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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~
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竜の皇子の怒りと、限界突破の王宮医師

「はぁ……」


「そこで何をしている?」


 翌日の午後。

 アレクさんともカインさんとも会えないまま時が過ぎ、私は中庭にある噴水の縁に座り、大きな溜息を零していた。

 そこに、皇宮内を歩いていた少女姿のディアーネスさんが通りがかり、私の横へと腰を下ろしてきたのだけど……。


「ディアーネスさん、お仕事の方はいいんですか?」


「うむ。今は休憩の時間だ。ここで寛いでいても、問題はない」


「そうですか……」


「我の事よりも、お前のほうが問題ありの顔をしているな? 明日はウォルヴァンシアへの帰還を果たすのだろう? 何を憂いている」


「いえ、大した事ではないんですが……」


 いや、物凄く重大な悩みを抱えてはいるけれど……。

 自己嫌悪に苛まれているだろうアレクさんの様子を窺う事も、私とアレクさんが両想いになったと誤解し、いまだに暴れ狂っていると聞くカインさんに会うことも出来てまま、今に至っている。

 朝、私の部屋に訪ねて来てくれたルイヴェルさんは、気にするなと言ってくれたけれど……。流石に、今のままでは気が重い。


「あの騎士とグラヴァードの愚息の事が原因か?」


「えっ、あの……」


「隠さずとも良い。お前はわかりやすいからな……。サージェスやシュディエーラも心配していたぞ」


「そんなに、わかりやすかった、ですか?」


「我らはお前の何倍もの時を生きておる。侮るな」


 そう静かに声を落とすと、隣に座っていたディアーネスさんが光に包まれ、本来の姿である美しい大人の姿へと戻った。

 私に向ける眼差しは、お母さんのようでもあり、お姉さんのようにも感じられる温かいものだ。


「何があったかは知らぬ。だが、我はお前と同じ性を抱く者として、話を聞き、自分の意見を口にする事ぐらいは出来るぞ?」


「でも、ご迷惑になりませんか?」


「ここだけの話だが……。我は恋の話を好む」


「え……」


 まさかの意外すぎる好みが発覚した。

 冷静さを体現したかのようなクール一徹の女帝様が、恋愛話に興味を示すなんて……。意外過ぎて、私の口がぽか~んと開いてしまった。

 気のせいか、女帝様のその美しい白い肌に、薄桃色の気配が浮かんで見える気がする。


「我もな……、切ない恋をした事があるのだ」


「切ない、恋を……?」


 自分の問題を棚上げにしたいくらい、この女帝様が恋心を抱いた相手が気になってしまう。ディアーネスさんが好きになる男性って、一体どんな人なの!?

 感情を揺らす事が滅多にないと思えるこの人が、心底好きになったお相手。

 大きく息を呑み、私は身を乗り出してしまう。


「その方は、我とは種族も違い、他国の王となられる方だった」


 私にとっては、気の遠くなるほどに昔の時代。

 ディアーネスさんは、レイフィード叔父さんやカインさんのお父さんと一緒に、エリュセードの表側、その真ん中にあると言われているエリュセード学院で生活をしていたらしい。

 そこで出会った、心優しい一人の青年……。

 ディアーネスさんの性格からは考えられない事だったけど、所謂……、一目惚れをしてしまったのだそうだ。


「その方の姿を見、声を聞けるだけで……、我は幸せだった。今は妻を得、子を成し、幸せな家庭を築いたその方は、たとえ結ばれずとも、我にとって大切な存在である事に変わりはない。世間一般で言えば、失恋した事になるが……。それでも我は、一生、あの方の事を愛すると決めている」


 物凄く熱烈な愛の告白を聞いてしまった気がする。

 失恋しても、愛しさを消せるわけではないのだと、その人を想って生きる事が自分の幸せなのだと語るディアーネスさんの表情は、今までに見た事のない、とても優しく……、幸せそうなものだった。

 私は彼女の気高さと一途さに惹かれるように、ゆっくりと自分の悩んでいる事を話し出した。

 アレクさんに突然キスをされてしまった事、カインさんに誤解を抱かせ、怒らせてしまったこと。

 これから自分は、二人に対してどう接していけばいいのか、と……。

 話を聞き終わったディアーネスさんは、その長い足を組んで、膝に乗せた片腕の先に顎を乗せた。


「流石は、グラヴァードの血を引く愚息だな。青すぎて笑いが出てくる」


「そ、そんな……、元はといえば、私のせいでもありますし」


「人の話も聞かずに怒鳴りだすところがそっくりだ。我も学院時代は、愚かなグラヴァードのせいで、色々と気苦労も多かったものだ。遺伝としか言い様がなかろう?」


 私はカインさんのお父さんの学院時代を知らないから何とも言えないのだけど。

 今のイリューヴェル皇帝さんはとても穏やかで、そして、少し可愛いところのある人という印象があるから、ちょっと昔の姿が想像出来ない。


(あ、でも、前にレイフィード叔父さんが間違って通信を繋げた時に、凄く怒ってて、口調も様変わりしていたような気が)


 なるほど、あれが学院時代の片鱗という事なのか。

 ちょっとだけ納得してみると、ディアーネスさんはアレクさんの方に話題を変えた。


「あの騎士の方は、……あれは、性格に難ありと言うべきか。グラヴァードの愚息とは別の意味で、真面目すぎる性質が濃すぎるようだが、あれも色々と抱えているようだな」


「はい……。今回の事は、アレクさん自身の意思で起こされた行動ではなかったんです。だから、さらにややこしいというか」


「その騎士だが……、昨夜、真夜中に我の部屋に来たぞ」


「え? アレクさんが、ですか?」


 初耳の意外な話に目を瞬くと、ディアーネスさんは自分の胸に視線を落とし、その体内から淡く光り輝くガデルフォーンの至宝たる宝玉を呼び出した。

 それを手に取り、私の手のひらへと乗せてくる。


「今は力を調整して光を抑えてはいるが、お前が前に指摘した通り、宝玉の力は永き歴史の中で、確かにその力を弱めていった……。だが、今は違う」


「どういう事、ですか?」


「あの騎士が我の部屋に訪問、いや、勝手に忍び込んで来た際、我にしか呼び出せぬ宝玉を、その手にしていた瞬間を、我は見たのだ」


 アレクさんが、宝玉を? 

 しかも、ディアーネスさんの部屋に勝手に忍び込むなんて……、それも深夜に。

 アレクさんの性格や立場からして、普通に考えてありえない。

 そう思った私と、ディアーネスさんも同じ事を思っていたのだろう。

 宝玉を見下ろしながら、その眉根を寄せてみせた。


「あの騎士は、確かに我の見ている前で、宝玉に新たな力を宿してみせた。……普通の者に出来る仕業ではない」


 アレクさんの干渉により、宝玉はその力強い輝きを取り戻した……。

 そう語るディアーネスさんは、神の如き所業だと深刻な響きをもって言葉を紡ぐ。

 何故そんな真似が出来たのか、問いただそうとしたディアーネスさんだったけど、急激な睡魔に襲われた彼女は、朝を迎えるまで、また意識を沈められてしまったのだそうだ。

 

「あれは、ただの狼王族ではない……。我以外には呼び出せぬ宝玉をその手にしていた事、新たな力を宝玉に与えたこと……、只人ではありえぬ」


 だから、ウォルヴァンシアに戻ったら、念入りに調べた方がいい。

 そう言い含めてきたディアーネスさんは、宝玉を自分の胸の中に戻すと、ルイヴェルさんと同じように、アレクさんとは距離をおくべきだと言った。

 

「本人にその自覚がない以上、ルイヴェルの言う通り、あれの中に何かが潜んでいると考えた方がいいだろう。我らと、いや、お前と敵対する者でない事を祈りたいものだが……」


「アレクさんが……、敵」


「我の宝玉に力を与えてくれた以上、その可能性は低い。だが、本来の人格であるあの騎士が心を揺らしていては、またいつ主導権を中に潜む者に奪われるかわからぬからな……。目的が判明しない内は、注意をしておくに越した事はない。だが……」


「はい?」


「意図はどうあれ、口付けを受けて嫌悪感を抱かなかったという事は……。お前の心は、あの騎士を受け入れる気があるようだな?」


 重要な問題を話していたというのに、ディアーネスさんはころっと話題を最初のものに戻してきた。その表情の奥に……、なんとなく、楽しんでいるような気配が見え隠れしているような気がするのだけど。

 本人の言った通り、やはり恋愛事に多大な興味があるらしい。


「普通はな、好きでもない男に口付けなどされたら、吐き気を催し、三日三晩は寝込むものだ」


「……そういう経験があるんですか?」


「ある。我も事故ではあったが……、この世で一番気に食わぬ奴に、初めてを奪われた。あの時は、……奴を八つ裂きにしてやろうと槍を振り回し追いかけたものだが、相当に堪えたものだ」


 それは誰となんですかね……。

 何となく、その口振りと前の話題に出てきた人の事を思い浮かべた私は、引き攣った笑いを零した。完膚なきまでに、そのお相手を追い掛け回し武力行使をした後、彼女は本当に三日三晩寝込んでしまったらしい。当時、好きな人がいただけに、物凄く濃度の濃い心痛に苛まれた、と。


「お前の場合は、騎士の口付けに戸惑う事はあれど、憎んではいないのだろう?」


「はい……。アレクさんを憎むなんて事、考えもしませんでした」


「一番良い確認の方法としては、グラヴァードの息子とも口付けをしてみる事だが……、お前には無理だろうな。だが、今わかっている事は、お前の中には、あの騎士を受け入れる隙があるという事だ」


「隙、ですか……」


 胸の辺りを指先で示された私は、そこに視線を落とした。

 蕾となって揺れている、アレクさんとカインさんへの気持ち。

 もしかしたら、それは私の気付かない内に、徐々に開き始めているのではないかと、ディアーネスさんは微笑みながら言った。


「嫌悪と敵意を抱く者に対しては頑なかもしれぬが、お前は騎士の口付けに嫌悪感を抱かなかったのだろう? それは、先に進んでもいいという合図に他ならぬ」


「そう、なんでしょうか……」


「共にいる時間が長くなれば長くなるほどに、少なからず好意を抱く者が相手ならば、お前の中にある蕾は、本人も気付かぬ内に準備を進めているはずだ。自身にとって、定めるべき唯一人の相手を想う気持ちをな」


「じゃあ、私は……、アレクさんの事を好きだという事、なんでしょうか?」


「さぁな。恋とは、いつの世も奇妙不可思議なものよ……。それは自身で自覚した時にこそわかるもの。今回は騎士の行動で揺れたかもしれぬが、グラヴァードの愚息が同じ事をしても、お前の中で何か変化が起きるやもしれぬ……。どちらの蕾が先に花開くか……、競り合っているといったところか」


 楽しげな笑みと共に立ち上がった女帝様は、艶やかな視線を向けると、私の耳元に顔を近づけ、こう囁いた。


「恋に目覚めるまでの過程も、面白いものだぞ?」


「ディアーネスさんっ」


「ふふ、悩み困るのも人生の楽しみだ。あまり人を気遣い過ぎていると、お前自身に限界がくる。男は振り回すくらいが丁度良いと、気楽に構えておくが良い。なるようにしかならぬが、この世の常。あの騎士も、グラヴァードの愚息も、放っておけば、すぐに這い上がってくる」


 結局、相談した事の答えは、曖昧に誤魔化されたような気がするけれど、ディアーネスさんの言葉の意味は、あまり気構えしすぎるな、という事なのだろうか。

 つまり、何もするなと、そういう事ですか? と尋ねた私に、彼女は肯定を示すように笑った。

 

「お前が甘やかし過ぎると、あやつらの成長が止まってしまうぞ」


「甘やかすなんて……、むしろ、私の方が皆さんに甘やかして貰っているんですが」


「勝手な事をしでかした男共に気を遣う必要などない。放置で良い」


「でも……」


 原因は私にあるのだから、私が動くべきではと訴えてみたけれど、ディアーネスさんが首を縦に振る事はなかった。

 それどころか、いちいち私が真面目にフォローを入れにいく事は、男の成長に悪影響しかないと、冷たく突き放されてしまう。……うぅっ、手厳しいっ。


「お前に強引な口付けをしたのは騎士自身。話をまともに聞かず感情のままに暴れたのも、グラヴァードの愚息自身。責任は全てあやつらにある。お前は気楽にしておれ」


 何という放置主義なお言葉……。

 スタスタと回廊に向かってしまったディアーネスさんの白い背中を見送った私は、本当にそれでいいのだろうかと頭を抱えてしまった。

 想いを向けてくれる二人の為にも、私自身に出来る事は何でもしたいと思っているだけに……。放置というのは、なかなかに難しい気がする。

 頭の中でさらに面倒になった悩みを抱えたまま唸っていると、不意に、足元に影が差した。顔を上げてみると、そこには、不機嫌全開のカインさんの姿が……。


「カイン……、さん?」


「ユキ……、ちょっと俺に付き合え」


「え」


 ぐいっと腕を掴まれ、迷う暇もなく、私はカインさんに腕を引かれて中庭を後にする事になってしまった。物凄く嫌な予感を胸に覚えながら……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「きゃっ!!」


 皇宮内の人気のない場所に連れ込まれた私は、壁に身体を押し付けられた。

 腕の中に私を囲い、怖い顔をしたカインさんが覗き込んでくる。


「番犬野郎との事は、事故みてぇなもんだって、ルイヴェルから聞いた……。まだ、あの野郎と両想いになったわけじゃねぇ、って」


 誤解が解けたらしい事を知って、一時的に安堵を覚えたけれど、それにしてはカインさんの様子がおかしすぎる。

 私を逃がさないように腕の中に閉じ込め、真紅の視線で射抜いてくる怖い気配……。


「けどな……。それで納得出来たわけじゃねぇんだよ。事故とはいえ、キスはキスだろ? そのせいで、お前が番犬野郎の事を意識したらと思うと……っ」


 苛立ちの気配と共に触れてきそうになった唇を避けた私に、カインさんが呻くような声を上げた。


「アイツとのキスは許せても、俺とのキスは駄目だってのか?」


「あ、あれは、事故だったんです! だから、その、の、ノーカウントなんです!!」


 想い合った者同士のキスでなければ、ただの身体接触だ! と、ルイヴェルさんに吹き込まれた言い訳を口にてみたけれど、カインさんの苛立ちはさらに跳ね上がってしまう。


「じゃあ、今から俺がお前にする事も事故だ。ノーカウントでも構わねぇ……。あの野郎が刻み付けた感触を、上書きさせろ」


「駄目です!! き、キスは、好きな人とするものなんです!! だからっ」


「俺はお前の事が好きだ。キスするには十分な理由だろうが」


 そういう問題じゃありません!!

 カインさんのしようとしている行為は、どう考えても意図的だし、自覚もある。

 あの時のアレクさんとは根本的に違うのだ。

 だけど、それを説明してもわかってはくれない。

 嫉妬という感情に駆られているカインさんは、アレクさんと同じ位置に立とうと、再度迫ってくる。


「い、やっ」


 こんな、八つ当たりみたいな意味をもった行為は絶対に嫌だ。

 また顔を背けた私に、カインさんが右の拳を壁に打ちつけた。

 

「何で拒むんだよ……っ。やっぱり、……そう、なのか?」


「か、カインさん?」


「番犬野郎の方を、好きになっちまったのかよっ!!」


「違います!! 私はまだっ」


「なら……、何でアイツのキスは受け入れて、俺のは駄目なんだよ? わかってんのか? 少女期ってのはな、性的な接触をした相手の方を意識しやすい傾向があんだよ。それを、先にやられたら、……番犬野郎の方が、お前にとって意識をしやすい対象になっちまうだろうが」


 それは知らなかった。

 苦しげに語るカインさんの話では、普通の人間達が覚える意識の仕方とは違い、もっと別の感覚で、相手を強く意識し始める事もあるらしい。

 勿論、嫌悪の情を抱く相手には、憎悪の念が高まりやすく、殺意さえ芽生える事もあるそうだ。

 人間よりも顕著な影響が出るのだと、私は初めて知った。

 確かに、夢の中でアレクさんが出てきたけれど……。

 それも、影響のひとつだったのだろうか。


「あ、あの、私は、狼王族と人間のハーフですし、そこまで強い影響は」


「ハーフだろうが、他の野郎に惚れた女の唇をもってかれたんだぞ。腹立つに決まってんだろうがっ」


「それは、その……、ごめんな、さい」


 まるで化学実験でも強要されているかのようだ。

 一人とキスをしたら、もう一人ともキスをして、変化があるかどうかを実験する、みたいな。

 私は実験動物でもないし、流石にそれはご遠慮させてもらいたい。

 決してカインさんからキスをされる事に嫌悪感があるとかではなくて、やっぱり……、ちゃんと自分の恋心を自覚してから、好きな人としたいのだ。

 だから、ルイヴェルさんの言った通り、アレクさんとのキスはノーカウント、ノーカウント……。

 そう思い込もうとするのに、また、頭の中にあの時の光景が蘇ってしまう。


「なんだよ……、その顔。お前今、俺以外の奴の事考えて赤くなったろ?」


「え、えっと、あのっ、こ、これはっ」


「ふざけんなよ……っ。こんな事で、初めて好きになった女を盗られて堪るかよ!!」


 激情のままに顎を捉え、強引にキスをしてこようとするカインさんの目には、もう遠慮の気配なんかなくて……。

 八つ当たりのように行為を強要してこようとするカインさんに悲しみを覚えていると、唇が触れ合う寸前のところで、


「ぐぁああああっ!!」


 ――カインさんの身体が遥か向こうへと吹っ飛んでしまった。

 い、一体何が……? 

 パンパンと手をはたくような音が聞こえる方に視線を向けると、まさかのルイヴェルさんが、恐ろしい気配と共に立っていた。


「人がわかりやすく説明をしてやったというのに……、何を思春期のような暴走をしているんだ? カイン」


「くっそ……、テメェ、本気で蹴りかましやがったな!!」


「あれで本気だと? 寝言は部屋に戻ってからにしろ。この思春期のお子様が」


「誰がお子様だ!! 俺は、番犬野郎に先手を打たれたからっ」


 横腹の辺りを押さえて立ち上がったカインさんに、ルイヴェルさんが冷ややかな目を向ける。

 不味い、ルイおにいちゃんの本気モードの怒りが噴出しそうになっている!!

 

「アレクの件で疲労困憊しているユキに追い打ちをかけてどうする? 嫌われる可能性の方が高い、いや、むしろ憎悪される事は確定だぞ? それでいいのか」


「ぐっ……、ゆ、ユキに嫌われるのは、嫌だ」


「ならば行動を慎め。それと、俺は今非常に機嫌が悪い。あと十発は蹴りを入れさせろ」


「なんでだよ!!」


 蹴りと言っておきながら、ルイヴェルさんは両手をバキボキと鳴らしている。

 十発で済むはずがない。

 このままでは、カインさんが半殺しどころか、瀕死の重傷を負わされかねない。

 私は急いでカインさんの許に駆け寄ると、わざとらしく笑ってその場を二人で離れ始めた。


「す、すみません、ルイヴェルさんっ。えっと、そう!! ちょっと二人でふざけていただけなんです。だから、今日はこの辺で、行きますよ、カインさん!!」


「はあ!? 俺は本気で、痛たたたたたた!!」


 さっきのキスが、未遂で終わらなければ平手ぐらいじゃ済まないところだったけど、ルイヴェルさんのお蔭で事故は起こらずに済んだ。 

 だから、まだ許してあげられるのだ。

 私はカインさんの横腹を叩いて黙らせると、大魔王と化している過保護な保護者様から目を背け、全力でその場を逃げ始めた。

 けれど……、そのまま逃がしてくれるような人ではなく、コツコツと歩み寄ってくる。駆け足でないところがまた不気味だ。


「ユキ、甘やかすな。そこをどけ」


「千人くらい一瞬で殺しそうな気配を出してる人の言う事は聞けません!!」


 今カインさんを守れるのは、私しかいないのだ。

 早く、早く……、大魔王の脅威から逃れなくては!!

 じりじりと迫ってくるルイヴェルさんから必死に逃げていると、曲がり角でまた事故が起こった。

 私とカインさんの行く手に、まさかのアレクさんが!!

 憔悴しきった顔で私の名を呟いたアレクさんが、引き摺られているカインさんに視線を落とした。


「ユキに何をした……」


 あぁ、状況と気配でそこまで察している凄さにも驚くけれど、早く逃げないと後ろから大魔王が!!


「ふんっ、テメェがユキにかましたように、俺も同じ事をしようとしただけだ。悪ぃかよ」


「貴様……!!」


 瞬間、ルイヴェルさんに負けないぐらいの殺気がアレクさんの身体から溢れ出した。カインさんの胸倉を掴み上げ、射殺すほどの視線で睨み合う二人……。


「ユキの心を傷付ける事は、絶対に許さない!!」


「はっ!! テメェが先に傷付けたんだろうが!! 自覚がなかったとか聞いたが、本当にそうなのか? そう言えばユキが許してくれるって、甘えたんじゃねぇのかよ!!」


「やめてください!! 二人とも!!」


 殴り合いになりそうな二人をどうにか宥めようと割って入ると、二人の怒気が自覚なくその腕にこもってしまい、振り払われるように、私は地面に尻餅を着いてしまった。

 それと同時に、――無言だった大魔王様の殺気がさらに跳ね上がる気配をみせた!!


「る、ルイヴェルさんっ、今のは違います!! 事故です、事故!!」


 慌てて立ち上がったものの、最悪な事に顔の前に出してブンブンと振っていた手の片方に、鈍い痛みが走った。

 それを見たルイヴェルさんが、静かに目の前で眼鏡を外し、胸のポケットへと……。


「アレク、カイン……、――覚悟はいいか?」


 ガルル! と罵声を浴びせあっている二人を両手で引っ掴み、ルイヴェルさんは詠唱もなしに転移の陣を発動させると、その中に二人を放り込んだ。

 あぁあああっ!! 不味すぎる!! 大魔王様は完璧にお怒りだ!!

 このままではアレクさんとカインさんが!! 

 助けに行こうと動いた私を、ルイヴェルさんがスタスタと寄ってきて、手早く傷を治癒し、言葉をかける暇もなく、陣へと飛び込み消えてしまった……。

 ……助けに行く手段は、ない。


「アレクさん……、カイン、さん」


 私のせいで死人が出るかもしれない。

 と、とりあえず、そうだ!! サージェスさんの所に行こう!!

 あの人だったら、きっとルイヴェルさんを止めてくれるはずだ。

 そう思いつき、全力で皇宮内を走り始めた私だったけど……、悪いタイミングというのは続くもので、ガデルフォーンの騎士団長様は外に出ていて不在。

 ならばディアーネスさんに助けを、と縋りに行ったら、「放っておけ」と一蹴されてしまった。

 ――そして。

 ズタボロになったアレクさんとカインさんが皇宮医務室に運ばれたと聞いたのは、夕食の席での事だった。

 涼しい顔をして私の隣で食事を楽しんでいた大魔王様のせいだと知っていただけに……。その日の夕食を進める手は酷く亀の歩みめいたものになった。

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