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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~
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副騎士団長とのお出かけ2

 ルディーさんが勧めてくれたという秘密の場所。

 それは、何の変哲もない小さな森の中にあった。

 白馬を森の入り口の木に繋いだアレクさんが、私の手を取り森の中を歩きだしてから十分ほど……。

 ほど良く明るい日差しが森の中を照らし出し、茂みからは可愛らしい小動物が顔を出して私達の姿を窺っている中、アレクさんは目印でも探すかのように視線を木々の方に巡らせていた。

 

「アレクさん……?」


「あれか……」


「え?」


 木々のひとつに目標を定めたアレクさんが、迷いのない足取りで私をその場所へと連れて行く。

 白い布らしきものが枝に括り付けられている、一本の木。

 他の木々との違いはその布だけのようだ。

 そのどっしりとした幹の表面に手のひらを当てたアレクさんに戸惑っていると、次の瞬間、私の視界に光が満ち溢れた。

 どこまでも優しい柔らかな光に包まれ、身体に不思議な浮遊感が生じていく……。

 これは、……そうだ、転移の陣に入ると時と同じ感覚。

 どこに移動してしまうのかはわからない。

 だけど、瞼を閉じる寸前に見えた、アレクさんの穏やかな表情を思い出した私は、きっと怖がる必要はないのだと、そう安心して光に身を委ねたのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ユキ、もう目を開けても大丈夫だ」


 微かに聞こえていた木々の囁きの声が消え去った後。

 ゆっくりと……、波が戯れるような音が耳に響いてきた。

 森の匂いとは別の、潮の香りに似たそれが、風に乗って届く。

 私はアレクさんの促しで瞼を開くと、目の前に広がった光景に小さく声を上げた。

 さっきまで森の中にいたのに……。


「海……?」


 見守るように降り注ぐ日差しを受けて煌めく蒼の世界。

 地平線に寄り添う穏やかな流れが、漣の音と共に広がっている。

 ここは一体……、。確か、シュディエーラさんの話では、ガデルフォーンに海はないはずだ。海産物の類も、表の世界であるエリュセードから輸入していると聞いているし……。戸惑いながらアレクさんを見上げると、手を引かれて波打ち際へと歩き出した。


「ここは、ガデルフォーンでも、エリュセードの表側でもない場所なんだ……」


「どちらでも、ない?」


「あぁ。ルディー……、というよりも、その父親であるラシュディース様が見つけた、小さな秘密の世界らしい。奇跡的という言うべきか、ガデルフォーンを創る時に空間を別にしてこの場所が生まれたが、それに気付いた者は極僅かだったそうだ」


 ガデルフォーンという世界(国)は、初代皇帝さんと宝玉の恩恵を受けて急速に成長を遂げた。

 けれど、この小さな海の世界は、非常にゆっくりとした速度で今の形へと成長してきたらしい。自然だけが存在する、静かで……、穏やかな蒼の世界。

 この場所を訪れた人達は、暫しの休息と、自然の美に癒された後、誰にもこの場所の事を他言せずに秘密の場所としてきたらしい。

 だからこそ、滅多に訪れる者がない事を証明するかのように、砂浜には私達以外の足跡は残されていなかった。

 

「この場所に来る条件は、あの木に触れる事らしいが……。ルディーが以前に調べたところ、他にもまだ条件があるらしいと話してくれた」


「じゃあ、私達はその条件をクリア出来たという事なんでしょうか?」


「恐らくな……」


 それはもしかしたら、この場所を無暗に荒らしたりはしない人、という条件も入っているのかもしれない。アレクさんと一緒に靴を脱いだ私は、素足になって波の冷たさを感じた。爽やかな風の感触が頬と私の長い髪に触れてくる。

 まるで子供に還ったかのように、足元で跳ねる波飛沫を見つめながら、私は波と戯れる。


「海なんて、本当に久しぶりです!」


「そうか……、良かった。最初は、皇都か周辺の町をまわる予定だったんだが、ルディーに意見を聞いたら、この場所を教えてくれたんだ。誰もいない場所で、自然を満喫しながら二人で楽しい時間を過ごして来い、とな」


「そうだったんですか……。じゃあ、帰ったらルディーさんにお礼を言わないとですね」


「俺も戻ったら一緒に礼を言うつもりだ。それに……、この場所でなら……、あの男の妨害に遭わずに済むからな」


 あ、アレクさん……っ。

 私の笑顔に応えて表情を嬉しそうにしたアレクさんが、不意に海の水面へと視線を落とし、ちょっと不気味な笑いと共に右手を胸の前でガッツポーズするのが見えてしまった。

 アレクさん……、本当にカインさんの事が嫌いなんですね?

 もう天敵にしか見えていないんですね?

 自分が原因とはいえ、会う度に喧嘩をする二人の事を思うと、……はぁ。

 確かに、この場所ならルディーさんとロゼリアさんの制止を振り切れたとしても、カインさんがここに辿り着く事は出来ないだろう。

 何と言ったって、秘密の場所なのだから……。


「もう少し、奥の方に行ってみるか」


「え? きゃ、きゃああっ!!」


 あはは、と、苦笑を零していると、アレクさんが私の身体をその腕に抱き上げ、今いる場所よりも少しだけ奥へと歩みを進め始めた。

 突然の行動に驚いてしまった私に、クスリと小さく笑ったアレクさん。

 軽い謝罪の言葉を向け、アレクさんがくるりと波の途中でまわってみせる。

 風を感じながら嬉しそうに笑っているアレクさんは、どこか子供っぽく見えた。

 いつもは、穏やかで滅多に感情を荒げる事のない表情ばかりだけど、今目にしているアレクさんの笑みは、また違った温かな感触となって私の心に触れてくる。


「あ、アレクさんっ、そんなに動いたら落ちます! 落ちちゃいますからあ!」


「ははっ、大丈夫だ。俺がお前を落とす事などありえない……。この身を賭けても、お前の全てを守ると決めているからな」


「あ、ありがとう……、ござい、ますっ。あ、アレクさん、何か来ますよ!」


「ん?」


 アレクさんの腕の中から見えたのは、こちらに向かって波を掻き分け泳いでくるひとつの影。大きさで言えば、多分……、大人のイルカぐらい、かな。

 よく見れば、その後ろに小さな影もひとつ寄り添って泳いでくるのが見えた。

 まさか、鮫みたいな海の生き物なんじゃ……、と戦慄した私とは対照的に、アレクさんはその陰に向かって近寄り始めた。


「あ、アレクさん、危ないですよ!!」


「大丈夫だ。敵意は感じられない……」


「キュイ~! キュッキュッ!」


 バシャンッと波打った水面から、可愛らしい大きなつぶらな瞳をした生き物が現れた。私達を歓迎するように楽しげに鳴く二頭の生き物。

 それは、驚いた事に……、少しだけ色合いや細部は違うものの、私の知っているイルカそのものだった。私達の足元で嬉しそうに跳ねながら、頭を差し出してくる。


「何でこんな所にイルカが……」


「イルカ?」


「私の世界にいる海の生き物です。ちょっと違う感じはしますけど、イルカとそっくりです」


「キュイっ、キュイ~!!」


 何故だろう……。二頭がその場でコクコクと頷いてみせる姿を見た私は、首を傾げた。私はアレクさんに海へと下ろしてくれるようにお願いすると、「スカートが濡れるが、いいのか?」と尋ね返され、少しだけ砂浜に近い場所へと戻り、改めて波間へと足を下ろした。

 イルカのような二頭も一緒に付いて来ると、水面の底にある砂に足を着いた瞬間、待っていましたとばかりに懐きにかかってきた。


「キュイ~!」


「きゃっ、ふふ……、可愛い。こんにちは、イルカのそっくりさん達」


「キュッキュッ!」


 頭の部分を撫でると、ツルツルとした感触が手のひらに伝わってきた。

 うん、昔水族館で撫でたイルカとやっぱり同じ感触だ。

 二頭の無邪気な姿を見ていると、地球での懐かしい思い出が次々と蘇ってくるようだった。

 

「ユキ?」


「す、すみません。ちょっと、……元の世界にいた頃の事を思い出してしまって」


「いや、何かに心を動かされた時、感情が表に出てくるのが人だ。それは、人間だけでなく、俺達のような種族も同じだ。恥じる事はない」


「ありがとうございます……。だけど、本当にイルカさんそっくりです。可愛い……」


 地球での生活を、何もかも捨てて移住してきた別世界。

 移住が決まった時も、私はお母さんの胸に縋って泣き続けた。

 二十歳にもなったいい大人が、引っ越しぐらいで……、自分でもそう思ったものだけど、私がお別れをしたものは、本当に……、自分を取り巻く『全て』だったから。

 幼馴染である女の子と一緒に目指していた将来の夢、仲の良い近所の人達や友人達……。

 朝、目が覚めて一日の始まりを告げてくれたお日様。

 悲しいことがあった時、優しく包み込むように照らしてくれた夕日。

 家族で見た夜空の星々。自分を取り巻く家族以外の『全て』と、私はお別れをした。積み上げてきた地球での生活の在り方、心に刻んできた多くの思い出。

 もうあの場所で、懐かしい大切な場所では生きられない事を知った時、新しい世界での生活を不安に思う気持ち以上に、あの世界とお別れをしなければならない事が悲しかった。

 二度と戻れないわけじゃない。また懐かしい友人達や近所の人達にだって会える。

 だけど……、その場所で生きていく事は、もう出来ないのだ。

 それを思うと、足元から何かが崩れ去っていくかのように、とても怖く、悲しく思えたのだ。

 つい、数ヶ月前の事なのに……、ずっと昔の事のようにも思える、地球での日々。


「ユキ、……大丈夫か?」


「え?」


 不意に、アレクさんが私と視線を合わせるように、その背を屈めていた。

 二頭のイルカさんのような生き物達も、心配そうに私の周りを泳いでいる。

 いけない……、せっかくアレクさんが私を楽しませようと連れて来てくれたのに。

 誤魔化しの意味合いを含んだ笑みを浮かべた私を、アレクさんが眉間に皺を寄せて見つめてくる。


「ユキ……、違っていたらすまないが、……元いた世界の事を、思い出していたのか?」


「「キュイ~……」」


「すみません……、この子達を見ていたら、ちょっとだけ、ほんの、ちょっとだけ、思い出しただけなんです」


「……戻りたいのか?」


「え……」


 零れた低い問いかけの声音には、寂しそうな気配が宿っている。

 アレクさんは私の左頬を右手で包み込み、顔を近づけてきた。


「当たり前か……。生まれ育った世界を、そう簡単に捨て去れるわけもない」


「アレク……、さん?」


「本当は、出来る事なら……、向こうで生きていたかったはずだ。それなのに、俺は……」


 アレクさんは私の背中に腕を回し、波に濡れる事も構わずに、ぎゅっと強く私を抱き寄せた。

 戸惑う私の鼓動が突然の行動に熱を抱き、急速にそのリズムを速めていく。


「俺は、お前の望みなら何でも叶えてやりたいと思っている……。だが、元の世界に帰る事だけは……」


「だ、大丈夫ですよ……。私はこんな体質ですから、もう元の世界でずっと暮らしていく事は無理、ですし……。エリュセードで生きて行くって、そう、決めましたから」


 場を和ませようと笑いながら言った私に、アレクさんは背中を抱く力を強めてきた。それは、お願いだからどこにも行かないでほしいと縋る子供の仕草にも似ていて……。


「そうじゃない……。お前の心が元の世界に帰りたがっているかどうかを、俺は」


「アレクさん……」


「お前にとっては不幸な事だったと思う……。だが、俺にとっては……、お前がこのエリュセードに舞い降りてくれた事は、人生最大の、奇跡であり、幸運だったんだ」


 掠れを帯びた切なげな低い声音……。

 アレクさんは私の首筋に顔を埋めながら、私の存在を繋ぎ止めようとするかのように力を強めてくる。私の身体が元の世界で生きていく事を許されていれば……、今感じている温もりとは出会えなかった。

 あのままだったら、アレクさんとカインさんにも出会えず、懐かしい記憶の中で私を可愛がってくれていたルイヴェルさんやセレスフィーナさん、レイフィード叔父さん達にも再会出来ず、私は……。


「お前からすれば、何を勝手な事をと不快に思う事だろう。だが、……俺は、お前に出会えて、本当の意味で……、生きる喜びを、一人の女性を愛する、男としての幸せを知ったんだ」


 身勝手な想いを口にしてすまない、と、聞いているこちらが切なくなるほどに、アレクさんの吐露は胸に響いてくる。

 私と出会ってくれた事を、人生において最大の喜びなのだと伝えてくれるアレクさん。彼に出会わなければ良かった、などと、そんな事を思うはずがない。

 アレクさんだけでなく、この世界で出会った全ての人達を、私にとって、大切な人達を……。

 たとえ元の世界で生きて行ける事になったとしても、私にはもう、それを実行する事は出来ない。

 

「大丈夫ですよ、アレクさん……。私は、この世界で、生きていきたいんです」


「ユキ……」


「もしも、もう一度元の世界で生きて行く方法がわかったとしても、私はそれを選びません」


 エリュセードに戻って来た最初の頃にその方法が見つかっていたとしたら、元いた世界を選んでいたかもしれない。

 だけど、アレクさんや皆さんに出会って、この世界で時を刻み始めた私は……、ウォルヴァンシアのユキとして、新しい人生を歩き始めた。

 私を想ってくれる大切な人達と一緒に、この地で、異世界エリュセードという世界で、私は生きていく。


「皆さんと……、離れたく、ないですから。私と出会ってくれた全ての大切な人達と、これからもこの世界で、生きていきたいんです」


「その言葉を、心から嬉しいと感じてしまう俺は……、本当に、身勝手だな」


「いいえ、私の事をこんなにも大切にしてくれているアレクさんには、何度お礼を言っても足りないぐらいです」


 友愛の情だけでなく、一人の女性として愛してくれている事も、私には本当に勿体ないぐらいだ。

 ゆっくりと顔を離したアレクさんに心からの笑顔を見せると、少しだけ、その表情に安堵の気配が浮かんだのが見えた。

 僅かな間でも、心優しいアレクさんに不安を抱かせてしまった事に罪悪感を覚えながら、私は想いを重ねていく。


「本当にもう大丈夫です。私は、ユキ・ウォルヴァンシアとして、アレクさん達の傍で生きていきます。急に消えたりなんかしません。だから、安心してください」


「ユキ……。有難う。お前がこの世界を選んでくれた事、それを後悔させないように、俺は……。――っ」


「アレクさん?」


 私の言葉に安心してくれたアレクさんが、突然苦痛の気配と共にしゃがみ込んでしまった。波の中に、彼の両手が沈み込む。

 そして、アレクさんは荒く息を吐きながら、力を失い波の中に倒れ込み――。


「アレクさん!! アレクさん!!」


「「キュイ~!!」」


 精一杯の力でアレクさんの上半身を抱き上げる事に成功した私は、彼の頬を叩いて意識の有無を確かめた。……駄目だ。私の声に応える確かな意識が失われている。

 何かに魘されるように息を吐き出しているアレクさんを前に、一体私はどうしたら……。試しに治癒の術をかけてみるけれど、症状が違う為か何の効果もない。

 必死にアレクさんの名を呼び続け、私は何度もその頬を叩いた。

 溺れたわけじゃない。本当に、突発的な発作のようなこの症状……。

 親イルカさんが自分の背にアレクさんを乗せろと言うかのように鳴き声を上げてきたのを見て、私はすぐにその背にアレクさんを託した。

 砂浜まで泳いでくれた親イルカさんからアレクさんを下ろし、何とか外の世界へと連絡を取る方法をと、左の手首に嵌めていたブレスレットの通信機能を発動させる。

 けれど、……どんなに詠唱を繰り返しても、応答の声は聞こえてこない。


「どうして……っ」


「うっ……、うぅ」


「あ、アレクさん!! 気付きましたか!?」


 何とか意識を取り戻してくれたアレクさんが、薄らと瞼を開いてくれた。

 蒼の双眸は焦点が定まらないかのように、ぼんやりとその意識を彷徨わせている。

 私が顔の前に身を乗り出すと、ようやくその視線が私の存在を認識してくれたようだった。


「……俺、は」


「大丈夫ですか? 急に苦しみだしたから吃驚しました。アレクさん、一度ガデルフォーンに戻りましょう。急いでルイヴェルさん達に連絡を取らないと」


「……り、ない」


「え?」


 聞き取れなかった言葉の後、ゆっくりと上半身を起こしたアレクさんは、周囲に視線を歩かせると、自分の額を押さえた。

 やっぱり、身体のどこかに異変が起きているに違いない。

 玉座の間で倒れてから、アレクさんの身に起きていた異変。関係ないわけがない。

 

「……『調整』が、上手く、いか、ない」


「ちょう、せい? 何を言ってるんですか、アレクさん?」


 意味のわからない発言に不安を覚えていると、私の目の前にいるアレクさんの身体から、不思議な光の波動がその体躯を縁どるように滲みだした。

 私へと向かってくるアレクさんの右腕。

 いつもとは違う、不安を増長させるかのような異変。


「丁度、良かった……」


 何が、丁度良い、の?

 嬉しそうに微笑んだ、見方によっては妖しくも見える美しいその表情を前に固まっていると、アレクさんは私の後頭部を抱き寄せ、そして、――。


「――んぅっ!!」


 それは本当に、突然の予測不可能な事態だった。

 唇が触れ合う寸前に危機を察し逃げようとした私の動きを封じ、アレクさんが強引に唇を押し付けてきた。私の後頭部をしっかりと掴む手のひらの感触と、背中にまわった力強い感触。

 アレクさんの熱い吐息が、濡れた舌の感触と共に、私の口内を自分勝手に掻き回す。


「や、あ、アレク、さんっ、んっ、やめ、んぅっ」


 ご乱心どころの話じゃない!!

 もがけばもがく程に深まる、男女のその行為の熱と感触に、私は徐々におかしな変化を覚え始める。身体から、……力が、ううん、自分の存在そのものが薄らぐような奇妙な感覚が襲ってくる。

 それは、ルイヴェルさんから借りた魔力が尽きた時の感覚と似ているような気がしたけれど、それよりも私は、今強要されているこの行為の方が大問題だった。

 き、キスなんて……、だ、誰ともした事ないのにっ。

 まだ誰とも恋仲になんて、自分の好きな人も自覚出来ていないのに、どうしてこんな事に!!

 こんな事、悪戯でしたとしても、絶対に許せない。

 だけど、アレクさんがこんな性質たちの悪い事を好んでやろうとするなんて、思えもしない。

 何かがおかしいのだ。アレクさんの身体から滲みだしている蒼と銀の混じったような光の事も気になるし、今私に触れているのは……、アレクさんであって、アレクさんでない事だけはわかる。

 けれど、アレクさんでないとしたら……、これは、『誰』?


「も、もうっ、やっ、アレク、さっ、正気にっ」


 少しだけ空いた唇の隙間から、私は懸命にアレクさんに訴え続ける。

 口の中の感触は貪るように行為を深め、アレクさんは私を砂浜に押し倒し、その上へと覆い被さるように自分の存在を押し付けてくる。

 砂浜に上がって来れないイルカ達は、心配そうな声を上げてこちらを見ているようだ。

 誰にも助けを求められない……。

 このままじゃ、アレクさんが正気に戻った時にどれほど自分を責めるか……。

 早く、正気に戻してあげないと!!

 

「お願いです、からっ、んんっ、もう、やっ」


 こんなのは本当のアレクさんじゃない。

 身を捩りながら涙を零した私の状態に気付いたアレクさんが、激しい動揺の気配をその蒼の双眸に浮かべた。はっきりとした意識の気配を取り戻し始めたアレクさんが自分の唇に指先を添え、押し倒されてしまった私の姿を驚愕と困惑の気配で見下ろしている。


「俺は……、何、を。どうして、……ユキ、俺は」


「アレク……、さん」


 自分が私に対して何をしてしまったのか……。

 お互いの唇に残る確かな感触とこの状況に、アレクさんも気付いてしまったのだろう。次いで浮かんだのは、自分の犯してしまった罪に酷く傷付いてしまった自己嫌悪の気配。

 

「ユキ……、すまない、俺、は……っ」


「アレク、さん、あの……」


 普通に考えれば、被害者は私。だけど、酷く怯えた様子で砂浜に拳を打ち付けて呻くアレクさんを見ていたら……、責める言葉はなにひとつ浮かんでこなかった。

 元の優しいアレクさんに戻ってくれた事に安堵する気持ちと、初めてのキスを奪われた心の動揺。

 そして、目の前のアレクさんを心から心配する気持ち。

 色々な感情が複雑に入り混じっているせいで、上手く言葉が出てこない。


「お前の気持ちが俺に向くのを待つと言っておきながら……、俺は、俺はっ」


「お、落ち着いてください、アレクさん……。さ、さっきのは、……忘れま、しょう。事故、みたいなものだった、と、そう……、思います、から」


「忘れ……、る」


 アレクさんの顔を見ずに言った言葉。

 そうした方がいいと、忘れた方が、事故のようなハプニングだったのだと思えば、きっと、この心の動揺も治まるはず。

 けれど、互いの平静を取り戻す為に言った言葉は、アレクさんに全く予想もしなかった効果を与えてしまったようで……。

 視線を戻した先に見えた、一筋の涙。

 

「アレクさん?」


「……すまない、この事に関しては、お前の望むように罰してくれて構わない。だから、今日はもう……、帰ろう」


 

 濃い翳りを帯びたアレクさんの表情……。

 私の唇を奪った事で自己嫌悪と罪を感じて傷付いた時とは違う、もう一度、何かに傷つけられたかのようなアレクさんの様子に、私は言葉を失ってしまう。

 私が動けない事を察すると、アレクさんはもう何も言わずに私を抱き上げ、砂浜の背後にあった木々の中へと向かい始めた。その中のひとつに手を触れさせ、また、来る時と同じように、――私達は光に包まれた。

 楽しい思い出を作りにきたはずの場所で、心に消えない後味の悪さを感じながら……。

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