女帝の私室にて
――Side 幸希
「クラウディオ、民の避難状況はどうなっている?」
肘掛けのある大きくゆったりとした椅子のクッションに背を預けているディアーネスさんがお二人へ問いを向けると、腰を擦りながらクラウディオさんが前に出た。
……あれは、もしかしなくても、サージェスさんに蹴られた部分なんじゃ。
「ご報告申し上げます……。現在、各地に騎士団、及び魔術師団の者達を派遣し、
緊急時の結界避難区域に誘導を開始しています。大規模の転移陣を展開しておりますので、避難は間もなく完了するかと」
「結界避難……、区域」
「国に何か災害や異変が起こった時にだけ使用される避難場所だよ。ガデルフォーン国内で異変や危険が生じた際、国内に創ってある別空間への扉を潜ると、避難専用の場所に行ける仕様になっているんだよ。そこにいれば、一応は安心、かな」
初めて聞く場所の名だと、クラウディオさんが口にしたそれを反芻していると、扉の所に立っていたサージェスさんがソファーに座っている私の背後に歩み寄り、そう説明をしてくれた。
大勢の魔術師達が創り上げた結界で守られている上、別空間までには、ガデルフォーン国内で起こっている騒動の余波も伝わっては来ない仕様らしい。
「民の安全は確保出来たけど、問題はこれから、かな。ねぇ、陛下……、あの悪戯好きな子達が最終的に狙ってるのって、――神殿の方でしょ」
テーブルの上に置かれてあるお菓子の器からクッキーを指先で抓んで口の中に入れたサージェスさんの声音に、その場にいた全員の心に緊張が走る。
神殿って……、古の魔獣を封じてある、『ガデルディウスの神殿』の事を言っているのだろうか。
静まり返る室内に、サクサクと場違いなサージェスさんのクッキーを噛み砕く音が響く。
「異変が起き始めた当初から、それについては可能性のひとつとして考慮していたが、あの女、マリディヴィアンナの性根は酷く腐るほどに歪んでいる……。民を虐殺し、この国を血塗れの焦土と化す選択を、好んでやりそうだとは感じているが……。問題は、あの者達が纏う異質な力の件だ。ユキに二重の呪いをかけた事もだが、あの黒銀の力が何なのかを解明できぬ限り、また想定外の事態を引き起こす可能性が高い……」
「あの子達も言ってたもんねー。自分達の力を正しく理解出来ない限り、全部無駄……ってさ。クラウディオ、その辺の調べはどうなってるのかな?」
「……っ」
サージェスさんとディアーネスさんに視線が集まっていると、クラウディオさんは自分の事は見られていないと思っていたのか、壁に手を着いて腰の痛みを慰めるようにその部分を擦っている所だった。
やっぱり痛いんだ。それも、壁に手を着いていないといけないほどにっ。
私は胸に抱えていたファニルちゃんを横において、ソファーを立った。
「クラウディオさん、大丈夫ですか……」
「何て事は……ない。俺に近付くな」
「でも、腰の痛みが酷いんじゃないですか? あっちのソファーに座ってでも報告は出来ますし、あまり無理は」
「うるさい!! 大丈夫だと言っているだろう!!」
私からの提案に、クラウディオさんが意地になった子供みたいな表情で大声を上げると、今まで黙ったまま話を聞いていたアレクさんが寄って来た。
「ユキの気遣いを無駄にするのはやめて貰おうか」
「あ、アレク……、さん?」
「他国の騎士は黙っていろ!! ついでに、お節介が過ぎるこの娘を向こうに、ぐっ!!」
たとえ蹴られたと思わしき部分に悲鳴を上げそうなほど痛みを覚えていようと、クラウディオさんが素直な態度をとってくれる事はないらしい。
あくまで強気に意地っ張りな様子を貫くクラウディオさんを、アレクさんががしっと、その後ろ襟首の部分を鷲掴んで、引き摺りながらソファーへと向かっていく。
そして、私の傍に戻ったアレクさんが、「これでいいだろうか?」と、優しく微笑んでくる。
何だろう……。ご主人様に褒めて貰うのを待っている……い、ごほんっ。
アレクさんのお蔭でクラウディオさんに座って貰う事が出来たんだし、ちゃんとお礼を言わないと。
「アレクさん、助かりました。ありがとうございます」
「ユキの助けになれたのなら何よりだ。さ、ユキもソファーに戻った方がいい」
「はい」
でも、ソファーに強制着席したとはいっても、あぁ……ほら、クラウディオさんがまた騒ぎ出して……、あれ? 急に静かになった。
私の目には、クラウディオさんが座る席の向かい側に立っているサージェスさんが、何か小さく呟いたような気がするのだけど、気のせいかな?
自分の席へと戻る途中、ちらりと窺い見たクラウディオさんの顔色は……可哀想なほどに、真っ青だった。
「そうそう。女の子の気遣いは素直に受けておくべきだよー。さ、報告報告。あの子供達の使う力の分析は、ウォルヴァンシア側にも頼む事になったけど、こっちでも出来る事をしておかないといけないんだからね」
「……せ、セルフェディーク殿と俺とで、アイツらの力を一部だけは何とか採取は出来た。だが……あの状況下でもあったし、極僅かな量だけだ。今、魔術師団で分析を進めているが……、恐らく時間がかかる」
「そっかー……。じゃあ、ウォルヴァンシアの方が先に分析終わっちゃうかもねー」
「貴様!! 我がガデルフォーン魔術師団の力を侮っているのか!!」
「いやいや、侮るとかじゃなくて、あっちには、ウチの魔術師団トップの二人がいるんだよ? その上、魔術と医術の名門、フェリデロード家がバックにいるわけだし、手を組んじゃう以上、色々問題が起きているガデルフォーン側じゃ、対応が間に合わないでしょ」
「うぐっ……」
「はぁ……、あんまり代理をいじめてやるなよ、サージェス」
クラウディオさんの反論を全て封じ込めていくサージェスさんに、窓側に背を預けていたディークさんが呆れたようにクラウディオさんの援護にまわってくれた。
その横では、ラシュディースさんが苦笑しながら同意するように頷いている。
「クラウディオは魔術師としての腕は良いが、精神面がまだまだ問題ありだからな。厳しくするのもいいが、たまには飴を与えてやるのも必要だと、俺は思うぞ」
「良かったねー、クラウディオ。ディークさんとラシュさんからの温かい援護を貰えて、君は幸せ者だよ。その上、可愛い女の子にも気遣って貰えて、ダブルで幸せだねー。ズルいズルい。今流行りのツンデレで、皆の気を引こうっていう算段なのかなー」
「うぐぐっ……、サージェス、貴様っ」
「やめよ、お前達……。無駄な時間をもたらすのであれば、どちらも部屋から追い出すぞ」
延々と続きそうな二人の言い合いをビシリと冷たい声で止めたディアーネスさんが、疲れ切った様子で吐息を吐くと、次の話へと入った。
「クラウディオよ、出来る所までで構わん。あの力の分析を行う人員を増やし、結果を急ぎ出せるよう指示を出せ」
「御意」
「陛下、ガデルディウスの神殿の方は如何いたしましょうか?」
クラウディオさんに指示を与えたディアーネスさんの傍に立っていたシュディエーラさんが背を屈め尋ねると、ディークさんが右手を上げて発言した。
「そっちは魔術師の増員と、封印の間の結界の強化を勧めとくぜ。まぁ、どっからどんな手段で来るかわかんねぇ野郎共だし、むしろ何か起きた場合の手段も講じといた方が現実的だろ。そっちには、俺とラシュが行くけど良いよな?」
「うむ……。その方向性構わん。我も後でガデルディウスの神殿には向かうが……。シュディエーラよ、後で我に付き合え。少々調べたい事がある」
「御意」
「あの、ディアーネスさん、それと……。ルイヴェルさんが言っていたんですけど、あの子供達の内の一人、銀髪に青い色が入った髪の男の子は、ウォルヴァンシアで起こった禁呪にも関わっているらしいんです」
「禁呪……。グラヴァードの愚息の件か」
ディアーネスさんは禁呪の件を把握していたらしく、過去の状況を振り返る必要性も含めて、私は促されるまま、禁呪事件の顛末を語った。
予想外の事ばかりが起こっていた事、解呪の儀式で聞いた、小鳥の声と存在。
そして、カインさんを救いに現れたイリューヴェル皇帝さんやレイフィード叔父さん達の攻撃を受け、その姿を現した存在の事……。
「ウォルヴァンシアとイリューヴェルに災厄を蒔いた子供が、今度は我の統治する国へと、それを蒔きに来た、という事か……」
それも、今度は一人じゃなくて、複数の存在が現れた事から、事態の深刻さは私達の時よりも増していると言ってもいいかもしれない。
ガデルフォーン皇家を絶望の淵へと落とし、今も苛む少女、マリディヴィアンナの存在。『場』に何か仕掛けをし、良からぬ事を考えている不精髭の男性、ヴァルドナーツ。カインさんに成りすましながらも、変化したその顔立ちもカインさんに良く似た男性。少年とこの男性に関してだけは、まだ名前がわからないけれど……。
それぞれに油断の出来ない恐ろしい相手である事だけはわかる。
「鳥……、か」
「クラウディオさん?」
私が話した内容を含めて今回の騒動に関する事を思案し始めたディアーネスさんを見守っていると、向かい側のソファーに座っていたクラウディオさんが小さく呟いた。
そちらの方を向くと、一人で「いや……、そんなはずが、……だが」と、難しい顔で繰り返しているクラウディオさんの姿が。
「どうしたんですか? クラウディオさん」
「あの時の感覚……、鳥……、くっ、……だがしかしっ」
どうしよう。完全に一人思い悩んでしまっている……。
鳥が鳥がと連呼するクラウディオさんを、その右隣のレイル君がどう声をかけていいものかと戸惑っているし、カインさんも「何やってんだ、こいつ……」という残念そうな目で見ている。
もう見なかった事にして話を進めた方が良い気もするけれど……。
「クラウディオさん、何か気になっている事があるのなら、話してくれませんか?」
いつまでも悩んでいても、私を含めた他の皆さんも気になってしまうだろうし、いっそ話して貰った方がスッキリするんじゃないかなと思い促してみた。
じろっと……睨むように見られてしまったけれど、クラウディオさんが優しい表情で私を見る事なんてないとわかっているので、その目を真剣に黙って見返してみる。
「……ユリウスが、鳥を飼っていたんだ。鳥と言っても、まだ小さな鳥だったんだが、それが俺の肩に乗った時、目眩を覚えるような感覚に襲われた」
「元から体調が優れなかった……、とかではなくて、ですか?」
「あぁ……。あの鳥が肩に乗る前までは、何ともなかった。目眩は暫くしてから治ったが、今考えると……、干渉されかかっていたのかもしれん」
「そんな……」
「それに、あの鳥は、『場』を黒銀の光が覆う前に、そこへ同行している。ユリウス達と共に閉じ込められたとばかり思っていたが……。あの鳥も何らかの形で関係しているという可能性がある気がする」
ここでも、『小鳥』が何らかの影響をもたらしていた……。
偶然なのか、それとも、あの子供達と何らかの関係を持っているのか……。
自分の記憶の中にある、解呪の儀式の最中に目にした……水色の羽根。
儀式の前に、私の部屋のテラスに訪れた小鳥と同じ色の、羽根。
「あの、クラウディオさん……。その小鳥の……、色は」
「水色だ」
「水……、色」
同じ色の小鳥なんて幾らでもいる。
そう思いはしても、偶然の一致では済ませられない何らかの予感めいたものを私は感じていた。
「もしあの鳥が、今回の騒動に絡んでいたのだとしたら……、俺が踏ん捕まえて焼き鳥にでもしてやっていれば、こんな事にはっ!!」
「それ絵的に怖いので、出来れば捕獲ぐらいで……」
ダンッ! と、テーブルを拳で乱暴に叩いたクラウディオさんだったけれど、その発言はどこかずれているような気がしてならない。
「でもまぁ、その小鳥ってのも、何か関係ありそうだよねー。とりあえず、注意すべき対象として気に留めておこうか。あ、陛下、考えるのもう終わった?」
「……お前達が騒々しいせいで、考えが纏まらぬ」
「変に落ち込んだムードになるよりは良いと思うけどねー」
確かにそれも一理あるけれど、玉座の間での騒動のせいで、ディアーネスさんも疲れている様子だ。
物憂げな溜息と、これから起ころうとしているガデルフォーンの災厄を案じる女帝としての責任と葛藤……。
その身に国の全てを担っている女帝陛下の苦労は、私には感じる事も出来ないほどの重責なのだろう。
「時にシュディエーラ、あれから……外に連絡を取る事は出来たか?」
「各国への連絡は試みておりますが、魔術師団のお二人が仰っていたように、向こう側と通信を繋げるには、まだ今暫し時間が必要かと思われます」
「そうか……。わかった。では、皆の者、一旦持ち場に戻るが良い。ガデルフォーンに害成す者達の事に関しては、こちらで手段を考えておく」
その言葉を合図に、私達は自分が向かうべき場所へと戻る事になった。
これから一体何が起こるのか、あの子供達が残して行った災厄と不安の種を心に抱きながら……。




