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無常の空  作者: 藤崎悠貴
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無常の空 4

  4



 忍者たちの襲撃がはじまって三日、新蔵は行く先々で襲撃を受けていた。

 ホテルではボーイにまぎれた男たちに襲撃され、コンビニへ入れば照明が落ちて数人が飛び込んでくる、どうやら新蔵は遠巻きに居場所を特定され、常に監視下にあるらしい。

 新蔵自身、その状況には気づいていたが、ことさら焦るふうでもなく、また戦いに倦んだような気配もない。警戒しているような雰囲気さえ見せず、眠るときは深く眠り、出かけるときも何気ない様子、敵の忍者を追い返したあと、巻き添えを食った一般人に「映画の撮影なんだ」とうそぶく余裕さえ見せるのである。

 事実、新蔵は強かった。

 襲撃は十回や十五回では利かなかったが、そのすべてにおいて死者は出ていない。新蔵は民間人を守りつつ、敵のひとりも殺さず、ただ伝言を、


「おれを殺したければ兄貴がこい」


 という伝言を押しつけて解放する、ということを繰り返していた。

 相手は有象無象とはいえ、体術と忍術を鍛えぬいた忍びたちである。それを子どものようにあしらう新蔵に、襲撃者のほうでも、あれには敵わない、と戦う前からさじを投げる始末なのだ。

 襲撃はほとんど嫌がらせに近く、実際襲撃側もなにができるとは信じていないが、行かないわけにもいくまいと新蔵に飛びかかってゆく。新蔵はそれもひらりと躱し、ついに奈良へ向かうため新幹線に乗り込んだ。

 新幹線のなかでも、当然襲撃はあるものと考えている。狭苦しい密室で襲撃されるよりは、時間をかけてでもすこしずつ奈良へ近づくほうがよいとも考えたが、相手の力を見て、新幹線のなかでも充分に対処できるという判断であった。

 場合によっては、走行中でも新幹線から降りればよい。体術を極めた忍びなら、その程度はなんということもない。

 東京駅から新幹線に乗り込んだ新蔵は、表面上警戒も見せず、指定席に座り、座席をぐいと傾けて、発車前から目を閉じる。そこへ、


「あの」


 声をかけてくる女がいる。

 薄目を開け、横目でちらり、若い女であった。ふわりと裾の広がった、いかにも女らしい白いワンピース、短い髪に、新蔵は一瞬薫を幻視する。しかしよくよく見れば、髪の長さ以外に共通点はさほどない。若い女は特別の美人というわけでもなく、なんとなく臆病そうな目つきで新蔵を見ていた。


「と、となり、大丈夫ですか」

「ん?」


 新蔵の荷物が邪魔をしているわけでもなし、座りたければ座ればいいが、と思っているうち、女はおずおずと席に着いた。

 無論、新蔵のほうでは気にもしない。新幹線の扉が閉まり、わずかな揺れとともに発車しても、目を閉じて動かない。

 女はその横顔をちらと見て、見ていることを気づかれたくないというようにうつむいて、また思い出したように顔を上げて横顔を盗み見る、ということを何度も繰り返す。両手をひざの上で揃え、姿勢も正しく座っているが、怪しいといえばこれ以上に怪しいものもない。

 新蔵も、一見して女が忍者衆の一味らしいとあたりをつけたが、時間を追うごとに、忍者だとしたらあまりに怪しすぎると反対に訝しく思うほどであった。

 女が敵の忍者として、動くなら新幹線が最高速に達するころのはず、新蔵は眠ったふりを続け、駅をひとつふたつとやり過ごす。女は見るからに緊張した顔で、額に汗を浮かべ、ワンピースの裾をぎゅっと握りしめて機会を窺っているふうである。ただ、あまりにいつまでも動かないので、新蔵も訝しげに、


「あのさ」


 と声をかければ、女は大げさなほど身体を震わせ、


「な、なんですか」

「いや、別に、なんでもないんだけど」


 新蔵は女の横顔をちらり、外見や格好はごく普通の若い女である。怪しいと感じるのが気のせいなのか、あるいはそうさせるようにわざとそんな態度をとっているのか、どちらとも判別しがたい。

 女は背筋を伸ばし、新蔵の一挙手一投足に注意しているようでもあり、ただどぎまぎしているようでもあり。


「忍者ってさ、実在すると思う?」


 鎌をかける、というわけでもないが、新蔵が言えば、女は声を裏返し、


「に、忍者ですか?」


 と聞き返す。

 無論、怪しいのである。


「うん、忍者。いろんな術を使ったり、他人に化けたりするあれだよ」

「あ、あれですか」

「いると思うか?」

「い、いないんじゃないでしょうか。その、お話のなかの存在では」


 一般人ならそんなふうに答えるだろうが、いかんせん汗が目立つし、口も滑らかではない。

 ううむ、と新蔵は今度こそうなって、試しに右腕、女に近いほうを、常人には見えぬ速度でひゅんと振り抜いた。

 女の前髪が風に揺れ、女は真正面を向いたまま微動だにしない。それで、新蔵は確信を持った。女は新蔵の腕を見切って、気づかぬふりをしている。そして女も、新蔵が確信を持ったということに気づいていた。


「秘術を、渡してください」


 か細く、それだけ言う。


「若い女の頼みでも、どうぞ、といかない事情があるんでね」


 新蔵はにやりと笑った。


「では、力尽くで」

「くるかい?」


 てっきり一戦はじまると踏んだ新蔵は、ぐっと拳を握って身構えるが、女はふと肩を落とし、


「本当は、こんなこと、したくないんです。どんな理由があったって、だれかを襲うなんて」

「仕方ねえさ、忍びってのは昔からそういうもんだ。あんたもそういう教育を受けてきたんだろ?」

「でも、嫌だって思いませんか? 戦えば、まわりにだって被害が出るかもしれないし――だから、おとなしく秘術を渡してください。そうすればだれも傷つかずに済むんです。敵も、味方も」

「ふん――秘術なんてもんは、正直おれにはどうだっていいんだ。ほしいならくれてやる、ってのが本音だけどな」

「それじゃあ!」


 と顔を上げた女は、新蔵の静かに怒る顔を見て息を呑んだ。


「ただ、秘術を持ってりゃ兄貴がおれを襲いにくるだろう。おれは兄貴に用がある。あんたもほんとに戦いたくないなら、さっさと兄貴のところへ戻って、自分でこいって伝えてくれ」

「兄貴――賀龍高志のことですか。どうして、そんなに」

「女を殺されたんだ。復讐ってわけでもねえが、このままおとなしくはしていられない」


 新蔵はふと席から立ち上がった。女が怯えたように震えるのを見下ろし、なにを言うのかと思えば、


「トイレ行ってくるわ。ちょっと退いてくれねえか」

「あ、は、はあ――」


 まさか本当にトイレへ行くわけでもないだろう、と女は新蔵の背中を見送るが、新幹線の廊下を進んで、どうやら言い訳でもなんでもなくトイレに入ったらしい。席に残った女は、はあと息をつく。

 女――涙、と名づけられた彼女は、新蔵のあとを追うべきか、あるいはこのまま待つべきか、指先でワンピースの裾を弄びながら迷った。あたりを見回せば、家族連れやサラリーマンがなんの不安もないという顔で座っている。忍者同士、この狭い場所で戦えば、必ず周囲に被害を及ぼす、それはなんの関わりもない彼らを危険にさせるという意味に他ならない。


 涙は奇妙な忍びであった。

 戦いたくない、素直に秘術を渡してくれればすべて丸く収まるはずだ、というのは涙の本心である。

 涙が忍術を学んでいるのは、単に家系の問題による。涙自身はそのような能力も求めておらず、むしろできれば忍びの世界から遠ざかりたいと願うが、元来の気性がなにか命令されると従ってしまうという弱気のせいでどうにもならぬのが現状なのだ。

 今回の任務、賀龍新蔵を殺して秘術を奪えというのも、命令を受け、どうしてそんなことをしなければならないのだろうと迷いながら、いまはもう賀龍新蔵のとなりにいる。この道で正しいのだろうかと訝しんでいるうちに取り返しのつかぬ場所まで進んでしまうのである。

 やるしかない、と涙は自分を励ました。ここまできて引き返すという法はない。新蔵が素直に秘術を渡さぬというなら、忍術でもって奪いとるのみ。涙には、新蔵を殺すという覚悟ははじめからない。

 涙は立ち上がった。ふらつく足元、赤らんだ顔で廊下を進み、車両後方、トイレの前に立つ。なかで新蔵が動く気配がする。涙は両手を合わせ、印を結んだ。



 一方、新蔵もまた、用を足し終えて、扉の外に涙が立っていることに気づいている。目には見えぬが、気配というものを感ずる。さすがに細かい動作まではわからないが、なにか術をしているらしいと察して、新蔵はすこし考え込んだ。

 そもそも下辻忍者が伝承する忍法は、攻撃のための忍法ではない。ほとんどすべてが防御、あるいは変則的な捕縛術である。それゆえ、古くから貴人要人の護衛を任務としていたが、時代が変わるに連れ、すこしずつほかの里に株を奪われることになり、いまでは下辻忍者を知っている者はごく少数になっている。

 ――場所を考えても、積極的に動くわけにはいかねえか。

 心中ぽつりと呟いて、新蔵は印を切った。

 忍法、天狗返し――下辻忍者に伝わる、一種の護衛法である。物理的な攻撃はともかく、心理的に影響する術を、相手にそのまま跳ね返す。新蔵はまずそれで様子を見るつもりで、がらりとトイレの扉を開けた。


「あっ――」


 案の定、そこには女が立っている。新蔵がなにか、目には見えぬ熱気のようなものが自分を包み込むのを感じた。それは一度は新蔵をすっぽりと覆ったが、天狗返しによって弾き返され、術者である女のほうへ熱気が移った。

 女はびくりと身体を震わせ、膝からくずれてその場に座り込む。見下ろす新蔵に、女は潤んだ瞳を向けて、


「どうして――」

「いったいなんの術をかけようとしたんだ? 幻覚でも見てるのかい」


 相手は敵ながら若い女である。新蔵が呆れたように言うと、女はぷいと視線を外し、新蔵に流し目をくれれば、なにか言葉にはならぬ情念が乗っている。


「あの、これは――」


 女は壁にすがるようにして立ち上がり、赤い頬をそっと背けて、まつげを切なげに揺らす。


「その、変心術のひとつで」

「変心術?」

「相手の心を操るものです。それで、その」


 と言いよどむのに、新蔵はわけがわからぬというように首をかしげて、ともかく敵だ、あまり関わる必要もあるまいと自分の席に戻った。すると、女はそのあとをするするとついてきて、新蔵が立ち止まれば女も立ち止まる。振り返り、視線が合うと、女はうぶな仕草で目を逸らす。さすがに新蔵もぴんとくる。

 席に戻り、どかりと座れば、そのとなり、女もちょこんと腰を下ろして、新蔵の横顔をちらちらと窺った。


「くノ一は、そういう術も多いって聞くけどな」


 にやりと新蔵、女を横目で見て、


「誘惑術を自分で食らった気分はどうだい?」


 と意地悪く聞けば、女はさっと耳を赤くしてうつむいた。

 誘惑術――洗脳術といってもよい。

 他人の心を操り、自分に心酔させ、必要な情報を聞き出し、あるいは隠密のように使う術である。それを新蔵にかけ、秘術を奪おうとしていた女、涙は、反対に術を食らって、新蔵を愛おしい男だと思い込んでいるのだ。


「自分で術を解いちゃだめだぜ。ちょうど都合がいい。いろいろ聞き出させてもらおう」


 新蔵が笑いながら言えば、それにすら涙は魅了されているらしい。

 愛する相手に、秘密もなにもない。

 涙は問われるまま、秘術を求める理由を、あるいは自分の属する組織のことを新蔵に話した。それですこしでも新蔵の愛情が得られるなら、というような、健気な態度であった。新蔵は思いがけぬ情報源によろこびながら、一方で死をもって秘にする忍びが簡単に口を割るほど強力な忍術というものを恐ろしく思った。

 しかし、ようやく新蔵にもことの真相が見えてくる。


「兄貴は直接命令を出してるわけじゃねえのか。その裏には、島田って大臣がいる――そいつが秘術をほしがってて、兄貴はその手助けをしてるってことか」

「そうです。わたしたちは、賀龍高志ではなく、島田というひとの命令で動いているんです」

「兄貴はいったいなにを考えてるんだ? そんなくだらねえ男の下につくようなやつじゃなかったはずだが」

 考えられるとすれば、高志は島田を利用し、秘術を手に入れさせようとしているということ。独力で秘術を奪うには骨が折れるから、島田の力を借りているのだと考えられぬこともないが。

 そもそも高志と島田がそれほどまでに欲する秘術とはなんなのか。新蔵はそれを懐に持ちながら、なにも知らぬままなのである。

 巻物を解き、なかを確認してみようか、という気も起こさぬではなかったが、一翁の脅し文句を思い出してはなんとか手を止める。


「まあ、下辻神社ってところに行ってみりゃ、なんかわかるだろう」

「下辻神社?」


 そこまでは知らぬらしい、涙は首をかしげる。新蔵は、涙をここへ置いていくかどうか迷ったが、自然に術が解ける気配もなし、置いてゆけば再び敵の手に落ちて術を解かれ、不利益な情報を引き出されるかもしれない。ならばと、新蔵は言った。


「そこの巫女に会わなくちゃいけないんだ。あんたもついてくるか?」

「は、はいっ」


 涙はうなずき、うれしそうに笑う。忍びという裏がなければ、ごく当たり前に幸せを謳歌できるような、ありふれた女である。

 忍びによって人生を曲げられたのは、無関係に巻き込まれた人間ばかりではない。新蔵は目を伏せ、座席に深くもたれて、到着を待った。


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