冬の風
凛とした空気が流れる冬の朝、はぁ…っと吐いた息が白く流れ景色に溶けてゆく。
水位も下がった冬の川。橋の上で一旦歩みを止め、遠くの山を眺める。山頂には薄雲が掛かり、今にも雪が降り出しそうな景観をしていたが、街は雪が降るという事は滅多になくただ寒さが身に染みるだけの毎年の見慣れた登校風景があるだけだった。
「寒いし、さっさと渡っちゃおう」誰に言うでもなくそう呟くと、セミロングの黒髪を揺らし歩き出す。橋を渡りきり河川敷に併設された公園の前へと差し掛かった時、公園の大きな木を一人の少女が見上げているのが目に映った。
(同じ制服。でもあんな子居たかな?)そう思い、何気なくその子の方を見ると何の予兆もなく、くるっとその子が振り返り目があった。一瞬、見ていたのがバレたと気まずく思ったが、その気持ちを打ち消すように彼女が言った。
「この木、もう死んでいるのに可哀想。空洞に鉄骨を入れられ、コンクリートを流し込まれて公園の只のモニュメントとしてただ孤独に立たされているの。ねぇ、あなたも可哀想だと思わない?」そういう彼女はやっぱり見た事のない子だった。何と返そうかと悩んでいると、彼女は私をじっと見つめて続けて言う。
「あなた、不思議な色をしているのね。でも綺麗で好きよ。」薄く、軽く、ニコリと笑う。何だか気恥ずかしくなって、走り出す。公園の前の坂を一気に駆け下りるとくるりと後ろを振り返る。彼女は居なかった。まだ公園に居るのだろうか?黙って走り出しちゃった事を少し悪く思ったが、急にあんな事を言うのでビックリしてしまい体が勝手に動いたのだ。仕方がない、と自分に言い聞かせ学校へと歩き出す。
学校へと着いてまずやる事。教室の花の水を替える事。誰に言われたでもなく、ただ毎朝繰り返すルーティンみたいなものだった。休み明けだったので少し花に元気がない気がして水を替えながら呟く。
「ごめんね。お休みの日には水を替えてあげられなくて。やっぱり新しい水が良いよね。」花に話しかけながら先程の少女の事を思い出す。あの子はあの木が死んでいる事を悲しんでいた。じゃあ、この花たちを見ても悲しむのだろうか?観賞用に作られ、無残に切られ花瓶に入れられる。それってとても悲しくて残酷な事なのじゃないかと…
(やめよう。この子達だって一生懸命生きているし、私達に少しの間でも元気をくれる。それを可哀想って思いたくはないな)新しい水を入れた花瓶に花を戻し、定位置へと置いてやる。今日は薄曇りだけど、ここが日が一番当たるからと向きを微調整してあげる。そうこうしてるとクラスメイト達が次々と登校してくる。おはようっと軽く挨拶をして自分の席に戻り、読み掛けの小説を取り出し続きを読み始める。本屋で見つけた所謂恋愛小説というやつだ。と言っても、女子高である自分には関係のない憧れというか予習というか軽い気持ちで手に取った、本屋のオススメというやつである。
暫く読んでいると予鈴が鳴った。その頃にはもう教室はクラスメイトでいっぱいであり、スマホを弄ったり読んでいた雑誌を鞄に仕舞ったりと各々の時間を過ごしていた。そっと小説を閉じ、窓から薄曇りの校庭を眺めている。寒さは目に見える気がするなと何気なく考え事をしているとチャイムが鳴り、担任の先生が入ってきた。
お決まりの挨拶を済ますと、先生が私たちを見ながらこう言った。
「今日も寒いが、風邪など注意するように。そして、この時期には珍しいが転校生が来ている。皆、仲良くするように。入りなさい」そう言うと教室の扉がすぅっと開き、一人の少女が入ってきた。
(あ、さっきの子だ。転校生だったのか)と妙に納得した。少女は一礼すると黒板に名前を書き始めた。そしてくるりとことらを向き、ひとつ小さく息を吐き自己紹介をする。
小柄な体に、薄く茶色がかった髪が腰の辺りまで流れる。、そして前髪を花の形をしたヘアピンで留めている。さっき聞いた綺麗な声で、
「初めまして。私の名前は天美です。天美リーファ。初めての人間社会で不安な事ばかりですが、どうぞよろしくお願いします。」
(人間社会?初めての?どういう意味だろう。)そう思った瞬間彼女が髪をかきあげる。長い耳が目に入る。突然の事に教室内が響めく。彼女はひと呼吸置くとこう続けた。
「私はエルフです。なので普段はエルフの里で暮らしていました。ですが、私のたっての願いで人間の学校へと転校生として一緒に生活をしていきたいと、無理を言い送り出して頂きました。一般教養、勉学その他人間社会の事は色々と勉強してきたので、出来るだけ普通のクラスメイトとして接して頂けると幸いです。どうぞよろしくお願いします。」
自己紹介を終えると、担任の先生が言う。
「まぁ、エルフと言っても年齢は君たちと同じ16歳だ。何も変わらない。同じクラスのクラスメイトとして仲良くやってくれ。天美も分からない事があれば周りの誰でもいい、頼って聞いてくれ。席は…」と担任の目が教室内を一周する。そして、
「矢田の隣が空いてるな。矢田、面倒を見てやってくれ。」そういうとひとつ空いた席を指差し天美をそこへと促す。ゆっくりと彼女が近付いて来る。そして目の前で止まり嬉しそうな声を上げる。
「あなた、さっきの!矢田さんって言うのね。とても綺麗な色の人。よろしくお願いね」っとにころと笑う。綺麗な髪と長い耳が印象的で、さっきは何で気付かなかったんだって不思議に思える程彼女は不思議で美麗な空気を醸し出していた。
「あ、や、矢田です。矢田優。こちらこそよろしくお願いします。さっきは急に逃げちゃってごめんね」っと一頻り自己紹介を済ますと天美はニコニコしながら席へと着いた。
エルフ。滅多に人里には来ないという自然を愛し、人間を遥かに越える長寿で排他的と言うか他種族との関わりを極端に嫌う。授業で習った事はあるが実物は初めて目にした。しかも、エルフには美女が多いと噂で聞いたが天美も周りを虜にするには余りある美貌の持ち主であった。
休み時間は凄かった。質問の嵐が雨霰の様に天美を襲撃していた。しかし、彼女は嫌な顔一つせずに質問に答えていた。
「天美さんって本当に長生きなの?」「エルフっていっぱい居るの?」「何で人間の学校に来ようと思ったの?」「彼氏は?」それはもう何から何かまで聞き出してやるという好奇心の塊の様な女子高生の質問の嵐は収まることはなかった。
そんな休み時間も何度か過ぎ、一通り落ち着いた昼休憩。天美はくるりと矢田の方を見ると、
「質問責めは疲れちゃうね」っと軽く笑ってみせた。そしてお弁当を取り出し、矢田の方を見つめ
「お弁当、一緒に食べない?私はあなたに興味があるの」とコロコロと笑ってみせた。
そして机を並べ、一緒にお弁当を食べていると次は天美の質問が始まった。
「矢田さん、優って呼んでいい?優は何であんなに朝早く学校に来てるの?」天美は相変わらずニコニコしている。優は少し考えて、
「お花のお水を替えてるの。ねぇ、天美さんはあの花達を見たら可哀想って思うの?」そう聞く優に天美は花の方を見てクスッと笑って、
「あの花達は喜んでいるわ。あなたに水を替えて貰って。沢山の人に見て貰えて。あの公園の木の様にもう死んではいないもの。まだ懸命に生きているし、自分達が生まれて来た意味を精一杯頑張ってる最中なのよ」そう言って、お弁当の中からプチトマトを摘んで
「この子もそう。私達は他の命を頂かないと生きていけない。それはエルフだって人間だって同じでしょ?このトマトも食べられる事で自分の存在価値を精一杯叶えているのよ。」そう言い、プチトマトをぱくっと頬張るとちょっと真剣な顔で
「そう思ってあげないと、失礼だわ。って、私にもプチトマトも花の気持ちも分からないけどね。」っというとクスクス笑って見せた。
「天美さんって面白い人ね。後、気になってたんだけど私の色って何?」そう優が聞くと天美は少し考えてから少し声のトーンを落として
「これ秘密ね。エルフって、生まれた時に何か一つだけ魔法とか特殊な能力を貰えるの。中には攻撃に特化した能力の持ち主も居たりして、そういうエルフは時には争いの元になったりもするの。」天美は周りに注意しながら優にだけ聞こえる声で続ける。
「で、私の授かった能力は魂の色を見る事ができるの。あら?何だそれみたいな顔したわね。結構便利なのよ。良い人か悪い人か分かるのは大きいわ。そしてあなたは良い人。優はその中でも特に綺麗よ。」
優は自分が褒められた事に若干照れながら、
「じゃあ、天美さんもきっと綺麗な色してるのね」と返すとクスッと笑った。
「私はね、私というかエルフはね長生き故に皆同じような色になるのよ。つまんないわ。」っと若干不服そうな顔をして、
「だから、悪い色のエルフには敏感なのよ。もしかしたら私も悪い色かもよ」っと怖い顔をしてみせた。
一瞬の間の後、二人でプッと吹き出してクスクスと笑いだした。
その日はあっという間に過ぎ、帰りの時間が来た。もうそれが当然で以前からそうであったかの様に自然と二人は友達になり、一緒に帰り道を歩いていた。また針の様に肌に刺さるような寒さの中、二人で歩いていると天美は呟いた。
「本当に、人間の色は不思議でいっぱいだわ。」くるくると周りを見渡しながら楽しそうに言う。
優も通った小学校の横を通りながら、道行く子供や中年の男、おばあさんや赤ちゃんを鑑定するように天美は目を輝かせる。ふと、優は不思議に思った。天美は何故天美と言うのだろうと。優も少なからずエルフの情報は知っていたが、天美のように苗字はなかった気がする。
「ねぇ天美さん。天美さんはどうして天美って苗字なの?」優は思い切って聞いてみた。天美はフフフっと不敵な笑みを浮かべ一言、
「内緒」と答えた。イジワルと優は不貞腐れたが、それを見た天美はアハハっと笑い、
「うそうそ。冗談よ。大した理由ではないの。私は美しいものが好きなの。その中でも星がとても好きだったから天を見るから天見、美しいを入れたくて天美にしたのよ。ほら、人間て苗字が必要じゃない?」なるほど、っと優は納得して星は確かに綺麗だと、それと同時に天美も美しいと思っている自分にビックリした。
(私って、意外とメンクイなのかもしれないわ)
そう思ってクスっと笑った。天美はそれが不思議そうで私を覗き込んだ。
「どうしたの?何かいい事でも思いついたの?」天美はつられてニコニコと笑いながら一緒に歩いた。
坂を登り、河川敷の公園に出た。あの木がある。天美は少し悲しそうな顔をして、パッと優から離れ、
「じゃあ、私こっちだから」と河川敷の遊歩道を指さした。優はたった一日で世界がこんなに変わるものなのかと思いながら、うんと頷くと天美ともう少し居たいと思ってる事に不思議な気持ちになった。
「ねぇ天美さん。明日も来るのよね?」何故こんな事を聞いたのか優は分からなかった。転校してきたのだから来るに決まっているのに、どうしても明日も会いたいと思ってしまった。
「来るわよ。優は心配症なのね。それとも淋しがり屋さんなのかしら」とクスクス笑いながら手を振り遊歩道を歩いていった。
優は少しの喪失感と明日への期待とが入り混じった感覚で橋を渡っていった。ヒュウっと吹いた冬の風がコートに付いたリボンを揺らす。
(お花の水換え以外にも楽しみが増えちゃった。早く明日にならないかな)と、もう気分は明日の事でいっぱいだった。
家に着き、キッチンで夕食を作っている母親に、今日の事を話した。天美がエルフだという事は何故か言わなかった。
「良かったわね、あなたにもお友達が出来てお母さんは嬉しいわ。本ばっかりで友達に興味も無いのかと思って心配だったのよ」と言いながら今日はご馳走よと言ってルンルンで料理を続けていた。
自分の部屋に戻り、ベッドに飛び込んで今日の事を思い出す。天美さん明日も来るって。そう思って明日が楽しみ過ぎてゴロゴロとベッド上を転がる。
夕食を食べお風呂に入り、明日の課題を仕上げ何気なく朝読んでた小説の続きを読み始める。
今日は薄曇りだったが、明日はいい天気だと良いなと優は内容もそこそこに読み続ける。恋愛とは違うけど、ドキドキする事が増えたとどこか薄曇りだった自分の人生に日が差したような気がしてきて、本をポイッと投げると早々に部屋の電気を消し眠りについた。
夢を見た。白黒の世界に大きな木。もう死んでいる木。そこで誰かを待っている。待っている?のだろうか。もう何も分からなくなって随分と時間が経つ気がする。足元を猫が通る。風が木の葉を舞わせる。
待たなくては。とそれだけを考えながら。
ピピピピピっとスマホのアラームが鳴り、朝を告げる。のそりと起き上がってカーテンを開ける。快晴だ。朝の支度をして、いつも通りの時間に家を出る。青い風がスカートを揺らし、冬の寒さが頬に刺さる。だが、今の優には寒さなど関係ないのだった。今日も天美さんに会える。それが楽しみ過ぎて体の内側から熱が溢れ出てくるのだ。冬の橋を渡り、例の木がある所まで来た時に優はハッと顔を輝かせる。
天美がそこに居た。冬の寒さに負けじと咲く花の様に佇んでいる。
「天美さん!どうしてこんな早くに?」優はタタタっと駆け寄り天美に挨拶をする。天美は髪を弄りながらちょっと照れた様子で、
「優に早く会いたくてね。それに、花の水換えも手伝いたかったし」と言うと、じゃあ行くわよと優と歩き出した。坂を下り他愛ない会話をしながら登校する。正門で体育教師が登校してくる生徒に挨拶しようと立っていた。
「おはようございます。先生」っと優が言うと、教師は優達に気付くと
「おう、おはよう!矢田は今日も早いな。隣は転校生か。矢田と同じ時間に登校とは良い心がけだ」と豪快に返した。天美もおはようございますと挨拶し校舎に入る。教室までの長い廊下を歩いてる時に、ふと天美が優に言った。
「優は何故花の水換えをしているの?当番って訳でもないのでしょう?」ちょっと不思議というように天美は優に問いかける。優は少し考えて、
「花がね、枯れていたの。その時にまだ咲いていたかったんだろうなって思ったら、いつの間にかね。」と優が言うと優しいのねと天美は優に言った。
教室に入り、それぞれの荷物を置き花の水を替える。それが二人の日課になっていった。どちらが言う出すでもなく同じ時間に待ち合わせ、一緒に登校し一緒に水を替える。
そして数日が経った。遂に花が枯れてしまった。落ち込む優に天美は、
「この子達も嬉しかったと思うわ。自分達の為に毎日水を替えてくれる優に感謝していると思うわ。だから、もう眠らせてあげましょう。」そう言い優の肩を抱く。
「天美さんは居なくなったりしないよね?」優は少し不安そうに聞いた。天美はちょっと考えたあと何かを呟いたが聞き取れなかった。それを見た優はああ、彼女はいつか居なくなるかも知れないのだと思った。その時、天美は優の目を見て
「優が毎日水を変えてくれるのでしょう?だったら私は咲き続けるわ。」と、優を安心させるように言った。優は必ずと答えた。これがどれほど残酷な事なのかと、その時の優は思いもしなかった。ただ天美が居てくれると嬉しさでいっぱいだったのだ。
「ほら、悲しい事ばっかり考えてたら魂の色がくすんじゃうわ。」天美はそう言うと花をそっと紙に包み、今までありがとうねと呟いた。
花の事を担任の教師に伝えると、じゃあまた新しい花を用意するからお願いねと言われた。そして空になった花瓶は陽の光を浴びながらキラキラと輝いていた。クラスメイト達が続々と登校してくる。そして花の無い一日が始まった。大丈夫?っと天美が優に言う。優は花が枯れた事より、新しい花が来るまで天美との日課が無くなってしまうのがちょっと辛かった。そんな事を思ってしまう自分に少し自己嫌悪してしまった。授業が始まり、昼が過ぎ、帰りの時間になった時に天美はふと優に
「ねぇ、そう言えば一緒に居るようになって暫く経つのに、私達まだ連絡先も交換していないのおかしいわ。」と。そう言えばまだお互いの連絡先も交換していなかった。
「学校以外でも優と繋がっていたいわ。交換しましょう!」天美にしては声が上ずっていた。結構緊張していたのだろう。優はもちろん!と連絡先を交換した。優も言い出すタイミングを見失っていたのだった。帰り道、優はずっとニコニコしていた。今一緒に居るのに、それが終わっても繋がっていられるのだと思うと嬉しさが溢れ出てもう春にが来たような気持ちになった。
「これでいつでも一緒ね」天美の一言に胸を貫かれるような感覚になった。そう一緒なのだと思えるのが嬉しかった。帰り道、いつもの坂を登り公園のモニュメントと化してしまった悲しい木の所に来ても優は寂しくなかった。
「じゃあ、ここで。また後でね」天美が言う。しかし、繋がっていられるとはどういう感じなのだろう?と優は今まで経験した事がない事に上の空だった。天美がいつもの遊歩道に消えていく。
それを見送ってから優は橋を渡る。橋の上は公園に居る時よりも風が強く、コートのリボンをパタパタと揺らす。そして橋の中央でぼんやりと空を眺めた瞬間、聞き覚えのない電子音が響く。一瞬何の音だろうと思い、あ!っと優は気付く。何となく友達を作らなかった優。挨拶はするし、ちょっとしたお喋りくらいならする子は居たけど学校以外でなんて考えた事もなかった。そう、初めて優のスマホが鳴ったのだ。
恐る恐る画面を見る。そこには天美の名前。メッセージを開く指が震える。
『繋がるってこういう事よ。よろしくね』と書かれていた。優は初めての友達に、初めてのメッセージに、繋がっていられるという事に実感が湧いた。その瞬間、優の頬を暖かいものが伝う。悲しい以外で泣いたのは初めてだった。優の中で天美の存在は本当に大きくなっていたのだ。その事に気付く優。空を鳥が飛んでいく。涙でぼやけて彼方に消えてゆく。そこで優は大変な事に気付く。
あ、返信…何て返したら良いのだろう。経験がないのである、咄嗟には何も思い浮かばない。一分二分と時間が経ってゆく。川が流れる音がして、隣を子供が走り抜けていく。車道を車が走り、見上げていた視界の端に立っていた街灯に火が灯る。冬は日が暮れるのも早いなぁっと思いながら優はスマホを見つめ、思いついた言葉をそのまま送る。
『ね。嬉しいね』短い文章だったが、今の優の心はそれでいっぱいだった。
一瞬の間があり既読がつく。ああ、私達繋がっているんだと嬉しかった。天美の返信は一枚の画像だった。黒い画像の中に何かが光っている。一番星だ。同じ空の下に私達は居るんだと、優は天美の存在を感じる。その夜は、もうメッセージが止まらないのだった。お互い、こんなにも喋りたいことがいっぱいあったのかと思う程次から次へと話題が溢れ出す。結局、落ち着いて寝る頃には日を跨ぐ時間になってからだった。その日から新しい生活が始まったのだと優は眠る瞬間に思ったのだった。
次の日、猛烈な眠気に襲われながら目を覚ましたが土曜日だという事に気付くまで少し時間が掛かった。あ、今日は休みだ。そうして時計を見るとまだ早い時間だったのでもう一眠りするかと布団を被ろうとした時にあの音がした。天美と優を繋ぐ音だ。
飛び起きてスマホの画面を見る。そこには天美からのメッセージ。
『おはよう。まだ寝てるかしら?起きたらでいいので連絡して頂戴。今日、予定がなければ街にでも買い物に行かないかしら。暇だったらでいいの、思い付きだから』と書いてあった。優は飛び起き、即返信した。そしてベッドから飛び起き華麗なダンスを決めるのだった。今日は休みなのに天美と居られるのだ。小粋なダンスの一つも飛び出るのも頷ける。と、ふと我に返り恥ずかしくなった自分に言い訳をした。
いつもの木の下で待ち合わせる。定刻より早く天美が現れた。私服の天美は初めてだった。制服やいつものコートじゃない天美に暫し見とれてから優は手を振る。
「天美さん!」自分でもびっくりするほどの声の大きさだった。天美は手を振りながら歩いてきた。
「待たせたかしら?」という天美に優はううんと答える。その時、天美は待ち合わせ場所に選んだ木を眺めて呟いた。
「こうして誰かの待ち合わせに使われたりしてるのなら、あなたはまだ死んでいないのかも知れないわね。ごめんなさいね。」そう言うと天美は行きましょうと言う。公園からいつもの坂を下り、ひとつ角を曲がる。緩い下り道、天美が優に問いかける。
「今日は大丈夫だったの?無理に予定変えたりしていない?」優は天美の為ならどんな予定でも変えてみせるという言葉を飲み込み
「全然!むしろお休みに天美さんに会えるなんて嬉しいよ」優はそう言うとニッコリと笑ってみせた。心なしか天美が照れてる気がしたが、気のせいかと思う事にした。ふたりが並んで歩いていくと私鉄の高架が見えてきた。その下を駅までお喋りしながら歩く。時折頭上を通る電車の音にビックリしながら冬の風すら心地よく感じながら歩く。駅に到着した二人は電車を待つ。今日は良い天気で人も結構居る。
「この様子じゃ街中は人が多いかしら」と天美は呟く。その時、隣にいたおばあさんが不意に話し掛けてきた。
「おはよう。あなたエルフね?珍しい事もあるもんだねぇ。私の若い頃にはチラホラ見かけたものだが最近は滅多に見なくなったよ。」そういうおばあさんは何か懐かしそうな顔をした。
「ええ、私はエルフです。今は人間の学校に通っています。おばあさんはエルフに知り合いでも居るのですか?」天美は答える。おばあさんは、空を見上げ
「昔、私が若い頃にエルフのお友達が居たのよ。でも… まぁ、そろそろ電車が来るわ。あなた達も街まで出るのよね。邪魔しちゃってごめんなさいね。楽しんできてね」そういうと駅にアナウンスが流れ電車がいっそう寒い風を引き連れ入ってきた。軽く会釈をして電車に乗り込む。優は天美に小声で
「天美さんて今みたいに結構話しかけられたりするの?」と聞いた。
「たまにね。ほらエルフって珍しいじゃない。でも誰でも相手するわけじゃないのよ。ほら、私には見えるから」っとニコっと笑ってみせた。多分、怖い目にもあった事があるんだなっと優は思い、少し心配になった。車窓から見える町並み。高架と並走する長い商店街のアーケードに遠くのマンションの給水タンク。そして目に映る天美の横顔。何もかも一緒で何もかもが違う。優は街に出たら天美は私が守るんだという謎の正義感に燃えているのだった。数駅が過ぎ、終点で降りる。駅から出て歩道橋の上で一息つく。
「見て優。凄く高いビル!こんなの初めて見るわ!」と300mあるビルを眺めてテンション高めの声で言う。優も久し振りに来たので人の多さとビルの高さとでくらくらとした。しかし、今日は天美を守ると心に決めている優は気を引き締めるのだった。
「で、天美さん。買い物って何を買いに来たの?肝心なところ聞くの忘れてた」と優が言うと天美は
「んー、特に決めてないのよね。優と居られたらそれで良かったから。あとは都会に出てみたかったってのも一つかな。今も色んな人が行き交ってるでしょ?色んな色が見えて楽しいのよ」とクスクス笑いながら言う。優は少し考えて、じゃあ雑貨屋さん巡りでもしようと提案した。駅から少し歩いた所にある大型複合施設へと向かう。今日は一段と寒いが、人が多いからか心なしか少し暖かく感じるのだった。
時刻は午前11時過ぎとお昼を食べるには少し早い時間。自動ドアをくぐると一気に暖房の暖かさに襲われる。ちょっと厚着しすぎたかなぁっと優は後悔したのだった。行く先々の雑貨屋で色々と見て回る。
その間も、あれエルフじゃない?と言う言葉が耳の端を突く。そう言えば、優は天美の事をエルフとして接していない。とても大事な友達として接していた。しかし、やはりエルフというのは珍しいのだろう。天美が行く先々で皆の視線を集めていた。当の本人は気にしていないようだったが。
「ねぇ優。次の店で一旦休憩にしてお昼食べない?」ふと時計を見るともう13時になっていた。
「そうね、お昼ちょっと過ぎちゃったね。何が食べたい?」そう言えば天美は野菜系のヘルシーな物を好んでよく食べていた気がする。ここにそんな物あるだろうか?と少し心配になったが、予想に反して天美は少し照れくさくはにかんだように上目遣いで
「私、ハンバーガー食べてみたいの。里に居る時に、人間の事いっぱい勉強したの。友達って一緒にハンバーガー食べるんでしょ?」と言った。何だか優はそれが嬉しくて、じゃあハンバーガー食べようと笑顔で答えた。天美はやった!っと一つ夢が叶う事にご機嫌だった。
13時過ぎではまだ昼食の人も多くてフードコートの席を探すのも一苦労だったが、これも大切な思い出になるんだと思うと優には苦では無かった。やっとの事で席を確保し、注文しに行くともう既にセルフ注文が主流になっていた。大きな画面に映し出される様々なメニューに天美は目をキラキラさせながらこれは何?これは?っと優を質問攻めにしていた。結局、天美はベーコンレタスバーガーのセットを注文し、優はチーズバーガーのセットを注文した。
そして少し並んでいると、天美は夢を噛み締めるように感嘆の声を上げる。
「これが友達と遊びに行くって事なのね。本当に夢が叶うのね」大袈裟だなぁっと思いつつ、優は天美に聞いた
「エルフの里の友達とは何して過ごしてたの?」と、すると少し困惑したような悲しいような顔をした天美はぽつりと呟くように居なかったと答えた。優は聞いてはいけない事を聞いてしまったのかと反省し、ごめんねと言おうとした時に自分たちの番号が表示され、店員さんの呼ぶ声が聞こえた。
商品を受け取り、席に戻ると夢だったハンバーガーに目を輝かせながらスマホで写真を撮っていた。
「あのね、優。私は病気だったの。それで部屋に籠ってずっと本ばかり読んでいたの。友達は居なくて、でもある時ね人間の雑誌を見せて貰ったの。その時思ったんだ、私エルフの友達は居ないけどいつか病気が治ったら人間の友達を作って一緒に遊ぶの。それから人間の生活を勉強して親も説得して病気が治ったら人間の学校に行きたいって」天美はそう言うと、お目当てのベーコンレタスバーガーにがぶりとかぶりついた。天美が病気だったとは驚いたが、いっぱい人間の事を調べて理解しようとしたんだなって思うと優は何だか嬉しい気持ちになった。
「そしたら、病気なんかすぐに治っちゃって益々人間の世界に行ってみたいと、友達と一緒にハンバーガー食べるんだって思えるようになって抑えきれなくて、親の反対も押し切ってこっちに来ちゃった」セットのコーヒーを飲みながら天美はそう語った。
「そうか、じゃあ一つ夢は叶ったね。ねぇ、天美さんの事リーファって呼んじゃいけないかな?」そう言うと天美は少し考えた後、
「んー、やっぱり天美が良いかな。これは私が一生懸命考えた名前だからリーファより嬉しいのよ」って天美は答えた。そうかと優は納得してじゃあ天美さんって呼ぶねって答え、じゃあ他に夢はないのと聞いた。天美は凄く恥ずかしそうな顔をして、耳まで真っ赤にして小さな声で
「恋」と一言答えた。恋。それは優にもわからない分野で、何とアドバイスすれば良いのか分からなかったが、不思議とするりと言葉が出てきた。
「恋、出来ると良いね。私も応援するよ」と。だけど、少し胸が苦しくて恋しちゃったら天美が誰かに取られちゃうと思ってしまった。優は、自分も恋すれば天美と離れちゃうのかな?とかそれでも良い友達でいられるのかなとか考えたが、恋が分らないからそれ以上は何も言えなくなってしまった。
「もし私が恋出来たら、優も嬉しい?」と無邪気にいう天美に、何も言えない優は頷く事しかできなかった。その後は、何だか夢現でふわふわとした感じで時間だけがあっという間に過ぎていった。
帰りの電車の中、難読な駅名を越え二人は揺られる。薄暗くなった街並みを電灯の明かりが照らし、速過ぎるスピードで二人を日常へと連れ戻してゆく。ふと天美が言う。
「ねぇ優。明日も会えないかな?日曜日って何したら良いかよくわからなくて」天美が呟く声に少し意地悪な答えをしてやろうと優は
「天美さんは寂しがり屋だなぁ」っと答えた。天美はぷぅっとふくれっ面をして見せたが、優は自分も寂しいのだと思うとフフっと笑い、いいよとだけ答えた。
「じゃあ明日のお昼にあの木の下で」と天美は言うと、すっと目を閉じて寝たふりをするのだった。
優はそんな天美が可愛いと思いながら、明日も会えるんだと思うと胸が高鳴るのを抑えられなかった。
帰り道、すっかり暗くなった例の木の下でお別れをする。冬の夜は寒く、二人の頬を冷たい風が切り裂く。だが二人にはそんな寒さも心地良いのだ。
「私、天美さんと出会ったのが冬で良かった。」優がそう言うと天美は不思議そうな顔をした。
「だって、寒くて嫌いだった冬がこんなにも暖かくて毎日が楽しい事でいっぱいで。あれ、じゃあ夏でもよかったのかな?分かんないや、でもきっとどんな季節でも天美さんと友達になってたと思うよ。」というと天美は私もと答えた。友達というものがこんなにも世界を変えるのだと、その力の大きさに優は翻弄されると共に嬉しさの波に身を任せるのであった。
「じゃあ、明日もここで」という天美にニコッと笑って返した。その夜もメッセージのやり取りは収まる事を知らず、また二人を寝不足の渦へと引き込むのであった。
次の日、朝からメッセージで話していた優に母が嬉しそうに言う。
「あなた最近本当に変わったわね。笑顔なんて滅多に見られない静かな子だったのに、今ではスマホ眺めて微笑んでる。お友達の影響ってすごいのね」と言うと、朝食を食べていた父が一言
「男じゃないだろうな」と言うと、母と優はお互いを見合い、盛大に噴き出すのだった。
相変わらず寒い日だったが天美と待ち合わせと言うだけで優は寒さなんて気にも留めなくなっていた。
橋を渡るとあの木の公園だ。そう思うと心なしか足も速くなる。もう既に天美は木の下に立っていた。
「お待たせ。待たせちゃった?」といつかの天美の台詞と同じような事を言った。フフっと笑うと天美は
「今来たところよ。今日はね、この川の河川敷でお喋りしようと思って」っと、見るからに暖かい飲み物が入っているであろう魔法瓶にバスケットを持っていた。
決して綺麗ではないこの川の河川敷に座って誰かと話をする日が来るとは、幼少期からこの川を渡り学校に通っていた頃には想像もしなかった。二人でシートを敷き、座って他愛のないお喋りをする。そんな当たり前の事がこんなにも楽しいのかと、優は不思議な感覚に捕らわれていた。
二人で暖かい紅茶を飲み、色々な話をした。優は小学校の時から友達が居なかった事や、遠足の班分けで余った事。すこし暗い気持ちになった優を天美が慰める。天美の病気の事や里での事。どうやって人間の学校に入れるようになったのかや、今の人間との生活の事。そして、話は同じ道を辿り、恋へと話題が巡ってくる。
「優は好きな人とか居ないの?」天美が問う。優はフフフっと笑い、
「好きな人も何も、うちの学校は女子高だよ。まず好きになる対象が居ないよ」と言う優に天美は不思議そうな顔をしていた。そして少し考えて、驚くことを言った。
「女の人は好きになってはいけないの?それって変じゃないの?だって好きになるってそんな男女で綺麗に割り切れるものなの」っと。稲妻が落ちたような衝撃を受ける優。
(そうなの?好きって男の人に対してだけじゃないの?)っと頭の中がグルグルとかき回される。
「私は、好きになった相手なら男女は関係ないと思うな」と天美が言う。エルフってそうなの?と優は驚きが隠せずにいた。でも、それって私も恋愛対象に入るって事なの?と優は少し不思議な妄想をしてしまう。しかし、次の言葉で粉々に打ち壊される。
「だから、私に好きな人が出来たら目一杯応援してね」揺れる優の心を知らずか、天美は優にとどめを刺す。だが、優はこの時に自分の気持ちに気付いてしまったのだ。もう天美を只の友達とは思えていない事に。自分の中で天美の存在がどんどん大きくなり、今やもう考えてるのは天美の事だけ。これが普通の友達と呼べるわけがないのだ。それに気付いてしまったら、天美の言葉一つ一つが重く深く自分に突き刺さるかを知ってしまったのだ。
(そうか、私は天美さんに恋をしていたんだ)そう認めてしまったら、天美の一言で嬉しくなる自分悲しくなる自分、全てに納得がいくのだ。
「どうしたの優?流石に冬の河川敷は寒すぎたかしら。そろそろ帰りましょうか」優の気持ちを知らない天美は心の底から心配した声をだす。優にはもうその心配すらドキドキする言葉になってしまった。
「大丈夫。でも今日は寒いから帰ろうか。天美さんも風邪ひいたら大変だし」そう答えるのが精一杯だった。また明日も会えるんだし。そう思う優はふと思った
(会える?どんな顔して会えばいいの。天美さんに好きな人が出来た時に私はどうすればいいの。あんな話聞いてしまったら、クラス中学校中敵だらけじゃ…)もう頭がぐちゃぐちゃになった優はふらふらと立ち上がり、天美に手を差し出す。天美は優の手を握り、立ち上がる。優はもう体中の血管が沸騰した血液を流してるような感覚に陥る。その後はまともに顔も見れずに、じゃあまた明日と言い天美と別れた。
その夜は何故か天美からもメッセージも来ずに、優は深い眠りにつく。
また夢を見た。泣いている自分にあの木が寄り添っている。一人寂しく、ただ泣く事しかできない自分に優しく寄り添って立っている。私は木を見上げ、あれ?私?
朝起きると、涙が零れていた。
橋を渡っていると木の所に天美が立っているのが見えた。天美はこちらに気付き手を振る。優は胸のもやもやをかき消すように大きく手を振り、天美の元へと走ってゆく。
(私は天美さんの大切な友達なのだ。この気持ちを裏切る事はできない。)友達という言葉がこんなにも重く自分に伸し掛かってくるとは思いもしなかった。だから精一杯の笑顔で言うのだ
「おはよう。天美さん」
そう、友達を演じなければいけないのだ。気持ちをガラスの瓶に閉じ込め、蓋をして最高の友達を演じなければ天美の傍には居られないのだと。そして二人は今日も坂を下ってゆく。
風が木の葉を舞わせ、冬の寒さが嫌と言うほど優の心に冷たい火傷を負わせてゆく。
それから最高の友達を演じている優に、天美は思いがけない言葉を掛ける。
「私ね、里に帰るの。」一瞬、耳を疑ったが確かに天美は里に帰ると言った。続けて天美は言う
「もうすぐ冬休みでしょ?お正月?とかいうのもあるのでしょ。だから一旦里に帰って」とここまで言った所で優が言葉を遮って悲痛な声を上げる
「簡単に帰るとか言わないで!びっくりするじゃない」目に涙を浮かべる優を見て、天美はびっくりして謝る。
「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。別に意地悪じゃないのよ。ただ一時帰省するだけだからと軽い気持ちで言ってしまったわ。まさか優がそんな反応するとは考えもしなかった私の落ち度ね。ごめんなさい」天美は本当に謝っていた。優は泣いてしまった事を謝罪して、いつもの笑顔に戻ると
「里って電波は届くの?」と聞いた。
「いいえ、電波は届かないの。だから帰ってる間は全く連絡が取れないわ」と天美は寂しそうに言う。
「仕方ないよね。でも私は毎日天美さんの事を考えているからね」と優は言う。嬉しそうな顔をした天美は私もと言う。それから数日後、天美は里へと帰って行った。
寒い部屋で一人優はため息をつく。もう早く日が経つのを待ってるだけの日々が始まるのだ。冬休みが始まって少し経った頃、優はあの木の所へ行ってみた。当然、天美は居ない。
「あなたは一人でここに居て寂しくないの?本当にあなたはもう死んでしまっているの?」返事はない。
「私は寂しいわ。一人は嫌よ。不思議ね、一人の時は一人が嫌なんて思ったことが無いのに。突然光がさして、暖かいものに触れていたら急に無くなるんだもの。一時的でも私は嫌よ。」当然木は返事などしない。分かっているが、ここに来たら天美が居るんじゃないかと淡い期待をしてしまうのだった。
川の中を鳥が漂っている。寒くないのかしら?と優は思う。その時、空から白い雪が降ってきた。珍しい事もあるんだなと優は思い、木に別れを言うと家へと帰って行った。
その日、雪はやむ事がなく今や庭の木も停めてある車も真っ白に染め上げていった。
(私の涙は寒すぎて雪になったか)と、優はクスクスと笑うのだった。父が言う。
「こんなに積もるのは数年振りじゃないかなぁ。まだ優が小さい頃に一度凄く積もったことがあったなぁ」懐かしなと父はビールを飲みながら呟いていた。
天美が居たら雪の中を散歩とかしたり、メッセージで雪の話で盛り上がったりしてたのかなぁと優は思い何気なく天美とのメッセージを見る。そこには行ってきますの文字が最後に送られて来ているだけだった。会いたいな、何度呟いただろう。もう天美と会えなくなって数年は経ったかと思える程に優は毎日を薄くぼんやりと過ごしていたのであった。しかし、時間とはゆるりと感じても平等に流れるようで、リビングのテレビでは除夜の鐘が中継されていた。
(もう少し我慢したら、天美さんに会える。その前に私が溶けて消えないように連絡の一つでもよこしなさいよね)と優は理不尽な怒りに苦笑するのだった。
現金なもので、正月はだらだらと寝て過ごした割には早く時は流れて行くみたいで、気付けばもう三が日も終わろうとしていた。
優はベッドでだらだらして過ごし、天井のライトを眺めては飽き、外を眺めるのが飽きれば天井のライトを眺めるのだった。
その瞬間、スマホが通知音を鳴らす。一瞬戸惑う。だが、天美からだと思い至るともう目には止まらない速さでスマホを取る。画面を見ると天美さんの文字。心が踊る、胸が高鳴る。全身が痺れて現実感が遠退く感じがした。
そっとメッセージを開く
『ただいま。今から会えるかしら?』その文字を見た瞬間、優は再び小粋なダンスを披露するのであった。もちろんと返信をし、暫く踊りの余韻に浸っていると不意にむせた。ゴホゴホと咳をする優は、はしゃぎ過ぎたかなと笑みを浮かべ急いで出掛ける用意をするのであった。そして、家を飛び出し例の木がある公園へと急ぐ。小走りに走る優は息も乱れ、妙に火照った身体を天美に会える喜びと思い噛み締めつついつもの橋を渡るのであった。辺はもう薄暗く、街灯の光が足元を照らし優の進む先を示してくれている。こんなにも嬉しい事があるのかと、優は一瞬でも早く天美に会いたいという思いだけで歩を進める。
いつもの木が見えてきた。天美がそこに立っている。それを見た瞬間、優の思いは一気に爆発し気持ちはもう天美に会いたい声が聞きたいそれだけしか考えられなくなっていた。
天美の元にたどり着いた優は言いたい事が、話したい事がいっぱいあったのに全てを忘れ涙を浮かべただ
「おかえり」と言った。天美もきっとただいまと言うだろうと思っていた優は天美の表情に気付く。
何か不安そうな、焦りにもにた表情をしている。天美は、一瞬の間を置き
「優。あなた魂の色が」と予想にない答えをした。天美は珍しくおろおろとし、矢継早に質問してくる
「あなた、何か悪い所があるの?会えない間に大きな病気をしたの?大丈夫なの?」と涙目になりながら問いかける。優はあまりの天美の取り乱し方にびっくりしたが、思い当たる節が無くただ年末年始をだらだらと過ごしたのがいけなかったのかなと反省しつつ
「私は大丈夫よ。ちょっと天美さんが居ない間に自堕落な生活をし過ぎたせいなのかもね」っと笑ってみせた。天美はそれでも不安そうに、今から病院に行きましょうと言った。流石に大丈夫よと微笑む優に無理強いはできなくて
「なら良いのだけど。でも、何かあったらすぐにお医者様の所に行くのよ」と言う天美に、病気だったのはあなたじゃないと思いながら優は苦笑するのだった。それから、二人でたくさん話をした。会えなかった時の事、エルフの里での年越しというもの、優の自堕落な生活。もう何年も会っていなかったかの様に、言葉がどんどん出てくる。街灯が木を照らし、天美と優の影が幾重にも重なって伸びてそれが優には嬉しくて、もっとたくさん話したいと思っていたがもう夜も更けてきたので帰る事になった。
天美は優の目をじっと見つめ、やはり不安そうな顔をして何かを言いかけたがやめるのであった。
「優、もうすぐ学校ね。花の水やり一緒にする約束よ」と天美が言うと優は目一杯の笑顔でうんと答えるのであった。
それから毎日、優と天美のメッセージは途切れる事なく続き明日から学校となった日の朝、優は母の作る朝ごはんを食べていた。その時、ゴホゴホと優が咳をする。母が心配そうに
「大丈夫?気管に入ったのかしら。ゆっくり食べないとダメよ」と言う。優は暫く沈黙した後
「お母さん。これ…」と手を見せる。そこには鮮血に染まる掌があった。母は青ざめ、急いで救急車を呼ぶ。優はなんだこれ?と思いながら意識が遠のくのを感じていた。ああ、天美さんに会いたいと思いながら暗闇へと誘われるのであった。
登校日、天美は不安と嫌な予感に苛まれながら木の下で優を待つ。いつもなら橋の上をニコニコしながら手を振りながら現れる優が来ないのだ。やっぱりあの魂の色が気になった天美はメッセージを送り続ける。もう学校も始まる時間であるが一向に既読にならない。こうなったら学校に行って優の住所を聞いてと思った時にメッセージが既読になった。そして暫くの間があき、優から返信があった
『ごめんね。風邪ひいちゃったみたいで。しばらく学校はお休みするね。お花、お願いね』
と書いてあった。天美は、嘘だと一瞬で見抜く。あの魂の色は風邪なんかじゃない。やはりあの時に無理にでも病院に連れて行くべきだったと後悔した。冬の寒さが天美の心を抉る。天美はもう躊躇わず学校へと急ぎ、職員室へと乗り込んだ。びっくりする教師達を他所に一目散へと担任の教師の元へ行く
「先生!矢田さんが、優が来ないの!何か知っているなら教えてちょうだい!」と天美は取り乱したように聞く。担任の教師は、少し落ち着くように天美を宥め静かな口調で
「矢田さんは風邪の連絡が入っているわ。天美さんが心配なのは分かるけどそれしか聞いていないわ」と言う教師に天美は内心役に立たないと腹立たしく思いながら、
「なら、矢田さんの家を教えて下さい。私、お見舞いに行くので」と食い下がる。
「ごめんなさいね。それは個人情報なの。勝手に教える事はできないわ」と言う教師に何も言い返せない天美は、分かりましたと言うのが精一杯だった。
それから、天美は学校をサボり優へとメッセージを送り続けるのだった。優の返信は時々で、安静にしていないといけないのを天美自身が邪魔をしていると思いながら手が止まらなかった。心配で仕方なかったのだ。そして二日が経った。優はまだ学校に来ない。泣きそうになるのを堪えながら、天美は今日も優を待つ。あの木の下で。その時、メッセージが届いた。優だ!と天美は急いでスマホを取り出し画面を見る。そこには天美を愕然とさせる文字が書いてあった。
『○○市立総合医療センター302号室』それを見た天美はくらくらとする意識を保つのに必死だった。風が妙に冷たい。冬なのだから当たり前なのだが、もっと心の奥を痺れさせるような冷たい風が天美を襲う。意を決したように公園を出てバス停へと向かう。いつもと逆方向の公園の中の遊歩道を全速力で走り抜ける。廃線になった貨物の線路を越え、住宅地を抜けバス停に辿り着く。バスが来るまで後五分だった。その五分が永遠の様に長く感じ天美はいっそ空を飛べる能力が私にあったらと思うのだった。
到着したバスに飛び乗り、流れる車窓からの景色を眺める。優の事で頭がいっぱいな自分を何とかコントロールしようと必だった。
(里になんか帰るんじゃなかった。もっと優を見ているべきだった。ああ、優しい優。私の優。今行くから)と後悔しつつ、病院へと急ぐ。今日はやけにバスがゆっくり走ってる気がしてやきもきした。
目的地に着くと弾けるようにバスから飛び出すと、また冬の風が天美を襲う。だが、今はそんなものに構ってる暇はないのだ。病院の広場を抜け、自動ドアが開く時間すらもどかしく転がり込む。受付など目にもくれず急いで案内板に駆け寄ると一目散に302号室へと向かう。
エレベーターの中で奥歯がカチカチと鳴るのを感じた。指先は痺れ、全身の血液がまるで冬の川の水のように冷たかった。目的階に着くと急いで優の元へ向かう。そして、部屋の前まで来た時に急に身体が動かなくなった
(どうしよう。何を言えばいいの?そもそも優は大丈夫なの?)自問を繰り返すが答はでない。
しかし、このままというのは無理だと心を決め、ノックし部屋の扉を開ける。
個室の窓際に置かれたベッドに優が座っていた。景色を眺めていた優が天美の方を向くと優しい笑顔で
「やっぱり来てくれた。会いたかったよ天美さん。ごめんね驚かせちゃって」と天美に言うのだった。天美は何も言えずに優を見つめていた。
「大丈夫よ。ただの貧血だから。少し、天美さんと会えなくて寂しくてちゃんとご飯食べたりしなかったツケが回って来たのね」っとクスクス笑う。天美は何かを言おうとしているが、きっとうまく言葉が選べないのだろうと優は天美の表情から読み取った。少しの沈黙。天美は震える声で言う
「駄目なのよ。私には見えてしまうのだから。」大粒の涙をぱたぱたと流し天美は消え入りそうな声で続ける
「何の病気なの。正直に言って頂戴。優はどうなってしまうの」と後半はもう言葉にならなかった。長い沈黙が病室に流れる。外を走る車の音が微かに聞こえる。優は深く息を吸うと、覚悟を決めた様に言葉を紡ぐ
「急性白血病。おかしいよね、健康診断じゃ何もなかったし元気だったのにね。でもね、安心して。今はもう白血病だからって死ぬと決まった訳ではないの。お薬も治療もずっと進んでるんだから」と優は気丈に振る舞うのだった。天美はそんな優を見て胸を切り裂かれる思いだった。私が側に居れば、もっとちゃんと優の事を魂の色を見ていればと。
「大丈夫よ。本当に今の医療は凄いんだから。先生だってそう言ってたわ。」優は微笑む。その微笑みが天美の心を締め付けるのだった。天美は涙浮かべ
「本当に大丈夫なのよね?私の前から居なくなったりしないよわよね?そんな事絶対に許さないんだから」と心から優を心配して言うのだった。優は少し困ったような表情を浮かべてでも嬉しそうに天美を見つめるのだった。その時扉が開き、優の母が病室に入ってきた。
「あら、お友達かしら?お見舞いに来てくれたのね。」ぱあっと笑顔を浮かべ天美を歓迎する。天美は見てしまったのだ。優の母の魂の色を。それは悲しみ以外何もない冬の空に似た曇天の様な色を。天美はそこで全てを悟ってしまう。優が居なくなる事を。天美はそれを気付かせまいと精一杯の笑顔で
「天美といいます。優さんとは仲良くさせて頂いております」と丁寧に挨拶をしお辞儀をする。それを聞いた母は一層笑顔を作り
「あら!あなたが天美さんなのね。優から話は沢山聞いているわ。本当にこの子の友達になってくれてありがとうね」と心から嬉しそうに言うのだった。そしてはっと気づき続ける
「あなたエルフなのね。まさか優の友達がエルフだなんて。でも、そんな事は些細な事ね、優と友達になってくれた事が私は嬉しいわ」と言うと優の母は手に持った花瓶の花をテーブルに置く。
天美は、自分がエルフだという事や優が人間だという事を暫く忘れていた。本当に大切な友人で、いつも側に居て天美を楽しませてくれる唯一無二の存在だと思っていた。
そうだ、私はエルフなのだ。人間によりはるかに長寿でいつかは優は居なくなるのを傍観するしかできない愚かで哀れな生き物なのだと思い知る。
天美さんは居なくなったりしないよね?という優の問いかけが今になって胸を貫く。居なくなるのは貴方の方じゃないの。どこまで行っても天美はエルフで優は人間なのである。同じ時間を歩ける期間は短く、失う事を思い知るのは自分ではないのかと天美は気付かされる。
(ああ、私も人間なら良かった。優が病気になんてならなくて一緒にずっと、短い期間でも居られるならその方が良かった。こんな気持ちになるなら)と考えた所で天美は我に返る。
出会わなければ良かった?そう思おうとしたのかと思うと、自分が卑劣で情けない存在だと思えるのだった。窓の外を飛行機が音を立てて飛んでゆく。天美は大きく息をつき、優の方を向き言葉を紡ぐ
「優。今はゆっくり休むのよ。あなたは大丈夫だから。エルフの里の大樹に誓ってもいいわ。花の事は私に任せなさい。しっかり水換えをしてみせるわ」と優を安心させるように優しく言う。
優は大きく頷き、天美は優の母に挨拶をして病室を後にした。
それから、天美は毎日花の水換えをした。優がいつ戻ってきても良いようにと。だが優が戻ってくる事はなかった。もうテレビは桜の開花予想をしている。毎日、優とはメッセージをしていたしお見舞いにも何度も行った。だが一向に優が良くなる気配はなく、天美も優の魂の色が濁っていくのを見るのが辛くて苦しい毎日を送っていた。そして暫くの時が過ぎた頃、優からメッセージが来た。
天美は恐る恐る画面を見る。嬉しいはずなのに何か良くない報せなのではと思わずにはいられないのだった。
『おうちに帰れるようになったよ』そう書いていた。天美は素直に喜んだ。急いで返信し、優の自宅の住所を聞く。そういえば優の家に行くのは初めてだった。急いで準備をすると家を出る。いつもの河川敷の遊歩道を歩き、いつもの木の所まで歩き、ふと立ち止まり考え込む。
(白血病というのは調べたけど、そんなにすぐ良くなるものなのかしら?でも、家に帰れるって事は良くなったのよね。いつものように笑ってくれるかしら。)心配な気持ちをぐっと飲み込むと、天美は意を決したように橋を渡る。川には目もくれず、一心不乱に歩き続けるのだった。橋を渡り坂を下る。神社が見える。優はいつもここを通っていたのねと、少し不思議な感覚になる。見えない足跡が、続いているようだった。暫く歩き優の家へと辿り着く。少し躊躇ったあとチャイムを鳴らす。暫くの間がありインターホンから声がする。優の母だ
「天美さんね。いらっしゃい、優が待っているわ少し待ってね」と言うとインターホンが切れる音がした。しばらく後、ガチャリと玄関が開いた。天美は驚愕の表情を浮かべる。優の母親の魂の色が完全に曇りきっていたのだ。一気に不安の波が押し寄せる。一刻も早く優に会いたい。そんな天美の気持ちが分かるかのように母親は天美を優の部屋へと案内する。母親はごゆっくりねと言い去っていった。ノックしドアを開くとベッドに優が横たわっていた。天美はもう涙を堪える事はしなかった。
「天美さんいらっしゃい。その様子だともう分かっちゃったのかな?」と優はか細い声で言う。
「最後はね、やっぱり家が良いのよ。暗い病室はいやだもの。もう、私は治らないんだって。だから家で、天美さんといっぱいメッセージを交わして天美さんの事をいっぱい想ったここがいいの」優は静かに微笑むと天美の目を見て、何かを考え込んだ。永遠とも思える沈黙が流れ、天美の啜り泣く声だけが響く。
「優、私ね」と天美が言いかけた時に優がそれを遮り天美の目を見ながら言う
「私、天美さんが好きよ。」天美は号泣する。分かっていたのだ、ずっと気付いていたのだ。優が天美の事を好いていてくれる事を。そして自分が優を好きだという事も。ずっとずっと気付いていたのだった。だが天美は怖かった。自分がエルフである事、いつか優が自分を置いて居なくなってしまう事が怖かったのだ。優は続ける
「これはね、私の初恋。最初で最後の恋なの。ごめんね、私… 居なくなっちゃうの」と優は涙を流し天井を見上げる。残酷すぎる現実が、甘いはずの告白が天美の心を貫くのだった。天美は泣きながら
「優、私だけの優。私もあなたが好きよ。世界で一番、誰よりもあなたが好きなの。」
優は嬉しそうな顔をしたが、次の瞬間に咳き込む。押さえた手のひらから血が滴り落ちる。優の元へ駆け寄り抱きしめる天美。優は
「嬉しい。恋出来たね。」微笑む優に天美は口づけをする。二人の唇の間から血が流れる。優はそっと瞳を閉じ天美を全身で感じていた。離れる天美の手を握り、ぽろぽろと涙を流し笑みを浮かべながら言う
「こんなに幸せなのに私は死んでしまうのね。でも、死ぬのは勿論嫌だけどもっと辛いことは天美さんを一人にしてしまう事。だけど、酷い事だって分かってるけどお願いがあるの」そう言い、一層天美の手を強く握り優は懇願するかの様に
「私をずっと覚えていてね。私以外を好きにならないで。私を、私をあなたの一番でいさせて欲しい」そう言うと嗚咽を漏らし俯いてしまった。
その言葉は天美の心に火傷のように消えないであろう痛みを残す。優を忘れる事なんて出来ない。それは分かっていた。天美は窓を見つめ、外を飛んでいる鳥を目で追う。庭にある木から木の葉が一枚舞い落ちる。そして、呟くように
「優は、私の一番よ。だからあなたが居なくなるのを私は耐えられない。そんなの辛すぎるわ」と優に聞こえ無い程の小声で言う。天美は優をベッドに押し倒す。優はバサリと音を立て身を横になる。抵抗はしなかった。天美は優を見つめると髪をかきあげ、ピンと張った耳を見せると優に言う
「私はエルフ。人間とは違う流れに身を置くもの。私の能力は魂の色を見る事だと言ったけど、私は優に嘘をついていたわ。私の能力は魂の色を見て、自分が大切だと思える魂の人に自分の命を譲渡する事」力強い声で天美は言う
「ごめんなさいね。これはもう救いじゃなくて呪いだわ。だけど、私は優に呪いをかけるの。これが私の優にしてあげられる唯一の事だから。苦しませてごめんなさい。これからも苦しませてごめんなさい。でも、あなたがただ死んでゆく事が私には我慢できないの。あなたには生きていて欲しいの。私の我が儘をを許してとは言わないわ。」優は涙を流し天美の言葉を聞きくと
「天美さんの居ない世界に私は未練はないわ。あなたが居るから生きていたいの。」優は力なく天美を抱きしめる。息が荒く、小刻みに震える優にもう時間は残っていない事は天美には分かっていた。
「それでもよ。それでも貴方の居ない未来に私は耐えられない。きっとあなたを苦しめるわ。いっぱい泣かせてしまう。たった数ヶ月の時間が、私の心に色を付けたの。もうこの色がないと私は生きていけない。だからあなたに最低な呪いをかけるわ。憎んでくれたって構わない。でもね、私は必ずあなた元に帰るから。エルフの魂は巡るのよ。一度は大樹に集まるけれど、また新しい生を受け生まれ変わるの。私、必ずあなたの元に帰るから。だから私を待っていてくれないかしら。これだけがあなたの、そして私の救いなのよ。酷くてごめんなさい。」天美は大粒涙を流しながら何か言おうとした優の唇を塞ぐ。
その瞬間、天美の体内から光が溢れ部屋が暗転する。空間は広がり、夜空が広がる。満点の星空が浮かび、無数の流星が雨のように流れる。流星の一つがこちらへと向かい降ってくる。流星は天美の体に落ち吸い込まれる。淡く光り輝く天美の身体を優が抱きしめる。
天美の身体を淡く照らす光が、天美の唇から優へと流れ込む。その瞬間、天美の記憶が優へと流れ込む。
初めて出会った木の下の事、花の水を替える優を眺める視線、どうやってメッセージを交換しようかと悩む夜の部屋、返信にどぎまぎする心音。エルフの里に帰るといった時の優の反応。会えない間の寂しさ、やっと会えたと思ったら優の魂がくすんでた事、優が病気だと知った時の焦燥感。毎日心配する天美の胸の痛さ。そして、自分の命と引き換えに優を助けたいという想い。
まるで優が自身で体験したかのように、次々と心に流れ込む。天美が優の景色を変えたように、優も天美の心に色を付けていたのだった。そっと唇が離れる。優の血液と天美の唾液が絡んで落ちる。優は泣きながら天美に縋り付く。
「私、待つから。あなたが私の前に来る日まで絶対待つから。あなたがくれた命を、これからの命を全てあなたの為に使うから。もう私はあなたのもので、あなたはわたしのものよ。呪いだなんて思わない。」
優はもう溢れ出る思いが抑えられないでいたのだった
「天美さん、私の全てをあなたにあげるから、あなたの全てを私に頂戴。私は待ち続けるわ、あの木の下で。何年でも。だから私を許してなんて言わない、もう私はあなたのものなのだから」
満点の星空が次第に明け、いつもの見慣れた優の部屋へと戻ってゆく。天美の記憶が流れ込んだ優には、この後自分と天美がどうなるのか分かっていた。天美は魂を失い消えるのだ。そして優はエルフの寿命を引き継ぎ、悠久の時を生きる存在へとなるのだと。もう普通の人間としては生きていけないだろう。だが優にはそんな事は些細な事だった。天美が消える、その事実が胸を貫く。
たった数ヶ月の期間が二人を急速に近付け、皮肉な事に優の病気が二人の関係を一気に進めたのだ。
天美は精一杯の笑みを浮かべ優の顔を見つめ言う
「星空、見れたわね。私はね、あなたを好きになれて恋ができて良かったわ。あなたがこれから辛い時間を過ごすことは私にとっても辛いけど、いつか来る再会の時を夢見るわ。長い眠りにつく。あなたにもう一度出会うために。再び恋するために。」一筋の涙が頬を伝う。そして天美の体が仄かに光りだす。
優は一層力を強め天美を抱きしめる。その瞬間、優の腕は空を切る。そこに天美は居なかった。
天美の身につけていた衣服だけが残り、泡のように消えてしまったのだ。優は泣く。
「天美さん、私だけのものよ。私は必ずあなたと再会するわ。その時は星空を見に行きましょう。いっぱいおしゃべりをして抱きしめてキスをするの。絶対よ。私は待つから…」後半はもう声にならなかった。
天美の服を抱きしめる優。もう季節は春だ、これから優の長い時が始まるのだった。
優は全てを母に話した。自分の病気が治った事、天美が助けてくれた事、天美が消えてしまった事、そしてもう自分が普通の人間ではない事を。それからは生活が一変した。普通の人間がエルフのような長寿になったのだ、もう人間社会では普通に生活できない。どこから聞きつけたのかマスコミが押し掛けるようになり、優は一躍時の人になった。だが、優にはそれら全てがどうでもいい事なのだった。毎日、あの木のところへ行き天美を待つのだった。桜の季節もとうに過ぎ、季節は夏へと向かう。川の水も増え鳥たちも暑さに辟易するように飛んでいた。マスコミも優の反応に飽きたのか、もう誰も優の事に見向きもしなくなった。エルフと人間の関係を悪化せるのではと国が動いたとも聞いたが、優はもう天美の事以外何も考えてはいなかった。人々の奇異な視線にも目もくれず、毎日毎日あの木の下へと通うのだった。
季節は巡り、また冬が来る。母が持たせた温かいお茶を飲み、はぁっと息を吐く。白く残った息が消え去り、通り過ぎる冬の風が優に初めて天美と出会った時の事を思い出させる。
それから何年も過ぎ、優は孤独になってしまっていた。親たちはとうの昔に亡くなってしまい、自分の事など覚えていないであろうクラスメイト達ももう亡くなって久しいだろう。あの木は老朽化で撤去されることになり、新進気鋭の作家の作品に置き換えられ、その作品も色褪せてしまい撤去されてしまった。今はもう何もない只の広場になった公園だった場所に優は毎日通う。
大きな戦争もあった。海外では未だ続いているらしい。だが優は毎日通う。ただ天美との再会を願い、その日が来るものと確信して毎日を過ごすのだ。何十年、百年、数百年、永遠とも思える時を優は待ち続けた。あの頃の姿のまま。ふと見上げると、あの木があった。満点の星空に冬の星座達が目に映る。流れ星がひとつ空を切り裂く。冷たい風が足元を通り過ぎ、枯葉を躍らせる。
「待たせたかしら?」
優は満面の笑みを浮かべる。




