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無常の空  作者: 藤崎悠貴
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無常の空 1

  1



 きいん、きいん、と鉄が鳴る。


「くそ、こいつ、この野郎、いい加減死ね、こいつ」


 ぐいと身を乗り出し、青光りするテレビ画面、黒いコントローラーを激しく指で叩く若い男がひとり。


 伸び放題の蓬髪に、首元のよれたシャツ、下はスウェットで、目をかっと見開き、テレビとの距離はすでに一メートルを切っている。足元で低くちいさくうなり声を上げるゲーム機、画面のなかでは、何十メートルとありそうな化け物の一撃を、若い剣士が後ろに飛んで躱したところ。いざ反撃と飛びかかるが、そこをやられ、コントローラーがぶるんと震える。


「おお、やべえ、一撃で食らいすぎだろ。ゲームバランス的にいいのかよ、くそ」


 独り言、というには声も大きいが。

 背後を見れば、シーツの乱れたシングルベッド、フローリングの床には脱ぎ散らかした服がちらほら、その下から漫画本が顔を覗かせ、典型的な男のひとり暮らし、ワンルームである。

 しかし部屋にいるのはこの男ひとりきりではない。

 もうひとり、ベッドに腰掛け、じいと男の背中を見つめる女。薄茶色に染めた髪は顔の輪郭に合わせて切り揃えられ、薄い唇を尖らせて、格好も黒のキャミソールと下着だけ。


「ねえ」

「ん?」

「雨だから家でゆっくりしようって、そういう意味じゃなかったんだけど」

「なにが――あっ、お、危ねえ! 食らうかっての、こいつ。これでどうだ、死ね、もう死ぬだろ」


 はあ、と深いため息が部屋に満ちる。


「付き合って半年にして倦怠期ってやつかしら」

「なんか言ったか?」

「なんにも。ねえ、なんなの、そのゲーム」

「見てのとおり、とりあえず目に入ったやつから殺していくゲームだ。ラスボスなんだ、これ」

「ねえ、なんかして遊ぼうよ。賀龍くんち、なんかないの?」

「ちょっと待て、こいつを倒したら――おおっ、小癪な。おれに敵うわけがねえだろうが」


 男、賀龍新蔵はテレビ画面に夢中、それを後ろから眺める女、薫はベッドからするすると降り、新蔵の背中にぴたりと身体を寄せる。新蔵の肩にあごをちょこんと載せれば、新蔵の頬を薄茶色の髪がするすると流れた。


「ねえ、どっちが賀龍くん?」

「手前のちっちぇえほう」

「剣振り回してるやつ? 死にそうじゃん」

「ばか、死なねえよ。勝負はこっからだ」

「セーブとかできないの?」

「ラスボスだからな。勝つか負けるかしかねえ男の戦いなんだ。こなくそ、死ね、よっ」

「はあ……なんでそんなに夢中になれるのか、さっぱりわかんない。ねえ、せめてあたしにもやらせてよ。いっしょにやろうよ」

「ああ待て待て!」

「どれが攻撃?」

「やべえ、かわせ! ああっ」


 巨大な化け物の鋭い一撃、操るキャラクターは画面の端まで飛ばされ、残り体力がわずかであることを示す赤い画面に変わる。新蔵が慌ててコントローラーを取り返し、片膝を立てて激しくボタンを叩けば、薫の不満顔もぐんと濃くなる。


「つまんなーい」

「これが終わったらふたりでできるモードにするから、ちょっとおとなしくしててくれ。くっ、あと一撃食らったらやべえ。回復薬もねえしな――くそ、忍術が使えたらな」

「忍者なの、それ? 侍っぽいけど」

「侍だよ。忍者だったら、こんなに堂々とは戦わねえだろうな」

「そうなの?」

「忍者の基本は闇討ち――よっ、くっ」


 新蔵は会話もそぞろで、薫はわざと頬をぷっくりとふくらませて拗ねてみるが、新蔵はそれを見ようともしない。薫はため息をつき、ふとなにか思いついた顔、薄い唇に笑みを浮かべ、新蔵の身体にきゅっと抱きつく。


「賀龍くん、ねえ、ゲームなんかより、もっと楽しいことしない?」

「ゲームよりもっと楽しいことって――おっ、よっ。よしいまだ、斬れ、斬れ!」

「むう……」


 尖らせた唇を、そのまま新蔵の頬にぴたりとあてがう。薫が突き出した首を引っ込めれば、さすがに新蔵も手を頬にやって、薫を振り返った。

 画面のなか、最後の一撃を受けた剣士がぐったりと倒れ、暗転。

 振り返った新蔵の前で、薫はにっこりと微笑んだ。それがまた愛らしいこと。大学でも指折りの美人と呼ばれるだけはあると新蔵は内心ぽつり。


 どちらかといえば人目を惹くような外見ではない新蔵と、控えめに言っても通う大学でうわさになる程度には美人の薫、ふたりの付き合いを辿れば中学時代に行き着くが、はじめは友だちだったのが、明確な恋人になったのはつい半年前のこと。友だちの期間が長かったせいか、恋人になったところで急激にその関係が甘酸っぱくなることもなく、友だちの延長線上にあるようなないような、というのが薫の近ごろの悩みらしいが、新蔵はそんなことにも気づいていないふうである。


「ね、ゲームより楽しいでしょ?」


 しかしこうも無邪気に、また露骨に誘われれば、鈍い新蔵も反応するというもの。


「薫っ」

「きゃあっ」


 新蔵はそのまま薫の身体を抱きしめ、振り向きざまに押し倒す。薄紅に咲いた唇を塞ぎ、頭を撫でれば、薫はうっとりと目尻を下げて鼻にかかった息を漏らした。

 白磁のようななめらかな足、フローリングにごろんと寝転がり、足のあいだに新蔵が身体を入れ、覆い被さる。画面には大きくゲームオーバーの文字、それも気にならぬらしい新蔵である。


「んっ――賀龍くん、こういうときは強引だね」


 と薫が笑うのに、新蔵もにいと笑って、


「強引にさせる薫が悪い」

「なあに、その理屈」


 くすくすと甘い笑み、新蔵は身体を起こし、薫をひょいと腕に抱えてベッドへ運んだ。薫は新蔵の首にきゅっと掴まりながら、


「身体は細いのに、結構力あるよね。あたし、そんなに軽くないでしょ?」

「あれ、知らねえのか。アインシュタインの残した数式いわく、男に抱えられるとき、女の体重は限りなくゼロに近づくんだぜ」

「聞いたことないよ、そんなの」

「まあ、言ってみりゃ力の入れ方と持つ場所の問題だな。たとえば――」


 薫をベッドに下ろし、キャミソールを押し上げている胸の膨らみをふにと掴む。あ、と薫が声を上げ、新蔵は無造作にむにむにとやりながら、


「この部分を、こうやって持っても人間の身体は持ち上げられないってこと」

「もう、えっち」


 胸を隠し、赤らんだ頬で微笑んで、背中からベッドに倒れ込む薫、新蔵はそれに覆い被さる。


「ラスボスを倒せなかった恨みを全部注ぎ込んでやる」

「やだ、もう――」


 掛け布団がふわりと動き、ふたりを覆い隠した。

 白いシーツの下、もぞもぞと動く。室内は静まり返り、電源を入れたままのゲーム機がうんうんと唸るほか、家鳴りもない。

 窓の外は雨。しかしざあざあと音を立てるほどではない。昨晩から降り続いているのも、いまはすこし小降りに変わり、灰色の雲が鱗のように立ち込めてはいるが、空は明るさを取り戻しつつあった。

 屋根を伝う水滴がぽつりぽつりと落ちてきて、狭いベランダの手すり、ぱしゃと跳ねて放射状に水滴を飛ばし、閉め切られた窓の向こうにまで響くような音もなく、ただ一定の間隔で落ちていた水滴が、ぴたりと止まった。

 新蔵はふと身体を起こす。


「どうしたの?」


 腕のなか、薫はあられもない格好で、汗ばんだ頬に乱れ髪を載せ、新蔵を見上げた。白い指先が、新蔵の裸の胸をゆっくりと撫でる。

 新蔵はあたりを見回し、普段と変わりないように見えるベランダをじっと見つめたあと、鋭く叫んだ。


「伏せろ、動くな!」

「えっ――」


 ベッドを覆い隠すように舞った白いシーツ、瞬間、窓にぴしりと罅が入り、一瞬にして砕け散った。

 飛び込んだくないの影、シーツが壁に縫い止められ、新蔵は床へ転がり落ちると同時にベッドをぐいと持ち上げた。それを壁に立てかけ、あいだに薫を隠して、窓の外をちらと見る。

 濡れた手すりに、男がひとり立っている。

 黒い覆面に紺のスラックス、白いシャツはじっとりと濡れていた。


「ふむ、よく反応したな」

「荒い客だな。どこのどいつだ?」


 新蔵は上半身裸、ちらとシーツを縫い止めるくないに目をやれば、割かれたシーツの一部に黒い染みができている。


「毒つきとは、挨拶もなしに殺すつもりかい」

「われわれ忍者にとって名乗りほど情けないこともあるまい」

「忍者、ね。人違いじゃないか。おれはただの大学生だ。そういや、となりに住んでるやつが忍者っぽいやつだったな」

「ただの大学生に奇襲を躱されては堪らない」


 ひゅんと空気が鳴った。

 男の腕は動かなかったが、首をかしげた新蔵の頭、その数センチ横を黒く塗られたくないがすぎる。

 新蔵はそのまま首をぽきりと鳴らし、


「礼儀がなってないぜ。せめてお楽しみが終わってからにしてほしいもんだ」

「続きはあの世でやればいい」


 男が飛んだ。手すりを蹴り、室内へ飛び込む。新蔵も床を蹴る。空中で交差した瞬間、新蔵はくるりと身体を回して蹴りを男の腹に叩き込んでいる。まるで鉄でも蹴ったような異様に硬い感覚、そのまま男の身体をベランダの方向に蹴り返すも、男は何事もなかったように手すりへ着地する。

 新蔵は、どちらかといえば痩せた自分の身体を見下ろし、後頭部を掻いた。


「忍者ってのは闇討ちするもんだ。それが失敗したんだから、おとなしく引っ込んでほしいもんだが」


 壁に立てかけたベッドをぐいと下ろせば、壁とのあいだ、半裸の薫が目を丸くしてうずくまっている。


「どうしたの、なにが起こってるの?」

「悪い、客がきちまった」


 と新蔵、はにかんで、床に落ちていた薫の服を拾い上げる。


「今日のところは一旦帰ってくれるか」

「で、でも、賀龍くんは――警察呼ばなきゃ」

「いや、いいんだ。とにかく気ぃつけて帰れよ。またこっちから連絡するから」


 話しているあいだ、男は手すりからじっとその様子を見ている。隙あらば飛びかかろうという姿勢だが、新蔵は背で男を威嚇し、むしろ射止められたように動けぬのは男のほう、ごくりと唾を飲み、男は認識を改める。

 異様な威圧感である。

 背中を向け、無防備なふりをしながら、猛獣のような牙と爪をぎらぎらと光らせている。不用意に飛び込もうものなら、その首は一瞬で食いちぎられ、また四肢はばらばらに裂かれるであろう――男はおのれのそんな姿を容易に想像し、また、容易に想像させるほどの新蔵の存在感なのだ。


 ベッドの陰から恐る恐るという顔で出てきた薫は、ほんの一瞬ベランダに目を向けた。新蔵は何気ない素振りで玄関から薫が出ていくのを見守り、それからくるりと男に向き直れば、口元ににやり、笑みが浮かんでいる。


「いったいなんの用だ。野良忍者に命を狙われるほど派手な生活はしてねえはずだが」

「秘術は持っていないようだな」

「秘術だあ? なんの話だい、そりゃ」

「知らんなら、それでいい。しかしおまえはわれわれの邪魔になる」

「だからここで死んでいけってか。おれもろくな人間じゃねえが、死ねと言われて死ねるほどあっさりした人間でもねえ。いいぜ、こいよ」


 新蔵は不敵に笑い、両腕をだらりと下げる。

 男は手すりの上、右手でさっと印を切った。手を抜いてどうにかなる相手ではないと判断したのである。


「忍術、暗転敷!」


 手すりから男が飛びさすった瞬間、室内がさっと暗闇に包まれた。

 いかに曇天といえど、まさかおのれの鼻先が見えぬほどではない。しかし闇はそれだけの濃度を持ち、狭い一室に充ち満ちて、新蔵の周囲をぐるりと覆い尽くした。

 触れればしっとりと指先を濡らすような暗闇、起立していても方向感覚を失うような世界で、新蔵は微動だにせず直立している。

 男はくないを壁に突き刺し、そこにしかと捕まって、新蔵の背後へ飛んだ。この闇にあって、男には新蔵の位置がはっきりと見えているのである。男は壁を蹴る。背後からその痩せた身体を貫くつもりで。


 だらりと両腕を下げた新蔵は、ゆるく目を閉じていた。暗闇のなかで、おかしいな、と感じている。視界がないのはともかく、いまも降り続く雨音さえも聞こえない。男の気配も感じなければ、肌には風の感覚もない。暗闇は五感すべてを閉ざし、自分が倒れているのか、あるいはまだ立ち尽くしているのかさえわからないのである。

 ならば、と新蔵は呟いた。


「忍法、心身業」


 ごうと風が鳴るのも、新蔵には聞こえない。

 男はくないの先を新蔵に向け、確実に貫くため、自らの手でもって突き殺しにゆく。

 鋭いくないの先、ありもしない暗闇に炯々と輝き、貫いた、と男が感じた瞬間に、暗闇が消えている。

 どうと音を立てて倒れたのは男であり、新蔵はゆっくり目を開け、足元、自らのくないで腹を切り裂いた男を冷たく見下ろした。男の白いシャツにじわりと血が広がり、あっという間、フローリングの床にも血溜まりを作ってゆく。男は脂汗を浮かべ、新蔵を見上げた。


「なぜだ――なぜおれが?」

「おれを殺した、と思っただろう?」


 新蔵はにやり。


「だから、あんたがやられちまったのさ。おれには五感がなくとも、あんたには五感がある。あんたの五感、借りたぜ」


 男がすかさず逃げようとするのを、新蔵は見た目に似合わぬ剛力で肩を押さえ込み、無理やり座らせる。


「さあ、なんでおれを襲ったか聞かせてもらおうか。お互い忍者同士らしい、言い訳無用なのはわかってるだろう? おれはあんたを殺すつもりはない。死なない程度にいたぶられるのがいいか、素直に吐いちまうか、考えるんだな。秘術ってのはなんのことだ」

「くっ――」


 唇を噛む男が、ちらとベランダに目をやった。もちろん、新蔵もすでにそちらを見ている。先ほどまで男が立っていた手すりに、いまは別の、同じように覆面をかぶり、白いワイシャツとスラックス姿の男が座っているのである。


「おや」


 と新たな男は意外そうに呟き、血まみれの仲間を見た。

 もっとも、血まみれなのは新蔵にやられた男ばかりではない、新たに現れた男もまた白いシャツの前面を血でべっとりと汚している。雨に滲んだ朱色が、未だ生々しく、ぬくもりさえ残すほど。


「静かになったと思えば、こんな状況とはな」

「ふたり目がいたのか」


 新蔵の舌打ちに、新たな男は低く笑った。


「さすがにふたり同時に相手をするのはきついかな? 悪いが、こっちも仕事だ。さっさと死んでくれ。あの世で恋人が待ってるぜ」

「――なんだって?」

「おや、思いもよらなかったという顔だが、この服の色を見て気づかんかね」


 男はシャツの襟をちょっとつまみ、覆面の下でくすくすと子どものように笑った。


「おまえに恨みはないから教えてやるが、あの女、死ぬ間際までおまえを呼んでいたぞ。この部屋にいても気づきそうな大声を出すものだから、つい荒くやってしまった。おかげでこの服はもう捨てるしか――」


 どんと鈍い音を立て、男の身体が狭いベランダの床に叩きつけられる。

 自慢げに襟をつまんだまま、男は信じられぬという顔、自分に近づく新蔵の姿も認識できないまま、濡れた地面に押さえ込まれる。


「あんまりべらべらしゃべるんじゃねえ」


 新蔵が男を見下ろしている。

 不思議に感情がない目に、声である。

 ただ吹き込んだ雨が頬を濡らしているのか、覆面の男の顔に、ぽたりぽたりと、清廉なしずくが落ちてきた。

 ぐっ、と男がうめいた。

 新蔵が掴む男の肩が、みしみしと軋んでいる。

 そのままごきりと音を立てて骨が外れ、あるいは砕けても、新蔵は力を緩めなかった。白いシャツの内側から、男自身の血がじわりとにじむ。


「ここで死にたかったら、おれの質問にだけ答えろ。余計なことを一言でも言ってみろ。まともな心で死ねると思うなよ」

「はっ――忍者に脅しが通じるものか」


 男が答えた瞬間、新蔵は男の覆面を剥ぎ取り、その耳を掴んで、力任せに引き裂いた。

 ちぎれた耳を無造作に投げ捨て、男は絶叫とともにのた打ち回るが、それさえも押さえこまれて、口をぱくぱくと開き、頭をわずかに振ることしか許されない。


「片方ありゃ聞こえるだろ?」


 新蔵の、濡れた蓬髪の毛先から雨粒が滴る。

 どくどくと流れ出す赤い血に、脳みそを貫かれるような痛み、男はほとんど呆然と新蔵を見上げた。


「おれはろくな人間じゃねえんだ。慈悲なんて期待するな。質問に答えろ。わかったな」


 男はちいさく何度もうなずいた。


「――薫を殺したのか?」


 打算が男の返答を鈍らせた。その一瞬のうち、新蔵は男の指を五本合わせてへし折っている。


「もう一度聞く。薫を殺したのか」


 男はうなずいた。

 新蔵はなにもしなかった。

 沈黙。

 また強くなりはじめた雨音が、ざあざあと泣いていた。

 生ぬるい風は南から北へ、雨粒がそれに合わせてゆったりと揺れる。


「秘術ってのは、なんだ」


 新蔵が問う。


「ひ、秘術は、下辻忍者に伝わるというものだ――おまえが継承している可能性があると考え、襲った」

「たしかにおれは下辻忍者の生き残りだが、知らねえぞ、そんなもん。持ってるとしたら親父か兄貴だろう。しかし、おまえらはどこの忍者だ。なぜいま秘術なんてもんを探してる?」


 男の目には恐怖だけがあった。


「お、おれたちは――」


 と言いかけるや否や、くないが男の横顔を貫き、頭蓋を破って深々と突き刺さる。

 新蔵へも何本か飛んで、後ろへ飛んで躱している間に、室内にいた男が雨のなかへ飛び出す。新蔵はそれをちらと見て、目を見開いたまま即死している男を見下ろした。


「くそ――口封じか。裏にだれかいるってことだな。だれだ――この時代に、忍者を使ってなにか企むようなやつは。どうせろくなやつじゃねえんだろうが、放ってはおけねえな」


 立ち上がった新蔵は、濡れた手すりにそっと触れた。

 振り返れば、室内は惨状、窓は割れ、ガラスは散乱し、ベッドはひっくり返って、シーツは壁に縫い止められたままである。いつの間にかゲーム機のうなりも止まり、電源の入ったテレビは暗転から動かない。

 つい数十分前にあった平穏と暖かさは、粉微塵に破壊されていた。

 たしかにあったはずの薫の笑顔が、そのぬくもりが、冷たい雨に消されてゆく。

 新蔵はしとどに濡れながら、降りしきる雨粒に自問した。


 悪いのは生い立ちか、自分の判断か。

 あるいは邪魔になる人間を皆殺しにしてでもなんらかの目的を達しようとする者か。


 自戒は強いが、それでなにが変わるわけでもない。

 新蔵は手すりを握りしめた。ひんやりと冷たく、熱い身体をほんのすこしだけ慰めてくれる。


「ガキのころから忍者なんてばからしいと思ってたが、いまは感謝しなくちゃいけねえな――名前も知らねえ敵に復讐する力を与えてくれたんだからな」


 薫のためではない。おそらくは自分自身のためだ。薫は復讐を望むような性格ではなかった。血の制裁を望むのは、自らの野蛮な本能である。新蔵はそれでもいいと思った。

 ともかく、薫を殺したやつらを無事に済ませるわけにはいかない。

 新蔵は部屋に戻り、いやに丁寧な仕草でベッドをもと通りに戻して、ぽつりと言った。


「秘術ってことは、親父か兄貴も襲われてるのか――兄貴の場所はわかんねえし、まあ、兄貴のことだ、死んじゃいねえだろうが、親父は心配だな。一度、帰ってみるか」


 いや、一度ではないな、と気づく。

 二度とこの部屋に戻ることはない。

 新蔵は荷物も持たず、ただ服だけを着て、二年暮らしたワンルームをあとにした。


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