期特有の効果がどこまで影響するのかはわからないけれど、そっかぁ……、幸希のファーストキスはアレクさんになったのね~」
「あれは、アレクさんの身体だけど、……アレクさんじゃない誰かだった気がする」
「そうね~。人の身体を使った別人にキスされるなんて、正直いい気分はしないわよね。だけど、身体はアレクさんだったわけだし、結局、彼がファーストキスの相手って事になるわけで……。あぁ、だけど、カイン君の方も大変なんでしょう?」
アレクさんに先手を打たれたと言い張っているカインさんは、私とのキスを望んでいる。
このまま何もせずに、もし私がアレクさんを選んでしまったら、キスをしたから、それで意識した結果、彼を選んでしまったんだ……と、自分は絶対に納得出来ない結果になるから、と。
だけど、そんなカインさんに大人しく唇を許せるわけもなく、いまだにこうして悩んでいるというわけだ。
「まぁ、カイン君の気持ちもわかるわね~。キスをされた経緯はどうあれ、女性的に言えば、相手に嫌悪を抱くか、相手に少なからず好意があれば……、強く意識しちゃうかもだし」
「でも、だからってカインさんとキスをするというのは……」
「嫌なの?」
そう問われれば……、うーん、カインさんの事は嫌いじゃないし、良い友人のようにも思っている。告白されてからは、その言葉や行動にドキドキしたりもするし、アレクさんと同じくらいに、私にとっては大切な存在になっている。
だけど、キスをするとなると……、正直、してみなければわからない、というのが本音だ。
「幸希~」
「ん?」
「もう、この際だから、アレクさんとカイン君、二人ともお婿にしちゃばいいんじゃないかしら」
「なっ!! な、なに言ってるの、お母さんの馬鹿!!」
人が真剣に悩んでいるのに、この楽観的な母親はっ。
選べないなら二人とも、なんて……、優柔不断にもほどがある!!
本気で怒っている私に、けれどお母さんは冷静だった。
「このエリュセードでは、珍しい事じゃないのよ~。旦那様が二人、三人の女性だっていないわけじゃないし、意外に仲良く暮らしていたわよ?」
それは、目の前でそういう人達を見たことがある、という事なのだろうか。
そういう風習や関係性に慣れている人達ならいいけど、私は生憎と、生粋の日本育ち。一夫一妻というのが普通なのだ。互いに想い合う男女が、ひとつの家庭を築く。
お母さんだってそのはずなのに、あまりに楽観的すぎはしないだろうか。
「勿論、お母さんはお父さんが浮気なんてしたり、他の奥さんを連れてきた日には……、ちょっと、怒っちゃうかもだけど」
「じゃあ、私の気持ちもわかるでしょう?」
「でも~、あんなに素敵な美形二人を旦那様に出来るのよ~? 両手に花というか、逆ハーレムなのよ~?」
駄目だ。他人事だと思って暢気な回答しか出てこない。
というか、ディアーネスさんにしても、お母さんにしても、為になるアドバイスがない。結局、どうやってアレクさんを立ち直らせてあげたらいいのか、カインさんからの猛攻を、どうすれば避けられるのか……。何一つ、突破口がない。
「お母さんが私の立場だったら、どうするの?」
「え? お母さんだったら……、そうね~。とりあえず、アレクさんとの事故は事実として受け止めるわね。忘れてほしい、とは言わないわ。カインさんの方は……、あくまで幸希の立場だったら、だけど、やっぱり不公平は良くないと思うから、試しにキスしてみちゃうかしら~」
どこまでも自由なお母さんだった……。
本当にどうしてここまで正反対の性格をしているのか……。
項垂れている私の肩をポンポンと叩く実母の神経は、相当に図太い事を再確認した。
「あぁ、だけど、勿論何とも思っていない人とはしないわよ? あくまで、幸希の中でアレクさんとカインさんが同じくらいに大切な存在になっているから、試しても大丈夫かなって思っただけなんだから」
お母さんにはお父さんという唯一人の相手がいるから、絶対に他の男性を相手にしようとは思わない。だから、ケースバイケースなのだと、そう言いながら、お母さんはグラスの中の水を飲んだ。
「はぁ……、とりあえず、部屋に戻ってよく考えてみる。ありがとう、お母さん」
「あまり真面目に考えすぎないようにするのよ? 幸希は真面目に考えすぎて迷路に迷い込むタイプなんだから」
「は~い……」
席を立った私は、疲弊しきった様子でお母さんに退室の言葉を告げ、部屋を出た。
何だか、さらに思考がこんがらがったような気がするけれど、……ひとつだけわかった事は。
「なかった事にしちゃいけない、か」
キスは、キス。何とも思っていない人となら、事故。
だけど、アレクさんは私の事を好いてくれていて、私も、アレクさんの事を嫌いじゃない。
信頼のおける頼りになる騎士様……。とても、大切な人。
やっぱり、一度アレクさんと話し合う必要がある気がする。
ルイヴェルさんは駄目だって言ってたけど、このまま距離をおいてしまったら……、絶対に後悔をする予感があった。――それに。
「あ……」
よく考えたら、私の事を初恋だと言っていたアレクさんからしても、ファーストキスを失った事になるんじゃないだろうか。
自分の事ばかりで……、アレクさんの事を全く考えていなかった。
その事に気付いた私は、大慌てでアレクさんの戻った騎士団へと向かい始めた。




