穏やかな夜
ルイヴェルさんと仲直りをしたその日の夜。
レイフィード叔父さん以外の皆さんは男性用の大浴場に向かう事になり、私は自分の部屋で叔父さんと一緒に、のんびりと寝るまでの時間を過ごす事になった
テーブルの上には、女官さんが運んで来てくれたお茶が二つ並んでいる。
「あ、ユキちゃん。丁度皆席を外している事だし、ウォルヴァンシアにいる兄上達と話でもしようか」
「お父さん達とですか?」
「うん。ちょっと待っててね~」
左腕の手首に嵌めていた、銀装飾に蒼色の綺麗な石があしらわれている腕輪を外したレイフィード叔父さんが、それをテーブルの上へと置き、短い詠唱を紡ぐ。
すると、目に優しい淡い光が宙へと集まり、人の姿を映し出した。
長く艶の良さそうな……、漆黒の髪。少し痩せこけたように思えるお疲れ気味のお顔……。こちらを見ている瞳の色は眠たげな真紅。
「……え?」
『ん?』
「あ」
その人の顔を見た瞬間、私が疑問の声を上げたと同時に、レイフィード叔父さんが通信用の光を霧散させた。
……あれ? 今見えたのって……、カインさんのお父さんだったような。
夜着に身を包み、欠伸を噛み殺しながら通信先である私達を見た時の、少しあどけなさを感じた意外な表情。それは、息子であるカインさんに、とても良く似た表情だった。
「いやぁ、変な所に繋がっちゃったね~。僕とした事がうっかり間違えちゃった。さてと、じゃあ今度こそ兄上達に……」
――パァアアアアアッ!!
『こら~~!! レイフィードぉおおおおお!!』
「い、イリューヴェル皇帝さんっ」
レイフィード叔父さんが強制的に終わらせたはずの通信。
今度はイリューヴェル皇帝さんの方から通信が入り、今にも光の中から飛び出してきそうな勢いで、レイフィード叔父さんに噛み付き始めてしまう魔性の美貌の皇帝様!!
『お前もディアーネスも、俺がカインの事を心配して連絡を取ろうとしているのに、毎回毎回繋がった瞬間に強制終了しおってからに!! その上今度は何だ!! そっちから繋げて来たかと思えば、即強制終了か!! いい加減、俺をおちょくるのも大概にしやがれ!! この腹黒野郎が!!』
イリューヴェル皇帝さんが、完全に我を忘れているっ!!
しかも、最後の方は、カインさんと同じような喋り方になっているのだけど、もしかして、そっちの乱暴な物言いの方が素なんですかっ!?
カインさんと罵倒の仕方がそっくり!! 流石親子……!!
だけど、そんな怒りの衝撃を受けてもレイフィード叔父さんは全く動じてない。
「君の息子は多少手荒く扱ったところで、父親に似て頑丈でしぶといから、その辺は心配ないって、何回も言ってあげただろう? それなのに、毎日何度も何度も……、強制終了、通信拒否は仕方ない処置だよ、うん。ちなみにさっきの通信は、間違っただけだから、以上」
『お前という奴は本当に血も涙もない奴だな!! ユキさん!! こんな男を叔父にもった貴女は本当に可哀想だ!! 傍にいると悪影響しかないから、離れておいた方が良い!!』
「失礼な事を言わないでくれるかな!! ユキちゃんを愛する叔父である僕が悪影響!? 家族・親族・民を心から深く愛する僕に対して良い度胸だね!!」
「れ、レイフィード叔父さん、落ち着いてください!!」
テーブルに身を乗り出してイリューヴェル皇帝さんと言い合いを始めたレイフィード叔父さんの腕にしがみついて止めに入ると、叔父さんが何とか我に返ってくれたお蔭で、言い合いは激化しないで済んだ。
ほっと胸を撫でおろし、私はレイフィード叔父さんと共に椅子に座り直す。
イリューヴェル皇帝さんも声を荒げて大人げない真似をしてしまったと、私に頭を下げてくれた。
『ディアーネスの所に預けているというだけで、過去の面倒事が思い出されてな。どうにも、心配で心配で、親としては気になるのだ』
「あはは……。まぁ、確かに、カインさんは毎日訓練も受けてますし、色々大変ですけど、基本的に元気にやってますよ」
「安心したまえよ。カインを鍛える任を与えられているのは、ガデルフォーンの騎士団長君だからね。ディアーネスじゃないだけマシだろう?」
『ふんっ、ディアーネスに仕えていられるような奴が、普通であるものかっ。どうせアイツに似て、根性の捻くれまがったドSに決まっている!!』
……根性が捻くれているかはちょっとわからないけれど、確かにサージェスさんは一筋縄じゃいかない人だし、最初の訓練の時なんてカインさんを完膚無きまでに……。
思い出しただけでも背中に恐怖の光景が浮かんでは冷汗と共に伝い落ちていく。
イリューヴェルさんに伝えたが最後、とんでもない事に展開しそうな気がするし、……うん、私の心に仕舞っておこう。
「はぁ……、家族愛に目覚めてから、君本当に面倒な人になったよねぇ……。心配のしすぎにでもほどがあるよ? まったく。カインだって、自分から望んで訓練に励んでるわけだし、父親として生温か~く見守ってやったらどうだい?」
『信頼できる者にカインを託すのなら、俺だって文句は言わん!!』
「ディアーネスだって、十分に信頼できると思うけど?」
『嘘満載の信用出来ない顔で言うな!! 信用できる奴だと、何の心配もないとわかっているなら、お前だって自分の姪御が遊学に行く事を渋りはしなかったはずだろう!!』
「うっ……」
ビシィッ! と、イリューヴェル皇帝さんから通信越しに人差し指を突き付けられたレイフィード叔父さんが怯んだように一歩後ろに下がった。
不味い所を突かれた、と、レイフィード叔父さんの表情が物語っている。
『大体、ユキさんの隣にお前がいるという事は、姪御を心配するあまり、追いかけて行ったんだろうが!! しかも何だその姿は!! 一国の王が騎士服に身を包んで若返り効果バッチリか!!』
「失礼だな!! 僕はいつもの姿の時だって、若々しいよ!! 大人の魅力漂う素敵な紳士だよ!!」
「あ、あのお二人共っ、少し落ち着いて……」
『所詮、俺の事をとやかく面倒だ何だと言ったところで、お前自身の方が、何倍も姪御にべったりの鬱陶しい奴ではないか!!』
「グラヴァード、僕に喧嘩を売りたいなら買ってあげるけどね? そうなると君……。完膚なきまでに精神をボコボコにされちゃうけど良いのかな?」
私の制止の言葉なんて、今のお二人には何の意味もなかった。
通信の光を纏うイリューヴェル皇帝さんを黒い気配全開で見据えたレイフィード叔父さんが、宣言通りに精神的な攻撃を始め、向こう側ではイリューヴェル皇帝さんが耳を塞ぎながら身悶えている。
『うぉぉおおおおっ、やめろっ、やめろぉおおおおおっ!!』
「は~はっはっ!! もっと言ってあげるよ!! 学院時代の、君の黒歴史の数々をっ!!」
……私、どうすればいいんだろう。
もう止める役も出来そうにないし、ただ椅子に座って聞いているっていうのも……。イリューヴェル皇帝さん的には過去の話を大暴露されて、それを聞かれているのは辛いだろうし……。
「……ニュイッ」
「あ、ファニルちゃん、起きたの?」
ベッドの方で気持ち良さそうに眠っていたファニルちゃんが、叔父さん達の言い合いの声に眠りを邪魔されてしまったらしく起きてしまったようだった。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて来ると、私の膝の上に飛び乗り、ひと欠伸しながらレイフィード叔父さん達を眺めはじめた。
「ニュイ~」
「いつになったら治まるんだろうね……、叔父さん達の喧嘩」
ファニルちゃんと顔を見合わせそう呟いた私は、ゆっくりと自分の瞼が落ちそうになるのを必死に堪えながら待っていたけれど……。
結局それから暫くの間、レイフィード叔父さんとイリューヴェル皇帝さんの言い合いが止む事はなく、私はファニルちゃんを膝に乗せたまま、テーブルへと顔を突っ伏してしまっていた……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
―― 一時間後。
「両陛下にお願い申し上げます……。いい歳した大人二人が、ユキ姫様を放って長々と大声で言い合いを続けるというのは、確実に褒められた事ではないと思いますが、自覚されておられますか?」
……ん。何だろう。すぐ近くで、ルイヴェルさんの淡々とした喋りが聞こえてくる。私は夢の中を揺蕩っていた意識が現実に還るのを感じながら、瞼を開いた。
視界の端に白衣の裾が見える……。
「ルイヴェル……さん?」
左上を見上げると、いつもの白衣姿に身を包んだルイヴェルさんが腕を組んで立っており、その冷たい視線の先には……。
何故か絨毯に正座して項垂れているレイフィード叔父さんと、テーブルの上に浮かんでいる光の中で同じ姿勢でプルプル震えているイリューヴェル皇帝さんの姿が……。
何でこんな状態に!? まるで、ルイヴェルさんにお説教でもされているかのような光景だ。
「ルイヴェル、本当にごめん。僕達、ちょ~っと羽目をね、外し過ぎたというかっ、あはは……、本当にごめんなさい」
『すまなかった……。レイフィードの奴があまりにも俺の心を踏み躙るもので……』
「喧嘩をするのは好きにして貰って構いませんよ? ですが、それは誰の迷惑にも、邪魔にもならない辺境の片隅にでも行ってやってください」
「『はい……』」
一国の王様達が……、ルイヴェルさんのお説教に素直に頷いている!!
私は目を大きく見開きながら、一体何がどうなってこんな事になったのかと困惑した視線をルイヴェルさんへと投じると、それに気付いたルイヴェルさんが「起きたか」と口にして、幾分か和らいだ気配へと変わった。
「ルイヴェルさん、今日は一日しっかり部屋で休む予定でしたよね?」
私と仲直りをした後も、サージェスさんや私からの勧めもあって、ルイヴェルさんは今日いっぱいはお休みになっているはずだった。それなのに何故……。
ルイヴェルさんの姿を眺めていると、白衣の下が夜着である事に気付いた。
あぁ……、なるほど。休んでいたのに、出て来なくちゃいけないくらいにレイフィード叔父さんとイリューヴェル皇帝さんの言い合いが、私の寝ている間に激化したんだな、これは……、と納得に至った。
それも、ベッドでゆっくり休んでいるルイヴェルさんが止めに入らざるを得ないぐらいに騒々しい声が響き渡っていたに違いない。
そして、それに対して、あえて怒鳴るでもなく、淡々と冷静な声音でお説教をしているルイヴェルさんがまた、内面で燻っているであろう苛立ちを押し殺しているようで、若干怖いっ。
「本当は明日の朝まで休ませて貰おうとは思っていたんだがな……。あの騒々しさを耳にしたせいで、仕方なくだ」
「あはは……、お、お疲れ様です」
ルイヴェルさんがレイフィード叔父さん達の騒動を収めに部屋へと乗り込んで来た事さえ、私は全然気づけなかった……。
それどころか、暢気に気持ち良くすやすやと眠っていたのだから、代わりに場を収めてくれたルイヴェルさんには本当に申し訳ないというか、色々頭が上がりそうもない。
それからまた十分ほどお説教が続くと、大欲場に行っていた男性陣の皆さんが一旦私の部屋へと戻り、今日の深夜から朝にかけての護衛を誰にするかの話し合いとなった。
「あれ、そういえば、カインさんは……」
それぞれ自分の過ごしやすい場所に落ち着いた皆さんを見回した私は、一緒に大浴場に行ったはずのカインさんの姿がない事に気付いた。
「あぁ、皇子君ならねー、ちょっと夜風に当たりながら散歩してくるって言ってたよ。ま、男の子だから放っておいても心配ないでしょ」
「そうなんですか」
「それに、すぐ戻って来るって伝言も預かってるから、今の内に皇子君抜きで、今夜のユキちゃんを護衛する人を選ばないとね。はーい、護衛の立候補ある人、手を上げてねー」
まぁ、カインさんはウォルヴァンシアにいた時から、一人でふらりとどこかに消えてしまう事なんて日常茶飯事だったし、確かに心配はいらないかな。
サージェスさんの声に応える様に、私は皆がわいわいと談笑する様子を眺めながらファニルちゃんのプニプニな肉球を触り始めたのだった。




