異変と騎士の胸の内
今回は、ウォルヴァンシア副騎士団長、アレクディースの視点で進みます。
少々、いえ、かなりアレクさんの脳内が騒々しいですがお許しください。
――Side アレクディース
エリュセードの神々を象徴する三つの月……。
数多の神を統べ、その御手にて世界に希望と恩恵をもたらす、至高の存在。
彼らの存在なくして、地上に生きる俺達の命も、輪廻の運行も、繁栄の歯車も、何もかも、ありはしない……。
それほどに、エリュセードの三人の神々とは世界で一番重要な、――母なる存在だ。幼い頃、ウォルヴァンシア騎士団の副団長だった父親が、剣の稽古の帰り道、立ち寄った丘に寝そべって、夜空の星を見上げながら、よく神々の物語を聞かせてくれたものだ。
母親も幼かった俺によく話を聞かせてくれる人ではあったが、あの人の場合……、何故かエリュセード各地を旅していた時に遭遇した、過去の冒険話の類が多かった。
凶暴な魔物や悪質な罪人達を相手に腕を揮っていた強い母親の姿をイメージさせる昔話は、心躍る高揚を俺に与えてくれた。
反対に、父親の方は自分の武勇伝を全て妻である俺の母親に話されてしまい、俺に聞かせてやれる事がエリュセードに存在する伝承話だけになってしまったという切ない裏話がある。
小さな宝玉が散りばめられた闇色のキャンバス、煌々と慈愛の光を以て俺達を照らす三つの月に対する感謝の心を忘れてはならない。
一番大きな眩くも優しい気配に満ちた金色の月が長女であるフェルシアナ神の宿る月。彼女は世界を光と慈愛の恩恵で満たし、命の誕生を司る存在。
三人の神々に関する伝承通りだとすれば、フェルシアナ神こそが『母』そのものであり、命の源でもある。彼女は生み出した息吹をその胸に抱き締め、祝福と共に世界へと送り出す。
フェルシアナ神の手を離れた命は、エリュセードの地へと降り立ち、三番目の神であるイリュレイオス神が司る大地の脈動をその魂と身体に感じながら、それぞれの道を歩む事になる。
辿る命の運命は、終生穏やかなものである者もいれば、波乱に満ちた者など様々だ。
そして……、与えられた命の寿命を終えたその時、肉体を失い魂だけとなった命は、第二の神であるアヴェルオード神の腕へと導かれ、生前の在り様を元に、その逝く先を定められるという。
いずれの神々も、民からの深い尊敬と思慕、敬愛の念を抱かれる存在だ。
何者も穢すことの叶わぬ、聖なる三つの月……。
――俺はそう父親から伝え聞いていた。
だが……、今起きているこの事態はなんだ? 何故神々の象徴たる輝きが闇に侵されている。
「恐らく、女帝陛下や他の者達もこの事態に気付いているはずだ。ユキ、アレク、俺達は一度医務室に戻って皆と合流しよう」
「う、うん……」
三つの月に起こっている不穏な事態に気付いたレイル殿下が東屋へと飛び込んで来た後。俺達は闇色……、というよりも、禍々しい『黒銀』の色で塗り潰された月を見上げながら、ガデルフォーンを襲う不気味な足音を耳にした気がした……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「痛ぇええええええええええええええ!!」
「何故、この状況下で図々しくも寝ていられるんだ、お前は……!」
ガデルフォーン皇宮の医務室に戻って来てみれば、俺の天敵とも言える竜の不良皇子が握り飯片手に、不謹慎にもテーブルに突っ伏して居眠りに興じていた。
ルイやサージェスティン達が休んでいるのはやむを得ない為何も咎める気はないが、暢気にぐーすか寝ているこいつを見ていると……、知らず俺の拳が唸っていた。
俺は本来、他人に対して強い感情を向ける事は滅多にないのだが、ユキの事も絡んでいる為か、それとも元から相性がド最悪なのか。
ガデルディウスの神殿でユキの頬に無体な真似をしてくれたカインに対する怒りが残っていたからなのか、一撃を喰らわせる事に何の躊躇いも抱かなかった。
「こんのクソ番犬野郎がああああああ!! テメェ、今、手加減なくやりやがったなああああ!!」
「居眠りをしていたお前が悪い。反省しろ」
「こっちだって色々あって疲れてんだよ!! 察しろよ、この鈍感野郎!!」
「ユキだって疲労を負っているのに耐えているんだ……。お前の方こそ空気を読め」
「テメェにだけは言われたくねぇよ!!」
寝起きでも相変わらず威勢が良いな、この男は……。殴られた事を根に持って俺の胸倉に掴み掛ってきたカインの活きの良さを目の当たりにしながら、俺は真っ向から睨み返す。
すぐ傍では俺とカインの険悪さに戸惑うユキと、また始まったかと呟きを零すレイル殿下の姿がある。
俺自身、何故ここまでこの男に対して絶えず苛立ちが湧き上がるのか、最初はユキの心を傷つけた相手だからだと、同じ女性に恋心を抱く敵だからと思ってはいたが……、それだけではないと、今ならわかる。
俺は、自分の感情に嘘を吐く事のないこの男が……、妬ましかったのだろう。
真逆の性格をしている為か、俺とカインには大きな違いがある。
俺は焦がれる相手に対して、ユキという愛しい存在を守る為に……、自分に枷をつけて、その心を傷つけないように尊重し、守りたいと願う。
だが、カインは違う……。恋い慕う女性に対し、紳士的な態度をとる事もなく、ありのままの自分を曝け出し、全身全霊でその感情の全てをぶつけてしまうのだ。
俺には到底出来ない……、荒業と呼ぶべきか。
ユキの心に土足で踏入り、彼女の感情を掻き乱しながらも、自分に関心を向けさせる滅茶苦茶な男。
それは良くも悪くも、俺では見ることの叶わないユキの様々な面を強引に引き出していった。
腹立たしいのもあり、同時にどうしようもなく妬ましいと思わせる厄介な相手……。
正直、このガデルフォーンにユキを追って辿り着いた時、出遅れた自分を殴りつけたい衝動に駆られた……。
俺が傍にいられなかった間に、カインはユキの心に確かな距離感を築き、近づいていた。たとえ言葉にはされなくても、二人の会話や気配を読めば、容易く感じ取れるその変化に……。
ユキを困らせた挙句、事態を面倒にしてしまった……。
自分でも、心から深く反省している。
『少女期』にあたるユキがまだ恋愛に対して不安定だという事は知っていたはずだろう……。
それなのに、カインに負ける事を、彼女を奪われる事を危惧した俺は、衝動のままにやらかしてしまった。
今までに他者に対して恋愛感情など抱いた事もなかったからな……。初めてユキという愛しい存在が出来た事による戸惑いと、感情のバランス調整に悩み、まるで『少年期』の頃のような危うさと共に迷走したとしか言えない行動や言動ばかりを繰り返した気がする。
その結果がもたらしたのは、ユキが恋人となる相手を定めた後に、俺とカイン、どちらかがユキを失い傷つく事になると……、最早俺の迷いが伝染したかのように面倒な道へと彼女を誘ってしまった。
これに関しては、カインの方から「テメェのせいで、恋愛以前の振り出しに戻っちまったじゃねぇか!!」と尤もな抗議を受けたものだが、生憎とカイン相手に謝罪する気はなかった。
それから、レイフィード陛下の介入があるまで延々と刃を交し合っていたのだが、後日、今度はユキに対して、また面倒な願いを口にしてしまい、彼女を困らせてしまった。
(名前をそのままの音で呼んでほしいとか、挙句の果てにはまたカインに地雷を踏み抜かれて逃亡まで……、俺はどこまでユキに迷惑をかければ済むんだ)
ユキに一度心の内を吐露して受け止めて貰えたものの、恋敵であるカインに『保護者』と口にされると、どうにも荒立つ感情の揺れを治める事は出来なかった……。
これからその印象や態度を変えていこうと心に決めているのに、自分の方がユキに対して異性として近いと嘲笑っているかのような優越感を抱いているように見えるカインに、感情を抑えられない。
だから、あの時の俺は……、自分の卑小さと器の小ささ、そして、いつユキの心がカインの方に割り込めない程に近くなってしまうかと思うと……。
(騎士団で鍛えてきた忍耐強さは、恋心には対応しないと……痛感した)
だが、そんな情けない俺を東屋まで追いかけて来てくれたユキの深い慈愛の思い遣りと、俺の事を真剣に考えてくれている彼女の真摯な物腰に、――俺の心は単純にも即座に立ち直った。
いつまでも、恋敵からの嘲りの言葉に感情を掻き乱されてはいけないのだと、彼女からひとつの確かな支えを心に打ち込まれたかのように……。
「おい、聞いてんのか!! この横暴番犬野郎!! うぐぅう!!」
「……ん?」
「アレク!! 無意識で殺人を犯そうとしないでくれ!! ただでさえ大変な時なのに!!」
「アレクさん、お願いですから落ち着いてください!!」
「……あ」
その時、自分の思考に沈み込んでいた俺は、罵倒の声とレイル殿下の制止の声で我に返った。
目線を下に下ろせば、……普段は使わない愛剣をいつの間にか引き抜いており、その刃の腹部分をカインの喉元に突き付けていた。
とは言っても、カインの喉元の手前には変化した竜手がギリギリと俺の愛剣が皮膚に到達するのを必死に防いでいる状態だった。……本当に、いつの間に攻撃に転じてしまったのか。
無意識の物騒な行動に、俺も目を瞬いて自分自身に驚いていた。
即座に愛剣を引いて鞘に収めると、すぐ傍で俺の騎士服を心配そうに掴んでいるユキと目が合った。
……また、やってしまったのか。彼女の顔には俺を恐れる気配はないが、少しだけ潤んだ瞳とその困惑した気配から、迷惑をかけてしまった事を痛感する。
「すまない……、つい」
「ついじゃねぇよ!! 危うく殺されるとこだったんだぞ!!」
「寝ているお前が悪い。大体、竜族があの程度で死ぬか」
「ああ!? テメェ、凶行に及んどいて謝りのひとつもねぇのかよ!!」
……やっぱり、この男に対しては、たとえ自分に非があっても、謝罪のしゃの字も出て来ない。
俺は罵倒の嵐で噛みついてくるカインを無視し、ユキへと向き直った。
「ユキ、怖がらせてすまなかった……。少々考え事をしていたせいか、自分の行動に気が付かなかった」
「い、いえ。カインさんが大変な事になる前に気付いてくれて良かったです」
「あぁ……。今後は、お前の前でこんな事をしないように気を付けると約束しよう」
「アレク……、それは、ユキが見ていない所ならカイン皇子を害するという意味に聞こえるんだが」
「レイル殿下にもご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「い、いや……。俺の指摘は見事に無視なんだな……。わかってはいた事だが、もういい」
俺の反応に項垂れるレイル殿下だったが、医務室の奥にある寝台から聞こえてきた軽く何度か手を叩く音に、その視線が休んでいる者達の方へと向かった。
白のカーテンが内側から横に引かれ、……俺があまり好意的な感情を向けていない男がその先に現れた。
いつ目を覚ましたのか、片膝を立て、そこに頬杖を着きながら俺達を飄々とした笑みで眺めているガデルフォーンの騎士団長、サージェスティン・フェイシア……。
常に笑みを湛えているような男だが、勿論、味方側だからといって、油断出来る相手ではない。……気を抜けば、いじりにかかってくるからな。
「サージェスさん、目が覚めたんですね。どうですか、具合の方は……」
「うん、お陰様で動ける程度には回復出来たよ。休ませてくれて有難うね。ところで……、外、なんか面倒な事になってるよね?」
難易度の高い術を行使し、眠りの中から目を覚ましたのは、どうやらサージェスティン一人だけらしかった。
ルイの休んでいる寝台側のカーテンが開く気配はなく、俺達は異変を感じ取っていたサージェスティンとカインに外の様子を説明する事にした。
ユキがガデルディウスの神殿で邂逅を果たした皇子達から預かった、古の魔獣に関する情報。それを元に、女帝陛下をはじめとし、『来るべき時』に備えて慌ただしくなっているこの皇国に、新たな問題が起きたのだ。
説明しているレイル殿下の顔色もあまり芳しくはなく、疲労の気配に満ちている。
「神様の目を隠す……、闇ならぬ、『黒銀』のベール……、か。ははっ……、隠す事をしないというか、十中八九あのお子様達の仕業だよねー」
「そうなんだ……。確かに得体の知れない力を扱う者達だとは思っていたが、まさか……、神々の象徴たる月に干渉出来るなどとは、思いもしなかった……」
「別空間に在るこのガデルフォーンにも届く、神々の恩恵……。何者にも害される事のない、絶対の存在たる神の目を隠した……。難題ばっかり積み上げてくれるよねー……。あのクソガキ共」
「さ、サージェスさん……」
最後の方だけ、吐き捨てるように不穏な気配を滲ませたサージェスティンに、ユキがびくりと身体を震わせて、その口端を少しだけ引き攣らせてしまった。
それに気付いたのだろう。サージェスティンは、右手をひらひらとユキに振ってみせると、「怖がらせてごめんね。寝起きのせいかちょっと苛ついちゃったよー」と、暢気な声音で滲み出していた殺気を抑え込んだ。
エリュセードの表側でも、この異変を察知しているだろうが……。
二つの空間を閉ざす障害を取り除かない限りは、ガデルフォーンは完全に孤立したと言ってもいいだろう。
魔術師団に生じた多大なる被害、避けられない魔獣の復活……、隠された神々の象徴。
サージェスティンが、三つの月を『神々の目』と称したのは、あの月を介して神々が俺達の世界を見守っているのだと、そう人々の間で伝承を元に解釈されているからだ。
侵す事の出来ない絶対の存在……。
それに干渉出来るという事は……、厄介、などという言葉では決して済まされない存在だという事だ。
あの子供達が……、一体『何』であるのか。それを知らねばならないというのに、知ったが最後、後戻りが出来ない恐れのようなものを、この時の俺達は確かに感じ取っていた。
「全部終わったら……、一週間ぐらいゆっくり休める休暇がほしいものだよねー……」
それは、一見して能天気な印象を俺達に与えてはいたが、同時に、命のやり取りを知る者には、別の意味を感じ取る事が出来る響きだった……。
時の皇帝でさえ、封じるには多大な犠牲を払った古の魔獣……。
これから、それを相手に戦わねばならない立場に在るというのに、神にまで干渉出来る存在が相手だとは……。
徐々に俺達の目にも鮮やかに、サージェスティンの白い騎士服が漆黒の……、例えるならば、葬送の気配を纏う色合いに変化していく光景を目にしながら、その言葉の意味を改めて悟った。
「さてと、陛下に休暇を申請する前に、頑張ってお仕事しないと、ね」
以前、ルディーから聞いた事がある。
ガデルフォーンの騎士服は、普段は白く汚れのない清廉さを印象付けるが、避けられない死地に向かう時、その覚悟を心に抱いた騎士のそれは……、漆黒の色に染まりゆくのだと……。
ユキ達を安堵させるように朗らかな笑みを浮かべているガデルフォーンの騎士団長が胸の内で抱いた決意に気付いていたのは……、恐らく、――。




