多忙なる団長執務室にて~ロゼリア視点~
ウォルヴァンシア騎士団、副団長補佐官ロゼリアの視点で進みます。
多忙な日々というものは、時間の感覚すら奪っていくものだ。
騎士団長室を照らしていた柔らかな光は、すでに魔術の光とすり替わっている。
書類と格闘しながら唸っている団長の斜め背後に見える窓の外には、穏やかな闇が一色。
団員服の懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認してみると……。
「団長、大食堂が閉まりました」
遅くとも、夜の十時頃までは腹を空かした者達を受け入れてくれる王宮の大食堂も、日付が変わる間近になれば閉まって当然。
そして、今この騎士団長室で仕事をしている私達三人は、見事に夕食をとる機会を逃した、と。
別に一食抜いたところでどうという事はない。だが……。
(料理長の作る食事は文句なしに美味だからな……。それを逃すという事は、損をしたという気分になるわけで)
心なしか、団長の顔には仕事疲れとは違う種類の哀愁が漂い始めた。
恐らく、団長から見た私の顔も、同じようなものだろう。
唯一……、ソファーの方で黙々と仕事をしている副団長だけは、何も聞こえておらず、真面目一色の表情のようだが。
「副団長、大丈夫ですか……?」
「……あぁ。これで今日の分は終わりだ」
「お疲れ様です」
「ロゼ~、俺も終わったぞ」
上司二人の片付け終わった書類を回収した私は、それを所定の場所に直してテーブルへと戻る。
本来であればここで解散なのだが、仕事終わりのティータイムというのも良いだろう。
連日の仕事疲れのせいで、騎士団寮に戻り次第爆睡……。
多忙な時期になると、いつもこの調子だ。休みの日さえ、仕事、仕事、仕事。
充実してはいるが、プライベート面は絶望気味だ。
そんな訳で、せめても癒しを一日の終わりに得るべく、私達はよく仕事終わりにお茶をするようにしている。
「――今日も一日お疲れ様でした。団長、副団長」
「サンキュ。ロゼもお疲れさん」
疲労時の糖分補給にと並べたのは、先日私の姉が差し入れてくれたチルフェートクッキーだ。
それを、サクリと齧った団長が、騎士団長室の天井を見上げながら暫し無言になる。
私も副団長も上を向く事はなかったが、少し乾いている口内でクッキーを咀嚼し、紅茶を含む。
本当に……、今日も一日。
(((疲れた……)))
きっと、今三人の心はひとつになっている事だろう。
この時期は、新入団員の受け入れもあり、それに合わせて必要な諸々の手続きやら何やらが延々と騎士団を襲ってくるのだ。まぁ、この時期を乗り切れば、一年の半分はある程度楽になるのだが。
「なぁ、ロゼ。明日の予定は、今日よりはマシなんだよな?」
「はい。予定通り、明日は転移の陣を利用しての遠方視察が主となります。副団長は王宮に残り、部隊長達と一緒に新入団員の方をお願いいたします」
「ん。まぁ、書類仕事よりは良い息抜きになりそうだな」
「わかった」
再度明日の予定を確認し終えたその時、訪問者を知らせるノックの音が響いた。
「私が出ましょう」
こんな日付が変わる時刻に何の用だろうかと席を立った私が出迎えに向かうと、扉を開いた先には、王宮医師のセレスフィーナ殿が夜着姿に上着を羽織った姿でそこに立っていた。
彼女は夜分の訪問を詫びて下さると、何か荷物らしき物を持っていらっしゃるようだが……、とりあえず、まずは中にご案内するとしよう。
「ようこそ、セレスフィーナ殿。さぁ、どうぞ中へ」
「有難う、ロゼリア。お邪魔させて頂くわね」
中身の見えない大きめの青いラッピング袋を抱えて入室すると、セレスフィーナ殿はソファーへと腰を下ろした。あまり重さを感じていないようだが、何が入っているのだろうか?
まぁ、セレスフィーナ殿が危険な物を持ち込むわけもない。お茶を淹れてくるとしよう。
「お仕事中にごめんなさいね? 少し迷ったのだけど、せっかくだからと思って」
そう苦笑して彼女がテーブルの上に差し出したのは、――金色の手鏡。
所々に小さな宝石が散りばめられたそれに、お茶を淹れて戻って来た私と団長達の視線が注がれる。
ただの手鏡ではない。これは……。テーブルに置かれたその鏡面に水の流れを思わせる揺らめきが生じ、煌めきを纏った光水が宙へと躍り出て来た。
間違いない。魔術の力を宿した魔道具だ。その流れは私達の目線よりも少し上に陣取ると、ぐるりと円を描き、その中心に人の姿を浮かび上がらせた。なるほど、通信具か。
「ユキ姫様、お待たせいたしました」
『ありがとうございます、セレスフィーナさん。それと、皆さん、お疲れ様です』
「ユキ……? この時刻にまだ起きているのか?」
副団長が眉を顰めるお気持ちもわかる。すでに日付変更間近……。普段のユキ姫様であれば、もう少し早めに眠っていらっしゃるはずなのだから。
映像の向こうで開口一番に副団長からのお説教を向けられてしまったユキ姫様は、案の定、申し訳なさそうに小さくなってしまわれた。お可哀想に……、ほんの少しの夜更かしをなさっているだけなのに。
いや、違う。普段ならばそこまでうるさくは言わないはず。
となると……、やはり、ユキ姫様がエリュセードの裏側であるガデルフォーン皇国におられる事が原因なのだろう。――つまり。
(離れた分だけ、過保護力が増大する、と)
副団長、貴方はユキ姫様の父親でも兄でもないのですよ?
あまり必要以上の過保護な感情をぶつけすぎては……。
――恋愛対象から外れますよ? そう、思わず口にしかけた自分をどうにか律する事に成功する。
「まぁまぁ、アレク、姫ちゃんだってたまには夜更かしぐらいするって。それよりも、一日の終わりに姫ちゃんの顔が見れた事に感謝でもしたらどうだ?」
「すまない……。少々言い過ぎた」
『いえ、ご心配をかけてしまってすみません。でも、このくらいの夜更かしなら明日には響きませんし、本当に大丈夫なんですよ』
「だが……」
まだ何か言い足りないようにしている副団長の口にクッキーを放り込んだ私は、話題を変える為にユキ姫様との会話を始めた。
(これ以上、副団長の過保護ポイントを増やしてはいけない……!)
ただでさえ、イリューヴェルの第三皇子である、カイン皇子の方がユキ姫様に近いのだ。
保護者のような立場でもなく、対等に物を言い合える関係性。
それはつまり、副団長よりも男女の絆を結びやすい存在という事。
恐らく、副団長は自分の過保護さが障害になるとは、気付いておられないのだろう。
一人の男としてユキ姫様に見てほしい、自分は保護者ではない、そう思っていながらも、行動が伴っていない。一度客観的にご自分を見てほしいものだ。
仕方ない、話題を変えてみるか。と、助け舟を出しかけたその時。
『ふぅ、ユキ、待たせてすまないな』
「お? レイルもいたのか」
室内の光景とは違う、東屋の内部に似た構造が映るその映像の中に、絹糸のように美しい水銀髪の流れが、レイル王子の姿と共に入り込んできた。
『一応、ユキの護衛として来ているからな。この中庭の周囲に異常がないか、それを見回っていたんだ』
「お疲れ様です、レイル殿下。そういえば、カイン皇子やルイヴェル殿はいらっしゃらないのですね? お二人だけですか?」
『皇宮内の散策なら、俺一人でも事足りるからな。ちなみに、カイン皇子は爆睡中。ルイヴェルは自室で寛いでいるはずだ』
仮にも、自国の王子殿下に護衛を任せて休んでいらっしゃるとは……。
流石はルイヴェル殿。相変わらずのふてぶてしさだ。
私の隣に座っていらっしゃるセレスフィーナ殿が、疲れ気味に溜息を吐き出している様子から見て、考えている事は恐らく同じだろう。心中、お察しいたします……。
「まぁ、レイルなら安心して姫ちゃんを任せられるけどよ……。皇子さんが爆睡中、ってのは意外だったな。ほら、皇子さんって夜中に動き回るタイプだろ? てっきり城下に行ってるのかと」
『う~ん、カインさんの性格上、それをしたいのは山々なんでしょうけどね。生憎と……、ものすご~く強くて怖い先生とお近づきになってしまいましたから』
「「「「先生?」」」」
その件に関してはセレスフィーナ殿も知らなかったのだろう。見事に四人分の声が重なった。
憐れみを籠めた苦笑を零すユキ姫様とレイル殿下が口にした、カイン皇子の『先生』の名に、一番に反応を示したのは我らが団長だ。
仕事疲れだけとはまた違う、げっそりと一瞬で青ざめたその表情には、同情を禁じ得ない。
「アイツかぁ……。そりゃ皇子さんも災難だ」
「人当たりは良い方なのですが……、そうですか、教師役に……」
ガデルフォーン騎士団長、サージェスティン・フェイシア。
団長とは旧知の間柄であり、私と副団長、騎士団の者達も何度か顔を合わせている相手だ。
誰を相手にしても物怖じをしない度胸の良さと、愛想の良い性格から無害だと思われがちだが……。
どうにも油断出来ない人物である事は、言うまでもない。
「そういえば、顔を合わせる度に団長と副団長はよく絡まれていましたね」
「はぁ……、思い出させないでくれるか、ロゼ」
『あの……、何かあったんですか? ルディーさんも、それに、アレクさんも、サージェスさんに対して抵抗があるようなオーラを感じるんですけど』
ユキ姫様がそう心配されるのも当然だ。
今の団長と副団長、それに、事情をご存知のセレスフィーナ殿もだが、見事に顔が青ざめていらっしゃる。レイル殿下も、「あ……」と、思い出したように気まずげになられてしまった。
馴れ馴れしい態度もあまり好ましくはないが、サージェスティン殿の場合、主に手合わせを行う相手にとっての『大迷惑』。
特に、手加減なくやり合える相手には、何時間でも楽しそうに戦い続ける方なのだ。
それに突き合わされているウォルヴァンシアの代表格が……。
「抵抗があるっつーか……、とりあえず、あんまり会いたくはない相手だな」
「同じく……。騎士団の仕事どころではなくなる」
「あの方がこちらに来られると、騎士団の仕事が滞りますからね……」
――と、同情を籠めた視線で、ユキ姫様以外の全員が遠い目になったその直後。
『えー? たまにしか会えないんだから、沢山思い出を作っておくのは大事でしょー?』
『きゃっ!! さ、サージェスさん!?』
『び、吃驚した……!! サージェス殿っ、いつの間に!!』
((((出た……))))
映像の中で戸惑い顔をなさっていたユキ姫様と、その隣にいらっしゃるレイル殿下の丁度ど真ん中。
そこからずいっと顔を出してきた、大型竜巻級の『大迷惑』こと、サージェスティン殿。
まだ騎士団長服を纏っているところを見ると、仕事を終えて部屋に戻るところなのか、それとも、仕事の途中でユキ姫様達を発見し、嬉々として絡みにきたか。どちらにしろ、一気に騒々しくなった。
『久しぶりだねー、ルディー君にアレク君に、ロゼちゃん』
「「今すぐにフェードアウトしろ……」」
「……ご無沙汰しております、サージェスティン殿」
上司二人は相も変わらず、顔を合わせた途端にこれである。
だが、他国の騎士団長にこんな無礼をしても、サージェスティン殿本人は特に気にした様子もない。
ニコニコと愛想の良い笑みでユキ姫様とレイル殿下の肩を掴んで抱擁すると、勝手にぺらぺらと喋り出してしまう。あぁ、やっぱり全然お変わりないようだ。……はぁ。
『いやぁ、こっちの道を通って来て正解だったよー。ちょっと陛下から呼び出しがかかってさ、それでルイちゃんを呼びに来たんだけど、タイミングばっちりだったみたいだね』
(((バッド・タイミング……)))
どんなに嫌がられようとへこたれない男、サージェスティン殿……。
その前向きなご性格には拍手をするべきだろうが、団長と副団長には疲労の上乗せにしかならない。
目を合わせようとはせずに、団長が声をかける。
「で? 皇子さんの戦闘能力を磨く教師役になったって、聞いたけどよ……。お前本気なのか?」
『ははっ、そりゃあね。俺だって暇な立場じゃないんだし、やる気がなきゃ受けないでしょ?』
「潰すなよ……。皇子さんはウォルヴァンシアの預かりモンで、ようやく前を向いたばっかりなんだ」
『大丈夫だよ。その辺の加減はちゃーんとわかってる。俺、君よりお兄さんだしね』
「言っとくが、……潰さないギリギリを狙う、とかも駄目だぞ?」
『あ、それ良いねー。皇子君て反抗期真っ盛りの性格っぽいから、それくらいした方が少しは可愛げが』
「す・る・な!!」
団長、まともにお相手をしては、先に貴方が再起不能になりますよ……。
サージェスティン殿は人を手玉に取るのがお得意の方だ。
扱い方を知らないわけでもないだろうに、やはり連日の仕事疲れのせいか。
団長の沸点はかなりの低い位置まで下がってきていたらしい。
今にも暴れ出しそうな気配を必死に抑え込み、念押しを繰り返していらっしゃる。
「ルディー、一応は大丈夫だと信じよう……。ところで、サージェスティン」
『ん? どうしたのかなー、アレク君』
「ユキから離れてくれ」
『ん?』
今度は貴方ですか、副団長……。
声音こそ静かなものだが、間違いなく、副団長は怒っている。
――当たり前だ。まるで自分専用の人形でも可愛がっているかのように、ユキ姫様とレイル殿下の頬に自分の頬をすりすりと馴れ馴れしくしている姿を見れば……。私も、少々腹が立っている。
「ユキが困っている。離れてくれ」
『えー? ただ仲良くしてるだけなんだけどねー。ユキちゃん、嫌かな?』
『あ、え、えっと……、嫌、ではないんです、けど、ちょっと、顔が近いかな~、と』
『サージェス殿、とりあえず離れよう。俺も少々暑苦し、こほんっ、流石に狭い』
大丈夫ですよ、ユキ姫様、レイル殿下。その方には本音をぶつけたところでダメージのひとつも与えられませんから。遠慮する事などありません。そう伝えたい。物凄くお伝えしたい。
口を挟むべきかと悩んでいる私の目の前で、副団長の滲み出る殺気と、サージェスティン殿の余裕一色の楽しそうな気配が混沌とした空間を生み出してゆく。
不味い……、副団長のわかりやすい反応のせいで、新たな面倒事が生まれる予感が……!
『遥々、ウォルヴァンシア王国から来てくれた可愛いお姫様だからねー。騎士たる者、心からの礼を尽くすべきでしょ? だーかーら』
『きゃっ』
『ユキ!!』
瞬間、副団長がテーブルを引っくり返すような勢いで席を立ち、映像の中に手を伸ばした。
勿論、ガデルフォーンにいらっしゃるユキ姫様の窮地を救えるわけもなく、その手は映像をすり抜けてしまう。
抱き寄せられたユキ姫様の柔らかな頬に触れた、サージェスティン殿の唇。
人をからかう事に喜びを感じる者特有の愉しげな気配が、アイスブルーの双眸に浮かぶ。
「サージェスティン……!!」
「どわああああっ!! サージェスぅうううっ!! お前何してくれてんだああああああ!! アレクっ、落ち着けっ、とりあえず落ち着け!!」
「団長……、他国の騎士団長を斬るのは罪でしょうか」
「って、おおおおおい!! お前も何殺る気満々の目になってんだよ!! ロゼぇえええ!!」
いえ、気安くユキ姫様の御身に触れたサージェスティン殿にイラッときましたので。
装着している腰元の剣を抜きかけた私は団長の言葉で我に返り、手を放した。
しかし、ユキ姫様命の度合いが半端なく突き抜けている副団長には何の声も届いていない。
頬にキスをされた事で真っ赤になってしまったユキ姫様の横で笑っているサージェスティン殿の首を取ってやろうと、その片足が乱暴にテーブルへと乗りあがった瞬間。
――聞こえたのは、大きな亀裂の入る、破壊の音。
それと同時に、通信先のユキ姫様達の映像まで綺麗に消え去ってしまった。
サージェスティン殿の爽やかな笑い声と共に……。
「やってしまいましたね……、副団長」
「ユキっ、ユキィイイイイイイっ!!」
「これ……、私のお気に入りだったのだけど……」
「せ、セレスフィーナ殿……」
「おいお前ら!! 落ち込む前にアレクをどうにかしてくれってぇええええ!!」
どんよりと暗くなったセレスフィーナ殿の生気のない瞳に映り込む、連続して踏み付けられている無残な姿の鏡。タイミングを見極めて手元に犠牲となったそれを回収した私は、修復不可能にしか見えない鏡を、そっとセレスフィーナ殿の前に差し出した。
「これ、ね……。前にお父様から頂いた鏡なの。ふふ、……まさか、アレクに壊されるなんて」
「き、気をしっかり持たれてください、セレスフィーナ殿。鏡の部分を取り換えれば、なんとか」
「ふふ、そうね……。でも、周りの装飾も、……傷だらけに。ふふ、ふふふふふ」
大抵の事は笑って許してくださるセレスフィーナ殿が、こんなにも落ち込まれてしまって……。
死者の如く、ゆらりと席を立ちあがった私は、副団長の前に回り込んだ。
「副団長、反省なさってください!!」
「――うぐっ!!」
見事に私の右拳が副団長の鳩尾に決まった。
これでも、騎士団で鍛錬を積んできた騎士の一人。普通の女性とは腕力の差が段違いだ。
副団長はずるりとソファーに倒れ込み、それから翌日まで……、意識を取り戻す事はなかった。
そして、その目覚めの朝。副団長の眠る寝台の枕元には、可愛らしいユキ姫様そっくりの人形が添えられていた。
贈り主はセレスフィーナ殿。ご自分の大切な物を壊されながらも、せっかく作って差し入れに来たのだからと、あの青色のラッピング袋の中身を持ち帰らずに与えて下さったのだ。
――まさに、女神と称するべき女性であった。
2016・03・19
改稿完了。