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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~
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王兄姫の困惑と、王宮医師の気遣い

徐々に調子が戻ってきました。(作者の)

「で? お前は何を落ち込んでいるんだろうな?」


 溜息を零しながらベッドで丸くなっていた私に落とされたのは、寝る前に様子を見に来てくれたルイヴェルさんの声音だった。

 毛布を被ったまま、顔を出さない私を怒るでもなく、ベッドの横に椅子を持ってきて座り込んだのが気配でわかった。

 ……予期せぬ異変に見舞われ、アレクさんと触れ合わせた唇の感触を忘れられずに皇宮に戻ってから数時間。予定よりも早く戻って来た私達の間に生じた違和感に気付いたらしいルイヴェルさんは、私が喋り出すまで根気強く付き合う気で部屋を訪ねに来てくれたらしい。


「まさか、夕刻を向かえずに戻って来るとは思わなかったが……、楽しくなかったのか?」


「……」


「戻って来てからも、夕食の時も、……アレクとは視線さえ合わせなかっただろう?」


「……」


 私の事を気遣ってくれているのに、応える為の言葉は出て来ない。

 胸の奥に重苦しい鉛でも抱えているかのように、淀んだ迷いが渦巻き続けている。

 ギシリと、ベッドに重みが加わる音がしたかと思うと、私の耳元に不意打ちが仕掛けられた。


「何か……、口には出来ないような事でもされたのか?」


「……」


「無言は肯定と受け取るべきだな……。俺はお前の保護者役として、レイフィード陛下にアレクの事を報告すべきか」


「やめてください……。あれは、事故、だったんですから」


 ようやく声を絞り出せたのは、レイフィード叔父さんがアレクさんを咎めたりする可能性を心配したからだ。……あの時のアレクさんは、普通じゃなかった。

 玉座の間で倒れてから以降、彼の身に表れ始めた小さな異変の数々。

 きっと、その異変のひとつが、アレクさんにあんな行動をさせたのだ。

 だから……。


「アレクさんは、悪く……、ないん、です。事故だったんです」


「……アレクにキスでもされたか?」


「――っ」


 何故わかってしまったのか、少し低められたルイヴェルさんの声に全身をびくりと震えさせた私は、追い打ちをかけてくるかのような恐ろしい気配までもを、毛布の向こうに感じてしまった。

 冷ややかな何かが肌にグサグサと刺さってくるかのような、怖い気配。

 毛布からそろりと顔を出すと、横を向き、不機嫌そうに眉を顰めたルイヴェルさんの姿があった。何かに対して怒っているような……、絶対零度の気配だ。


「俺は……、お前が幸せになれるのなら、誰と結ばれようと口を出す気はない」


 こちらを見ずに発された冷たい声音に、私は困惑の気配を浮かべる。

 幼い頃にも何度か見た事があったけれど、この気配を纏っている時のルイヴェルさんは……、ルイおにいちゃんは、何をやらかすかわからない程に怒っているのだ。

 それこそ、手段は選ばないと言わんばかりの恐ろしい気配だから、基本的には止めても無駄。

 

「ルイおにいちゃん……、違うの。アレクさんは悪くないの。だから」


 懐かしい、あの頃の幸希に戻ったかのように、私は素の口調で懇願の音をルイヴェルさんに向け始めた。心があの頃に引き戻されていく。


「何の責もないと言うなら、何故お前が落ち込んでいる? 傷付いている? 相手の存在を拒むほどにあからさまな態度をとっていただろう?」


「それは……」


「アレクは根が真面目過ぎるからな。何か事情があったのだろうが、お前を傷つけた事に変わりはない。そうだろう?」


「違うの……。私もアレクさんも、あの時の事は、本当に……、意味がわからなくて」


 ゆっくりと起き上がり、ぺたんとベッドのシーツの上に座り込んだ私は、ぽつりぽつりと訳を話し始めた。突然アレクさんが苦しみ出して倒れた事……。

 目が覚めたと思ったら、意味のわからない事を言って、私の唇を奪った事。

 それは全て、アレクさん自身の意思で行われた事ではない、と、思う。

 そう説明をし終えると、ルイヴェルさんは自分の銀髪を掻き上げ、溜息を零した。


「また、異変、か……」


「うん……。あの時のアレクさんは、普通じゃなかった。それに、アレクさんの身体から不思議な光が滲み出して、別の何かに支配されているかのような」


「憑依だと、そう言いたいのか?」


 そうとしか考えられない。あの真面目で心優しいアレクさんが、私の意思を無視して強引な真似をするなんて、普段では考えられない事だから……。

 

「憑依という現象は普通にある話だが、俺と父さんが診察した際に、その兆候は見られなかった……。となると、考えられる要因は」


 ルイヴェルさんが自分の眼鏡を外し、白衣の胸ポケットから専用の眼鏡拭きらしき布を取り出した。その布で眼鏡のレンズを拭きながら、小さく呟く。


「多重人格の症状をもったか……。それとも、魂の記憶が表に出ているか、だな」


「多重人格なら知ってるけど、魂の記憶って、何?」


「言葉の通りだ。このエリュセードでは、稀に前世の人格が蘇る事がある……」


「そんな事が……、本当に?」


 首を傾げて見上げる私に、ルイヴェルさんは眼鏡を拭きながら説明を続ける。

 エリュセードに生きる命は全て、この世界が誕生した時から輪廻転生を繰り返している。迷信でも何でもなく、在るべき事実として、皆が知っている事。

 一人一人が抱く魂の中には、今まで生きてきた複数の人生の記憶や人格が内包されているのだと。

 それが、ふとした拍子に前世の人格を目覚めさせる事もあれば、今の人格を乗っ取って行動に出る事もある……。


「だが、それは本当に極稀な事だ。そんな現象が頻繁に起きていれば、厄介極まりないからな」


「じゃあ、異変が起きている時のアレクさんは、前世の記憶、つまり、人格が表に出ている可能性が高いって事、なの?」


「可能性の話だがな。ウォルヴァンシアに戻ったら、アレクを一度フェリデロード家の本家に連れて行く。魂への干渉となると、俺達も細心の注意を払う必要があるからな」


 フェリデロードの本家……。

 確か、ウォルヴァンシアの王都の中にあったような気がするけれど、魂に干渉なんて、本当に出来るのだろうか? 魂なんて、目に見えるものではないはずだし、それをどうこうしようなんて、雲の上の話のようにしか思えない。

 私が目を丸くしてルイヴェルさんを見つめていると、その深緑の眼差しが自信に溢れた気配を浮かべた。


「どうやら、お前のいた世界では、魂への干渉は考えられないものらしいな」


「うん……。魂、というか、霊も、本当にいるのかどうかも曖昧な存在だったし」


「このエリュセードでは、魂も霊も、普通に存在している。それに対する干渉も、腕の良い魔術師であれば、普通に可能な事だ。覚えておくといい」


 向こうの世界にあった常識や考え方が、どんなにこの異世界では無意味な事か……。改めてそれを自覚させられた気がする。

 科学の代わりに、魔術や不可思議な要素が発展した異世界……。

 私がこくりと、大人しく納得の頷きを見せると、ルイヴェルさんは眼鏡をサイドテーブルに置いて、私の傍に顔を寄せてきた。


「お前も、……生まれてくる前は、別の誰かだった、という事だな」


「別の、誰か……」


「知りたいか? 自分の生まれてくる前の姿を」


「う~ん、ちょっとだけ、興味はある、けど……。やっぱりいい、かな」


「何故だ?」


「だって、今この世界で生きているのは、他でもない、私自身だから」


 たとえ魂が同じでも、今この時を生きているのは、私という人格だ。

 生と死を繰り返してきた前世の私は眠りに就き、その果てに私が生まれた。

 ひとつひとつの人生が、それぞれのもの。

 だから、前世よりも今を、私は大切にしたい。

 そう答えると、ルイヴェルさんは面白そうに笑って、私の頬を右手に包んできた。


「お前らしい答えだな。確かに、前世と今の自分は違うものだ。本来、気に掛ける必要はない」


「うん」


「だが、アレクは……、そうもいかないようだがな」


 まだ可能性の話でしかない。だけど、もしも魂の記憶や人格が今のアレクさんに影響を及ぼしているとしたら、私達はアレクさんの秘められた部分に触れていかなくてはならない。

 魂に干渉する事は、非常に危険を伴う行為。

 それを扱う事によって、何が起こるか……。

 ルイヴェルさんにも未知数の治療行為なのだと、そう話してくれた。


「そう心配そうな顔をするな。フェリデロード家は、医術と魔術の名門。このエリュセードで一番信頼出来る、名医揃いの一門だ。アレクの異変を、その根源を……、必ず突き止めてやる」


「ルイおにいちゃん……、お願い、します」


 小さく頭を下げると、ルイヴェルさんが私の頭に手をおいて優しく撫でてくれた。

 ルイヴェルさんとレゼノスおじ様に任せておけば、きっと大丈夫。

 だけど、たとえ原因がわかっても……、アレクさんと私の間に出来た溝は、また別問題となってくる。異変のせいでおかしくなっていたとはいえ、私とアレクさんは間違いなく、キスをした。

 私は事故として忘れたいと口にしたけれど、それを伝えた時のアレクさんの顔は……。

 

(傷付いてた……。とても)


 もしかしたら……、私の言った言葉の意味を、間違った捉え方で受け止めてしまったのかもしれない。アレクさんとのキスを、私が嫌悪し、存在ごと拒絶したいと思っているかのような、間違った方向性大の誤解を。どうしよう、大いにありえる。


「ところで、……正直なところ、お前はアレクとのキスをどう思ったんだ?」


「え?」


 俯いて悩んでいると、ルイヴェルさんが至極真面目な顔で尋ねてきた。

 そこに悪戯めいた気配はなく、本当に事実だけを知りたそうな顔をしている。

 私は少しだけ視線を彷徨わせると、キスをされた事実を悟っているルイヴェルさんの顔を見上げた。


「驚きの方が大きくて……、正直、あの時のキスに対してどうこう、というのは」


 確かに、衝撃と困惑の方が大きかったのは覚えている。

だけど、瞬時にまた蘇ってきたアレクさんの舌の感触や吐息の熱さを口の中に覚えた私は、カッと頬に熱を抱き、どう説明したものかと、また毛布に潜り始めた。

 しかし、それを許してくれるようなルイヴェルさんではなく、すぐに毛布を引き剥がされて、その腕の中に囚われてしまう。

 うっ、……胸の辺りに抱っこをされるかのようなこの姿勢は一体。


「少女期とはいえ、お前も一人の女だろう? 徐々にではあるが、少しは何かしらの感情をあの二人に覚えてもいいはずだ」


「は、離してっ!! ルイおにいちゃんの意地悪!!」


「それは昔からわかっていた事だろう? それに、俺はお前の主治医だからな。お前に関する些細な事も全て、把握しておく義務がある」


 絶対に嘘だ!! 完全に面白がって私から本音を聞き出そうとしているに違いない。

 アレクさんと皇宮に戻った後、ようやく少しずつ動くようになった身体でジタバタと暴れ、私はその腕の中から逃れようとした。

 けれど、流石は男性というべきか。びくともしない。

 まるで、子供の頃に戻ったかのように、私はルイヴェルさんの腕の中でされるがままだった。

 唯ひとつわかるのは、これは異性の触れ合いではなく、兄妹の戯れに似た何かだという事だけ。


「何でそんなに聞きたがるのっ!!」


「俺が医者だからだ」


「嘘つき~!! 絶対好奇心でしょっ? わかってるんだからっ!!」


 そう叫んだ瞬間、ルイヴェルさんが私の顎を持ち上げ、ぐっと自分の顔を近づけてきた。全てを見透かすかのような深緑が、間近に迫る。

 てっきり絶対に面白がっていると思ったのに、そこにあるのは心配そうな気配だけで……。


「お前のような年若い娘が、男から無理矢理の行為を押し付けられて平気でいられるわけがないだろう? それが、安心してその心を預けていた騎士相手でも、変わりはない」


「心配、してくれている、の……?」


「一応、お前の事は妹のように可愛がってきたつもりだからな。お前がアレクの行為に傷付いたというのであれば、……それ相応の報いを受けさせる気ではいる」


「確か、幼馴染なんでしょう? アレクさんとルイおにいちゃんって……」


 お互いに心を許しあう関係のはずなのに、大真面目に宣言されてしまった。

 私の兄の立場を自負する王宮医師様の心の天秤は一体どうなっているのか……。

 うっと怯んだ私を畳みかけるように、ルイヴェルさんは質問を続けてくる。


「アレクと俺は確かに幼馴染の間柄だが、今回の件には関係ない。今重要なのは、お前の心の状態だ」


「ほ、本当に……、大丈夫、だから。確かに吃驚はしたけど、カインさんの時ほどのトラウマは……」


「アレクの世話になっているからと言って、庇う必要はないぞ? さぁ、正直なところを吐け」


「うぅ……、怖い!! 目が怖いよ!! ルイおにいちゃんっ!!」


 それこそ、私の返答次第では、アレクさんをどうこうする気満々の気配が漂っている。確かに、ファーストキスを奪われたのは大ショックだった。

 まだアレクさんの事を異性として好きかどうかもわからないのに、全部が解決されないまま奪われた、この唇。

 生々しく残っている口内の感触は、薄れたとはいえ、その時の記憶を瞬時に再現してしまうので厄介だ。ショックではあったけれど……、気持ち悪いとか、そういう感想は、抱かなかったように思う。おずおずとそう伝える私に、ルイヴェルさんは「脈ありか……」と、何故か舌打ちを小さく零した。


「ルイおにいちゃん?」


「お前は馬鹿素直で何でも受け入れやすい傾向があるから何とも言えないが……、ひとつ、良い事を教えてやろう」


「え?」


「恋人同士のキス以外は、ただの身体接触だ。キスのカウントには入れるな」


「……?」


 心底意味が分からないと首を傾げる私の額にゴツン! とルイヴェルさんの額がぶつけられる。迫力満載の真剣な眼差しが、私を射抜く。


「アレクの方も、そういう意図があってしたわけじゃなかったんだろう? ならノーカウントだ。それに、皇宮に戻って来た時のお前の状態は、生気を奪われたかのように抜け殻じみていた。恐らく、キスによる力の受け渡しが行使されたはずだ。だから、ノーカウントだ」


「でも……」


「ノーカウントだ。好きでもない男からのキスなど、無意味だと心に刻み込め」


 ……はい。あくまで、唇を触れ合わせる事による、力の吸収が行われた、と。

 鬼気迫る眼差しで言い含められた私は、仕方なく頷いておいた。

 あれは事故、というよりも、アレクさんにとっては何かの必要な作業のひとつだったのだ。

 そう思った方が、確かに今後の為にもいい。

 でも、何でアレクさんが私の力を奪う必要があったのだろうか。

 試しに、自分の中の魔力と、三色の光を纏う不思議な力を表に出してみようと意識を集中し始めると、魔力の方は問題なく自分の前に光となって現れた。

 けれど、私のもうひとつの力である三色の光を纏う力の方が、仄かに身体を縁どるように滲みだすだけで、しっかりとした力の強さを感じる事が出来ない。


「お前がアレクに奪われたのは、未知数の力の方だ。急激にそれを吸収されたせいで、身体に力が入らなくなった……。そんなところだろう。まぁ、自然に回復を待っていれば、元に戻る。安心しろ」


「でも……、何でアレクさんに、そんな事が出来たんだろう」


「それもまた、重要視しなければならない疑問点だな。お前のあの力は……、使用されていない時以外は、その存在を他者には感じ取れないはずだ。それなのに、キスひとつで奪うとは……、厄介な問題が出てきたものだな」


 だからこそ、幼い頃に行われた封印は、私の魔力だけに留まった。

 その代わりに仕掛けられた抑制の術は、私の未知数と呼ばれる力が表に出た際に発動し、それを抑え込む為に役目を果たす。

 玉座の間で私が暴走を起こした際に、ルイヴェルさんが傷を負った状態で発動させてくれたあの術の事だ。

 あの力を表に出していない状態だったのに、その力を吸収したアレクさん……。

 何の為に? 何故、あの時に……。

 はぁ、わからない事がいっぱいありすぎて、眩暈がしてきそうだ。


「あとでアレクの身体も調べるが……、ユキ」


「ん?」


「暫くの間、あれには近づくな」


「え……」


 突然何を言い出すのだろうかと思えば、ルイヴェルさんは至って真面目な顔で同じ事を二度言った。ウォルヴァンシアに戻っても、アレクさんには近づくな。

 護衛騎士の任も、レイフィード叔父さんに相談して解任する、と。

 

「お互いの為だ。異変の原因がわかるまで、距離をとれ」


「でも……、そんな事をしたら」


 護衛騎士の任を解任され、私にも近づくなと命令されてしまったら……、アレクさんはきっと傷付く。自分が私に対して強引な真似をしてしまったから、私を傷付けてしまったから、と。

 それを思うと、素直に頷く事は出来なかった。


「一緒にいるのも、お話をするのも、駄目なの?」


「何が引き金になって異変を起こすかわからないからな……。アレクを思うお前の気持ちもわかるが、これ以上お互いを傷付けない為にも、最善の策をとれ」


 アレクさんには自分が話しておく、フォローも入れておく。

 また同じ事が起こった時、傷付くのは私達二人だから、と、そう言い含めてくるルイヴェルさんに、私は確かに仕方がないのかもしれないと、小さく頷く事にした。

 会えなくても、お手紙を届けたり、差し入れをする事は出来る。

 完全に繋がりが消えるわけじゃない。だから……。


「……アレクさんに伝えてくれる? 確かに吃驚はしたけれど、私は怒っていない、って、傷付いてはいないから、って」


「わかった……。お前とアレクのキスは、あくまで突然の事故のようなものだと、気にしないように俺が宥めておく。お前も、あれはカウントに入れずに、早く忘れろ。いいな?」


「うん……」


「ところで、口調が昔のものに戻っているようだが、どういう心境の変化なんだろうな?」


「……なんと、なく。今は、こっちの私で喋りたくなっただけというか……。ぅうっ、何でそんなに嬉しそうな顔をするのっ」


 記憶を取り戻した後、本当は少し迷っていた。

 大好きだった……、ううん、今でもこの心が慕っている、『ルイおにいちゃん』に対して、どちらの自分でいるべきなのかと。

 その結果、選択したのはエリュセード帰還時の自分として、だった。

 何故かというと、……その、昔みたいに接してしまうと、ルイヴェルさんに甘えているような気がして……。

 

「また戻すのか? あの頃のように、抱っこをせがんでもいいんだぞ?」


「~~っ!! し、しませんからね!! ちょっ、ニヤニヤしないで下さい!!」


 大慌てで口調をいつもの仕様に戻した私は、その胸をドンドンと叩きつける。

 もう、私がエリュセードに帰還した時に感じていた壁はすっかりなくなって、幼い頃の幸希が心から慕っていた、大好きなルイおにいちゃんの顔になっていて……。


「どちらの接し方でも構わないが、……時々は、甘えてこい」


「……うん」

 

 大切そうに、ぎゅっとその胸に抱き締められながら、ようやく落ち着いてルイおにいちゃんとの再会を実感出来たような気がする。

 私の記憶と魔力が封印された……、あの日。

 ウォルヴァンシアに戻ってきた私に冷たく接したルイおにいちゃん。

 凄く、傷付いた。だけど……、本当に辛い思いを味わっていたのは、この人だった。私は子供のようにルイヴェルさんの胸に縋りながら、もう一度、その名を呼ぶ。

 もう少しだけ、あの頃のぬくもりを感じていたいと、想いに乗せて。

 ――それから暫くして、私は少し腫れた目をしながら身体を離した。


「ありがとうございました。ルイヴェルさん。……アレクさんの事は、気にしないように、頑張ってみますね」


「暫くは互いに気まずい日が続くだろうが、落ち着く日は来る。それまで、他の事に目を向けていろ。……それと」


「はい?」


「ノーカウントだからな?」


「……ふふっ、はい。そう思う事にします」


「想い合う者同士でなければ、意に添わぬ触れ合いなど無意味だ。その事を、絶対に忘れるな。いいな?」


「はい。アレクさんとのキスは、ただの事故だって、意味はなかったんだって、そう思うようにします。だから……、アレクさんに何かしちゃ駄目ですよ? 絶対に」


 アレクさんは、何らかの要因によって振り回されているだけ。

 あのキスに深い意味はなくて、勿論、アレクさんに罪なんかない。

 だけど、念押しをした私の視線から、ルイヴェルさんが深緑の行く先をそろりと横ん変えた。……やる気だ。この人は私に対して過保護なところがあるから、報復も自分の仕事だと思っているのだろう。まったく。


「もし、アレクさんに何かしたら……」


「…………」


「ルイおにいちゃんとは、一ヶ月口を聞きませんからね?」


 ニッコリ。もうこの人の弱点は把握済みだ。

 案の定、ルイヴェルさんが私に視線を戻し、抗議の意味合いを込めた表情を向けてきた。少しくらいいだろう? 深緑の双眸がそう言っている。


「駄目です」


「……はぁ、わかった。ではな」


 身体を離し、ルイヴェルさんがそう言ってベッドを下りようとしたその時。

 僅かに開いている扉の隙間に、人影を見つけた。

 呆然とした様子で私達の方を見ている……、青ざめたカインさんの姿を。


「……ユキ」


「か、カインさん、あのっ」


「どういう、事だよ……。さっき、の、……番犬野郎と、何、した、って?」


 恐れを抱いているかのような震える声音と共に、カインさんが私の方へと恐ろしい気迫と共に大股で歩み寄ってくる。

 それを阻むようにルイヴェルさんが間に入ってくれたけれど、カインさんは平静を失った様子で私へと怒鳴り声を上げた。


「説明しろよ!! お前と番犬野郎がキスって、……お前、アイツの方を選んだのかよ!!」


「落ち着け、カイン。そういう意味合いでの行為じゃない。事情があるんだ」


「どけよ!! まだどっちも選べねぇって、お前そう言ったじゃねぇか!! 恋をするのが怖いって、俺と番犬野郎を傷付けるのが怖いって、怯えてたじゃねぇか!!」


 宥めようとするルイヴェルさんの腕に阻まれながらも、カインさんは私に向かって悲痛な声を叩き付けてくる。まるで、裏切られたと、傷付けられたと、そう感じているかのような複雑な表情で。

 私は首を振って、カインさんにわかってもらえるようにと、声を荒げた。


「違います!! 私は、まだ誰にもっ」


「じゃあ何で番犬野郎とキスなんて話が出てくんだよ!!」


「それは……っ」


 どう説明したらいいんだろう……。

 異変の起きたアレクさんに強引な行為をされてしまった事を話せば、事情に関わらず、カインさんは絶対にアレクさんを責め立てにいくはずだ。

 自分のせいで、傷心中のアレクさんがさらに罪悪感を募らせるような展開だけは避けなければ。だけど、上手い誤魔化し方が見つからない。


「カイン、一度外に出ろ。ユキの身体に障る」


「うるせぇ!! だから嫌だったんだ!! 番犬野郎とユキが二人で逃げた時、絶対なんか起こるって、すげぇ嫌な予感がしまくって……、その結果がこれかよ!!」


 駄目だ。完全に感情の荒波に飲まれてしまっている。

 しかも、この騒動を聞きつけて、レイル君が部屋に飛び込んで来たかと思ったら、何故かその後ろにサージェスさんまでっ。どうしよう、事態がさらに大きくなっていく。

 

「どうしたんだ、カイン皇子!!」


「皇子君、こんな夜更けに何ユキちゃん達に迷惑かけてるのかなー? 近所迷惑ならぬ、皇宮内迷惑だよ」


 レイル君とサージェスさんが止めに入って来たけれど、カインさんの怒声は止まらない。

 私とアレクさんが想いを通じ合わせてしまったと、完全に大きな誤解をしてしまっているのだ。

 これはもう見ていられないとばかりに、サージェスさんがカインさんの後ろ首に手刀を叩き入れてくれたお蔭で、どうにか室内は静かになったのだけど……。

 絨毯に放り出されたカインさんの苦しげな呻き声を聞きながら、事情説明を求めるレイル君とサージェスさんの視線を貰う羽目になってしまった。

 話を広げる気なんてなかったのに……。

 困り果てて俯いてしまった私を、ルイヴェルさんがちらりと様子を窺った後、冷静沈着を絵に描いたような表情でレイル君達に向き直った。


「どうやら寝ぼけてしまっていたようでな。騒がせてすまなかった、自分達の部屋に戻ってくれ」


 誤魔化すには無理のあり過ぎるルイヴェルさんの発言に、サージェスさんがぴくりと片眉を僅かに跳ねあげた。けれど、暗くなっている私の姿に視線を向けると、ふぅ、と小さな吐息をついた。


「ここじゃ……、無理だよね。ルイちゃん、別室に行こうか」


「断る」


 まさに一刀両断。私の事を気遣って、事情を聞くのは自分達だけになってからにしようと言ってくれたサージェスさんに、ルイヴェルさんが冷たすぎる即答を向けた。

 アレクさんと私の事は、他に漏らすべきではないと気遣ってくれているのだろう。

 眼鏡をサイドテーブルに置いたままのルイヴェルさんの眼光が、どれだけ凄まじかったのかはわからない。だけど、それを目の当たりにしたレイル君が、びくりと身を震わせて一瞬で青ざめてしまったのを見る限り、相当の威圧感があったらしい。

 私の方に振り向いた時には、もう普段のルイヴェルさんに戻っていたけれど、レイル君は固まったままだ。


「あの、ルイヴェルさん……。私の事なら気にせずに……」


 迷惑をかけてしまったのだから事情を説明しても構わないと告げた私に、ルイヴェルさんは穏やかな眼差しで、また私の頭の上に手をおき、くしゃりと髪を撫でてきた。


「お前は何も気にせず、ゆっくりと休め。カインの事は俺の方で宥めておく」


「でも……」


「聞き分けの悪い奴には、仕置きが必要か?」


 困惑と共に見上げていると、ルイヴェルさんはニヤリと意地悪く笑った直後、私の髪を掻き上げて、露わとなった額へと不意打ちのようにキスを落とした。

 アレクさんの時ほどの衝撃はないけれど、確かに感じた……、柔らかな唇の感触。

 それがゆっくりと離れ始めた頃、私の顔は真っ赤に茹ってしまっていた。


「な、なななななっ」


「それで気を紛らわせていろ。……行くぞ、お前達」


「ルイちゃーん……、何という羨ましい事を。俺もやっていい?」


「命が惜しくなければな。レイル、行くぞ」


「あ、あぁ……。ユキ、ゆっくり休んでくれ」


 カインさんを担ぎ上げたルイヴェルさんが去っていく姿を追い、サージェスさんとレイル君もおやすみの挨拶を口にして部屋を出ていく。

 それに小さく「お、おやすみな、……さい」と返した私は、いまだに頭の中をルイヴェルさんの突然の悪戯に埋め尽くされていた。

 幼い頃はよくお昼寝の前に額へのキスをされていたけれど、大人になってからは初めてだ。

 ルイヴェルさんにとっては冗談と挨拶の一種なのだろう。

 だけど、アレクさんとのキスで衝撃を受けていた私は、ルイヴェルさんからのキスにも不必要に反応してしまって……。

 

「し、心臓に悪い事をあえてするのが……、ルイおにいちゃん、か」


 がっくりと項垂れて、私は白いシーツに倒れこんだ。

 確かに、今の額へのキスのせいで、頭の中が変に掻き回されてしまったかのような気がするけれど。……アレクさんとしっかり話も出来ず、距離をおく事が決まってしまったせいもあり、胸中はとても複雑だ。


「アレクさん……」


 嫌悪感はなかった。だけど、アレクさんのあの行為は、彼の中にいる誰かがさせた事……。

 だから、アレクさんの意思ではなかった。

 だけど、だとしたら私は……、誰とキスをした事になるのだろうか。

 アレクさんの身に起きている異変も気になるし、自分の失ったファーストキスの事も、気にしないでいいと言われても、やっぱり……。


「はぁ……」


 それに、話を聞いてしまったカインさんの事も、気になってしまう。

 私がアレクさんとキスした事を知って、あんなにも傷付いた顔で怒っていたカインさん……。

 どれほど私の事を深く想ってくれているのか、それを思い知らされた瞬間でもあった。

 ……胸が、痛い。アレクさんとカインさん、二人の事を想うと、胸が苦しくて仕方がない。

 私が好きなのは、誰、なんだろう。

 二人が向けてくれる想いは、確かに私の心を強く揺さぶってくる。

 だけど、その想いに応えられる確かな答えが、まだ見つからない。


「ごめんなさい……、アレクさん、カインさん」


 少女期にあたる者は、恋心に迷いやすく悩み多き年頃だと教えられたけれど、早く答えを出せない自分をもどかしく感じるのもまた事実。

 早く答えが出れば、この胸の奥で淀む錘のような迷いや辛さも、消えてなくなるはずなのに……。

 二人の事が大切で、自分の想いを自覚出来ないこの心は、……いつ、答えを出してくれるのだろうか。


「ニュイ~」


 その時、毛布の下の方で眠っていたファニルちゃんが、ようやく目を覚ましたようで、私の顔の傍へと移動してきた。私の迷いや葛藤が伝わっているのか、ファニルちゃんが可愛らしい前足で私の頬をぺちぺちと撫で、胸元に擦り寄ってくる。

 きっと慰めてくれているのだろう。


「ニュイ~」


「ありがとう、ファニルちゃん……」


 恋はするものではなく、落ちるもの……。

 カインさんのお師匠様であるセルフェディークさんが教えてくれた言葉を思い出しながら、私はファニルちゃんのもふもふの毛並みを撫でる。

 目が覚めたら、朝を迎えたら……、一度、アレクさんに会いに行こう。

 ルイヴェルさんは距離をおくようにと言っていたけれど、一緒に立ち会ってもらえば、何が起きても大丈夫のはず。

 それに、カインさんにも、きちんと説明をしなくちゃ……。

 ファニルちゃんの小さな鳴き声を聞きながら、私は徐々に静かな闇の中へと落ちていった。

その頃のアレクさんは、裏庭の方で剣を振りながら自己嫌悪と葛藤で頭の中ぐしゃぐしゃ状態になってました。

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