女帝の過去と紅の再会者
「女官がお前達を呼びに行ってもおらぬと報告をしてきたのでな」
「す、すみませんでした!! か、勝手に入ってしまって、あ、あのっ」
「構わぬ。皇宮内を好きに見て歩けと言ったのは我だ」
「は、はぁ……、でも」
ディアーネスさんは槍を消し去ると、絨毯に横たわっていたキャンバスを持ち上げた。
その姿は、過ぎ去った想い出に心を委ねているようでもあり……、同時に、辛そうな光をその瞳に宿しているように思う。
女帝として、隙のない冷静沈着な凛としたその姿に、……何だか頼りないものを感じてしまったのは、私の気のせいなのだろうか?
キャンバスを積み重なっている美術品の側に立て置くと、彼女はまたいつも通りの気配に戻ってしまった。
「あの……」
「ここは、ガデルフォーン皇家の者達に纏わる保管庫のような部屋だ。普段は鍵を掛けておるから、滅多に誰も近寄らぬがな」
「けど、俺達が来た時には開いてたぜ?」
竜を模して造られた大きな像を半分まで飲み込んでいたファニルちゃんの口に手を突っ込みながらそれを出させようとしていたカインさんがそう指摘すると、ディアーネスさんの代わりにシュディエーラさんが「心当たりはありますので、ご心配なく」と、疑問を濁した。
「女帝陛下……、ひとつ、お伺いしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
ファニルちゃんが物色したせいで散らかってしまった室内の美術品を片付けながら、レイル君が緊張した面持ちで尋ねた。
ディアーネスさんが静かに頷き、先を促す。
「大変、不躾かとは思うのですが……、陛下の兄君達は、今、どちらに?」
「れ、レイル君……っ」
それは、聞きたくても口にしない方が良いんじゃ……。
悪い予感を感じながらディアーネスさんの方を窺うと、彼女の瞳に僅かな痛みの気配が走った事に気付いた。やっぱり、これは聞いてはいけない事だ。
でも、発されてしまった問いはなかった事には出来ず、室内に気まずい沈黙が漂う。
「あの、ディアーネスさ」
「おらぬ」
「それは……、どういう意味での『不在』、なのでしょうか?」
「レイルよ、我が皇位を継いでいる事が、答えであろう?」
皇位を継ぐに相応しい男性が何人もいたはずのガデルフォーン皇家。
可能性としてあるとすれば、皇子様達が全員その位を捨ててしまったか、あるいは……。
「ち、違います、よね? たまたまディアーネスさんが皇位を継ぐのに適していた、とか、そういう理由で、他の皇子様達が皇位を譲ってくれたとか、そういう理由……、ですよね?」
そうだと答えてほしい。ディアーネスさんが一番その立場に向いていたから、彼女を愛するお異母さん達が王の座を譲ったのだと。
しかし、ディアーネスさんは私の懇願に満ちた眼差しを静かに受け止めると、小さく首を振った。
「我が『殺した』……。異母兄上達を、な」
「――っ!! う、嘘、ですよね? ディアーネスさんがそんな事するわけっ」
「事実だ」
「ですが陛下……、肖像画の中の貴女と兄君方は、とても仲の良さそうな異母兄妹に見えました。間違っても、皇位欲しさに血塗られた歴史を自ら作ったとは……、思えません」
レイル君の言う通りだ。ディアーネスさんは冷たい印象も与えるけれど、理不尽な殺戮なんて、絶対にしない。そう、私は信じている。
それに、自分の家族を殺して皇位を手に入れたのなら、家族の肖像画を見てあんな気配を纏うわけがない。
「シュディエーラよ、後は任す」
「御意」
「おい、ちょっと待てよ。そんな説明じゃ、ユキ達が納得出来ねぇだろうが」
取り戻した像を乱暴に下ろし、カインさんが挑むようにディアーネスさんに視線を突き刺した。
自分のお兄さん達を『殺した』……。その言葉だけでは、何もわからない。
だから、詳しく説明しろと吠えたカインさんに、……やっぱり、ディアーネスさんは表情を崩す事がなかった。ただ、自分の感情を凍りついた深淵の世界に沈めているかのように、答える。
「理由など、どうでもよい……。我が異母兄上達を屠った。何十年も前に、な」
「だからっ、それじゃわかんねぇって言ってんだろうが!!」
「カイン皇子、どうか怒りをお収めください。陛下には、陛下のご事情があるのです」
自嘲気味な声音と、感情を失ったかのように冷めたその顔。
追いかけようとするカインさんをシュディエーラさんが壁となって遮り、私達へと頭を下げた。
やっぱり、ただの皇位欲しさからの事ではなかったのだろう。
ディアーネスさんには、私達の知らない辛い過去がある。今も……、その胸の奥に。
彼女が出て行った後、シュディエーラさんは扉を閉めて小さく息を吐いた。
「申し訳ありません……。ユキ姫殿達にいらぬご心配をおかけしてしまい」
「いや、女帝陛下に無礼な事を申し上げてしまった。こちらこそ、すまない」
「なぁ、この部屋の外にある『主を失った部屋』は、やっぱり皇子達のもんなのか?」
「か、カインさんっ。突っ込んで聞きすぎですよ!!」
本当に……、カインさんは気になっている事を我慢出来ないというか、いつもストレート過ぎるんだから!! 悪気はないってわかってる。ディアーネスさんの事を、本当は心配している事も。
カインさんは乱暴な口調や今みたいな踏み込んだ質問を平気でやるけど、その心根はとても優しい人。そう、わかっているのだけど……!!
一応、私達は遊学に来ただけの部外者なわけで、あまり深く関わろうとするのは失礼にあたりそうな気が!!
けれど、シュディエーラさんは気分を害していないと言ってくれているような優しい笑みを浮かべて質問に答えてくれた。
「カイン皇子のお察しの通りです。あの部屋は全て、今は訳あってここにはおられない皇子様方のもの……。陛下は『殺した』などと仰っていましたが、エリュセードの神々に誓って、そのような事はなさっておりません。ただ……、今もまだ、『責任』を感じておられるだけなのですよ」
「だと思ったぜ。ったく、心臓に悪い誤魔化し方すんなっつんだ」
横を向いて悪態を吐くカインさんだけど、ほっとしているのがわかる。
私も、レイル君も、ディアーネスさんが理不尽な事をするわけがないって、信じていたから……。
本当に、良かった。二人揃って胸を撫で下ろした、――その時。
「――すまないな。ディアは一見して図太く見えるが、意外と繊細なんだ」
「「「え?」」」
突然介入してきた第三者の声に、私達は一斉に室内の後方部分に視線を向けた。
ゴトゴトと美術品の山が崩れて……、ぇええええっ!?
その中から、爽やかな笑顔の頼もしい声音の男性が現れた!!
鮮烈な印象を与える紅と、首の両サイドから流れる黄金の房のような長い髪。
しっかりと鍛え上げられた事がわかる両腕を見せる仕様の黒いぴっちりとした服と同色のズボン。両手首に着けられている黄金色の装飾品から腰の後ろへと伝っている白く長い衣。
ニッコリと笑いかけてくれたその笑顔は、ルディーさんとそっくりで……。
「しょ、肖像画の人!!」
「どっから出て来んだよ……、ラシュ」
「ラシュディース殿……、何故、そんなところに」
「ふふ、お帰りなさいませ、ラシュディース様」
よいしょっと、肖像画に描かれていた男性が美術品の山を乗り越えてこっちにやって来る。
驚いて何をどう受け止めればいいのかわからない私達とは反対に、シュディエーラさんは当たり前のようにその男性を歓迎しているようだ。
服や肌についた埃を手で払うと、その人は両手を広げて私とカインさん、それからレイル君を一纏めに抱き締めにかかってきた!! 何でいきなりそうなるの!?
「ん~!! 大きくなったなぁ~、お前達!!」
すりすりすりすりすり!! あぁ~!! 初対面の男性に全力で頬擦りされる~!!
「だぁああっ!! 離れやがれ!! 暑苦しいんだよぉおお!!」
「ラシュディース様……、流石に力が強すぎて、うっ、圧迫されるっ」
「れ、レイル君っ、レイル君、しっかりぃいいっ!!」
紅と黄金色の髪を纏う男性……、ルディーさんのお父さんであるラシュディースさんが仕掛けてきた熱烈な抱擁の中レイル君の心配をしてみたけれど、私もちょっと限界かもしれない!!
「ぐっ、やめろって、……言ってんだろうがぁああっ!!」
カインさんが片手を竜手に変えてラシュディースさんの顔面を鷲掴んで押し返してくれたお蔭で助かった。悪意はなかった。本当に心からの喜びに溢れた抱擁だった。
ラシュディースさんはカインさんに連打でド突かれて、それからようやく落ち着いてくれたのだけど……。
「ラシュ……、お前、昔と全然変わってねぇな」
「カインは変わったな。――とても良い方に」
「うっ……。色々、あったからな」
「自由に、自分の心に正直に生きている者の顔だ。ディークには会いに行ったのか? 今のお前を見せてやれば、きっと喜ぶ事だろう」
乱暴に扱われて怒るどころか、ラシュディースさんは久しぶりにあった息子と接するかのように、カインさんの頭を撫でながら喜んでいる。
ああいう仕草のひとつひとつも、ルディーさんとよく似ているなぁ。
でも、カインさんとラシュディースさんはどんな関係なのだろうか?
私とレイル君の疑問が顔に出ていたのか、カインさんは少々お疲れ気味に説明してくれた。
「俺がガキの時によ、こいつに助けられたんだよ。で、それから色々と世話になってた」
「あの頃のカインは可愛かったよな~!! 俺が姿を見せると、『ラシュ~』って、無邪気に」
「人の過去を捏造すんじゃねぇよ!! あぁっ、もうっ!! 離れろぉおおっ!!」
なるほど。つまりカインさんにとってラシュディースさんは、幼い頃に助けてくれた恩人であり、大切なお友達、と。構われる事を嫌がってる風に装っているけど、本当は嬉しくて堪らないんだろうなぁ、カインさん。
「縁とは意外なものだな……。まさか、カイン皇子がラシュディース殿と友人関係だったとは。ふふ、ルディーが聞いたら吃驚するだろうな」
「うん。微笑ましいお土産話が出来たね。ふふ、カインさん、とっても楽しそう」
凄い懐かれ様だけど、年上の男性に構われて余裕をなくしているカインさんの図というのも、大変見ごたえのあるものだと、私達は暫くの間その光景を見守る事にしたのだった。
「記念に、『記録』を録っておこう」
「うん、ナイスアイデアだね~、レイル君」
「ユキ!! レイル!! テメェら、後で覚えてろよぉおおっ!!」
2016・10・04
改稿完了。