それは偽りの残影……
最初に幸希の視点、
後半は、ウォルヴァンシア王宮医師、ルイヴェルの視点で進みます。
※最初に幸希の視点、
後半は、ウォルヴァンシア王宮医師、ルイヴェルの視点で進みます。
――Side 幸希
アレクさんの腕の中から見下ろした、……地上に立っている『その人』は、こんなにも距離が離れているというのに、私の声をその意識下に拾い上げたかのようだった。その深緑の双眸が、間違いなく私の方を見つめているのがわかる……。
遠目からだって、遠い記憶の中で生きている『おじ様』の姿を見間違えるはずがない。
フェリデロード家の現当主にして、双子の王宮医師、セレスフィーナさんとルイヴェルさんの実のお父さんでもある男性。
ウォルヴァンシアを留守にしていると聞いていたけれど、ようやく戻って来てくれたのだ。
私達は、一旦魔獣の脅威を退けた再封印の場へと降り立ち、元の陣形を形作っていく魔術師団の人達の焦る気配や指示の声の中……、その人の姿をすぐ目の前に捉えた。
「レゼノス……、おじ様、ですよね?」
「ユキ姫様……、御無沙汰しております。フェリデロード家当主、――レゼノス・フェリデロード、遅ればせながらガデルフォーンの地に馳せ参じました……」
臣下の礼をとってくれたその人の表情は……、昔と変わらず、人から見れば、感情を読むにはとても難しい。
声音も淡々と静かなもので、一見して冷たくも感じられるけれど……、親しい人には、その秘められた波紋を感じ取る事が出来る。
レゼノスおじ様は今、私と再会出来た事を確かに喜んでくれている。
礼を終えた後、そっと私の頬に温もりの低い大きな手のひらを添わせたレゼノスおじ様。前触れもなく、その腕の中に包まれる。
うん……、昔と変わらない、レゼノスおじ様の慈しみを感じさせられる安心感だ。
「レゼノス~……、あのね、ユキちゃんと再会出来て喜びの踊りで飛び上がりたい気持ちはわかるんだけどね? 君の息子の方にも手を貸してあげてくれないかな~?」
「れ、レイフィード叔父さんっ」
にょきっと横から顔を突っ込んできたレイフィード叔父さんの存在にびくりと身体を震わせた私は、その指示した指先の行方へと視線を走らせる。
負傷の気配が濃いものの、ラシュディースさんに支えられて、また青銀の糸の近くに向かっていくルイヴェルさんの姿が見えた。
恐らく、もう一度あれの正体を探ろうと手を伸ばす気なのだろう。
幸いな事に、突然現れた救援の手は溢れるほどに多い。
彼らの助けがあれば、きっと邪魔される事なく、分析を行えるはず……。
多分、ウォルヴァンシアの人達だけじゃない……。
視界の中を飛び交う大勢の人々の数の多さ、見た事のない顔、そして……、見間違いじゃないとは思うのだけど、カインさんのお父さんであるイリューヴェル皇帝さんの姿も見てとれたのだ。
きっと、幾つかの国々が併さって、ひとつの軍となっているのだろう。
そんな私の考えを肯定するように、レイフィード叔父さんがその顔に笑みを刻む。
「レゼノスが帰って来てくれたお蔭で、思いの外早く来る事が出来たんだけど……、まさかこんな事になっているとはね」
「レイフィード叔父さん、どうやってあの妨害を……。それに、ウォルヴァンシア以外の人達の姿もあるように見えるんですけど」
魔獣と戦っている人達の姿に視線と問いを投げれば、レイフィード叔父さんはレゼノスおじ様から私を引き寄せて、再会の抱擁をしてくれた。
「うん、それはまた全部片付いてから説明してあげるね。今はあの魔獣をどうにかしないと、ガデルフォーン自体が大変な事になっちゃいそうだし。―― 一気に片を着けるよ」
ほんの一分にも満たない僅かな時の中で私を抱き締めたレイフィード叔父さんが、アレクさんへと私を預けた。これから再封印が成されるその瞬間まで、遠くの方に離れていなさい、と言い含めてくる。。
ディアーネスさんが陣形の前に進み出て、再度宝玉をその頭上に掲げる。
「レイフィード、レゼノス……、お前達への礼は全てが終わった後に。協力を、どうか頼む」
「勿論だよ。選りすぐりの子達ばかり連れて来たからね。――早々散る事はないよ」
「レイフィード陛下、私はルイヴェルの援護に向かいます。どうやら……、苦戦しているようですので」
「うん、よろしくね、レゼノス。出来れば……、再封印の術が発動する前に、ガデルフォーンの皇子達の魂の方も、救ってあげてほしい」
「御意……。力を尽くさせて頂きます……」
魔獣の攻撃をかわしながら、統率のとれた動きで確実にその脅威を押し返していく軍勢……。これだけの数がいれば、あの勢いなら……、きっと再封印は上手くいく。
ルイヴェルさんの許に飛び立って行くレゼノスおじ様を見送った後、その場を離れようとして、私はその足を止めた。
レイフィード叔父さんの肩に支えられていたサージェスさんの様子がおかしい……。そういえば、魔獣が目の前に現れて再封印の場を襲撃しようとした時にも、直前まで戦場に戻ると言っていたはずなのに、逃げ遅れてしまっていた。
そして、今……、その瞼は閉じられ、ぐったりと身体をレイフィード叔父さんに預けている。
「相当無理をしていたみたいだからね。そっちの子と合わせて治療をしてあげた方がいいだろう。――セルフェディーク!! こっちの方を手伝って貰えるかい!?」
カインさんとレイル君に応急処置を施されていたクラウディオさんに視線を向けたレイフィード叔父さんが、陣形の群れから現れたディークさんを手招く。
サージェスさんも、クラウディオさんも……、意識がないようだ。
騎士団と魔術師団の長を務めていたこの二人は、自分達にとって部下にあたる大勢の人達に指示を出しながら、魔獣を攻撃するのと同時に、その盾の役割も果たしていた。だから……、こんなにも追い詰められて。
陣形の後ろの方に向かい、地面に寝かせた二人をレイフィード叔父さんとディークさんが治療を施していく。
「おい……、あっちから来るの、セレスフィーナじゃねぇか?」
「え……?」
軍勢の隙間を高速で飛び抜けて私達の許へとやって来たのは、ルイヴェルさんの双子のお姉さん、セレスフィーナさんだった。
普段の白衣姿ではなく、その黄金の波打つ髪が印象強く残る漆黒の魔術師めいた服装をしている。まだ離れてからそんなには経っていないはずなのに……、再び顔を見る事の出来た皆さんの存在に、強い懐かしさを覚えてしまう。
「ユキ姫様、遅くなりまして大変申し訳ございませんでした」
「セレスフィーナさん、お久しぶりです。お元気そうで……、良かった」
「はい……。ゆっくりとお話をしたいところではございますが、今は負傷者の治療に尽力させて頂きたいと思います。レイフィード陛下、私が交代いたします。どうかおさがりを」
「大丈夫だよ~。ユーディス兄上から戦場の参加は禁止されているし、このくらいはしないと」
「いけません!! まだ御無理をして良い身体ではないのですよ!!」
「あの、セレスフィーナさん、それって……」
もしかして、ガデルフォーンで失った仮の器から本体に戻った時に何かあったんじゃ……。
それを心配して尋ねると、セレスフィーナさんは肯定の返事を私に向けた。
そして、サージェスさんに貼り付いて治療を続行しようとするレイフィード叔父さんをべりべりとそこから引き剥がし、ガミガミガミ。
治療は、王宮医師である自分の役目なのだと、いつになく強気の態度だ。
……セレスフィーナさん、カッコイイ。
「はぁ……。僕だってお手伝いがしたいんだけどね~」
「陛下はユキ姫様と共に早く避難なさってください!! いいですね!?」
「でもねぇ……、何か……、妙な胸騒ぎがするんだよね」
仕方なくその場を立ち上がったレイフィード叔父さんが、確実に追い詰められていく魔獣の方を見ながら、優しいブラウンの瞳に不安の気配を宿す。
救援のお蔭で戦闘力が増したガデルフォーン側の勢いは止まらない。
表の世界からの援軍に鼓舞され、どんどん、どんどん、その力は大きくなっている。このまま一気に再封印へと全力で走り続けるのみ……、けれど。
私にも、レイフィード叔父さんがこの場を離れがたい気持ちがよくわかる。
「あの子供達が……、何かを仕掛けてくる気がします」
「ユキ……。だが、今のこの状況下で危惧すべき事としては、皇子達の魂が再封印に巻き込まれる事だけだと思うが」
「アレクさん……。確かに、そう……、なんですけど、変なんです」
「変……?」
私を見下ろしながら首を傾げるアレクさんに、あの青銀の糸の事を話した。
あれは確かに、魔獣と皇子様達を繋げる役割を果たしていると思う。
けれど、……本当に再封印に巻き込んで、再び地の底に道連れにしようという意図しか働いていないのだろうか。
それに、私が皇子様達の魂と二度目に接触した時、あんな糸の存在はなかったはずだ。
「私……、あの封印の空間で、確かにディアーネスさんへの伝言を預かりました。だけど……、今思い返してみると、……何かが足りないように思えるんです」
「おい、それ、どういう事だよ?」
私の傍に寄って来たカインさんとレイル君は、言葉の意味を図りかねるように、魔獣と私を交互に見比べる。正直……、どんなに記憶の底を探しても、皇子様達に関する何かが足りない事はわかるのに、何が足りないのかがわからない。
あの時話した記憶は確かにあるのに……、どこか空白が感じられるのだ。
「もしかしたら、僕達がユキちゃんにかけた記憶の封印と同じものが施されているのかもしれないね。ユキちゃん、ちょっと僕と額を合わせてみようか」
「レイフィード叔父さん……?」
レイフィード叔父さんが腰を屈め、私の額に自分の額をこつんと触れ合わせてくる。瞼を閉じるように言われて従うと、額から何か熱い感触が流れ込んできた……。
頭の中に、ガデルフォーンの皇子様達の姿が浮かび上がっていく。
魔獣の封じられた空間に入ってから途中までの記憶は鮮明に蘇っていくのに、ある部分から、声が聞こえなくなった。彼らの口は何かを紡いでいるのに、それが音になっていない……。
「……十人以上でひとつの術をかけたのか。はぁ……、何を考えているんだか」
「レイフィード陛下、ユキに一体何が……」
「あぁ、アレク、君が心配するような害はないから心配しないでいいよ。だけど、記憶に強固な鍵が掛かっていて、必要な時が来ないと解けないように仕掛けが施されてあるようだ」
「はああ? 何で女帝の兄貴共がそんな真似をする必要があんだよ?」
「父上……、ユキにそんな真似をするという事は、時が来るまで知られてはならない事がある、ということですね?」
その意図に確信を持ったレイル君からの問いに、レイフィード叔父さんが頷きを返す。事前に知られてはならない何か……。
時が来るまで封じておかなくてはならない記憶……。
必死にそれを思い出そうとするのに、どうして思い出せないの。
私から身体を離すと、レイフィード叔父さんは周囲を見渡して両腕を胸元で組んだ。
「誰か……、いや、今あちらの戦力を削ぐのはまずいか。ルイヴェルとレゼノスは糸の件があるし、セレスフィーナとセルフェディークの方も、治療が終わっていない……」
「じゃあ、俺達でやるしかねぇだろ。俺もなんか嫌な予感がすんだよな……。知っとかなきゃやべぇって何かが」
「俺もだ、カイン皇子……。今回のガデルフォーンに関わる一連の事件には、予想外の事が起こりすぎている。まるで……、禁呪の時のように」
「そうだね。レイル君の言う通り……。あの時、禁呪の件で現れた人物と、ガデルフォーンで僕達の前に現れた子供の片方、銀青の髪を纏う子供は……、同一人物。僕達の邪魔をして嘲笑う為なら、良からぬ事を何段重ねにでもして仕掛けてきそうだよ」
その確信を抱いたレイフィード叔父さんの言葉に、私達の誰もが緊張に息を呑んだ。カインさんの命を蝕んだ、忌まわしい禁呪の災厄……。
その恐ろしい術を仕掛けたのは、カインさんの異母兄である、第一皇子のアースシャルクさんのお母さんのお兄さんだったと聞いているけれど、さらにその背後には、別の黒幕がいた。
私達やカインさんを恐ろしい事態へと誘い、魔の手を伸ばした存在……。
あの時の人物と、脳裏に響いた子供の声と……、ガデルフォーンの玉座の間で出会った銀青の髪を纏う少年が、同一人物である事はルイヴェルさんからの説明で把握しているけれど。
予想外の変貌を見せた禁呪のように、あの魔獣もまた、私達の希望を引き裂く何か恐ろしい事態を引き起こすかもしれない……。
「ユキちゃん、少し負担がかかるかもしれないけれど、大丈夫かな?」
皇子様達の魂が仕掛けた記憶の封印は、その数と力の強さから何重にも術が重ねられているらしい。本来であれば、身体に負担をかけずに注意を払いながら解呪していくのが一番良い。
だけど、それをしていたらまず時間が足りない。何かが起ころうとしているのなら、多少強引な方法になっても解呪をしなければならないのだと。
その際にかかる私の身体と精神への負担を心配してくれるレイフィード叔父さんに、構わないとすぐさま答える。皆さんが命を賭けて頑張っているのだ。
私は私に出来ることをしたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ルイヴェル
「ルイヴェル、もうこれ以上は……、お前にかかる負担を考えると、危険すぎる」
「いえ……、これは父より任された俺の仕事ですから。最後まで……、力を尽くさなければ」
魔獣に気付かれた事で、一時的に意識を闇の底に落としたものの、女帝の兄であるラシュディース様によって命を救われた俺は、その支えに助力を願い、再び青銀の糸の近くまで身を寄せていた。
ガデルフォーンと、表側のエリュセード……。
二つの世界を行き来する空間を妨害していた力を引き裂き消滅させたのは、紛れもなくフェリデロードの光。
それが誰の手によるものなのか……、考える必要などなかった。
エリュセードの表側から現れた数え切れぬほどの軍勢、女帝と魔獣の拮抗を一瞬にして打ち崩した豪雨の如き光の槍……。
迂闊に手を出せば、ぶつかり合っている女帝と魔獣の力に呑み込まれる危険性もあったというのに……。そういう危険性を平気で覆し、自身にとって有利な状態に運ぶ事を得意とする男。
かつてはその存在を必ず超えてやると意気込んでいた時代もあったが、知れば知るほどに規格外だと悟ったのはいつの頃だったか……。
俺にとって、永遠の壁のようにも思える相手であり、そして……。
「ラシュディース様、愚息がご迷惑をおかけしました事、心よりお詫び申し上げます……」
「レゼノス殿、来てくれて助かった。ガデルフォーンの民に代わり、礼を言わせてもらう」
地上から迷う事なく一直線に俺達の許に飛んで来た……、俺と同じ色を纏う男。
ラシュディース様に頭を垂れ紡ぐ謝罪の声音は、相変わらず淡々としたものだ。
元々、無表情で何を考えているのか相手に伝わりにくい男だが、これと周囲から面差しがよく似ていると言われる度に……、どうしようもなく複雑な感情に支配されるのは、昔からの反発心がいまだに奥底で燻っているからだろうか。
似てなどいない……、たとえ血が繋がっていようが、親子であろうが、どこも、色以外似てはいない……。毎回声を大に叫びたくなるのも、昔からの癖だ。
絶対に目を合わせてなるものかと……、自分が最も苦手だと分類している男から視線を逃す。
「ルイヴェル……」
「……」
俺に冷ややかな声をかけた男、レゼノス・フェリデロード。
医術と魔術の名門、フェリデロード家の当主であり、俺とセレス姉さんの父親でもある男の静かな声音が、戦場に響いている怒号や悲鳴よりも確かな力をもって俺の心を震わす。
「ユキ姫様に関する件に関しては、あとで仕置きが待っていると思え」
感情を読み取り難い父親の声音は、息子の俺からすれば怒り心頭に達している事がまるわかりだ。
言い訳を聞く時間を設けるでもなく、最初から仕置き決定なところといい、相変わらず容赦がない。普段であれば、正面から立ち向かうところだが……、生憎と今はそんな余裕もない。ユキは俺の事を大魔王のようだと言う事があるが、本物はこっちにいるぞと指を差してやりたいところだ。
視線を正面に戻し、自分の父親に頷く。勝手にしろ、と。
感動的でも何でもない親子の再会を終え、俺は背後にある青銀の糸の件に関しての説明と、それを視る為の共有を始めた。
「弟達の事は、俺も肉親として助けてやりたいが……。そのせいで魔獣の再封印が疎かになり、そちらにも被害が及ぶような事になるのであれば、引くべきだと、そう思っている」
「いえ、諦めるにはまだ早いでしょう……。封印の空間から解き放たれた皇子殿下達の魂……。この機を逃せば、必ず後悔する事になります」
「父の言う通りです。幸いな事に、魔獣の注意は周囲を取り囲む軍勢に向いています。今度は、先程よりも慎重に」
「だが……、万が一、お前やレゼノス殿に害が及べば、俺はレイフィード王に何と詫びを入れたらいいものか」
心配して下さる心遣いは有難いが、俺達はガデルフォーンからの正式な依頼を受け、皇子達の魂を解放するその日を迎える為に尽力し続けてきた。
その好機が目の前に転がっている以上、逃げの道はあり得ない。
そして、万が一俺に何かがあったとしても、横にいるこの男が……、フェリデロード家を束ねるエリュセード最高の魔術師の一人に数えられるレゼノス・フェリデロードの存在があれば、希望が打ち砕かれる事はない。
「愚息に私の魔力を分け与えます。その後、迅速に魔獣と皇子殿下達の魂を切り離し、再封印がなされる前に保護いたします……。よろしいですね?」
「あ、あぁ……、だが、本当にいいのか?」
「フェリデロードの名に賭けて……、万事我らにお任せを」
ラシュディース様を遠ざけるように指示を出した父さんが、予告もなく俺の額に指先を添え、魔力の受け渡しを始める。
身体が他者の強大な魔力の流れを感知し、僅かな抵抗を見せながらも急速にそれを取り込み、魔石では補いきれなかった俺の力と体力を回復させていく。
だが、その流れの中に……、覚えのある感覚が混じり合い、俺の頭の中に存在していた『黒銀の力』に関する干渉方法の理論を、一瞬にして負担も少なく新しいものへと上書きしてしまった。
「父さん……、これは」
「魔力を注ぐ際にこれまでの記憶も読ませて貰った……。過去の理論、それも、途中までの構成しか終わっていないものを、……我が息子ながら、恐れを知らぬところは私譲りか」
「それに関しては反論したいところだが……、まぁいい。この理論があれば、あの時のような醜態は晒さずに済む。……感謝する、父さん」
「礼はいい。それよりも、お前がシュディエーラ殿と共有していた『青銀の糸』に関する情報と、、私とお前の共有も済ませておいた。……時間はそう多くは残されてはいない。二人で一気に分析を成す。いいな?」
俺から離れ、青銀の糸を見定めた父さんが高度な分析用の陣を展開し、双方からの分析を指示し始めた。銀緑の光が青銀の糸、いや、今はもう脈打つ血管の如き太い管とでも言えばいいか。
それに魔力の針を数本突き刺し、俺でさえ目で追うのがやっとの速さで分析が進んでいく。
「……エリュセードに現存する力との一致、該当……、なし」
「やはり、また未知の力という事か……? ……だが、これは」
分析を進める内に、この世界に現存する力との照合を終え、一致するものがない事を呟いた父さんの表情に、僅かな変化が訪れた。
その表情が意味するものは、俺の心にも芽生えた疑心と同じもの。
『あれ』と似通った要素……、この世界で、唯一人にしか芽生えていない、不確定要素の根源と似た性質を抱く力。
「父さん……、これは、まさか」
「まだ確定するには早いが……、だとすれば、干渉出来る突破口が開けたと考えてもいいだろう」
「だが、完全に同じ物ではない。強いて言うならば……、『母を同じとする存在』と例えるべきだろう」
「それがわかっている段階で、干渉は可能となる……。ルイヴェル、『根底』に潜るぞ」
躊躇いもなく父の視線が向かった先は、暴れ狂っている魔獣の体躯。
瘴気によって生まれ出でた、害悪でしかないその存在を見つめながら、『潜る』と口にした父さんの意図はわかっている。
言葉通り……、魔獣の中で守られている『青銀の核』を砕きに行くと言っているのだ。当然の事だが……、あんな濃い汚泥のような瘴気の塊の中に突っ込めば、無事で済む保証など、……どこにもない。だが、どんな危険を前にしようと恐れる事のない目の前の男に返せる答えはひとつだ。
「全ては、フェリデロードの御心のままに……」
「それはいずれ、お前の事を指す言葉となるだろうがな……」
滅多に息子である俺を褒める事などない男が……、その手を俺の頭の上に乗せ、自分と同じ銀の髪を撫ぜた。
「ユキ姫様の暴走を食い止めた事、……よくやったと、言うべきだろうな」
「父さん……」
その深緑に父親としての情が揺らめいたのは、ほんの一瞬だった……。
幼い頃から、好奇心と魔術への狂信故に、教えを破り逆らってばかりだった俺に父が向け続けた感情。それは、俺を否定する戒めの念と、自身の愚かな過去を悔いてフェリデロードとウォルヴァンシアの為に、その人生を捧げろと言うようなものばかりが多かった。
それなのに、こんな時に父親の顔を見せるとはな……。
らしくもなく、調子が狂うじゃないか。
「――行くぞ。私達の働きが無駄に終われば、皇子達の魂は二度と」
「あぁ。訪れた好機を、決して無駄にはしない。フェリデロードの前に、恐れなど存在しないのだから」
頷き合い、魔獣のその体躯……、瘴気塗れの海へと飛び込もうとしたその直後、行く手に『障害』が前触れもなく現れた。
口元に火をつけた葉巻を銜え、ニヤリ……、と、嘲笑の笑みを刻んだ、不精髭の男。――ヴァルドナーツ。
そして、その横には漆黒の衣を風に靡かせ、血塗れた真紅を俺達に定めている、カインとよく似た面差しの男の姿があった。
「ごめんね~。まだ俺達のお仕事が終わってないから、待って貰えるかな?」
「愚息を手痛い目に遭わせた輩か……。阻むなら……、実力行使で通させてもらう」
「実力行使が通じる相手ならいいけどな? 生憎と、こっちには『神様』がついてるからな。そう上手くはいかないだろ」
神……? カインと似た面差しの男が、喉の奥で嘲笑しながらそう口にした。
確かにこのエリュセードには、三つの月を象徴とする三神の存在、そして、それに連なる数多の神々の伝承も残っている。
……だが、世界を守護する神々が、このような混沌を望むだろうか?
いや、伝え聞く話によれば、時に道を踏み外し、歪む神もいるとはいうが。
比喩的な表現という事も考えられるが……、この邪魔な二人を退けて進むには、どうにも嫌な予感がしてならない。
「父さん……、こいつらの相手は俺がする。魔獣の方を頼む」
「いや……、これは……、まさか」
「父さん……?」
不穏を宿す二人から視線を外した父さんが、急くようにその場を瞬時に飛び退き、皇子達の魂へと走った。
魔獣を外部に出さない為の結界の外に、続々と浮かび上がる黒銀の陣。
巨大なそれらに包囲された内部で、父さんが成すべき事を変えた理由を知る。
青銀の管が膨れ上がり、まるで何かのベールで隠されていたかのように、魔獣の体躯が恐ろしい変貌を遂げ、『全容』を俺達の前に晒け出していく……。
「何……、だと?」
瘴気に愛されし古の魔獣の姿が……、猛威を振るい、人の肉を引き裂き狂乱の宴を味わっていた存在が……、
――霧のように、『消え』始めた。




