王家の肖像
それは、ルイヴェルさんが『場』の再調査へと同行する為に皇宮を出発した日の夕方の事。
夕食前の時間を持て余していた私は、ファニルちゃんと一緒に皇宮内を散策していた。
ご機嫌なファニルちゃんの可愛い鳴き声と、跳ね歩く度に聞こえる、ぷにぷにとした足音。
相変わらず、この皇宮はウォルヴァンシアとは違って始終静かな落ち着いた雰囲気を保っている。
「ニュイ、ニュイ~」
女官さん達とすれ違う事もなく、私とファニルちゃんの二人だけ。
少し冷たさを含んだ、夜を迎え始めた風を感じながら、私達は回廊から廊下内に入る。
青の絨毯が敷かれたその道を歩き、辿り着いたのは二階に続く階段のある場所。
そこで、私は後を追って来たらしいカインさんとレイル君に呼び止められる事になった。
二人ともお風呂に入って来たのか、髪がしっとりと濡れている。
「よぉ、ユキ。飯前の散策か?」
「はい。カインさんとレイル君は、二人で仲良くお風呂ですか?」
「あぁ。カイン皇子と鍛錬場で手合わせをした帰りにな」
朝の険悪な雰囲気はどこへやら。どうやら無事に仲直りをしてくれたようだ。
外出着とは違って、二人とも少し着崩した私服姿で、髪も水気が残っているせいか、いつもとは違う印象を与えてくる。
「ニュイッ、ニュイッ、ニュイ~」
「あ、ファニルちゃんっ、どこに行くの? そっちは二階だよ?」
皇宮に滞在して、今日で八日目。そういえば、まだ皇宮の二階には足を踏み入れた事がなかったような……。ぴょんぴょんと飛び跳ねて階段を上って行く薄桃色のぼっちゃりボディに制止の声をかけたけれど、ファニルちゃんは一度だけ振り返り、また上に進んで行ってしまう。
「二階、か……。そういや、まだそっちは見てなかったな。暇潰しに行ってみるか」
「カイン皇子……、一応、ここは人様の家なんだが。あまり好奇心に突き動かされて家探しのような真似をするのは感心しないぞ」
「ちょっと見るだけなんだから、別にいいだろ。なぁ? ユキ。お前も二階がどんな感じか見たいだろ?」
「え? え~と、……そう、ですね。ファニルちゃんを迎えに行くついでに、ちょっとだけ」
「ユキ……。お前もか」
「はは……。ごめんなさい、レイル君」
でも、ディアーネスさんからは皇宮内を自由に散策して良いと言われているし、少しだけなら……。
やれやれと呆れまじりの溜息を吐いたレイル君に小さく謝って、私は二階に行く事を決めた。
「――どうやら、二階の右側区域は書庫の役割を果たしているようだな」
「みてぇだな。ひとつひとつの部屋に、個人所有のプレートが嵌められてる」
二階右側の区域全ての部屋の扉を見ながら歩いてみたけれど、そのどれもが全て、個人専用の書庫のようだった。試しにノブを回してみても、鍵が掛かっているようで開かない。
「まぁ、皇宮なんて何の面白みもねぇのが普通だからな。入れない部屋は、大抵厳重に鍵や結界が施されてるもんだ。けど、変だな」
「カインさん?」
「いや、何でもねぇよ。……にしても、ファニルの野郎、どこに行っちまったんだ?」
どこまでも続く廊下の真ん中で、私達は薄桃色の姿を捜す。
けれど、ファニルちゃんの鳴き声が聞こえたのは、私達のいる右側の区域ではなくて、その反対側の方からだった。少し駆け足で一階に続く階段の辺りに戻ると、左側の区域にあたる廊下の遥か向こうに小さくファニルちゃんらしき姿が。
「ファニルちゃ~ん! 戻っておいで~!」
「ニュィ~!」
「ん? 来ないな……。それに、こっちに来いと言っているような気が」
「気がするんじゃなく、来いって命令してやがるな、あれは……」
ファニルちゃんが私達を呼んでいるのは、左側区域の一番奥。
そこに辿り着くまでには、さっきの右側区域と同じように、どこまでも続く長い廊下を早足で進まなくてはならなかった。
「……なぁ、レイル。気付いてるか?」
「あぁ……。さっきの場所と、同じだな」
早足で青の絨毯を踏み締め進んでいる最中、二人が何やら意味深なやり取りを交わし始めた。
気付いてる、って……、何を? 左右に見える部屋の扉に視線を巡らせ、何が同じなのかと考えてみるけれど、扉にプレートがある以外、何も共通点は……、あ。
「さっきの、個人所有の書庫と、同じ名前が幾つも……」
「だろ? 多分、こっちは書庫の所有者達が使ってる私室なんだろ。……けど、変、なんだよな」
「カインさん?」
まるで、奇妙な存在を目にしたかのように、カインさんは左右に並ぶ部屋の扉に視線を巡らせながら先を進み……、そして、途中で立ち止まった。
レイル君も、何かを探るような目をして、それに倣う。
「全員揃って、不在、か……」
「皇宮内に部屋を与えられているという事は、それなりの地位にある者なのだろうが……、全員が揃って不在というのは」
二人の言っている『不在』という言葉が指すのは、きっと別に意味がある疑問なのだろう。
あえて言葉を挟まずに黙り込み、二人の様子を窺いながら、考える……。
そういえば、この二階の区域は一階に比べて……、どこか、静寂の気配が違って感じられるような。肌に感じる違和感の正体を、瞼を閉じて探してみる。
私にはカインさん達のような敏感に何かの気配を察知出来る能力はないけれど、この感覚は……、どこかで。
「……あ」
「「ユキ?」」
「あの、間違ってたら流してほしいんですけど……、もしかして、この区域の部屋、名前が書かれたプレートが付いている所全部、――もう誰も使ってないんじゃないでしょうか?」
一時的な不在じゃなくて、もう、その部屋が帰りを待つ主はいなくて、放置された場所。
それはまるで、売りに出された家や、住人がいなくなってしまって寂れていった廃屋と似た気配を私に伝えてくる。カインさんとレイル君は見合わせ、同時に頷いてくれた。
「やはり、ユキもそう思うか……。この区域も、あちらの方も綺麗に整えられてはいるが、扉の中から伝わってくる気配はお前の言う通りだ。長い事、恐らく、何十年も主が戻っていない気配がする」
「客室じゃねぇみてぇだしなぁ……。って事は、皇宮関係者か、皇族って線が濃厚だが……、それにしちゃ妙だ」
「後で女帝陛下にお聞きしてみるか……」
何となく、三人揃ってこの区域にいるのが気まずいような、薄寒いような……。
お互いに顔を見合わせてへらりと笑った私達は、お化け屋敷にでも迷い込んでしまったかのような心持ちで奥へと急いだ。早くファニルちゃんを回収して、一階に戻ろう。
真っ白な扉と金色のネームプレートが嵌ったそれらを見ないようにしながら最奥部へ辿り着くと……、あれ? ファニルちゃんはどこ!?
「扉が開いているみたいだが……」
「中に潜り込んだな、あのぽっちゃり野郎」
両開きの大きな白い扉。その片方が開いている……。
さっき遠目に見た時には気付かなかったけれど、二人の言う通り、ファニルちゃんは中だ。
そぉーっと室内を覗いてみると、カーテンが全て閉め切られているのか、薄暗い闇が室内を満たしていた。かろうじて見えるのは、廊下からの光が差し込んで見えたその先。
あれは……、何だろう。美術品めいた像や、キャンバスっぽいものが大量に並んでいる。
「ニュイ、ニュイ~」
「はぁ……、おい、ファニル。勝手に触んな。何かぶっ壊しちまったら、ユキがあの女帝にどやされるんだぞ?」
「ニュイッ!」
「あ? 何だよ……」
室内の暗さを避けるために魔術の力で光を灯したカインさんが空間を明るくし、ごそごそと室内で物を漁っていたファニルちゃんからキャンバスを差し出された。
私とレイル君も、適当にキャンバスを手に取って何が描かれてあるのかを確かめてみる。
「肖像画、だな……。なんか、家族全員集合的なやつだ、これ」
「こっちは……、綺麗な女性の絵ですね。着飾っている姿から見て、貴族の方、でしょうか」
「ユキ、カイン皇子。……恐らくこれは、ガデルフォーン皇家の方々を描いたものだ。俺が持ってるキャンバスには、現女帝陛下の姿が描かれている」
レイル君が持っていたキャンバスを私達に差し出すと、確かにそこには……、ディアーネスさんの姿が描かれていた。幸せそうな笑みで彼女を取り囲んでいる男性達の姿も。
絵の中の事だけど……、これに描かれているディアーネスさんは、私が知っている彼女よりも幼く見えて、……その瞳に宿る気配が、とても温かで幸せそうな印象があった。
もしかして……、この絵に描かれているのは、ディアーネスさんのお兄さん達、だろうか?
ガデルフォーンに遊学してきたあの日、彼女が語ってくれた……、半分だけ血の繋がったお兄さん達のお話。
そういえばあの時、ディアーネスさんは女帝に即位した理由を教えてはくれなかった。
いや、多分……、誤魔化されたんだと思う。
皇宮に滞在してから、一度も顔を合わせていない他の皇族の人達。
主のいない、沢山の部屋。それが意味する事を、私はまだ……、知らない。
「ニュ~イ~!」
「お、今度は何だ? ――はっ!?」
「ど、どうしたんですか? カインさんっ」
「いや……、え~と……、えぇ?」
どっさりと積み重なっているキャンバスの中から、またファニルちゃんが取り出した一枚のキャンバス。それを手に取ったカインさんが、真紅の双眸をこれ以上ないほどに見開いて大声をあげた。
また肖像画だろうか? キャンバスに描かれているそれをじっくりと穴が開くほどに見つめ続け、カインさんが「嘘だろぉ……」と戸惑い気味に呟く。
「何が描かれてあったんですか? 見せて下さいよっ」
「いや、なんつーか……、俺の知ってる奴が描かれててよ」
「カイン皇子の知り合い? ……あ」
私と一緒にキャンバスの中に描かれていたその人の姿をレイル君が見ると、またまた意味深な一言が。紅と金色の色彩を纏った長い髪の、頼もしい笑顔の男性の絵。
二人がその人の事について心当たりがあるようだけど、私は別の事が気になっていた。
「ルディーさんに……、似てますね」
「似ていて当然だ……。その方はラシュディース殿といって、――ルディーの父親だ」
「ええええええええええっ!?」
「はぁああああああああっ!?」
私とカインさんの驚愕の声が重なって倍以上の大きさになってしまう。
レイル君がうっかりキャンバスを落としてしまい、その両耳を塞いだ。
「ふ、二人とも……っ、こ、声っ、耳がっ」
「ご、ごめんなさい、レイル君っ」
「悪ぃ……。ってか、マジか? あのラシュがルディーの……。いや、よく考えてみろ、俺っ。ルディーと話してると、な~んかすげぇ懐かしい感じがっ」
「その様子だと、カイン皇子もラシュディース殿と面識があったようだな?」
「おう……。昔、ちょっとな」
そりゃあ、ルディーさんだってご両親がいなきゃ生まれないわけだけど!!
まさか、こんな場所でルディーさんのお父さんの描かれた肖像画を目にする事になるなんて……。
あれ? でも、……ここは、ガデルフォーン皇家の人達を描いた肖像画を収めている場所で、その中にルディーさんのお父さんの描かれた物があったって事は。
「まさか……」
ひとつの結論に行き当たったその直後、トン……、っと、何か硬い物を床に打ち付ける音が響いた。
「どこに行っておるかと思えば……、このような場所に潜り込んでおったか」
「おかしいですね。この部屋には鍵を掛けていたはずなのですが……」
「ディ、ディアーネスさんっ、そ、それに、シュディエーラさんも!!」
まるで、こっそりと悪戯をしていたところを見られてしまったかのような気まずさ!!
閉めておいたはずの扉がいつの間にか開かれていて、愛らしい少女の姿に不似合いな無表情を浮かべた女帝陛下、ディアーネスさんの唇から呆れ気味の溜息を零れ落ちている。
カインさんとレイル君も凍り付いたかのように動きが止まってしまい、その中でのほほんとしているのは……。
「ニュイ~?」
今まさに、その可愛いお口で美術品の一つである像を丸のみにしようとしているファニルちゃんだけだった。
2016・10・04
改稿完了。




