夏休み後の彼女
図書室の貸し出しカウンター内に座る黒髪の少女は無表情に本を読みふけっていた。俯き加減で読んでいて、少し伸びた髪が落ちてこないようにシュシュで後ろで纏めている。夏休みは居なかったが昔からそこに居たのように静かに居座っていた。夏休み明けで友人との新学期を楽しむ賑やかな外の声も秋風と同じく彼女の読書に差し障りない。戸が開き、馴染みの後輩が正面に来ても秋風と同じ扱いだ。顔をあげずに読書を楽しんでいた。
「お久しぶりです先輩、夏休みを経て更に綺麗になりましたね」
歯の浮くような褒め言葉も何のその。相川の目はちらりと後輩を見て本に帰っていった。
そして何事もなかったようにページを捲る。
「それは日焼けして小麦色になった私への嫌み?」
刺々しい言葉よりも再開の喜びの方が上回っている柿本の笑みは絶えない。近くにあった椅子をカウンターまで引きずってくると相川の正面を占領した。
「嫌みな訳ないじゃないですか。そもそも、色白がいいとは限りません。俺は病的な白さより健康的な小麦色の方が好きです。それに先輩、小麦は様々な国で主食にされる程、美味しい必要なものだと俺は思っています」
「途中から小麦のフォローになってる」
「だから俺はそんな小麦のような先輩を食べたいです」
沈黙。本来の図書室の静けさとかと聞かれれば正しくはない気がする。ようやく本から顔を上げた相川は普段通りの無表情だったが目が白けていた。
「次、本当の告白前にそんな事言ったら今後一切君の事無視するから」
「先輩の美しさに惑わされた失態です。許して下さい」
「許しを乞う前に寺に入門して煩悩を消して来たら?」
「先輩が魅力的な限り、俺の煩悩は消える事はありません」
「夏休みボケがまだ抜けてないんじゃない」
「夏休みに入ってからも、先輩のことが気がかりで夏休み明けが楽しみで楽しみで、しょうがありませんでした」
「そんなに夏休みが明けるのを楽しみにしてるのは少数派くらいでしょうね」
パタリと本を閉じて後輩に手を突き出す。小麦色に焼けたと言っていたが、そこまで焼けていない手。
病的な白さから日本人らしい肌の色になったというくらいで十分色白といってもいい。
「少数派なのは、学校に楽しみが少ないからですよ」
学校から借りた分の本をしなやかな差し出された手に優しく置く。以心伝心というよりも習慣化した行動といった感じの流れだった。互いに何も言わず当り前の行動。その流れを後輩が優しい顔で眺めているのを知ってか知らずか相川の一挙一同も何処か柔らかい。
「君は学校が好きということ?」
「先輩に会えるのは学校だけですからね。勿論、先輩と付き合えたら俺も冬休みには多数派に鞍替えしますけど」
「本当に尻軽ね」
「先輩、今日一緒に帰りませんか?」
唐突な言葉に流れるような動きが淀む。その淀みは手を鈍らせ返却印が滲んでしまった。
「嫌」
声もワントーン低く、にべもなく切り返して返却処理を終わった図書カードを乱雑に引き出しになおした。
「告白を帰りにしたいんです」
じっと相川を見つめ続ける。熱を帯びた視線に晒されて居心地悪そうに本の世界へと逃げた。それでも逸らされる事のない視線に引き摺られるように、そろりと目を合わせた。
「どうしても帰りじゃないといけないの?」
「どうしても帰りがいいんです」
強い口調に押されて、瞳が揺れた。ゆっくりと瞼が落ちる。
「いいよ」
溜め息の後、肯定の返事を小さく零した。諦めにも近い返事だったのに、柿本は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、先輩」
微笑みを浮かべて夏休みあった事を楽し気に話しだす。此方が小さく相槌をうつだけで雰囲気が明るくなり、話が止まない。2人だけの空間を邪魔するものはなく、いつしか相川の本のページを捲る手も止まり、話に聞き入っていた。
「…それで親友が河に落っこちたんですよ。爆笑ものでしたよ。アイツは悔しそうでしたけど…あ、そろそろ閉館時刻ですよ」
気付けば窓の外の景色は夕暮れも終わり藍色の空へと変わりかけていた。時計の針も遅めの時間を差していた。
「帰ろうか」
「帰りましょう」
図書室から出て施錠した所で相川は首を傾げた。
「何で閉館のプレートがもう下がっているの」
「俺が入った時に下げたからです。先輩との再会を邪魔されたくなかったので」
悪びれ無く笑う後輩の頬をつねる。それはもう思いっきり。
「いひゃいへす」
「…次こんな事したら怒るから」
「ふぁい」
図書室の鍵をバックの中にしまいこんで正面玄関に向けて少し早足で歩き始めた。
「鍵は返しに行かないんですか?」
「・・・明日返すの。勝手に図書室閉めた時間を早めた事もあるし、まとめて謝る」
「すいません」
「いいよ別に。君の話の邪魔が入ってこなかったことは私も少しだけ嬉しかったから。」
「そんなに俺の話楽しかったですか?」
「苦笑する程度には面白かった」
「爆笑して下さったらよかったのに」
「私自身、爆笑する程笑った記憶ないから無理」
「じゃあ、今日の告白が成功したら爆笑出来る日々を送らせてさしあげます」
靴を履きかえると、今度は相川に手を差し出された。
「帰りましょう、先輩。笑わせる日々は約束しますが、告白だけは笑わないで聞いて下さいね」
「…必死に考えた告白を笑える程、まだ表情筋緩んでないよ」
差し出された手に相川もそっと手を載せて、月夜の帰り道へとくりだした。




