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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~
224/261

約束と涙

というわけで、波乱まいります。

最初はウォルヴァンシアの王宮医師ルイヴェルの視点、

後半はユキの視点で進みます。

 ――Side ルイヴェル


「また甘やかしてるって、ユキに言われるぞ?」


 ユキを術で強制的に眠らせた後。

 カインとレイルに掛かっている毛布のずれを直したディークが、俺へと呆れ交じりの視線を寄越した。

 俺達が何を言っても、ユキが幾度となく自分の中で迷いを生んできた事は知っている。ただ守られるだけのお姫様という立場に押し潰されかけている少女の心……。

 その心は確かに成長しようと足掻いているが、一朝一夕に確かな結果を出せるわけではない。

 女帝陛下がユキをガデルフォーンに誘ったのも、術を扱う訓練を始めさせた事も、あくまできっかけとする為だ。

 ウォルヴァンシア以外の世界を見せ、多くの考えや物事に触れさせる事。

 その道標は、ユキが前々から思っていた事を強く表に引き摺り出す為に、大きな影響をもたらした。

 ガデルフォーンの地へと訪れ、国の歴史や国風を学び、ウォルヴァンシア以外の者達との交流も得た。術の訓練の成果も、徐々にだが形になってきている。

 だが……、本人の心が先に行き過ぎていると、俺以外の者達も感じているはずだ。

 先走るが故に、その身に大きな力が宿っていると、役に立てるかもしれないという期待が、ユキを焦らせ過ぎている。


「これはまだ、『少女期』の不安定さに振り回されているからな……。無理にでも思考を切ってやらないと、延々と悩み続けるだろう」


「悩むって事自体が、成長そのものだって……、気づいちゃいないんだろうな」


「根が真面目な娘だからな……」


「時を重ねていけば、確実に知性と力をバランス良く兼ね備えた女に育つんだろうが、……妙だと思わないか?」


 ディークが言っているのは、ユキが魔獣の復活を前にしても、逃げようとしない事に関してだろう。頑固にも残らせてほしいと懇願していた時のユキは、……何かに縛られているようにも感じられた。まるで……、そうしなければならない、絶対の理由があるかのように。


「皇子達との魂の接触、魔獣の復活……、ユキの力によって露わとなった、神殿の異変。何がユキに対して影響を与えているのかは不明だが、これは避難用の空間に移す」


「それが一番だろうな。もし俺達に何かあって、全滅……って事になった時は、空間の管理を任された術者が、いずれ外の世界に干渉出来るようになるだろ。そうすれば、ユキやガデルフォーンの民は助かる」


「ガデルフォーンと表側の世界の行き来を妨害している力を解ければ、の話だがな」


 だが、もしもガデルフォーン側が大敗を期しても、魔獣の脅威からは守られ続ける。表側にいるレイフィード陛下や、干渉方法を心得ている俺の父親が救済の手を差し伸べるはずだ。そうすれば、ユキは無事な姿のまま、あちらへ帰る事が出来るだろう。


「アレクも一緒に行かせる。カインとレイルもな」


「お前も、だろ? 重傷の怪我人野郎」


「回復が早まるように、持ってきた魔石を全て使う。それでどうにかなるだろう」


「ふざけんなよ……っ。その身体でまたあの術を使ったら、どうなるかわかってんだろうがっ」


 同じ医者としてのディークの目は誤魔化せないか。

 ウォルヴァンシアの民たる俺がガデルフォーンの面倒事に関わり命を落とす必要はないと、そう言いたいんだろうが……。


「お前だって、友人の故郷を捨てる気はないんだろう?」


「俺の事は関係ねぇだろ……。ラシュの野郎には借りがあるだけだ。それよりも、俺達の中で一番の重傷人だろうが、お前は。大人しくユキの護衛に徹してろ」


「生憎と、ガデルフォーンの皇子達に関して責任があるんでな。それを放り出して隠れるような事があれば……、面倒な男にトドメを刺される」


 俺の父親であるフェリデロード家当主から引き継いだ、皇子達の魂を救い出す役目……。

 いまだにその方法が見つからない以上、せめて魔獣の再封印ぐらいには立ち会わなければならないだろう。それに、封じが解けた直後、状況に応じて皇子達の魂を救い出す事が可能になるかもしれない。その希望を感じているというのに、役目を放棄すれば、たとえ命拾いをしても、俺は当主である父親に殺される。

 ……比喩ではなく、それに近い目に必ず遭う。

 セレス姉さんには手を上げる事もなく穏やかな父ではあるが、俺に対してだけは違うからな。

 

「それに、サージェス達を放っておくわけにもいかないだろう? 一応、友人だと認定されているようだしな」


「この頑固モンが……。ったく、仕方ねぇな。お互い死なねぇように頑張るか」


「あぁ……」


 眠りに落ちたユキの髪を梳きながら、ガデルフォーンの異変の足音が確実に大きくなっている事を否定出来ず、思案の息を零す。

 永き封印の時は、ただ封じていただけではなく、魔獣の力を削ぐ術も同時に行使されている。復活を促す為に瘴気が送り込まれているようだが……、それはあくまで封じの間の力を弱め、その忌々しい楔を断ち切る為の鍵として使われる事だろう。

 それは復活と同時に霧散し、後に残るのは猛威を揮った時代よりは弱い存在のはずだ。

 

(だが……、あの子供達がまた復活した魔獣に瘴気を注ぎ込む可能性もある、か)


 ならば、魔獣の件は女帝達に任せ、俺達は外からの干渉に気を配るべきだろう。

 古の脅威がふたつ……、それがガデルフォーンの地を喰い尽くさぬように。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side 幸希


 それは、突然の地響きと血の気の下がる様な気配を全身に感じた時だった。

 眠りの底から引き上げられた私は、ソファーから飛び起きて周囲を見回した。

 レイル君やカインさんもすでに起きていて、起こっている異変に視線を彷徨わせている。


「何だよ、これ……。胸糞悪ぃ瘴気の気配が」


「ガキ共!! すぐに外に出ろ!!」


 ベッドから、まだ目を覚まさないアレクさんを背中に担いだディークさんが怒鳴り、医務室の外へと促す。私はレイル君に手を引かれ、カインさんやルイヴェルさんに守られながら外に出た。

 扉の向こうでは暗い闇夜が広がっていて、灯りも全て消えてしまっている。

 回廊の向こうから動物の鳴き声が幾つか聞こえたかと思うと、ファニルちゃん達の集団が酷く怯えた様子でこちらへと駆け込んできた。

 その中の一匹、私が友人としているファニルちゃんが、私の胸へと飛び込んでくる。


「ニュィ~!!」


「ファニルちゃんっ、大丈夫?」


「おい……、レイル、今何時かわかるか?」


 不意に、喉の奥を意味深に鳴らしたディークさんが、レイル君へと尋ねた。

 懐から懐中時計を取り出したレイル君が、時計盤を見て一言……。


「朝なのに……、何故闇夜のまま、なんだ?」


「ちっ、やっぱりか。かなりの時間が過ぎたってのに、変だと思ったぜ」


 舌打ちと共に、ディークさんがルイヴェルさんに目配せをした後、夜空に君臨する三つの月を仰ぎ見た。

 朝だと答えたレイル君の言葉を裏切り、まだ闇に閉ざされた月が、そこに在る。

 それが何を意味するのか、吐き気を催すような恐ろしい気配に身を竦ませながら私が蹲りかけた時、空に座す月のひとつに変化が起きた。

 

「何……、黒銀の闇が、晴れて……」


 同時に、他の二つの月が後を追うように闇を晴らしていく姿が見えた。

 身体と心に感じていた重圧が、ふっと軽くなっていくかのような心地が訪れる……。

 

「神々の光が、闇を押し始めた……?」


 そう小さく漏らしたのは、状況の意味を判じかねているディークさんだ。

 ガデルフォーンを覆い尽くす闇が徐々に薄れ始め、ほんの少しだけ……、周囲に明るさが戻っていく。けれど、三つの月を害する黒銀の闇は半分まで晴れたところで、その変化を止めてしまった。

 一体何が起こっているのか……、交わされる視線の中で私達が戸惑っていると、ディークさんの背中からくぐもった声が聞こえた。


「……うっ」


「お、目が覚めたのか? アレク、おい、アレク!!」


 瞼を薄らと押し上げたアレクさんに、ディークさんが覚醒を促す為にその背を揺する。ぼんやりと、……アレクさんは周囲を見回し、次いで空を見上げた。

 微かに呟かれた唇の動きが何を言ったのか……、誰も聞き取る事は出来なかったけれど、私はアレクさんが目を覚ましてくれた事が嬉しくて。

 すぐにその傍へと駆け寄った。


「アレクさん、大丈夫ですか? 具合は悪くないですか?」


「……」


「アレクさん……?」


 何度か瞬きを繰り返すと、アレクさんはディークさんの背中から降りて、その額を手のひらで覆った。ディークさんとルイヴェルさんに簡易的な診察を受けたアレクさんは、どうやら体内の魔力バランスも元に戻っているらしく、何も心配はいらないらしかった。

 だけど……、傍に寄ってその服の一部を掴んだ私を、アレクさんは困惑した表情となり見下ろしたかと思うと、やんわりと私の温もりを避けた。

 

「ルイ、ディーク、手間をかけさせてすまなかった……。任務に戻る」


「おう。まぁ、あんまり無理はすんなよ」


「なぁ、ディーク……。状況的には不味いまんまだろ、これ……。どっかで面倒な力が強まってんのが、ここにいてもわかるぜ?」


「ユキの話ではまだ猶予があるかと思ったが……、計画を急いだか?」


 ルイヴェルさんが私達を玉座の間へ促し、目覚めた時よりも軽い足取りで私の肩を抱き寄せて走り始めた。皆さんもそれに続いてその場を離れ始めたけれど……、後ろを振り向くと、アレクさんが遥か上空をぼんやりと眺めているのが見えた。


「アレクさん!! 早く!!」


「……あぁ」


 向けられた視線が、……その蒼の双眸が、私を見ているのに、一瞬だけ、どこか虚ろめいたように見えたのは……、気のせいだったのだろうか。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 玉座の間に着いた私達は、ガデルディウスの神殿で起こっている異変の正体を求めてその場所へとすぐに向かう事になった。

 ルイヴェルさんとしては、私を避難用の空間に行かせたがっていたみたいだけど、今迂闊に空間への道を開く事は危険だと判断し、結局傍で守った方が何かと都合がいいという結論に辿り着いたらしい。その事に、ちょっとだけ心の中で安堵した私だったけど……。


(出来るだけ、力を暴走させるような行動は控えないと……)


 夜中にルイヴェルさんから言われた言葉に萎縮した心を抱え、私は神殿急いだ。

 神殿のある場では、女帝であるディアーネスさんが指揮する大勢の軍隊のような群れの光景が広がっていて、私はその後方でレイル君達と身を寄せ合っていた。

 私がしてもいい行動は、皆さんの邪魔にならないように、ここにいる事……。

 

「おい、ユキ……、大丈夫か?」


「カインさん……、はい。大丈夫、ですよ」


「その割には……、顔色悪ぃな。ま、そうは言っても、魔獣が復活するって時に、平然としてられたら、それはそれで図太い、か」


「カイン皇子、ユキは俺達とは違うんだ。恐れを抱いても仕方がないだろう」


 カインさんとレイル君の会話に、私は顔を俯けながら曖昧な反応を返す。

 どんなに悩もうと変わらない事実なのだから、もう気にしても仕方がない。

 今出来る事は、ディアーネスさん達の邪魔にならない場所で黙って見ている事だけ。大事なのは、今出来る事を自分の中で判断して、それがない時は大人しくしている事。そう思い直したのに……、どうして、私の心の奥底で、妙な感覚が疼くのだろうか。ガデルディウスの神殿の中にはもう誰もいない。

 外に集まった人々を見まわしながら、私は自分の鼓動の上に右手を緩く握り込んで添える。

 見えるようになった神殿の異変……、天へと這い登るように蜷局を巻く毒蛇のような存在。

 建物を締め上げるかのように……、耳障りな獣の低く轟くような慟哭が響き渡る。


(何……、この、嫌な予感は)


 恐ろしい魔獣が復活しようとしているのだから、恐れを抱いても仕方がない。

 そう、思うのに……、何? このスッキリとしない変な感覚は……。

 心ではなく、本能が警鐘を打ち鳴らしているかのような焦燥感。

 もしかして……、何か、魔獣の復活以外に、違う事が起こるのではないだろうか……。


(気のせいかもしれない。……だけど)


 私は意を決すると、一歩前へと歩みを進めた。

 だけど、前の様子を確認してきたルイヴェルさんとディークさんに出くわし、行動を咎められてしまう。


「ルイヴェルさん、あの……、嫌な予感がするんです……。魔獣の復活だけじゃなくて、その」


「何か視えたのか?」


「視えた……、わけではないんですけど、うっ」


 まただ。こみ上げてくるような吐き気に膝を折った私は、どこか遠くから聞こえてくる『声』に頭の中を掻き回されるかのような不快感を感じた。

 これは、……ガデルフォーンの皇子様達の声だ。

 何か大事な事を忘れていると感じているのに、どうして思い出せないのか。それと、他に別の『声』が耳元で囁いている気もする。

 皇子様達の薄らとしたそれとは違い、音のような……、感覚そのものに訴えてくるかのような。

 

「ユキ、具合が悪いのか?」


「いえ……、大丈夫……、です」


「ルイヴェル、ユキの事を頼む。俺は女帝の方に伝言を届けてくるからよ」


「あぁ、頼む……。ユキ、少し後ろに下がるぞ」


「はい……」


 ディークさんが一度心配そうに私を見た後、その場を離れて行った。

 私を支えて立ち上がったルイヴェルさんが、カインさんとレイル君の所まで連れて行ってくれる。また、余計な心配をかけてしまった……。

 そう項垂れる私の傍で声をかけてくれる三人に小さく「ごめんなさい」と呟いていると、カインさんが怒っているかのような視線をアレクさんへと投げた。


「おい、番犬野郎!! テメェ、何ぼさっとしてんだよ」


「……あぁ、すまない」


「……」


 アレクさんが、カインさんの喧嘩を売る気満々の声音に……、素直に謝った。

 頭の中に疑問符が浮かんだ私達の許にやって来たアレクさんが、顔色の悪い私を静かに見下ろしてくる……。まただ。何も感じていないかのような冷たい、いや、彼の中が空っぽになっているかのような虚ろの気配が、蒼の双眸に宿る。

 けれど、アレクさんはそれを振り払うかのように首を振ると、ふぅ、と、疲れているような吐息を吐き出して、私の頬を両手で包んだ。


「大丈夫か? ユキ……。やはり皇宮に戻った方がいいんじゃないか?」


 その眼差しは、いつも私を心配してくれるアレクさんの優しい気配に戻っていた。

 

「アレク、今更皇宮に戻した所で意味はない。ここで何かあった後、向こうが呑み込まれるのは時間の問題だからな」


「確かに……、それはそうだが……、俺は、ユキを危険に晒したくはない」


 やっぱり、いつものアレクさんに戻っている。

 その優しい気遣いと温かな眼差しにほっとした私は、さっきのはきっと起きたばかりのせいだろうと思う事にした。

 誰だって寝起きはどこか不安定になるものだ。

 前にもアレクさんは寝起きに意味不明な事をしていた前例もあるし、きっとそう……。


「アレクさんこそ大丈夫ですか? 急に倒れてしまったから、あの時は本当に心配したんです」


「すまない……。お前にも心配をかけた」


「いいえ、無事に目を覚ましてくれたんですから、それで十分です。けど、無理はしないでくださいね? アレクさんに何かあったら、辛いですから」


「ユキ……」


 ルイヴェルさんに支えられていた私の腰を引き寄せると、アレクさんは愛おしそうな眼差しを注ぎ、その腕の中に私を閉じ込めてしまう。

 すりすりと頭に頬を摺り寄せられた私は、ぽふんと顔をアレクさんの胸に埋めたまま、彼の予想外の行動に頬を染めて困惑するしかない。

 ね、寝起きのせいか……、アレクさんがなんだか……、変。

 カインさんに謝った事もだけど、皆が見ている前で……。

 あの、えっと、今度は額にキスの感触がですね……、えーとっ。


「このクソエロ番犬野郎ぉおおおっ、テメェ、ユキに何してんだよ!!」


「……」


「無視すんなああああああ!!」


 カインさんから思い切り痛そうな蹴りを入れられたアレクさんだったけど、それでも私を離さずにむぎゅううっと強く抱き締めてくる。

 感情の波に呑まれている……、ようには見えないのだけど、どこか縋られているようにも感じるその仕草に、私は頬に困惑し慌てながらも振り払えずにいた。

 なんだか……、アレクさんの心が寂しがっているかのような、そんな、切ない気配が伝わってくるから。

 だけど、やっぱり男性に抱き締められる状況というのは心臓によろしくないわけで……。

 

「あ、アレクさん……、も、もう、いい、ですか?」


「なぁ、レイル、こいつ魔獣の餌にしちまおうぜ。その方が絶対にユキの為だ」


「いや、きっと……、何か理由があるんじゃないか? アレク的に……」


 私もそう思うのだけど……、意識ははっきりしているみたいだし、寝起きのせい……、だけだとは思えなくなってきているというか。

 困り果てていると、ルイヴェルさんがアレクさんの後ろ髪を乱暴に引っ張って私から引き剥がしてくれた。その深緑の双眸には「手間をかけさせるな」とそう書いてある気がする。

 ついでのように、べしんとアレクさんの頭を叩くルイヴェルさんの容赦のなさ……。

 連打で繰り出されるその仕打ちを止めようと前に出たけれど、レイル君が私の肩を掴んでふるふると首を振った。やめておけ、お前まで巻き込まれるぞと、そう言いたいらしい。

 

「何をやっているんだ、お前は……。恋愛事は面倒事が片付いた後にやれ」


「すまない……」


「今すべき事は、お前とカイン、レイル、ディークの四人で、ユキの守りを固める事だ。……何があったかは後で聞かせて貰うが、役目は必ず果たせ」


「あぁ……」


 厳しい眼差しでアレクさんを言い含めたルイヴェルさんが、表情を落ち込ませているアレクさんを一瞥し、私の傍へと寄ってくる。

 私の頭にその大きな手のひらを置き、くしゃりと髪をひと撫ですると……。


「俺は神殿の上空から状況を見る。暫く傍を離れるが、お前に何かあれば必ず駆けつける。だから、不安は俺に預けてゆっくりと構えていろ」


「ルイヴェルさん……」


「お前は何度言っても真面目に悩む奴だからな……。一言言わせて貰えば、それがお前の悪い部分だ。考えても仕方のない事は捨てておけ。今は無理でも、いつかお前が何かを成す時は来る。……必ずな」


「いつか……、必ず?」


「あぁ。いつか、必ずだ。何も出来る事がない時に歯痒くなるのはわかるが、それは、その時別の誰かが何かを成す時なのだと思い直せ。人には与えられた場というものがあるからな……。今回の件で言えば、俺達や女帝陛下がその番だ」


 目元を和ませ、またくしゃりと……、ルイヴェルさんの温もりが私の頭を撫ぜた。

 何故だろう……。昔の私を知っているこの人の言葉は、自分から動こうとしても空回りしている私の膝を抱えた心を、そっと癒して勇気づけてくれるかのようだ。

 本当のお兄さんのように……、温かい。

 私はしっかりと頷きを返すし、少しだけ軽くなった心を胸に、「ルイヴェルさんも……、無理をしないでくださいね」と微笑を向けた。

 目覚めたとは言っても、ルイヴェルさんの身体は万全の状態ではない。

 魔石と呼ばれる魔力の込められた石の力を使って、ある程度戦える状態にまでは回復したらしいけど、それでもうやっぱり、心配だから……。


「善処する……、としか言えないがな。魔獣の相手は女帝陛下達に任せるが、あの子供達が姿を現せばそうも言ってはいられん。怪我のひとやふたつは」


「駄目ですよ。ルイヴェルさんに何かあったら……、セレスフィーナさんが悲しみます。私達も……、皆、同じ気持ちですから」


「そうだな。セレス姉さんの泣き顔は美しいだろうが、……俺のせいで悲しませたくはない。勿論、お前の事もな」


 大好きな双子のお姉さんの事を持ち出せば、きっとルイヴェルさんは無茶な事はしないはず。それを願って念押しをすると、ルイヴェルさんは珍しいとも言える、あどけなさを感じられる苦笑の気配を纏った。

 ……それが、私の心に新たな不安の波紋を落とす。

 去って行こうとするルイヴェルさんの白衣の裾を掴み、その足を引き留める。


「ルイヴェルさん、私からのお願いです。――危なくなったら、勝とうとはしないでください」


「……ユキ?」


「ルイヴェルさんの事だから、敵に一矢報いてとかしそうな気がするんです。後に残された私達が危ない目に遭わないように、いざとなったら何かしそうな、そんな……嫌な予感が」


「安心しろ。俺はそこまで馬鹿じゃない」


 そうやって……、自嘲気味に笑うから性質たちが悪いのだ。

 怪我が完治していない身体、魔石と治療で一応の回復を見せている今の状態……、元の元気な状態であれば、私もまだ安心する事が出来ただろう。

 けれど、今のルイヴェルさんは、「馬鹿な事をしない」と言っているくせに、どこか遠くにいるような儚さが感じられるのだ……。

 私の暴走を抑える為に、力の中心へと構わず飛び込んで来た時の事を、忘れてはいない。この人は、馬鹿な事をしないと言って、やる人なのだ。

 だから私は、振り返っているその深緑の双眸を真っ直ぐに見据えて釘を刺す。


「勝たなくていいんです。ここには沢山の人達がいるんですから、それに頼ってください。ルイヴェルさんは能力のある人だから、自分で片付けようとする気持ちはわかります。だけど、それじゃ意味がないんです」


「問題はないと、言っているだろう?」


「無様でも何でもいいんです!! 最後に私達の許に生きて帰って来てくれればっ。命さえ大事にしてくれれば、また立て直す事は出来るんです!! だから……」


「ユキ……」


「絶対に……っ、死のうとは、しないで、くださいっ。ルイヴェルさんに何かあって、それで私達が助かっても、その後はどうするんですか? もう私を、皆を守る事も出来なくなるんですよ」


 本当は、危ない役目なんてやってほしくない。

 私だって強くなりたいと望んでいる……。

 だけど、今のルイヴェルさんの心を別の方向に向けさせる為には、手段なんて選んでいられない。

 子供のように涙を浮かべ、死なずに私達を守り続けろと身勝手な盾を取り、最悪の決断を絶対に選ばないようにお願いする事だけ……。


「最強の王宮医師様は……」


「絶対に死なねぇ……、そう言いてぇんだろ? ユキ」


「ルイ、ユキの言葉を絶対に忘れるな」


 ふと、私の両肩にそれぞれの手を置いたアレクさんとカインさんが、私の後押しをするかのようにルイヴェルさんを真剣な眼差しで見つめていた。

 レイル君も、すぐ傍で微笑ましそうな表情を浮かべ、頷いている。


「ルイヴェル、俺の大切な従妹を泣かせるような真似は、慎んでくれるか?」


「レイル君……」


 私達四人からの念押しの視線を受けたルイヴェルさんは、少しだけ困惑の気配と共に瞼を閉じると、ゆっくりと瞼を開き、その瞳から覚悟の気配を掻き消した。

 私の手を白衣から外させ、お互いの片手の指の間に同じ物を絡ませると、その瞳を私の目線の位置に屈めていく。


「約束か……。昔はよく交わしたものだったが、ユキ……、お前は本当に、俺を困らせてくれる天才だな。これでは、かなりの制限に悩まされる事になりそうだ」


「探して……、くださいっ。ルイヴェルさんなら出来るでしょう? 絶対に自分も助かって、私達も一緒に生き残る道を……っ」


「ルイヴェル……、お前、あとで帰って来たら一発殴らせろ」


「ルイ、ユキを泣かせた以上……、何かあれば許しはしない。覚えておいてくれ」


「二人共、ユキはルイヴェルにだけ言ってるわけじゃないからな? 俺達も最後まで生き残る。それがユキの心からの願いだ」


 ガルルッと、まるで猛犬のようにルイヴェルさんをひと睨みしたアレクさんとカインさんに、レイル君が私の心を代弁してくれた。

 本当は、ここにいる全員が無事にまた笑いあえるようにと願ってはいるけれど、古の魔獣を相手に被害がゼロで済む可能性は低い。

 願う事しか出来ないけれど、最悪の選択をしないように、その手を掴んで心に種を蒔く事は出来る。私という枷をルイヴェルさんに付けて、これからの行動に制限をかける……。


「ルイおにいちゃんは、無敵でしょう?」


 幼い頃、私を助ける為に軽い怪我をしたルイヴェルさんを涙ながらに心配した時に、この人は言ったのだ。『泣くな……。俺はお前やセレス姉さんを残して消えるような弱い存在じゃない』と。

 その後、私を笑わせる為に、自分に勝てる奴は早々いないから無敵だとでも思っておけ、って。

 取り戻した記憶の中に在る大切な想い出を、幼い頃の私を呼び起こして語る。


「余計な事ばかり覚えているな……、お前は」


「ちゃんと約束して行ってくださいっ。でないと、この涙が止まらないんです!」


「はぁ……、わかった。どんな状況に追い込まれようと、命を賭ける事だけは控える。なるべ」


「なるべくでも駄目です!! 絶対にって約束をしてくれないと、ディークさんに……、沈めてもらいますから」


「お前……、どこでそんな物騒な知恵を仕入れた?」


 そんな事はどうでもいい。

 私はぐっとルイヴェルさんの手を逃がさないように指先に力を込めると、「約束! して行ってください」と丁寧にお願いをした。

 絶対に魔獣もあの子供達も退けて、皆で一緒にウォルヴァンシアに帰る。

 その強い願いを、全員で叶える。絶対に……。

 

「ルイちゃーん、そろそろ時間だよー。もうあちらさん爆発寸前って感じだから、かなりの大仕事になるだろうねー」


 散開し始めた騎士団や魔術師団の人達から逸れて、サージェスさんが私達に安全な場所へ隠れているようにと声をかけにきた。

 私達が場を見守りながら身を隠すのは、神殿の様子が見渡せる高い崖の上。

 そこに何重にも張られた結界があるから、そこに隠れて状況を見守るようにとの事だった。

 皇宮に残るという案も出たけれど、またあの子供達が私に干渉を仕掛けて来た場合、目の届かない所で何かされるよりはという意味も含めて、あそこが私達の待機する場となった。


「あれー? ユキちゃん、ルイちゃんと一緒に何やってんの?」


「約束を取りつけているんです」


「絶対に死ぬような選択をするなと……、これに脅されているところだ」


「脅しでも何でもいいです。それと、サージェスさんも約束して行ってください」


「あれー? まさかの俺も巻き込まれちゃう感じかなー?」


 とか冗談めかして笑ったサージェスさんが、背を屈めて私の右手の方にルイヴェルさんと同じ仕様で指を絡めてきた。どんな状況でも、その飄々とした様子は安心出来るような出来ないような……。

 ぎゅっとサージェスさんの指先が私の指の間に食い込むと、リズムをつけるように揺さぶられる。

 

「勿論、約束するよー。俺は強いから死なない。ルイちゃんも死なせない。だから、帰って来たらまた二人でデートしようね? ユキちゃん」


「その際には、俺も同行する事にしよう。……必ず、帰ってくる」


「はい……。二人共、お気をつけて」


 温もりが離れ、私はアレクさん達に守られながら崖上に向かい始める。

 魔力の力で飛ぶ事が出来る世界だから、私の視界に広がる景色もどんどん高くなって……。

 アレクさんの腕の中から神殿の様子を見つめていた私は、結界の中に入ったのと同時に、ガデルフォーンという世界を恐ろしい脅威に晒す存在の一際大きな雄叫びを耳にした。

 ディアーネスさんに私からの伝言を伝えに行ってくれていたディークさんが結界の中に滑り込み、さらに何重にも結界を強化していく。


「お前ら、一応耳、押さえとけよ……。ついでに身体も頭も伏せとけ」


「は、はいっ」


 ディークさんの指示に従い、私達は結界の中に蹲り、耳を押さえた。

 地面越しに伝わってくるのは予兆とも言える揺れの気配……、地響きだ。

 ガデルディウスの神殿を絡め取っていた毒蛇のような存在が内側に吸い込まれていく。そして……、揺れが鎮まり、……不気味な静寂が場を満たした、――その直後。


「あれが……、ガデルフォーンの……、魔獣」


 神殿の地下奥深くの空間から解き放たれた魔獣が、建物を食い破るかのように全てを内側から容赦なく破壊し、その全貌を薄暗い闇夜の中に晒した。

 黒い靄……、瘴気を纏うその体躯は、魔獣と呼ぶに相応しい、禍々しく獰猛な肉食の獣を連想させるかのように、恐ろしい存在だった。

 その魔獣の周囲をくるくるとまわっている丸い光は……、多分、皇子様達の魂だろう。魔獣が解き放たれても、まだ解放される事はないのだろうか。

 魔獣は身悶えるように空中で暴れまわり、耳を劈く程の咆哮を上げ続ける。


「ディークっ、あれ……、ヤバすぎねぇか!?」


「ヤバいのは最初からわかってんだよ、馬鹿弟子!! 復活の際に大部分の瘴気は使い果たしたようだが……、それでもまだ強い。――ん? なんだ、あれ」


「魔獣の身体から……、何か、光の塊のような物が……」


 ディークさんとレイル君が顔を上げ、見つめた先で……、妙な異変を目にした。

 魔獣の体躯から解き放たれるかのように両手にどうにか収まる大きさの光が、……紫と黒の炎を揺らめかせながら天へと猛スピードで上っていく。

 それは本当に僅かな時間の事で……、その姿は遥か上空に辿り着くと、どこかへと消え去ってしまった。

 あれは……、一体何だったの? 

 光が消えた直後、魔獣は封印から解き放たれた喜びを雄叫びに乗せ、再封印に向けてその命を賭けて戦い始めたガデルフォーンの人達を標的と定めた。

 永きに渡り抑え込まれ続けてきたその殺戮の牙と爪を――狩場となった神殿の跡地にて振るい始める。

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