『場』を覆う謎と淀んだ異変
ガデルフォーンにある『場』のひとつへと訪れた、
ガデルフォーン王宮魔術師ユリウスの視点で進みます。
――ガデルフォーン国内・とある『場』。【三日後】
――Side ユリウス
「あと少し……、と言った所でしょうかね。皆さ~ん、一度休憩をとってください」
再びガデルフォーン国内にある『場』に赴いた私は、一度作業の手を止めるように、部下の皆さんへと声をかけました。
「予定通りに作業が進めば、今日の夜には術隠しのベールの解呪が終わりそうですが……」
術のベールを剥がしていく行程において、その奥に隠されてある存在の正体を探るのもまた、私達術者にとっては必要不可欠な作業のひとつ。
調査を行っている自分達に危害が及ばないように、万が一の可能性があったとしても、その被害を最小限に食い止められるように……。
「しかし……、はぁ、見事に全部同じ結果ですね……」
出来れば、ひとつくらいは違う報告を見たかったんですが……。
ガデルフォーンの各地へ派遣した者達から集まって来た報告書には全て、ベールの奥に隠されている存在に関する結果報告が、『不明』と記載されていました。
術を行使し、尚且つ一人ではなく、複数の術者が力を合わせて特定をかける為の術を行ったというのに……、何度やっても結果は同じ。
報告書に書かれてある、『干渉しようとしても、得体の知れないうねる感触が伝わってくるだけで、正体が掴めない』とのこと。
うねる感触って……、私が思い付くのは、宰相であるシュディエーラ殿の触手ファミリーさん達の事ぐらいなんですが。
……まさか、最後のベールを剥がした途端に、触手の大群が襲って来るとかじゃないですよねぇ……。
(あ、今、ちょっとだけ想像したら悪寒がしてきましたよ……)
「おい、ユリウス。茶が入ったぞ」
「触手の群れ……、はぁ、出来れば外れてほしいものですが」
「ユリウス!! 茶を持って来てやったんだから、さっさと受け取れ!!」
「え? あぁ……、クラウディオ。すみません、ちょっと考え事に没頭していました」
廃墟となっている遺跡めいた場所の隅っこ、瓦礫の山の上に腰かけ報告書を捲っていた私の頭に、クラウディオの苛立った声と共に、紙コップが置かれました。
我に返った私は苦笑しながら謝ると、それを受け取りカップの中に視線を落とします。揺らめく水面……、ほどよい熱を宿した美味しそうなお茶……。
手のひらから伝わる温もりは、心の中の不安を溶かすようにじんわりと、優しい熱を伝えてくれるのに表情を和ませ、私はそれを一口含みます。
「……女帝陛下の命では、術隠しのベールを最後の一枚を残す所まで解呪し、そこでまた、奥に隠された存在を探る術を行使せよとの仰せでしたが……、何だか……雲行きが怪しい気がするんですよね」
「まぁな。事前に複数の術者が集まって術を行使したというのに、中身が一切掴めない段階で、厄介が潜んでいるのは目に見えているからな」
「もし、次に術を行使した時に、中身が判明しなければ……、陛下に御足労頂く必要が生じるでしょうね」
王宮魔術師団に所属する者達が読み取れないベールの向こう。
彼らの上に立っているのは、事実上、今のところは私とクラウディオなわけですが、本来、魔術師団長の任にある御方と、その側近である方が諸事情により国を留守にしている関係で、私達でその術を行使しても問題が解決しないようであれば、女帝陛下に現地へと来て頂くしかありません。
『宝玉』の恩恵を受ける女帝陛下の御力をお借りすれば、対象がどのような存在であろうと、その影は圧倒的な光の前に霧散し、全容を晒す事になるでしょう。
「その必要はない。最後の術隠しに到達すれば、俺とお前で何とか出来るだろう。陛下の御手を煩わせる事なく、な」
「あはは……そうですね。一枚一枚の術隠しのベールが強固な物である事も原因でしたし、流石に最後の一枚ぐらいになれば、私達二人でどうにかなりますかね」
「仮にも王宮魔術師の位を拝命しているんだ。これで何もわからなかった、では、師団長と参謀が戻って来た時に相当の嫌味を喰らうぞ」
「あ~……、目の前でぬいぐるみを縫われながら睨みつきで言われそうですね」
ガデルフォーン魔術師団の団長殿は、まぁ、参謀殿よりは普通なんですけどね……。
部下がミスをしたり力不足で助力を頼んでも嫌味のひとつ言いませんし、人としては出来た方ですよ。
ですが、問題はその側近でもある副団長の方なんですよね……。
思った事を素直に口にする方でもありまして、……はぁ。
もし女帝陛下に御助力頂いた後に、陛下の熱心な信奉者でもある副団長殿にそれが知られたら、嫌味が延々と……。
「クラウディオ、何とか私達の力で頑張ってみましょう」
「だな……」
中のお茶を飲み干し、瓦礫の山から立ち上がると、クラウディオも同じく歩みをテントの方へと向け、肩を並べて歩き出しました。
一時間の休憩の後、『場』に仕掛けられた術隠しのベールを剥ぐ作業が再開します。
その前に、ガデルフォーンの各地に派遣している者達には、再度の注意も含め、絶対に最後の一枚は残すようにと伝えなくてはなりません。
念には念をと、注意深く事を進めなくてはなりませんから。
「皆さんもわかっているとは思いますけど、こういうのは何度も言い重ねないと、後々困りますからね……。はい、クラウディオ」
テントの前に設置されている長机に並んだサンドイッチのひとつを手に取り、腕を組んで思案に耽っている様子のクラウディオに手渡し、外用の簡易的な椅子に腰かけ廃墟となっている場所をゆっくりと眺めました。
この廃墟は、元々神殿の役割を果たしていた建築物でもあるのだが、古の時代に出現した魔獣が引き連れた大群によって攻め滅ぼされ、周囲には何もなかった事から、そのままの姿で放置され、歴史の流れと共にその存在を薄れ消えゆくものだと認識されています。廃墟の周囲には、ただ虚しく草原の葉が風に揺られそよぐのみ……。
『チィ……』
「おい、ユリウス。お前のペットが餌を強請ってるぞ」
「あぁ、そうでした。ちょっと待ってくださいね」
視界に映っていた寂しげな景色から振り向いた私は、一緒に連れて来ていた小鳥に餌をやる為、テントの中へと向かいました。
最近、どこかへと行方不明になっていた水色の小鳥が、今日の朝になって戻って来たかと思えば、調査へと向かう私の肩に乗り、ここまで付いて来てしまったのです。
元々、女官の皆さんに世話を頼んであったとはいっても、自然の生き物でしたから、ふらりといなくなるのはいつもの事。だから、それほど気にはしていませんでした。
「お待たせしてしまって、すみませんね」
休憩に入る少し前までは、周辺を自由に飛び回っていたのですが、ここに戻っていたんですね。
荷物から小鳥用の餌を取り出し、肩へと止まった小鳥に差し出すと、小さな嘴でそれを啄んできました。可愛いですねぇ。
「チィ~っ、チイッ」
「美味しいですか?」
「チイイッ」
――バサッ……。
小鳥に餌を食べさせていると、眉根を寄せたクラウディオが中へと足を踏み入れ、自分の荷物から幾つか必要な物を取り出すと、……。
「どうしました? クラウディオ」
「その鳥の事なんだが……」
「はい? この子が何か」
「……」
クラウディオは、私の方を向いてじっと青の視線を細めました。
視線は……、私に、というよりも、……肩へと注がれているような気がしますが、一体どうしたんでしょうね。
「……調査の邪魔にならないように、きちんと管理をしておけ」
「あぁ、なるほど。はいはい、この子の事はしっかりと見ておきますから大丈夫ですよ」
どうやら、この小鳥が調査の妨げになるのではと案じていたようですね。
クラウディオは、少々神経質な所もありますが、心配性な部分もありますから、色々と心配なんでしょう。
「俺は経過報告の為に一度戻るが、後の事は頼むぞ」
「はい。陛下への報告、よろしくお願いしますね」
「……あぁ」
クラウディオは出て行く間際、もう一度私の方へと振り向き、何か意図を含んだ険しげな視線を寄越してきました。
けれど、開きかけた唇は音を紡ぐ事はなく、テントの外へと足を踏み出したクラウディオは、そのままガデルフォーン皇宮へと戻ってしまいました……。
「どうしたんでしょうね……」
いつもなら、何か気になっているのなら必ず口に出してスッキリさせる性質の人が、言葉を濁すように曖昧にして去っていくとは……。
私は肩の小鳥と共に首を傾げながら、簡易的な寝台へと腰を下ろしました。
「ふぅ……。最近徹夜が続いているせいか……、少々眠いですね」
「チィ……、ピピっ」
「おや、貴方もですか? そうですね、丁度休憩中ですし、少しだけ眠りましょうか。仮眠でもとっておかないと、あとが辛いですからね」
時間になったら起きられるように目覚まし時計をセットした私は、小鳥が枕元に身を横たえるのを微笑ましく眺めながら、寝台に寝そべりました。
ほんの少しだけの休息ではありますが、全くないよりはマシでしょう。
短い睡眠時間でも、身体がそれを長く感じられる為の術を自身にかけ、私は瞼を閉じました。
普通に眠るよりは、睡眠の質も良くなり、疲労の軽減にも良い影響がもたらされますから。
―― 一時間後。
「ふぁぁ……。ふぅ、そろそろ再開、ですかね」
「チイッ」
予定の時間を迎え、私は寝台から身を起こしました。
何とか夜までにはベールを最終段階まで剥がし、奥に潜む存在を探らなくては……。
ガデルフォーンを不穏へと招く可能性のある種は、速やかに排除を。
それが私達王宮魔術師の役目でもあり、私が今成すべき最優先事項です。
――……ゴゴ……ゴゴ……。
「ん? ……揺れて、ます、かね?」
「チイィィィッ……!」
微かに感じる振動の気配……。
目を覚ましていた小鳥が、テントの入り口の隙間から外へと踊り出し消えていく。
足の裏に感じる揺れは、……徐々に強くなっている気がしますが。
すぐさま探査の術を地面へと走らせた私は、この揺れが、『場』の中だけで起こっている事を感知しました。
それから、……何か、強い術の気配が。
――バサァアアッ!!
「ユリウス様!! 大変です!! すぐに外へお越し下さい!!」
テントの入り口から布扉を乱暴に捲り上げ飛び込んで来た術者の女性が、青ざめた様子で私を外へと促しました。
確かに、この『場』一帯を包み込む『陣』の気配を感じますが……これは。
今までに感じた事のない魔力……、いいえ、『これ』は、魔力というには……あまりに禍々しい。
外へと出た私は、頭上をふり仰ぎ……その異様な光景に、息を呑みました。
「何……、ですか? ……『これ』はっ!!」
「わかりませんっ、急に……!!」
空を埋め尽くす……目にした事のない夥しいまでに複雑怪奇な紋様を描く……『陣』。
陣を発光させているのは、見る者の心を不安と恐怖で満たすかのような不吉極まりない……、普通の黒銀とは違う、禍々しい気配を纏う淀みきった『黒銀』。
それは、吐き気さえも伴うかのように、見ているだけでも魂を底まで汚染されるかのようで……。
「ユリウス様、取り急ぎあの陣の分析を行いましたが、……魔力反応がありません。術を構成する陣であるのは確かなのですが」
私を呼びに来てくれた彼女は言い淀み、表現すべき言葉が見つからない様子を見せています。
「瘴気……、でもなく、……それよりも、……もっと……深く……濃い……闇」
それを何と呼ぶべきなのか、空に浮かぶ『陣』を構成している力が何なのかが、わかりません。
生まれてから今日に至るまで……、一度も感じた事のない気配なのですから。
「良い物……では、ないのでしょうが」
あの『陣』が何の目的で私達の頭上に現れたかはわかりません。
ただ、害を成す存在である事だけは明確で、皆の心を支配し状況の判断を鈍らせています……。
「ユリウス様!! 『場』に仕掛けられた術隠しのベールに異変が!!」
「異変? こんな時にですか? 状況は?」
「べ、ベールが、勝手に次々と解呪され、剥がれていきます!!」
『謎の陣』だけでも今は面倒だというのに……。
私は部下の皆に『謎の陣』を無効化する為の術と、何が起こっても良いように、防衛の為の大規模な術を展開するように命じ、術隠しのベールに起きた異変を探るように指示を出しました。
そして……――。
「……!!」
全ては一瞬の出来事でした……。
『謎の陣』が淀んだ輝きを増し、一度目を焼くほどに強く大きな光を放ったのです。
――そして、……私達は。