副騎士団長とのお出かけ1
「はぁ……」
身支度を終え、ガデルフォーン皇宮を後にしてから、早三十分ほど……。
皇都にある大通りを……、『三人』で歩いている。
私の右側では、上機嫌のカインさんがしっかりと私の手を繋いでいる。
左側では、不機嫌と殺気のような恐ろしい気配を駄々漏れにしながら私の手を強い力で握り締めているアレクさんの姿が……。
本当なら、私とアレクさんの二人でお出掛けをする予定だったのだけど……、色々と面倒事が重なって、まさかの三人でのお出掛けとなってしまった。
凄まじく仲の悪い二人に挟まれての……、非常に気まずいこの状態。
私は小さく溜息を零して、アレクさんの方に目を向けた。
「あの、アレクさん……。ごめんなさい」
「いや、ユキのせいじゃない。何もかも滅茶苦茶にしてくれた最悪の元凶は……、そいつだ」
相手を滅多刺しにしそうな迫力で、アレクさんがお店の類に視線を向けているカインさんに視線を突き刺す。それに気付いたのだろう。
カインさんはニヤリと口端を上げて挑戦的に真紅の瞳を笑ませた。
あぁ……、嫌な予感しかしない。
「俺が黙って抜け駆けを見逃すと思ってるわけじゃねぇよなぁ……?」
「……斬るぞ」
「あ、アレクさん……、お、落ち着きましょう、ね?」
私服姿でも帯剣を忘れないアレクさんが、左手でカチャリと不穏な音を漏らした。
心底忌々しそうに、その額に青筋まで浮かべてカインさんを睨み付けているアレクさんは、いつ殺人事件を起こしてもおかしくない迫力を醸し出している。
私と出掛ける事を楽しみにしてくれていたから、仕方がないのだけど……。
まさか、待ち合わせ場所にしていた皇宮の入り口でカインさんに待ち伏せされているなんて、思いもしなかった……。
自分も一緒に行くと言って聞かないカインさんだったけど、私もすぐにそれを受け入れたわけじゃない。私を誘ってくれたアレクさんの為にも、絶対に断らなくては。
そう思って断る姿勢を見せていたのだけど、最終的に、カインさんの押しの一手で、強制的にこの状態を作り出されてしまったのだ……。
アレクさん、本当にごめんなさい……。
私にもう少し、カインさんの口に対抗出来る力があれば。
きっと内心では落ち込んでいるに違いない。
お誘いを受け入れた時のあの嬉しそうな顔を思うと……、あぁ、良心がズキズキと痛む。
「カインさん……、恨みますからね」
「ふん、恋敵に先手を許すほど、……俺には余裕なんかねぇんだよ」
「それは俺も同じだ……。油断している暇などない」
「絶対ぇ、邪魔してやるから楽しみにしてろよ? ――ヘタレ番犬野郎」
……誰か、この二人を止めてください。
私を挟んで不敵に笑うカインさんと、怒りに満ちた視線で売られた喧嘩を買っているアレクさん。
大通りを歩いている人達が、その余波を受けて小さく悲鳴を上げている姿が見える。
古の魔獣が倒されて、ようやく避難所から自分達の暮らす場所に戻れた民の皆さんの平穏が、私のせいで脅かされている。本当に申し訳ない。
アレクさんとカインさんが私に好意を寄せてくれているのは有難いのだけど、二人が同じ場所にいると、必ずこんな風に喧嘩を始めてしまうから、困り物だ。
多分、私の事がなくても相性が悪そうな気はするけれど……。
これ以上皇都の皆さんにご迷惑をおかけするわけにはいかない。
私は睨み合い毒を吐き合う二人に挟まれ、晴れ晴れとした青空の様子とは逆に、胃をキリキリと痛め始めていた。原因は私なのだから、止めるのも私の役目、それはわかっている。
だから、少し強めに二人を諌める言葉を発しようとしたのだけど、私の声は被さってきた大きな声によって掻き消えてしまった。
「ひっめちゃ~ん!!」
「あ? ……げっ、何でお前がここにいんだよ!! ルディー!!」
私達の背後からかかった愛想の良い低い声に振り向くと、ウォルヴァンシアに戻ったはずの、ルディーさんが走ってくるところだった。
普段のウォルヴァンシア騎士団長として過ごしている時の高校生くらいの少年姿ではなく、紅の長い髪を風に靡かせた精悍な大人の姿だ。
ルディーさんは私達の前に回り込むと、ニコニコと楽しそうな笑みをうかべて、――カインさんの両肩を掴んだ。
「いやぁ、ちょっとお節介を焼きに来たっつーか、……、皇子さん、ごめんな?」
「は?」
ルディーさんの爽やかな笑みに、一瞬だけカインさんの手から力が抜けたのを感じた直後、アレクさんが強く私を自分の方に引き寄せ、早業とも言える一瞬の内に私をその腕に抱き上げてしまった。そして、カインさんの方は、ルディーさんに羽交い絞めにされて激しく暴れ出す。
「こらああ!! テメェ、何のつもりだああ!!」
「悪ぃな~、皇子さん! アレクの切ない男心を汲んで、今日は引いてくれよ」
「ふざけんな!! その間にとんでもないリードでもされたらどうしてくれるんだ!!」
「そうなったら、俺達が万々歳だ!! なぁ、――ロゼ!!」
え……。抵抗し始めたカインさんを押さえ込みながらルディーさんが通りの隅にある茂みに向かって声を投げると、――まさかのロゼリアさんまでそこにいた。
私達のいる方へと駆け寄ってきたロゼリアさんが、私とアレクさんに丁寧な一礼をしてくれる。
「ユキ姫様、副団長、ここは私達にお任せください。どうか、心に残る一日を」
「すまないな、ロゼ……。ユキ、行くぞ」
「えっ、で、でも、か、カインさんがっ」
「今日は、俺と出かける約束を受け入れてくれたのだろう? だから、『二人きり』でいい」
怒鳴り声を上げているカインさんを一瞥し、アレクさんが私を抱えたまま走り続ける。ルディーさんとロゼリアさんが発する応援らしき声があっという間に遠のき、風よりも早い速度で皇都の中を駆け抜けていく。
「アレクさん!! ど、どこに行くんですか~!!」
「皇都の中にいては、あの男に追いつかれる可能性が高いからな……。外に出る」
「そ、外って……、馬もないのにですか!?」
振り返る人々の表情を確認する暇もない。
アレクさんは物凄い勢いで皇都と外の間に隔たっている門を通過すると、どことも知れない場所に向かって爆走し続ける。
カインさんと遠くに出掛けた時は、あの無茶苦茶な手綱捌きのせいで馬酔いをした記憶があるけれど、今回の場合は……。
(あ、アレクさんの走りが速すぎて……、うっ、うぷっ、あ、アレクさん酔いしそうっ)
むしろ、今すぐに気絶しそうだ。私はアレクさんの首にしっかりとしがみついて、目的地に着くまではどうにかと、頑張って意識を奮い立たせる。
けれど、その根性は途中で徐々に弱まり始め、前を向いて走り続けるアレクさんの真面目一直線な表情を最後に、私の意識はぷっつりと途切れてしまったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ユキ、……ユキ、大丈夫か?」
「ん……、あれ、……私、あれ?」
再び意識を取り戻した時、私はお店らしき内装の建物の中にいた。
棚に並んだ、商品と思われる小瓶や薬草、他にも色々な道具が陳列されている店内。私は、その店内の隅に設えられていたソファーに寝かされているようだ。
そして、私が起き上がるのを手伝ってくれたアレクさんが、その手に持っていたグラスを口元に持って来てくれた。
口の中に染み渡ってくる冷たいお水の味。少しだけ渇いていた口内が潤う。
「すまなかった……。あの男を完全に引き離す為とはいえ、お前には負担をかけ過ぎた」
「い、いえ、確かに吃驚はしましたけど……。あの、さっきの、事、なんですが、どうしてルディーさんとロゼリアさんがこっちに?」
「お前と約束をした後、少し、ルディーに相談をしていた」
それは恐らく、遠く離れたウォルヴァンシアの地に帰っていたルディーさんと、通信道具で連絡をとっていたという事なのだろう。
私と出掛けるにあたって、何かアドバイスを貰えないかと、アレクさんは限られた時間の中で相談をしていたらしい。
その際に、万が一カインさんが妨害に入ってきた時の事を考えて、ルディーさんが自分もガデルフォーンに顔を出すと言ってくれたのだそうだ。
……カインさん、行動を先読みされていたんですね。
で、その事を聞いたロゼリアさんも、アレクさんの事を応援しようとこっちに付いて来てしまったらしい。お二人とも……、騎士団のお仕事はいいんですか?
きっと、部隊長のクレイスさん達が泣いてますよ。
そんな風に、ちょっとだけ遠い目をしていると、アレクさんが私の手をそっと、その両手に包み込んだ。
「ユキ……、ひとつ、頼みがある」
「アレクさんが、私に……、です、か?」
「あぁ。お前の髪を……、少しだけ、分けては貰えないだろうか?」
髪を? 不思議なお願いに、私は自然と首を傾げてしまう。
アレクさんが私に対して何かを願ってくる事は滅多にないけれど、何故に髪を?
前回は、私に名前をそのままの音で呼んでほしいと言われた事を思い出しながら、とりあえず、私は自分の髪をひと房手にとって、アレクさんへと頷いた。
何に使うのかはわからないけれど、アレクさんが相手なら渡しても大丈夫だろう。
でも、本当に何に使うのだろうか。
「有難う。大事に使わせて貰う。少し待っていてくれ」
「はい」
表情を和ませたアレクさんが、髪を切る物を取りに立ち上がると、私に背を向けた。
普段と変わらない、信頼出来る、アレクさんの広く逞しい背中……。
ぼんやりとその背を見送っていたのだけど、途中で……、私は思考が停止するような違和感を覚えてしまった。
自分の目を擦り、もう一度アレクさんの背中の部分を確かめようと視線を送る。
けれど、アレクさんはすでに店の奥に行ってしまったようで、私は自分の見たものが幻だったのかと困惑しながら、もう一度ソファーの横に置かれたグラスを手に取って、水を飲んだ。
多分、きっと……、気の、せい、だよね?
深呼吸を繰り返し、ソファーの横にある窓から外の景色を眺める。
魔獣の脅威が去って、皇都だけでなく、その近辺の村や町にも人々が戻って来たけれど、魔獣の復活に使われた黒銀の力と瘴気の通り道として使われた場所の辺りはまだ、浄化が済むまでは人を立ち入らせる事は出来ていない。
まだ、避難用の空間で生活をしている人も多く、完全に元通りというわけにはいかなかった。
この町も、人の姿は戻っているけれど、魔獣との戦いで命を落とした人達の事が胸にあるのだろう。喪に服している人々の顔に、まだ本当の笑顔は戻っていない。
「ユキ、待たせてすまない。ヘアカット用のハサミを借りてきた」
外の様子から視線を戻し、俯いている私の許にアレクさんが戻って来た。
ソファーの横に膝を着き、私の髪をひと房手に持って、切っても違和感のなさそうな場所を探すアレクさんに、私は気になっていた事を尋ねた。
「アレクさん、そういえば……、どうして私をここに連れて来たんですか?」
「それは……、注文したい物があったから、では、駄目、だろうか?」
「注文したい、物、ですか?」
切る場所を定めたアレクさんが、私の蒼い髪の中から必要な分を切り取ると、私の視線から逃げるように立ち上がり、また店の奥へと歩いて行ってしまう。
そして、その背中を再び目にした私は、アレクさんが奥に消えてしまう前に「あっ!!」と、それを引き留める声を上げてしまった。
やっぱり、さっきのは気のせいじゃなかった……!!
私はアレクさんを自分の許に呼び戻すと、その背中をしっかりと確認した。
「アレクさん……、髪はどこにいったんですか?」
あんなにも綺麗で、腰よりも長かったはずのアレクさんの銀髪が、綺麗さっぱりと首より少し長いくらいのところで消えてしまっている。
おかしい……。私が意識を失う前までは、風に靡く銀髪は存在していたはずだ。
「もしかして、自分で切ったんですか? どうして?」
「いや、必要分を切ると言われたんだが……、気付いたら、かなりの量を持っていかれていた」
「誰にですか!!」
「ここの店主にだ」
アレクさんがそう答えてみせると、お店の奥から一人の女性が現れた。
品の良さそうな、二十代半ば程に見える美しい女性だ。
際どい所にまで深いスリットが入った妖艶な衣装を纏ったその人は、その服装に負けないくらいに艶やかで美しい顔をしている。
例えるらなば、その色香だけで男性を虜に出来そうな、魔女、というに相応しい魅力を兼ね備えていた。
彼女は私達の傍までやってくると、アレクさんの手から私の髪を受け取った。
「ふふ、ごめんなさいね? このお兄さんの髪、とっても綺麗だったから、少し貰いすぎちゃったのよ」
「流石に切りすぎだとは思ったが……。丁度すっきりとしたいと思っていたから、別に恨んではいない」
髪を集めて何をするのかはわからない。
だけど、目の前にいる女性は、「根に持たない男って良いわよね~」と、上機嫌で笑ってみせた。
新たに手に入れた私の髪の事も、手のひらに置いて指先で弄りながら興味深そうにしている。
「うん、相性は良さそうね~。ふふ、ルディーちゃんの紹介だから、出来上がったら届けに行ってあげるわ」
「ルディーさんの紹介、ですか?」
「そっ。ここは魔術道具を扱う専門店なのよ。で、ルディーちゃんも、昔はお父さんと一緒によく来ていたのよね。だから、顔なじみってわけ。他にも色々とお世話になってるし、早めに出来るように頑張らせて貰うから、楽しみにしててちょうだいね?」
そう言って片目を瞑った女性は、ひらりと手を振って店の奥に去ろうとしたけれど、何か忘れ物でもしたかのように振り返り、私の耳元へとその艶やかな唇を寄せてきた。
「ふふ、貴方、とても大事にされているのねぇ。あれは、一生尽くしてくれるタイプの男よ?」
「え……」
仄かに香った彼女の匂いと共に、私の耳朶に小さな音を立ててキスが落された。
多分、アレクさんの事を囁いていったのだと思うのだけど、もしかしなくても、彼女の目には私とアレクさんがそういう関係に見えた、という事なのだろうか?
正確に言えば、お友達以上恋人未満というか、カインさんの事もあるから、その言葉に上手く応える事は出来なかった。
そんな私の戸惑いを読んだのだろう。炎のように赤く長い柔らかな髪を掻き上げている女性に視線を向け、アレクさんは寂しさを含んだ声音を発した。
「まだ、そういう関係じゃない……」
「あらま。私にあんな物を頼んでおいて、まだなわけぇ? アンタ、女受けする顔してるくせに、意外と奥手なのねぇ」
ぷっと小さく噴き出した女性が、面白そうに笑いながらアレクさんの背中を容赦なしにバシバシと叩く。それに対してアレクさんは、「告白はした……」と、ぼそりと呟いて無抵抗に徹している。はい、確かに告白されましたっ。
一度目も二度目も、アレクさんとカインさんに、恐ろしいほどの威力を宿した熱烈な台詞の数々を頂きました!!
だけど、少女期の私はまだまだお子様なので、一人に絞る事が出来ていないんです……。
と、面白がった道具屋の女性店主さんに全部吐かされるまで、五分もかからなかった。
「へぇ~、そぉ~、ふぅ~ん、お嬢ちゃんたら、まだ少女期だってのに、もう二人の男を弄んでるのね~。すごいわ~、面白いわ~」
「お、面白くなんかありませんから! とりあえず、頑張ってみようとは思ってますけど、まだまだ前途多難というか、アレクさんとカインさんには申し訳なさすぎるというかっ」
いつの間にかお茶まで淹れて貰った私は、甘い香りのするそれをひと口飲んだ後、アレクさんの方をからかい始めた女性に文句を向けた。
断じて面白くなどない。むしろ、二人の男性をお待たせし過ぎていて、途方もない罪悪感もある。
まぁ、もう考えても仕方のない事だから、レイル君やディークさんが諭してくれたように、『恋に落ちる瞬間』を待つ事に決めたのだけど、それがいつになる事やら……。
「ユキ……、焦らなくていい。俺は、いつまでも待っている」
「アレクさん……」
「あはははっ! 何言ってんだか~!! 本当は今すぐ自分を選べ!! とか言いたいくせに~!! アンタねぇ、あんまり物分りのいい事ばっか言ってると、良い人で終わっちゃうんだからね~!!」
「そういう……、もの、だろうか」
あぁ、店主さん、余計な事を言わないでくださいっ。
アレクさんは言われた事を真面目に受け止めやすいというか、カインさんの性格を考えてみたら、確かに何もしないで待ち続けるのは分が悪いとか本気で思い始めそうなのに!!
紅茶の水面に視線を落としていたアレクさんが、そんな私の不安を現実化するかのように顔を上げて、真顔でこう言った。
「ユキ、やはり、強引な方が……、喜んで貰えるのだろうか?」
「今まで通りでお願いします!!」
「あ~、駄目駄目!! 男だったら、ちょっとばかり強引に攻めていかなきゃ~! 大人しくしてるだけじゃ、女の心は揺さぶれない! ってね~」
だから、アレクさんにそんな事を言ったら、本気にして実行に移しかねないんですって!!
ぐいっと紅茶を一気に飲み干した私は、それを横のサイドテーブルに音を立てて置いた。
このままでは不味い。女性を落とす極意とやらをアレクさんに吹き込んでいる店主さんにお暇する言葉を告げ、私はアレクさんの腕を引いてお店を出始めた。
「ユキ、まだ話を聞き終わっていないんだが……」
「むしろ今まで聞いた全てを忘れてください!」
「ふふ、騎士様、頑張ってね~!! 男は度胸よ~!! 遠慮なんかしてたら、すぐに負けちゃうんだから~」
「お邪魔しました!!」
どうかアレクさんが、好奇心旺盛な店主さんの言葉を真に受けて行動に移しませんように!
無事に店を出た私は、アレクさんの腕から手を離し、疲労困憊の溜息を零した。
本当に……、女性が色恋沙汰を好むのは知っていたけれど、あの店主さんの目にはお節介度大の妖しく力強い輝きが宿っていたように思う。
「ユキ」
「は、はい」
思案の気配と共に地面を見つめていたアレクさんが、自分の顎に指先を添え、また真顔でこう言った。ちなみに、さっきの発言の時よりも迫力のある本気顔だ。
「やはり俺は、あの男に出し抜かれない為にも……、本気を出すべきだろうか?」
「……た、たとえば、ど、どのよう、な?」
「お前に対する愛情を示す為に、毎日心のこもった抱擁や触れ合いを、俺の想いや言葉と共に」
「駄目です!! そんな事を毎日されてしまったら、流石に心臓がもちません!!」
アレクさんには時々抱き締められる時があるけれど、それを意図的に毎日に渡ってされ続けてしまったら、私はこの世にいられる自信がない!
勿論、愛の言葉だって威力がありすぎる!!
全力でお断りすると、アレクさんの表情に傷付いたような気配が瞬時に浮かび上がってしまった。
店の壁に右手を預け、どんよりと項垂れるアレクさん……。
あぁ、やってしまった……。何事も真面目に受け取りやすい繊細な男性に、私は何て事をっ。
心なしか、狼の姿になっているわけでもないのに、アレクさんの頭とお尻に、狼の耳と尻尾が見える。
「もう、お前に触れる事も、愛を伝える事も許されないのか……」
「い、いえっ、そ、そういう事じゃなくて、ですねっ。あの……、ま、毎日はやめてほしいと申しますかっ、決してアレクさんの事を嫌というわけではないんですよっ」
全力でフォローを入れる私に、アレクさんがゆっくりとこちらに振り向き、じっと怯えるような目で確認をとってくる。
本当に自分の事を嫌っていないのか? 自分が触れても許してくれるのか? これからも話しかけていいのか? などなど……。
えーと……、何だか、アレクさん……、前よりも、重くなってない、かなぁ?
妙に弱気過ぎるというか、玉座の間で倒れてから数日間……。
どことなく、その人格にも何かの影響が出ているような気がしてならない。
アレクさんだけど、アレクさんじゃないように感じる時があるというか……
「すまない……。俺は、剣の道一筋で生きてきたせいか、色々とズレているらしいと、よく、ルディーからも言われるんだ」
「い、いえ、だから、嫌というわけではなくて……、アレクさんに毎日愛の言葉や抱擁を受ける事になってしまったら、その、私の心臓がドキドキし過ぎて、大変な事に、ですね」
一度自分のネガティブな思考に沈んでしまったアレクさんを浮上させるのは簡単ではない。
それはわかっているのだけど……、あぁ、周囲の人達が送ってくる視線が痛い。
見目麗しい精悍な騎士様の沈んでいく様子を視界に映した町の皆さんが、「あら、あの人、フラれたのかしら~?」とか、「ママ~、あのお兄ちゃん、どうして泣きそうな顔してるの~?」などなど、非常に居た堪れない感想の数々が……。
傍目から見ると、どうやら私が美形の騎士様を容赦なく振っているような場面だと思われているらしい。さらに噂話はそれだけに留まらず、今度は別方向から主婦らしき女性達がひそひそと……。
「真面目そうな男性なのにねぇ……、何が不満だったのかしら~」
「そう見せかけて、実は浮気性かもしれないわよ~? あんなに幼い奥さんに離婚を突き付けられるなんて、はぁ~……、世の中人は見かけによらないって事なのかしら?」
……話が、悪い方向に肥大化している!!
そこかしこで囁かれている私とアレクさんの、ありもしない恋人関係や、夫婦関係に関する会話を耳にしながら、私は大慌てでアレクさんの腕を掴み、その場を離れたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アレクさんと共に、逃げるようにして通りから離れて二時間後。
適当に逃げ込んだ飲食店で昼食を済ませた私は、どうにか元気を取り戻してくれたアレクさんと一緒に町でのひとときを楽しんだ後、馬を借りて遠出をする事になった。
アレクさんが手綱を操り、私は彼の腕に守られながら前に座っている。
手入れされた毛並みの良い白馬と共に整備された道を駆け抜けながら、私の蒼い髪が冷たい風に遊ばれて靡く。
「アレクさん、どこに行くんですか?」
「――もう二度と、あの男の顔を見なくていい、世界の果てまで」
「え!? な、何を言ってるんですかっ」
いきなり何を言い出すのだと目を大きく見開いた私に、アレクさんがらしくもない、茶化しているような感じの笑みを零してみせた。
「冗談だ。……お前は、俺だけの存在ではないからな。皆が愛し、大切にしたいと望む、ユーディス殿下の愛娘だ。決して、……俺だけのものにはならない」
「アレクさん……?」
右手を手綱から離したアレクさんが、その指先で私の髪をひと房掬い上げ、自分の唇へと触れさせる。穏やかな気配を浮かべているはずの蒼の双眸に、はっきりとした熱が表れてゆく。
「あ、あの、アレクさん……、ま、前、見ないと」
「大丈夫だ。手綱を誤らせたりはしない」
確かに、馬の扱いに慣れている騎士様がミスをするとは思わないけれど、ずっと私の事ばかり見下ろしているというのは、その、うぅ……、視線の意味がわかって、物凄く恥ずかしいっ。
顔を真っ赤にして身動ぎをする私に、アレクさんは髪を手放して、その温もりを私の手の甲に添えてきた。
「お前と離れている間……、ずっと、こんな風に触れたいと思っていた」
「あ、アレクさん……」
「狭量だと、わかってはいるんだ……。だが、せっかくお前の許に辿り着いたというのに、二人で過ごせる時間は限られたものばかりで、周りには、お前を想う者達もいたからな。問題事が片付いたお蔭で、ようやく、だ」
つまり、それは……。これで心おきなく私へのアピールを再開出来る、という事なのだろうか。
意味深に指先を絡められ、不自然に高鳴る私の鼓動などお構いなしに、アレクさんは耳元に唇を寄せてくる。
「これから行く場所は、ルディーが勧めてくれた秘密の場所なんだ……。そこでなら、誰にも邪魔されずに……、お前と共にいられる」
「そ、そうなんです、か……」
誰にも邪魔をされない、その部分だけが、どうにも気合が入りすぎているような気がしたのだけど、気のせいかな?
頭の中を痺れさせるような甘く低い声音も相まって、私はその場から逃げ出したくなる羞恥を抑えながら、視線を下に落とし続けた。
これから行く場所で、何かが起こる……。
そんな予感はないけれど、アレクさんにとって、私と二人で過ごす時間が、どれほどに重要で大切な時間なのか……。
強く包み込まれた温もりの感触と共に、私はアレクさんの想いを感じながら、瞼を閉じた。
「夜になると、とても綺麗な星空が見えるそうだ。それを……、お前と、二人きりで、見たい」
嬉しそうに囁くアレクさんの声音に、また、私の心が恥ずかしさを覚えて、震える。どうしてこんなにも、この人は私の事を無条件に愛してくれるのだろうか?
どうして、こんなにも……、私との時間を、心から喜んでくれるのだろうか?
アレクさんの愛情は、普段が大人しい分、時折こんな風に確かな色となって迫ってくるので、まるで浸食の遅い、甘い……、毒のような存在のようにも思えてしまう。
心優しい獣が、自分の懐で守っている子兎を、ふとした拍子に……、抑えきれなくなった本能で、ほんの少しだけ、その味を確かめてくるかのように。
その噛まれた部分から、甘い痺れがじんわりと沁み渡らせてくるかのように、アレクさんは不意打ちをしてくる。
カインさんもそういう時があるけれど、根本的な何かが違うというか……。
とりあえず、これから向かう場所で、これ以上心臓に悪い事が起こりませんようにと、私は強くエリュセードの神様達に願った。




