同時刻ガデルフォーン皇宮にて
ユリウス達のいた『場』で起こった異変。
その余波は、ガデルフォーン皇宮にまで及びました。
――Side 幸希
「何……?」
それは、三時のティータイムを終え、鍛錬場で術の訓練をサージェスさんとルイヴェルさんに見て貰っていた時の事だった。
両の手のひらに丸い球体を描くように集まっていた水の術が、大きくはじけたのが見えた瞬間、私の身体にぞわりと強い悪寒が走り、頭痛を覚えたかのように頭を押さえて膝を折っていく。
「……うっ」
気持ち悪い……。胸の奥から得体の知れない巨大な不安感のようなものがこみ上げて、吐き気さえ覚えてしまう。
「くそっ……、何だよ、この変な気配はっ」
「魔力……、いや、それとも違う……、何なんだっ」
柱の方に背を預けていたカインさんとレイル君が低く呻きながら、何が起きているのかを必死に探ろうとしている。
「ユキ……、大丈夫、かっ」
「アレクさん……、はい、なんと、か……」
頭を押さえながら近寄ってきてくれたアレクさんの腕に支えられた私は、唯一膝を屈せずにいたサージェスさんとルイヴェルさんに視線を向けた。
二人共、自分達が襲われているこの不快感と頭痛の原因の素を探る為に険しい表情で頭上を見上げている。
「ねぇ、ルイちゃん……、これ、瘴気とか魔力の類じゃないよね」
「あぁ。全く異なる異質な気配だ……。この皇宮……、皇都に生じているものじゃないな」
「今探査かけてるけど……、かなり遠いよ、これ。そこからこんな力の余波を放ってくるなんて……、性質が悪すぎるよ」
サージェスさんの足下を囲うように陣が出現し、淡く青銀の光を灯している。
……遠くの方で、何かが起こったというのだろうか。
遠く離れた場所にいる私達がこんな苦痛を味わっている事を考えると、現地の方では……。
「あ……」
「ユキ!!」
まるで回線が切れるかのように、身体にかかっていた苦痛の気配が抜け落ちたせいで、私はアレクさんの腕の中へと倒れ込んでしまった。
身体に残るのは、病気にでもなったかのような倦怠感と……。
「……え」
一瞬だけ、私の視界が真っ黒に染まったかと思うと、身体が小刻みに震え出し、見た事のない場所……。廃墟のような光景が頭の中に流れ込んできた。
これは……、何? 大勢の人の恐怖の悲鳴が聞こえてくる!!
「いやぁ……、嫌っ、嫌っ!!」
「ユキ!! どうしたんだっ」
「アレク、どけ!!」
頭の中に、色んな視点から光景が流れ込んでくるかのように、悲鳴をあげながら地面へと倒れ込んで行く人々の姿が見える。
幾つか張られたテント……、悲鳴に混じって聞こえる……、小鳥の甲高い鳴き声。
……それから、ユリウス、さん?
いつもは穏やかな笑顔を浮かべているのに、ユリウスさんが険し気な表情で空を見上げながら両手を翳し、詠唱を唱えて……、そして。
「いやああああああああ!!」
全部、全部……、呑まれていく!! 淀み腐りきったかのような黒銀が、廃墟を呑み込んでいく。
「ルイちゃん、俺も手を貸すから『力の干渉』を強制的に遮断するよ」
「ユキ、すぐに楽にしてやるから、少しの間耐えろ」
意識が流れ込んでくる気配と光景に掻き乱されるように、私はルイヴェルさんとサージェスさんに押さえ付けられながら、四肢を乱雑に暴れさせた。
嫌……、嫌!! 入って来ないで!! 見たくない、聞きたくない……!!
「おい、ルイヴェル!! ユキの奴、どうしちまったんだよ!!」
「黙っていろ!!」
「……っ!!」
私の傍へと駆け寄ろうとしたカインさんをルイヴェルさんが一喝し、サージェスさんと一緒に同じ詠唱を唱えながら、暴れる私の胸へと術を流し込み手を握り締めてくる。
「大丈夫だよ、ユキちゃん。俺達がすぐに助けてあげるからね」
「侵入してくる力に引き摺られないように強く意識を保て。ここに力の根源はない。お前が受けているのは、あくまで遠くからの余波だけだ」
「はぁ……、はぁっ、……る、ルイヴェル、さん、サージェス……、さんっ」
「俺達の方に意識を向けてごらん。そうすれば、戻って来やすくなるからね」
「うぅっ……」
暫くすると、私の中で暴れまわっていた苦痛と、頭の中に浮かんでいた光景が掻き消え、私は息を乱しながらも、ルイヴェルさんとサージェスさんが施してくれた術のお蔭で落ち着く事が出来た。
「ルイ、ユキは大丈夫なのか……」
「一旦休ませる必要があるが、ユキに流れ込んだ力の気配は退けた。もう心配はないだろうが……、受けた干渉が強すぎたようだな」
「体力だけじゃなくて、精神の方も相当酷いダメージを受けてるみたいだね……。ユキちゃん、部屋に戻ろうね」
「なら俺が運ぼう」
私を運ぶ役目を申し出てくれたアレクさんに抱き上げられた私は、出口へと向かうアレクさんに制止の声をかけ、皆の方を振り向いた。
……私が『見た』光景、『聞いてしまった』悲痛な叫び声。
「ルイヴェルさん、サージェスさん……。ユリウスさんは今、どこにいるんでしょうか」
私が強い不安と共に問いかけた言葉は、サージェスさんの眉をピクリと反応させた。
アイスブルーの眼差しが、一瞬感情の揺らぎを強く表に表すかのように濃くなり、コクリと頷きが返って来る。
「ユリウスは、クラウディオと一緒に『場』の調査に行ってたんだけどね……。さっきの力の気配の出所を探る為に探査の術をかけたら、……」
「――っ!!」
「ユキちゃん、その様子だと……何かを感じたのかな? さっき、ユリウスに何かがあった事を察するみたいに、聞いてきたよね?」
「……」
出来れば……、外れてほしかった。
私が見てしまったものは、ただの意識の混乱が見せた偽物なのだと……。
あんな恐ろしい光景が本当にあった事なんて……、思いたくなかったのに。
「ユリウスが『場』にいるのは確かだよ。クラウディオの方は……、どうやら気配が皇宮内にあるね。一人だけ、……『助かった』って、事かな」
「そ、そんな……っ」
自分の同僚でもある人達に何かが起こったかもしれないのに、サージェスさんは焦るでもなく、動じて青ざめるでもなく、ただ冷静にユリウスさん達の現状を推測し語った。クラウディオさんは皇宮内にいる。一人だけ……『助かった』。
その言葉が意味するのは、まるで……、ユリウスさんを含めた他の人達は、皆。
「は、早く……、助けに行かない、とっ」
「もう陛下の方も気付いているだろうからね。『場』で何が起こったのか、早急に調査をする必要があるし、俺は一度陛下の許に向かうよ。だから、ルイちゃん達はユキちゃんを部屋に」
「私も行きます……っ」
何だか、とても嫌な予感がするし、ユリウスさん達の身に何が起きたのかを早く確認したい。私はアレクさんの腕に支えられながら立ち上がると、歩みを鍛錬場の出口へと向けた。
「これは……、言っても聞かない感じかなぁ」
「ユキは頑固だからな。女帝陛下に会って事実確認をしない限り、部屋に戻って休む気は皆無だろう。アレク、その歩みでは陽が暮れる。抱き抱えて連れていけ」
「……わかった」
視界が浮上したかと思うと、アレクさんが私を腕の中で横抱きにし、出口へと歩いて行く。
やれやれと私の頑固さに肩を落とし苦笑するサージェスさんと、普段通りの冷静さを纏うルイヴェルさんが後から追ってくる。
けれど、鍛錬場の中で、ふと……どこか遠くを見るかのように視線を別の場所に投じていたカインさんの姿が見えた。
レイル君が、早く行こうと急かしている。……そして。
(……カイン、さん?)
促され下服のポケットに片手を差し入れたカインさんが俯いて……、その口許が微かな笑みを纏った気がした。
「すみません、アレクさん、ちょっと止まって貰えますかっ」
「え? あぁ……」
私はアレクさんの腕の中から後ろに向かってカインさんに声をかけた。
「カインさん」
「……ん? どうかしたか?」
真紅の瞳が前を向き、私の視線を捉える。
ついさっき視界に映り込んだ笑みは、もうそこにはない。
(気のせい……だったのかな)
「何もないなら早く行こうぜ。時間が勿体ない。それとも……、番犬野郎の腕じゃなくて、俺の方に抱き抱えてほしいのか?」
「なっ、何言ってるんですか!!」
私に向かって不必要な艶を含んだ眼差しを向け、ちょいちょいと指先で招くカインさんが、心配なんて無駄に思えるくらいに茶化してきたせいで、私は顔を真っ赤にさせて大声を上げた。
こんな時に人をからかうなんて、もうっ、何を考えているの!!
「アレクさん、止めてしまってすみません。行きましょうっ」
「……あぁ」
「くくっ……、番犬野郎の腕から落ちないようにな? ユキ」
「落ちません!!」
後ろからかかるカインさんの悪戯めいた声音にはもう振り返らず、私はアレクさんの胸に顔を埋めて玉座の間へと運ばれて行くのだった。




