舞踏会・迷子の少女
「ユキ~、大丈夫? 何だか凄く疲れてるみたいだけど……、やっぱり、さっきの件が原因?」
悪趣味な大魔王様のダンスパートナーを務めあげてから十五分後、私はバルコニーへと多大に負った疲労を癒しに逃げ込んでいた。
泣き落としのようなお芝居でダンスのお誘いを受け入れる羽目になり、踊っている最中もルイヴェルさんにからかわれっぱなしだった事を思い出すと、いつか絶対に報復を! と思うくらいには、今の私は疲労困憊の体。
飲み物を持って来てくれたリデリアさんにお礼を言ってそれを受け取り、一気に飲み干す。
王兄姫としてあるまじき飲み方だけど、ここにはリデリアさん以外誰もいないから大丈夫、の、はず。
「はぁ、……リデリアさん、ありがとうございました。お陰で少しだけ精神的に回復出来ました」
「本当に疲れきってるわねぇ……。でも、とっても素敵なダンスだったわよ?」
「そ、その辺りは、ルイヴェルさんがきちんとリードしてくれたので良かったんですけど……」
あの意地悪な大魔王様は、ダンスの最中でも私をいじる事を忘れずにからかい続け、色々と心臓に悪い事も仕掛けてきたのだ。むしろ、踊りきれた自分を褒めてあげたい。心の底から!!
よよよ、と嘆く私の背中を擦りながら、リデリアさんも苦笑気味だ。
「でも、ルイヴェルさんって気に入った相手にしかああいう事をしないと思うのよね。だから、愛の洗礼だと思って」
「そんな洗礼は嫌ですっ」
ぐったりと手摺りにもたれながら全力で首を振ると、私の隣にリデリアさんが並んだ。
闇夜の中にあっても、その美しい立ち姿は見惚れる程に美しくて輝いている。
どうやら私の事を心配して来てくれたようなのだけど、……セレインさんの方は大丈夫なのだろうか?
「あの、セレインさんの方は大丈夫なんですか? リデリアさんがいなくなって寂しがる、というか、大変な事になっていないといいんですけど」
「ふふ、大丈夫よ。セレインにはちゃんと言ってきてあるから。それよりも、辛いなら別室に下がっても大丈夫なのよ? 必要なら私が付き添ってあげるし」
「い、いえ、それほどでもないので、少し休めば大丈夫です」
体力の方には問題ない。けれど、精神ゲージの方は真っ赤に点滅している気がする。
一度目のバルコニーでの休憩後は多分五十パーセント以上は回復していたはずなのに、……あの大魔王様のせいで危険領域にまで削られてしまった。
けれど、今ここで別室に下がるわけにはいかない。初めての王兄姫としての第一歩……。
休憩をとったとしても、途中退場だけは避けなくてはっ。
「ユキったら本当に真面目で頑張り屋さんね~。まぁ、でも、牽制は上手くいったようだし? あとの時間はゆっくり出来ると思うわよ。なにせ、ウォルヴァンシアの副騎士団長、イリューヴェルの第三皇子に、フェリデロード家の次期当主……、これだけ豪華な顔ぶれと踊ったんだもの。他の男じゃ余程の猛者ぐらいしか誘いに来れないでしょうしね」
その他大勢の見知らぬ貴族男性の皆さんとのダンスは回避出来たけれど、三人目の相手がとんでもない人だったせいで、百人分の相手をしたかのような疲労感に襲われているんですが……。
自分もルイヴェルさんの被害に遭った事があるとその場で話してくれたリデリアさんだけど、彼女は一体どんな被害に遭ったのか……。
「ルイヴェルさんは、リデリアさんにはどんな意地悪を?」
「人の事を猛獣呼ばわりしたり、毛布を剥ぎ取ったり、まぁ、貴女に比べれば軽いものが多かったわね」
「軽い……、ですか」
「ええ。私も貴女とルイヴェルさんの事をこっそり見ていたけれど、あんな風にいじり度の高い事はされた覚えがないわね。なんていうか……、そうね、妹に対して遠慮のない兄、という感じに見えたわよ」
兄!? あんな大魔王なお兄さんは全力でご遠慮いたします!!
あくまで他人事なリデリアさんに涙目でそう主張していると、不意にドレスの一部が引っ張られる気配が生じた。ゆっくりと視線を下に落としていった私は……。
「貴女……、だぁれ?」
「ひっく……、おねえちゃん……、助けて」
子供……? 私とリデリアさんのすぐ近くに、薄紫の髪を纏う可愛らしい女の子が涙をポロポロと零しながら私達を見上げている。この子……、いつからそこにいたの?
気配を一切感じさせずに近づいてきた少女。多分、十歳前後、かな。
白の花飾りがついた薄紫のセミロングと、真っ白なドレス。貴族の子供なのは間違いない。
私達はその場に腰を屈め、泣きじゃくる女の子の頭を撫でながら尋ねた。
「もしかして、迷子なのかな?」
「うぅっ……、パパ、ママぁ……、どこぉっ」
「どこからどう見ても迷子ちゃんねぇ……」
髪の両サイド、上の方から編み込まれている長い薄紫の三つ編みを揺らしながら、少女は両親を求めて泣き続ける。今夜の舞踏会に子供の姿は一度も目にしていなかったと思うのだけど、現にこうして目の前にいるのだから取るべき行動はひとつ。
「リデリアさん、私、この子の親御さんを探しに行きます」
「じゃあ、三人で行きましょうか。もし見つからなければ、レイフィード陛下にご相談すればきっと親を見つけてくださるでしょうしね」
少女の頭を優しく撫でてあげながら、私達はその小さな両手をしっかりと握り締め舞踏会の場へと戻る事になった。不安げに会場内を見回す薄紫の少女。親の姿を探しているのだろう。
「パパ……、ママ」
「大丈夫だよ。必ずパパとママの所に連れて行ってあげるから、お姉ちゃん達に任せてちょうだい」
「ほんとぉ?」
「ええ。絶対に」
私も昔迷子になった事があるから、彼女が不安に思う気持ちはよくわかる。
見知らぬ場所で、たった一人になって、沢山の人達の中にお父さんやお母さんの顔を見つけようとして……。息を切らしながら迎えに来てくれたのは。
(あれ……、今、何か思い浮かんだような……)
頭の中に描かれていた昔の記憶。その中に、……お父さんとお母さん以外の、別の誰かがいたような気がした。それが誰なのか……、思い出せない。
まぁ、昔の事だし、思い出せなくても支障はないだろうと判断し、私は女の子の手を引いて歩き始める。貴族の人達にこの少女を知らないかと聞いて歩き、やがて、談笑の輪の中にいたセレインさんと側近のヴェルガイアさんに会う事が出来た。
「ユキ姫、もう身体の方は大丈夫なのかい?」
「はい。リデリアさんのお陰ですっかり。大事な奥様をお貸し下さって、本当にありがとうございました」
小さく頭を下げ、気遣う言葉をかけてくれたセレインさんにお礼を伝えると、優しい笑みを浮かべていたセレインさんの視線が、私達の間にいる少女へと向いた。
じー……と、何故か思考が停止しているかのように動かなくなったセレインさん。
私とリデリアさんは顔を見合わせ、少女を前に出してみた。
「迷子みたいなんです」
「何呆けてんのよ。セレイン、アンタもこの子の親を探すのに協力なさいな」
「おやおや~、愛らしいお嬢さんですね~。お名前はなんて言うんですか~?」
その場にしゃがみ込み、少女の目を正面から見つめたヴェルガイアさんがにっこりと微笑みかける。また足に対する熱意で恐ろしい暴走を始めるのではないのだろうかと心配したものの、流石に幼い女の子相手に変質的な真似はしないようだ。……ほっ。
懐からキャンディー棒を取り出し、少女へと差し出すヴェルガイアさん。うん、この光景だけ見れば普通に優しいお兄さんに見える。
「ディア……」
「ディアちゃんですか~。とっても素敵なお名前ですね~。さぁ、遠慮せずに食べてください」
「うん……」
大きな丸い渦巻きキャンディーを、ディアちゃんの小さな舌がぺろり。
口の中に美味しい甘味が広がったのだろう。彼女はあどけない笑顔と共にヴェルガイアへとお礼を言った。とりあえず、もう涙を流す事はないようだ。
それにしても……。どうしてセレインさんは無言になって固まってしまったのだろうか。
さっきからピクリとも動かない。ディアちゃんを見つめたまま、顔から血の気が引いている。
一体何がセレインさんをそんな風にしたのか知りたくて、声をかけようとした、その時……。
上機嫌のレイフィード叔父さんとアレクさんが、私達の方へと歩み寄ってきた。
「ユキちゃん、舞踏会はどうだい? 楽しんでいるかな~?」
「ユキ、傍を離れてすまない。レイフィード陛下からの指示があったからとはいえ、お前には辛い思いをさせた。……ユキ?」
二人の視線が、戸惑っている私から、そのすぐ傍にいる少女へと流れていく。
……、……、……。あ、レイフィード叔父さんとアレクさんまでピシリと固まってしまった。
けれど、セレインさんのように言葉まで失う事にはならず、レイフィード叔父さんがプルプルと恐怖に震えるかのようにディアさんを指差してくる。
「ゆ、ユキちゃん……、そ、その子は……っ」
「レイフィード陛下、ご存じなのですか? 先程バルコニーで助けを求めてきたのですが」
「どうやら、迷子みたいなんです。一緒に親御さんを探してあげている途中なんですけど」
「迷子!? 迷子!?」
ディアちゃんを指差したまま、レイフィード叔父さんは会場中の視線が集まってくるのにも構わず、大声でそう連呼した。子供が迷子になる事に、何も不思議などないと思うのだけど……。
信じられないようなその大げさな音に、ディアちゃんがびくりと震えた。
「このおじちゃん……、怖いっ」
「ディアちゃん……、大丈夫だよ。レイフィード叔父さんは全然怖くないからね」
「レイフィード陛下……、ウチのセレインもですけど、本当にどうなさったんですか?」
「あぁ~!! わかりましたよ~!! この可愛らしいお嬢さんの将来有望なおみ足に感動して、我を忘れ」
「「違う!!!!!!!!!」」
レイフィード叔父さんと、物言わぬ石像のように立ち尽くしていたセレインさんが、ヴェルガイアさんの悪気ない、多分、悪気のない予想を怒声と共に打ち砕いた。
その迫力のある取り乱し様に、私もリデリアさんも目を丸くして言葉を失ってしまう。
アレクさんの方は普通の状態に戻っているけれど、その視線がどこか気まずげだ。
「と、ともかく……、ま、迷子と聞いては放ってはおけないね!! ユキちゃん、あとはこの頼りになる素敵なレイフィード叔父さんに任せなさい!! さぁ、行こうか!! でぃ、ディアちゃん!!」
「リデリア、悪いけれど、俺も陛下と一緒に行ってくるよ……。多分、二時間くらい戻って来ないと思うけど、俺の事は気にせずにいてほしい。じゃあね」
「「い、行ってらっしゃい……」」
目にも止まらぬ速さでディアちゃんをその腕に抱っこしたレイフィード叔父さん。
「やぁ~っ、おねえちゃん達と一緒がいい!!」と涙を零すディアちゃんを、セレインさんと一緒に強制連行の如く会場を全速力で駆け抜けて行く。
お任せする事に心配はないけれど……、レイフィード叔父さんとセレインさんのあの慌て様一体。
「アレクさん……」
「ユキ、もしよければ、また俺と踊ってくれないだろうか?」
「え? あ、はい。喜ん、で……」
あの時、ディアちゃんを見た時のアレクさんの様子も変だったし、その訳を聞いてみようと思ったら、先手を打たれたかのようにダンスへと誘われてしまった。
言えない事なのか、それとも言い難い事なのか……。
アレクさんの腕の中でくるくると踊りながら、私は舞踏会の間中、ディアちゃんとレイフィード叔父さん達に対する疑問を抱え続ける事になったのだった。
2015・12・09
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