訓練の中止と王宮医師の眠り
――Side 幸希
「……」
目を瞑り、胸の前に両手を持ち上げ、中心に何かを囲うように固定する。
呼吸を整え、私の中に在るルイヴェルさんの魔力の流れを探す……。
「…………」
身体の中心が熱を持ち、魔力の奔流を捉えた私の鼓動が強く脈打つ。
どうか力を貸してください、とルイヴェルさんの魔力に声をかけ、具現化したい要素を頭の中に思い描く……。
「……っ」
両手の中心に、優しい風の感触が生じたのを肌で感じた私は、その小さな流れを意識の中で育む……。
もっと……大きな流れへと変えないと。
さらに自分の中で確かな鼓動を打つルイヴェルさんの魔力に集中し、具現化をより強く鮮明にイメージしていく……。けれど。
「……っ」
昨夜の、ルイヴェルさんが倒れた時の光景が、唐突に頭の中に浮かび上がってしまう。
「うぅ……っ」
そこで集中力が途切れるのを止められず、手のひらの中に在った風が一瞬で霧散してしまった。
「……あ」
「うーん、途中までは上手くいってたんだけどねー……。ユキちゃん、何か別の事でも考えちゃった?」
ガデルフォーン皇宮敷地内の一角にある鍛錬場。
サージェスさんやカインさん、そしてアレクさんとレイル君に術の訓練を見守って貰っていた私は、瞼を開け、自分の胸元に視線を落とした。
さっきまで在ったはずの風が、もう、どこにもない……。
「すみません……、もう一回挑戦してみます」
「……ちょっと、休憩しようか。何だかユキちゃんの中で訓練の妨げになっている要素がありそうだし、そろそろ、ルイちゃんが渡した魔力が足りなくなる頃だろうしね」
「あ……」
頭をポンポンと軽く撫でられ、休憩を告げられた私は、サージェスさんに促され、鍛錬場の入口付近にあるソファーへと連れて行かれた。
サージェスさんは鍛錬場の隅にある台座のような物に嵌っているクリスタルに何か言葉を掛けると、私達の方へと戻って来る。
「少ししたら飲み物と軽食が来るから、それまでちょっと話でもしてようね」
「はい」
なるほど。その為にあのクリスタルを使って連絡を取っていたのか。
サージェスさんは私達の前に立ち、さっきの話の続きをし始めた。
ルイヴェルさんからお借りしている魔力が底をつけば、術の訓練の出来なくなる。
だから、追加の魔力を貰いに行こうね、と。
「あの……、ルイヴェルさんからでないと、駄目、なんでしょうか?」
「俺や皇子君達でも別に良いんだけどね……。急に別の人の魔力を扱うのは負担が大きいと思うんだよ。だから、引き続きルイちゃんの魔力を……って、ユキちゃん?」
話の途中でサージェスさんが言葉を紡ぐのを止め、私の顔の前で手をひらひらと振った。
「おい、ユキ。大丈夫か? 顔色が微妙にまずい事になってんぞ?」
「体調でも悪いのか? 辛いなら部屋まで俺が運ぶが……」
「ユキ、……ユキ?」
サージェスさんと顔を見合わせたカインさん達が、どこか遠くへといっている私の意識を引き戻そうと声をかけてくれている。
けれど、私の頭の中には、減ってしまった魔力をルイヴェルさんから補給して貰わないといけないという難題で、ぐちゃぐちゃぐちゃ。
現在ルイヴェルさんは、体調を崩し熱を出してお部屋でお休み中……。
日頃の疲れが出たのだろうという話だったけれど、どうしても私には、昨夜ルイヴェルさんに放った二回目の『大嫌い』が原因な気がしてならない。
ルイヴェルさんの自業自得とも言えるけれど、……何となく心の中に罪悪感みたいなものが在るわけで、その……。
(ど、どうお願いすれば……っ)
また、そっぽを向かれて不機嫌になられたらどうしようかな~とか……。
実際の本音を言えば、お見舞いに行こうとは思ったものの、どうやって話をしようかなとか、ルイヴェルさんの機嫌どうなのかなとか、気になる事は幾つかあるわけで……。
「お前、何深刻そうな顔してんだよ。ルイヴェルのとこまで行って、魔力貰ってくれば済む話だろ」
事はそんな簡単な話じゃないんです、カインさん!!
アレクさんとカインさんは、ルイヴェルさんが倒れる前の事を知らないから仕方がないのだけれど、今の私にとって、ルイヴェルさんに魔力を分けて貰いに行く事は、難易度高レベルの山に緒戦するようなものなんです!!
もう、回れ右をして全力で逃げたくなるほどに!!
「あはは。ユキちゃん、もしかしなくても、ルイちゃんと会うのが気まずいのかな?」
「うっ」
「まぁ、仕方ないかもねー」
「どういう事だ? サージェス」
「ユキ、ルイと何かあったのか?」
はい、大いに面倒な事がありました。……とは、なかなか言えず頭を抱えていると、サージェスさんが見事に、
「『大嫌い』の一言で、ルイちゃんを沈めちゃってねー」
大暴露よろしく、皆の前で事の経緯を話してくれてしまった!!
「まぁ、自業自得の末のぶっ倒れだったから、気にしなくても良いんだけど……。そっかそっか、やっぱりまだ気まずいよね。……よし、じゃあ」
「もしかして、サージェスさんがルイヴェルさんから魔力を貰ってきてくれるんですか!?」
何という希望に満ちたお言葉!! 今までにないほど輝いて頼もしく見えるサージェスさんに、私は胸の前で両手を組み、神様を目にするような気持ちで視線を向けた。しかし……。
「このサージェスお兄さんが、ルイちゃんのとこまで一緒に連れて行ってあげよう!! 大丈夫だよ、傍でユキちゃんを応援しながら、魔力が貰えるように場を見守ってあげるから!!」
あぁ、結局、ルイヴェルさんと顔を合わせて話すというのは、決定事項ですか……。目の前で打ち砕かれた希望のせいで、私はがっくりと肩を落としその場に倒れそうになってしまう。
それをアレクさんが肩を支えて元の状態に戻してくれるのを手伝ってくれたのだけど、何故か、物凄く辛そうな顔を向けられてしまった。……どうして?
「『大嫌い』か……。それをユキに言われたら、俺も間違いなく大ダメージ喰らうな」
「……あぁ」
小声で何か呟いたカインさんに同調するように、アレクさんがコクリと頷いて同意している。
私にはその中身までは聞こえなかったのだけど、……珍しく二人が同調しているのを見てしまった。
「そこの二人、ルイヴェルと自分達を重ねて考えるのはどうかと思うんだが……。ユキ、話しにくいのなら、俺がルイヴェルに話をしておくから、どうしても無理だと思うなら、行かなくても良いからな?」
「ありがとう、レイル君……」
「うーん、でも、どの道、ルイちゃんとは話をしておいた方が良いとは思うよ? これからの事もあるし、……何より、二人の心情的にすっきりしないでしょ」
「……」
サージェスさんの指摘は、確かに私が感じていた事で……。
ルイヴェルさんと話すのを先延ばしにすれば、それだけ顔も合わせにくくなるし、お互いの間に溝が出来そうな気がしないでもない。
「だから、ね? 俺と一緒に、夕方でもいいから、ルイちゃんのとこに行ってみない?」
仲を修復するなら早い方が良い。
サージェスさんのにこっと愛想の良い眼差しの中に、私とルイヴェルさんの事を気遣う優しさを感じた私は、その言葉に頷き、夕方にルイヴェルさんの許を訪れる事になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お邪魔しまーす。ルイちゃん、生きてるー?」
サージェスさんを先頭に、ルイヴェルさんが休んでいる部屋へと訪れた私達。
中から返事はしなかったけれど、サージェスさんは構わずノブを回し中に入って行く。
「あ、あの、サージェスさん、勝手に入って良いんでしょうかっ」
「問題ないない。お、まだ寝てるみたいだねー。顔色は悪いけど……、うん、ちゃんと生きてるからだいじょーぶ」
先に入ったサージェスさんが寝台へと向かい、そこに眠る人の容体を確認すると、能天気な声音を響かせて、私達を中へ招いた。
サイドテーブルには、いつもルイヴェルさんが掛けている眼鏡が置かれている。
サージェスさんが勧めてくれた寝台側の椅子に腰かけ前の様子を窺うと、眠りに就いているらしきルイヴェルさんの、少し苦しそうな寝顔があった。
眉根が寄って、時折小さく何か低く唸っているけれど……、本当に大丈夫なのかな。
心配が胸の中に沁み渡っていくのを感じながらルイヴェルさんを見ていると、サージェスさんが横から腕を伸ばし、寝ているルイヴェルさんの額に手のひらを乗せた。
「……うーん、まだ熱が高いね。呼吸もきつそうだし、……睡眠状況は最悪と言ってもいいかな、これは」
「大丈夫なんでしょうか……」
「ま、ルイちゃんだしねー。放っておいても死にはしないと思うけど……」
そこまで口にして、サージェスさんは急に何かを思い付いたように人差し指をピンと上に立てると、急に部屋の出口に向かい始めた。
「サージェス、どこ行くんだよ」
「ルイちゃんに効きそうな薬を取りに行こうと思ってねー。あ、皇子君と副団長君とレイル君も一緒に来て貰えるかな?」
「ユキの護衛がいなくなるだろう。俺はここに残る」
「ルイヴェルがいるとはいっても、動ける様子ではないしな。俺もここに残ろう」
「俺だって、テメェのパシリにされる義務はねぇからな。一人でさっさと行って来いよ……って、うわあああっ!!」
「か、カインさん!?」
サージェスさんの誘いを断った三人の身に、突然よくわからない事態が起こってしまった。
何故か、行かないと抵抗する三人が、言葉とは真逆に扉へと向かって歩き出す。
その様子は、困惑しながら見ている私からすると、お人形が操られるようにギクシャクと動くようにも思えて……。ん? サージェスさんの指がチョイチョイと手招きしている。
「この部屋には俺が結界を張っとくから大丈夫だよ。さー、俺と一緒に行こうか。おいでおいでー」
「クソッ、この爽やか腹黒野郎!! 俺は行かね、……ぐっ」
「はぁ……。術を使われると打つ手なしだな。破れない事もないが、……仕方ない」
「俺ぐらいは残っても良いと思うんだが……」
――パタン。
「……」
何で私はおいて行かれたんだろう……。
皆の様子にぽかんと見入っていた私は、扉が閉まる音と同時に我に返ると、重大な結論にいたった。
(ルイヴェルさんと二人きりにされたー!!)
い、意識はないようだけど、……こ、このまま、ここにいろと?
もしルイヴェルさんが途中で起きてしまったら、どんな顔をして話をすれば良いのか……。
私は落ち着かない気持ちで室内を見みまわす。
部屋に隅に積まれた魔術書らしき本の山と、テーブルの上には書類の束がこじんまりと纏められて置いてある。
他国に来ても、魔術の事ばかりなんだな、ルイヴェルさんは……。
(私がぶつけた言葉のせいだとは思うけど、……やっぱり他国に来た疲れもあったのかな)
ガデルフォーンに滞在して、早十日と少し。
ルイヴェルさんには、ウォルヴァンシアにいる時以上にお世話になっていたし、心配もかけた。
それに、ガデルフォーンの王宮魔術師の人達との調査や、魔物達との戦闘……。
疲労が溜まらない方がおかしいのかもしれない。
寝台で眠るルイヴェルさんの顔を眺めてみると、さっきと同じように寝心地の悪そうな表情をしているのが見えた。
眼鏡をしていない顔は、普段とは違い新鮮なもので……。
「……あれ?」
ふと、私の中で何か……、既視感のような感覚が走った。
それは明確な形は持たなかったけれど、この顔を、……正確には、眼鏡を外したルイヴェルさんの姿を、どこかで見た事がある気がする……。
(ウォルヴァンシアに来てから、ルイヴェルさんの素の顔を見た事は……)
以前にも見た事があっただろうかと記憶を探るけれど、該当するようなシーンは浮かんで来ない。
(それに、もっと……、昔の事のような……、気が)
「……うっ」
像を結ばない既視感を持て余していた私は、ルイヴェルさんの苦しそうな声を聞いて我に返った。身動ぎしているせいで、上掛けの毛布がずれてしまい、その上半身が露わになってしまう。
『その光景』を見てしまった私は、慌てて視界を手のひらで隠した。
(こ、この人、どういう恰好で寝てるのー!?)
さっきは肩まで毛布が掛かっていたからわからなかったけれど、現在、目の前にある光景は……。
多分、着替える途中で寝始めたみたいなシャツのはだけ具合のせいで、鎖骨から胸の辺りが見えてるし、お腹の部分も以下同文……。
シャツのボタンは中途半端にずれて留まっているし、これ、絶対に着替える最中に眠り込みましたみたいな恰好にしか思えないっ。
完全に上半身裸なのもやめてほしいけど、これも相当際どいというか、恥ずかしすぎて堪らないのだけど!!
「も、毛布を掛けないと……っ」
毛布を掛けてしまえば、視覚的に問題はない。
私は見ないように見ないようにと注意しながら、避けられてしまった毛布を探し当て、それを手繰り寄せると、ルイヴェルさんの身体の上に掛け始めた。
(そ~っと、そ~っと……!)
お腹の辺りからやっと胸の辺りまで毛布を引っ張り上げる事に成功した私は、もうちょっと、とさらに毛布を上の辺りに掛けようとした……、その瞬間。
「――っ!!!!!!」
悲鳴をあげなかった自分を内心で拍手した私は、自分の左手首を掴んでいる存在をぎょっとしながら見下ろす。
そして、その腕の先を辿っていった私は、歓迎したくない事態を目の当たりにした。
「……」
「……」
る、ルイヴェルさんの深緑の双眸が、いつの間にか私を捉え、じっと見つめていた。私の手首を握る力は、熱のせいか少し汗に濡れていて、触られているだけで熱が移ってきそうな、少しだけ脆さを感じさせる強さで……。
私を見つめる瞳には、いつもの冷静さはなく、夢と現実の境目にいるかのように自我が薄れているようにも思えた。
「ルイヴェル……、さん?」
おそるおそる声をかけてみると、ルイヴェルさんは小さく何かを紡いだ。
けれどそれは、音として捉える事は出来ず、私はこの状態をどうすべきかに思考を持って行かれる。
一、今すぐにこの手を振り払い部屋から逃げる。
二、あえて顔を寄せ、何を言っているかを聞き取る。
三、とりあえず皆が戻ってくるまで固まっておく。
四、好奇心を胸に、このままどうなるのか観察してみる。
……って、まず一番はサージェスさんが結界を張っているから無理!!
他の項目も、私にとっては精神的に辛いものが多いわけで!!
「……ユキ」
「は、はいぃいい!!」
小さな呟きをしていたかと思ったら、今度は少し確かな音で名を呼ばれ、私は背筋をビクッと震わせて条件反射のごとく大きな声で返事をしてしまった。
ど、どうしよう。今ので、完璧に起きたような……。
「……」
せ、セーフ……、かな? ルイヴェルさんはどうやら寝惚けているらしくて、多分半分ほどは夢の中にいるらしい。
私の手は離さないものの、その目が眠りへと戻るようにうつらうつらとしながら瞼を閉じていく。
――……。
僅かな時間の後、ルイヴェルさんはまた夢の中へと完全に戻ってしまい、私は安堵と共にもう片方の手で胸を撫で下ろした。
よ、良かった……。もし、今起きられた所で、どう接したら良いものか焦っていたから、私としては夢の世界にルイヴェルさんを呼び戻してくれた眠気に心から感謝する。
「でも……、手は放してくれないんですね。ルイヴェルさん」
左手首を掴まれたまま、私は困ったな~と肩を落としながら、溜息を吐いた。
サージェスさん達はどのくらいでここに戻って来てくれるんだろう……。
扉の方に視線を向け、耳を澄ませるけれど、……静かなまま。
誰かがこの部屋に近づいてくる気配は感じられなかった。
「どうしよう……」
手首を包む熱に戸惑いながらも、その手を外す事は出来ず……。
「ルイヴェルさん……」
少しだけ穏やかになった気がするルイヴェルさんの寝顔を見つめながら、私は皆が戻ってくるまで、その眠りを見守る事にしたのだった。




