狼さんと焼き菓子!
好奇心の先で見つけたのは、一頭の美しい大きな銀毛の、……狼、の、ような、もふもふ動物。
犬よりも遥かに大きく、逞しい野性味を感じさせるその体躯。
祖先を同じくしているらしき犬と狼だけど、私の瞳に映るこの子は、間違いなく、狼という種に近いように思えた。
けれど……、テレビで見た事のある彼らよりも、この子の体躯は二倍、……ううん、それ以上に大きい気がする。
目を覚まして、人間のようにその太い後ろ足で地を踏み締めて立ち上がったら……。
多分、余裕で私の肩にぽんとその前足がふたつ、支えを求めるように重さを乗せられてきて……、狼さんの顔を、私が見上げる形になってしまうかもしれない。
「でも……、なんで王宮に狼が?」
もし、自分の家の庭に狼が入って来たら、流石に驚く、というか、大騒ぎものなのだけど……。
ここは異世界。しかも、広くて大きな余裕たっぷりの王宮内。
(もしかして……、レイフィード叔父さんか誰かが、飼っている、とか?)
うん、それなら納得出来る。楽しそうに狼さんとじゃれ合うレイフィード叔父さん、イメージがどんどん湧いてくるもの。
(でも……、首輪は、着いて……、ないんだ)
という事は、人に懐きやすい子なのかもしれない。
躾がちゃんとされていて、みだりに噛み付いたりしない、とか。
(あぁ、でも……、本当に綺麗。それに、毛並みもバッチリ手入れがされているみたいだし、触ったら凄く……)
――最高のもっふもふ天国を味わえる!!
(ごくり……)
大丈夫、大丈夫……。飼われている子なら、怖がらせないように接触を試みれば、きっと。
この時の私は、本当にどうかしていたと思う。
日本であれば絶対に注意をしたはずなのに、異世界への引っ越しが、非現実的な世界へのダイブが、突き上げてくるかのような、もふもふ動物への愛に溢れた衝動が、私を絶対禁止の行為に走らせてしまう。
でも、……頭の片隅で、何も危険な事は起こらない、安心してもいい、と、不思議な温かさを感じてもいる。
「そ~っと……、そ~っと」
もう少し、もう少しで……、心地良さそうに寝息を立てている狼さんに、タッチ出来る。
トクトクと早足で鼓動を奏でる胸の気配を感じながら期待を抱いていると。
「あ」
私の手が銀毛に覆われた体躯に触れる直前、――ぱちりと狼さんの瞼が開いた。
「……」
なんて、なんて綺麗な……、深い、惹き込まれそうな程に美しい、蒼。
寝起きとは思えない、はっきりとした光を宿しているその瞳の力強さに見惚れていると、狼さんが警戒するような唸り声を上げた。
「……ウゥッ」
「あ! ご、ごめんね! あ、貴方に敵意があるんじゃないの!! た、ただ、その……、す、少し、触らせてほしくて……」
動物相手に言葉が通じるわけもないのに、私は慌てながら言い訳を口にしてしまう。
ゆっくりと一人で眠っているところを邪魔されれば、誰だって機嫌は悪くなる。
というか、それが全然知らない不審者相手なら、当然……。
吠えられてしまうだろうか? 牙を剥き出しにされて、襲いかかられてしまうのだろうか。
ぞくりと、一瞬背中に冷たいものが流れ落ちてゆくのを感じた私だったけれど、恐れを抱くその事態は起こらなかった。
挙動不審な私をじっ、……と観察した後、狼さんは穏やかな気配に変わり、まだ眠そうに欠伸を漏らすと。
「ね、寝ちゃうの? 狼さん……」
「……」
瞼を閉じて、健やかな寝息を立て始めようとしている狼さん。
私の前でまた眠り始めたという事は、敵意はないとわかってもらえたのだろう。
または、食べても美味しくなさそうだと判断されたのか……。
とにかく、興味なしでスルーされてしまった事は間違いない。
ほっとするべきなのだけど……、なんだか寂しい気もする。
もう少しだけ、この狼さんの蒼い瞳を見ていたかったのに……。
しゅんと項垂れた私は、その場に座り込んで小さな息を吐いた。
「狼さん……」
もう一度、さっきの綺麗な蒼を見たい。
一瞬で吸い込まれそうになったあの瞳を、どこか……、懐かしさを感じさせる、あの穏やかな、蒼を。
――と、その時。眠りかけていた狼さんが瞼を開いた。
何か気になる匂いでも嗅ぎ取ったかのように、鼻をスンと鳴らし、ゆっくりと大きな体躯を起き上がらせる狼さん。
(ど、どうしたんだろう……)
何だか落ち着きがない。
もしかして、私がいるのを邪魔に思って、どこかに行こうとしているとか?
その場におすわりした狼さんが、眠そうに欠伸をひとつ漏らすと、そわそわと自分の周りを見回し始めた。そして、その視線が……、私の持っている手提げ袋にぴたりと止まる。
物凄く真剣に、じぃいいいいいいいいいいっと注がれる熱心な視線。
「あ、もしかして……」
思い出した。今日の出発前に、凛子さんがくれたお餞別。手提げ袋の中に一緒に入れておいたんだった。
手提げ袋から取り出したお餞別。近所でも有名な菓子店の名前を確認。
私は狼さんの期待の籠った視線を感じながら、丁寧に包み紙を剥がす作業に取り掛かった。
薄桃色の包み紙を綺麗に剥がし終え、現れた白い箱。
尻尾をパタパタと振り始めた狼さんが、早く中身が見たいと主張するかのように、ひと声鳴いた。
――かぱり。白い箱の蓋を開けると。
「こ、これはっ、 町でも有名な『甘味ふぉーえばー屋』さんの限定商品!? 生地に挟まれているクリームの甘さがとろけるような甘さだと話題の、レア焼き菓子~~!!」
私の驚きと感嘆の声に、狼さんがふさふさのお耳をピクン! と立てた。
一日に限定数箱しか販売されていないこの焼き菓子は、非常に競争率が激しいレアな物だ。
凛子さん、もしかしなくても、私達家族の為に並んでくれたんですか?
確か、朝の四時から並んでも競争率が激しいという、このレア焼き菓子を……。
私は箱ごとそれを胸に抱き締めながら、日本にいる近所の心優しいお姉さんに溢れんばかりの感謝を零した。
「グルル……」
試しにひとつだけ焼き菓子の入っている透明な袋を手に取り、中から甘い香りのするレアなお品を取り出した。それを、狼さんの前に差し出してみると。
クンクンと、私の手のひらにある焼き菓子の匂いを嗅ぎ、狼さんはパクッと口の中に頬張った。
すると、みるみるうちに、狼さんの表情がとろけるようなものへと変化。
幸せを噛み締めているような、うん、そんな至福の表情をしている。
さすが、『甘味ふぉーえばー屋』さんのレア焼き菓子。動物までも虜にしてしまうとは……。
でも、異世界とはいえ、動物に人間の食べ物を与えて良かったのかと、後になって不安が湧いてきた。
「狼さん……、大丈夫?」
もぐもぐとレア焼き菓子のお味を堪能し、喉の奥にごっくんと飲み込んでしまった狼さんが、元気良く、またひと鳴き。うん、とっても元気そう。
でも、後になって何かが起こってしまう可能性も考えると、不安は拭えない。
「狼さん、一緒に私のお父さんの所に行ってくれるかな?」
「?」
そっと、柔らかな銀毛に触れてみると、狼さんは怒らずに撫でられてくれた。
行くってどこに? 不思議そうな気配で私を見ている。
「今ね、私があげた焼き菓子……、別の世界で作られた物なの。人間が食べる為の物だから、もしかしたら……、狼さんの身体に悪いんじゃないかな、って」
「……クゥゥゥン」
「だから、お父さんやレイフィード叔父さんの所に、一緒に来て? 万が一の時は、獣医さん……、って、この世界にいるのかな? とりあえず、動物の病気や怪我を診てくれる人を捜して貰うから」
「――っ!!」
ぎゅっと、お座りをしている狼さんの大きな体躯を胸に抱き締めながらそう伝えると、意味がわかったのかわかっていないのか、腕の中から温もりが一瞬で消えた。
あれ? と、気付いた時には遅すぎて、狼さんはあっという間に回廊の方へ。
注射や痛い事をされる予感でも芽生えたのだろうか?
呼び戻そうと声をかけた私を一度だけ振り返り、結局……、狼さんは王宮の中へと消えてしまったのだった。
2016・04・17 改稿。