謎の青年
「生き倒れ、か……。それで? 命に別状はないんだね?」
「ごめんなさい、レイフィード叔父さん。私が我儘を言って王宮に運んで貰ったんです。ルイヴェルさんの話では、怪我の具合は酷いものの、命を脅かすような危険性はないとの事でした」
「あぁ、ユキちゃんを怒ってるわけじゃないから、悲しそうな顔をしないでおくれ。命に別状がないなら良いんだ。けど……、傷だらけで路地にいた、ってところが……、ちょっと、ね」
怪我を負っている青年を王宮へと運び、治療をルイヴェルさんとセレスフィーナさんに任せた後、私は一人でレイフィード叔父さんの自室に訪れていた。
王様としての一日のお仕事はもう終わっているようで、ゆっくりと寛いでいたレイフィード叔父さんは、訪ねて来た私をソファーへと招いて話を聞いてくれている。
現在のところ、身元不明の怪我を負った原因もわかっていない生き倒れの青年……。
彼が一体何者なのか……、とりあえず今のところわかっているのは、狼王族ではない、という事だけ。
「ユキちゃん達が城下を巡っている時は、特に騒ぎが起きたなんて事は耳にしてはいないんだよね?」
「はい……。いつも通り賑やかで、喧嘩の類や、それらしいものは、特に」
「一応、今日を含めた数日の城下での事を騎士団の子達に調べさせてみるけど、もしかしたら、どこかで傷を負って、城下に逃げ込んで来た可能性もあるね」
「逃げ込んで……」
確かに、路地の方で息を潜めるように座り込んでいた事といい、私達が気づくまで誰も彼の存在に手を差し伸べなかった事は、不思議な事のように思われる。
いつからあそこにいたのか……。まだ見えない何かを探るように、私とレイフィード叔父さんはテーブルの上に視線を彷徨わせた。
「とりあえず、彼の身柄はこのウォルヴァンシア王宮が引き受けよう。ユキちゃんは心配せずに自室で身体を休めておいで。夕食の時間も近いし、あとの事は全部叔父さんがやっておくからね」
「レイフィード叔父さん……。すみません、何から何までご迷惑を」
「可愛い姪御ちゃんからの迷惑なんて、迷惑のめの字もないから大丈夫だよ~。むしろ、僕としては……、もっと君に甘えてほしい。ね?」
「ふふ、ありがとうございます。レイフィード叔父さん」
パチンと、片目を瞑って茶目っ気のあるウインクをしてみせたレイフィード叔父さんに微笑み返すと、私は紅茶をご馳走になりながら少し話をした後、自分の部屋へと戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夕食を終え、バスルームで一日の汗を流し終わった私は、夜着の上にモコモコとした上着を羽織って王宮医務室へと向かう事にした。
眠る前に、あの青年の状態を確認しておきたくて……、もしかしたら、意識が戻って話が出来るかもしれないという希望を胸に抱きながら。
医務室の扉をノックすると、少しの間をおいた後に内側からルイヴェルさんが顔を出してきた。
まだ白衣姿のお仕事モードの装いだ。
「どうした?」
「こんばんは、ルイヴェルさん。今、お邪魔しても良いですか?」
「あの男の様子を見に来たというところか」
王宮医務室の中に招かれ、ここでお世話になっている青年の姿を探しながら案内されたのは、以前にカインさんが禁呪に脅かされていた時に使っていた奥の部屋。
天蓋付きの、白のベッドカーテンに覆われたその中で、あの青年は休んでいるらしい。
セレスフィーナさんは先に入浴に向かったとかで、今は不在との事。
少しだけ開いているベッドカーテンの所に手招きされ、私は目を覚ましている青年と視線を合わせた。
「こんばんは。具合の方はどうですか?」
「貴女、は……」
「お前がこの王宮で世話になれるようにと取り計らってくれた恩人だ」
「いえ、私はただ王宮に運んでくれるようにお願いしただけなので、ルイヴェルさんとセレスフィーナさんこそが恩人ですよ。初めまして、私はユキといいます。お名前を教えて頂いても良いですか?」
ベッドに身体を預けたまま、青年は私からの問いに小さく答えた。
「わからないんです……」
「え?」
「俺もさっき身元を知る為に聞いたが、名前どころか、自分の故郷も、人生も、何もかも、この男は記憶に残していない」
「そんな……」
怪我をした理由さえも……。
そう説明してくれたルイヴェルさんの方を見つめながら、私は青年へと視線を戻す。
大きな白い枕に沈んでいる、柔らかな青の髪。不安と共に彷徨うブラウンの瞳。
彼は、自分が誰であるのか、その証を全て忘れてしまっている……。
胸に湧き上がる不安と共に、毛布の中に隠れている彼の左手を自分の温もりで包み込む。
「今は、どうかゆっくりと休んでください。記憶がなくて不安でしょうけど、しっかりと身体を治してから、後の事を考えましょう? 私達も力になりますから」
「ユキさん……。ありがとう、ございます」
「種族的には人間のようだが……、まぁ、大人しく休養に専念するんだな。お前の身元は、レイフィード陛下がしっかりと調べてくださるはずだ」
ルイヴェルさんが青年の顔へとその右手を近づけ、淡い光の星屑のようを生み出すと、彼を再び穏やかな眠りの中へと誘った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あの怪我の具合だったからな。追手の類があるかと注意を向けてみたが、特に問題はないようだ」
黄色いマグカップにウサギのような動物の可愛らしい絵が描かれているそれにホットミルクを作ってくれたルイヴェルさんが、ソファーに座っている私の目の前にそれを置いてくれた。
「ルイヴェルさん……、これ、何だか小さくありませんか?」
「ん? ……あぁ、すまん。間違えた」
マグカップには変わりないけれど、サイズが子供用に見える。
それをルイヴェルさんが言われて初めて気付いたかのように、私の手から回収しようとしたけれど、特に問題はないのでそのマグカップを使う事にした。
ひと口飲んでみると、ミルクの中に蜂蜜のような甘いとろりとした液体が入っている事に気づく。
「美味しいです。ありがとうございます、ルイヴェルさん」
「お子様を安眠させる為の特効薬のようなものだ。遠慮せずに全部飲んでいけ」
向かいの席に腰かけ、茶色いマグカップに口をつけたルイヴェルさんが、珈琲の匂いが漂うそれを飲み、ニヤリと笑った。
「お子様……。あの、一応元いた世界では、成人してるんですけど」
「このエリュセードにおいては、お前程度はまだまだ子供だ」
「二十歳になってます!!」
「知っている。だから子供だと言っているんだろう? ちなみに、俺はお前の何倍の歳だと思う?」
何倍、って……。
ルイヴェルさんの外見は、二十代前半程の年若い男性に見える。
けれど、この異世界エリュセードにおいて、外見=実年齢とは限らないと、誰かが言っていたような気が……。それに、獣と人の姿を抱く種族の人達は、物凄く長い寿命を有していると聞いている。人間という種族もいるけれど、元いた世界の人達よりも長生きする、と。
ルイヴェルさんの姿をじーっと見つめつつ、私は頭の中で必死に考える。
「ひゃ……、百歳オーバー、でしょうか。外見が若いだけで、物凄くおじいちゃん、とか、って、痛っ!! 痛いですよ!! ルイヴェルさんっ、人の頭に本の角を押し付けないでください!!」
「お前の残念な思考能力を鍛えてやっているだけだ。それに、百歳如きで老人とは、ちゃんとこの世界の事を学んでいるのか?」
「が、頑張ってはいるんですけど、主に、ウォルヴァンシア王国での生活規則とか、お金についてとか、文字の勉強などを……っ」
つまり、必要な知識だけを選んで吸収する事に意識が向いてしまっていたので、大まかな事しか知らない、というのが、今の私のエリュセード知識の限界なのだ。
狼王族や、それと同じような種族は、人と獣、二つの姿を持つ、とか。
種族ごとの詳しい特徴などについては、まだまだ勉強不足。
とりあえずは、ウォルヴァンシアでの生活に慣れてから、徐々に知識を増やしていこうと思っていたわけで……。
「まぁ、一度に詰め込むとお前には負担が大きいからな。今回はこのくらいにしておいてやろう。だが、俺は狼王族の中でもまだ年若い年齢だ。千年以上の長き時を生きる種族として考えれば、八十を少し過ぎたぐらいの俺など、ある意味でお前と同じ子供と思われる年齢なのだろうな」
「は、八十……、オーバー!? 私の四倍ですか!? ルイヴェルさん!!」
「確かお前の世界では、百歳あたりが寿命だったか?」
「大体は、八十歳前後、ですね……」
目の前の美形男性がまさかの八十歳越え……。外見の老いも、精神的な老いもない上に。
「お肌……、スベスベっぽいですよね? それも長寿種族の特性ですか?」
染みもニキビもない完璧な美貌、けれど、中身は非常に難ありの王宮医師様に尋ねてみると、人によってそれが違うと冷静なお答えが戻ってきた。
どの種族の女性もお化粧品を愛用しているし、肌のスキンケアに対する関心も高いらしく、ルイヴェルさん自身は、特に何もしていないとか……。
「今日から、ルイヴェルさんの事……、ルイおじいちゃんって呼びますね。なんだか女性として悔しいので」
「勝手に俺を羨んで拗ねるな。仕置きをしたくなるだろう?」
「ぐっ……、痛っ、痛たたたっ。る、ルイヴェルさんっ、私の背後に移動して本の角を押し付けないでくださいっ!!」
女性のお肌の悩みを軽く捉えすぎている王宮医師様に、つい喧嘩を売るような事を言ってしまった私に、容赦なく飛んでくる裁きの鉄槌。
あぁ、絶対頭の一部が少しへこんだ。きっと本の角と同じ痕が残るっ。
本をソファーに放って解放してくれたかと思えば、今度は両手で人の頬のお肉をっ。
「い、いひゃいです~!!」
「人を年寄り扱いした報いを受けろ。このひよっこ王兄姫が」
こんな時に限って、助けの手を伸ばしてくれるアレクさんやロゼリアさんがいない!!
涙を浮かべつつ必死に意地悪な王宮医師様に抵抗していると、ガチャリと開いた扉の向こうから、私を救ってくれる一番心強い味方が現れた。
「ルイヴェル~……、貴方……、ユキ姫様の御身に何をしているのかしらねぇ……?」
湯上りのさっぱりした様子の麗しい女神様こと、ルイヴェルさんの双子のお姉さんであるセレスフィーナさんが、大迫力の黒いオーラを漂わせながら歩み寄って来る。
私の頬から弟さんの手を奪い、自分の方にその身体を振り向かせ……。
「はい、お姉ちゃんからのお仕置き」
ルイヴェルさんの両手を、犯人がそうするように身体の中心で添わせたセレスフィーナさんが、魔術によってその意地悪な二つの手に光の手錠をかけた。
ギリギリと肌を締め付け、ついでに口にはバッテンマークのテープがべしっと。
ソファーの陰からその光景を見つめていた私は、意地悪な王宮医師様が奥の部屋に問答無用で放り込まれるシュールな展開を最後まで見届ける事に。
(流石双子のお姉さん……、つ、強い!!)
出て来れないようにと、しっかり鍵と魔術による二重の妨害まで仕掛け、女神様は私の隣へと腰を下ろした。
「ユキ姫様、もう一杯、ミルクは如何ですか?」
「は、はい……。い、頂き、ますっ」
お仕置きを終えて晴れ晴れとした満面の笑顔を浮かべるセレスフィーナさんに、私は双子のお姉さんの最強さに慄き震えながら、首を縦に振ったのだった。
2015・12・08
改稿完了。