花束のほし
草木は水底のように揺れ、花の咲く草原は遮るものなく地平線まで続いています。大気は澄み渡り、時折、大地からぽっこりと浮かび上がったやわらかな七色の膜を持つ気泡が、のんびりふんわり、宙へ上がってゆきます。地球の人はこれを、大きなシャボンのようだとよろこんで、日に三回ほどの定時船で見に来ては、歓声とともに地上へと手を振るのでした。まあるい花束のようなその星を、人々はアナムネシスと、呼ぶそうですよ。
その、大きな、でも宇宙から見ればごく小さな、最新の宇宙船よりはひと回りふた回り大きいのかな、というくらいの草原の真ん中で、サンディというひとりの青年が、大の字になって昼寝をしておりました。風はそよぎ、サンディの深い青の髪は水中のようにゆらゆらと揺れています。サンディはここで昼寝をするのが唯一のたのしみでした。この星には花と泡と宙以外、何もないからです。
まどろむサンディはしあわせそうに笑みを浮かべていて……おやおや、ゆるんだ口元から、よだれが出ていますよ? なんてしあわせそうなんでしょう。
「んん……」
あら。ようやくお目覚めですか? 寝ぼすけさん。
「……ヨチ、お願いだから記録は音声以外でつけてって言ってるじゃない」
でも、サンディ、じきに定時船のくる時刻ですよ? 眠りの浅くなったタイミングで上手いこと起こしてねと言ったのはサンディなのに。さ、起きましょう! 今日も気泡は宙へ向かい、花は揺れ、定時船第二便のアルストロメリアは既に惑星ノエシスの重力圏を脱しようとしているのですから。
さあ! 目を開けて!
「はぁい」
ぱち、とサンディが目を開けます。髪と同じ、深い青の瞳。見上げる宙の星明かりが映り込んで、ああ、なんてきれい!
おはようサンディ、おはよう!
「おはようヨチ、おはよう!」
にこにこと笑ったサンディは勢いよく体を起こして、すると同時に、サンディの頭のてっぺんにある花も元気に宙をあおぎました。みずみずしい茎と緑の葉っぱ、かわいいピンクのお花です。
ぐーんと伸びをして、大きく息を吸い込んで、大きく吐き出して。
「――あは!」
サンディは大きな声で笑いました。
「死にたーい!」
あらあら、出ましたね!
さわやかな目覚め、迷いのない発声ですばらしい!
「ヨチ、ほめ上手!」
うふふ、とサンディはくすぐったそうに笑いました。頭の花が揺れて、ぷわ、と気泡をひとつはき出しました。ぷわ、ぷわ、と小さな気泡が続いて出てきて、みんないっしょに宙へとのぼっていきます。サンディは頭の花といっしょに、それを眩しそうに見送っていました。泡が大気を出て宙に触れ、弾けて消えてしまうまで。
「……あーあ。きれい」
サンディは美しいものが好きですね。
「そりゃあもちろん。こんな美しい星に咲いてるんだもの、きれいなものが嫌いは嘘だよ」
おどけたように言ったサンディは、ごろんと勢いをつけて寝ころがりました。せっかく起きたのに!
「あーあ。宙もきれい、星もきれい、花もきれい、泡もきれい。みんなみーんなきれいで最高だなぁ!」
そうでしょう、そうでしょう。がんばってきれいにした甲斐があるというものです! ヨチの自慢の星ですよ、サンディ!
「ほんと、とってもすてき! もう何万回か言ったけど」
四万と六千七百二十三回!
「わあたくさん。これ聞くたびに驚いちゃうな」
こういうのは何度でも言っていいんですよサンディ?
「違いない、すてきー! この星だいすきー!」
まあ! 大盤振る舞いですね?
「あればあるだけいいもの。お花と同じさ!」
すばらしい! サンディはごきげんです。花をゆらゆら揺らして、うふうふ笑っています。
気泡がぷわぷわ。お花はさやさや。星はきらきら。
ぷわあ~。
いっとう大きな気泡がサンディの真下から出てきました。
「お!」
大の字になったサンディを上に乗せて、気泡はぷわぷわ、ぷわぷわ浮かんでいきます。
「ははは、いくぞ~!」
順調です、いつになく順調! このまま宙に届いてしまいそう!
「届くかな~?」
届きますよサンディ、上手くバランスをとって!
全身を上手に使って、サンディはバランスを取ります。あと半分、もう少し……。そうですサンディ、手を伸ばせば届きそう!
「んーっ」
慎重にですよ、慎重に……!
「あっ」
ざんねん! バランスを崩したサンディが、地上へ真っ逆さま、真っ逆さま。
途中の気泡もひっかからず、そのまま――。
バンッ!
砕けた骨が肉を裂いて思いっきり突き出しました。潔いですね!
「――あはっ」
でもさすがサンディ、もう足から落ちるのもお手のものです。……あまりお手のものとは言わないかしら? お足のもの? あとで正解を聞いておかなくちゃいけませんね。
「あははっ、ごほぼ、あは、いだあい、じあが、ぜ、ざいごぉ」
いけませんよ? サンディ。おしゃべりは修繕を遅らせてしまいます。しずかに待っていれば……ほら! ちゃんとリソースが集中して、早く元に戻るでしょう? 少なくとも肺がちゃんと形成されるまで、おしゃべりはいけません。シーですよ。シー。
――なんて言っている間に、きましたね!
胴の断面から、根っこがしゅるりと伸びていきます。あっという間! 気泡が弾ける時に舞うしぶきのように細かく散った手足もすぐに元通りになるのです。もう少しですよサンディ、あなたが大の字になれるまでもう少し。きっとフォボスの辺りを航行中の定時船第二便アルストロメリアはあなたが手を振ってくれるのを待っているのですから。さあ機能はどうですか? 頭の花びらから根の先まで神経は通っていますか? 手を振ってサンディ! ハロー! こんにちは! 大気中の鎮静成分を大きく吸いこんで? デヨルベナリンとアンドロソロンはあなたの心に喜びを生み出すために生成しているのですから。
「……ハァ~イ、ヨチ」
ハァ~イ、サンディ! 優雅なお手振りですね。
「元通り、ピンピンだよ。あ、あー。……うん、声も元通り」
すばらしい!
「なんていうか、たまには痛いのもいいよね。不快感って面白い!」
あはは、とサンディはご機嫌です!
「あー痛いなあ! 壊れちゃいそう!」
サンディは痛みが好きですね。一度は感覚を遮断したのに、また戻してまで味わうなんて。
「うん、大事だよ。なくしちゃいけないんだ。だって痛いってすてきだよ? 僕が人間だったこと思い出させてくれるんだからさ」
律儀ですねサンディ! 私も大事にしますよ、ヒトとしての形状や色味はなるべく損なわないように、崩れたらすぐ修復するように細心の注意を払っているのです。
「あはは! 本当にすてきだね、ヨチ! 僕君のことが憎いんだ、怪我しなくたって根っこが中で擦れて痛いし、自我はだんだん麻痺していくし、息をするだけでここに縛られるじゃない? でも、その縛りで僕は、うっかりひとであることをやめちゃいそうになるくらい嬉しくて楽しくて幸せになれるんだぁ」
サンディ、サンディ! ほめても何も出ませんよ!
「いーの! こんな美しい星に咲けてるだけで幸せいっぱいなんだもの!」
傷ひとつない体でぐーんと伸びをして、頭の上の花が揺れながら笑います。
ああ、あの日を思い出しますね。小さな船がわたしの胸に落ちてきた日のこと。たったひとりの乗客だったサンディは壊れかかっていて、私は初めて触れるヒトに戸惑いながら必死に修復をしたのでした。船に残っていたたくさんの肉体のパーツを根っこでつないで、大地から大気から全て造り換えて。サンディ、あなたの幸せが、私の幸せです! この星に順応してくれてありがとう! 私はあなたの楽園ですよ!
「とってもすてき、ありがとう! あー! ありがとう! あー!! ここはアナムネシス、僕だけのきれいな星、僕だけの美しい、あー!」
げぼ、と大きな血の塊をサンディは吐きました。一瞬で大地に吸い込まれていったそれを横目に、あはは、と笑い声が漏れます。
あはは!
「だったらよかったのになあー!」
あはは!
「あはは!」
「ああ、楽しい! たのしいなぁー!」「なんてしあわせなんだろう!」
「ねえヨチ! ヨチ! 定時船は今どこ? 助けはいつ来る? にんげんがデヨルべナリンとアンドロソロンに耐性をつけるまであと何年?」「ヨチ!」「まあヨチ! あっ違うわ、まあサンディだ! あはは!」「まあまあサンディ! 落ち着いて! きっともうすぐですよ! 今に来ます。たくさんのヒトがこの星で大の字になってお昼寝をする未来が。あの定時船だっていつかは降りてきますとも、ここは美しくて幸せな星なのだから!」「あははっ、ほんとだねヨチ、僕とっても楽しみだよ! だからその日まで何度も何度も気泡に乗って何度も何度もおっこちて苦しまなきゃね!」「天国に落っこちて死にたいな!」「脳内お花畑ってわけ! あははは!」「大変ですヨチ! わたしの存在しない腹筋が攣ってしまいます!」
あはは! あははは! あはははは!!!
あっ、そんなこと言ってる間に、ほら! 定時船第二便アルストロメリアが来ましたよ! 宙のかなたから観光の人を乗せて、優雅にすいーっと。彼らの目当ては宇宙の花束アナムネシス。人類には適応できない神経系の毒ガスに満ちた大気はどこまでも透き通り、花に似た生命体が地表を覆っています。大きな大きなまあるい花畑です。
けれど、この星にはひとつの謎があります。訪れる人はみんな、「地上から手を振り返している人がいる」と言うのです。本来人が生存することはできない星なのに。不思議ですね。ガスによる幻覚なのか、目の錯覚なのか。でももしかすると、地球から一番近くにいる年宙人なのかもしれませんね。
と、言っているようですよ船内のガイドさんは!
さあサンディ! さあ! 立ち上がって、一日に三度しかやってこないお仕事の時間、ファンサービスの時間です!
「いいよぉヨチ、もちろんさ! 絶対に手は抜かないんだからね!」
勢いよく体を起こして、サンディは宙を見上げました。全身に張り巡らされた根っこをきりきりと軋ませながら立ち上がって、宙をゆく巨大なくじらのような船を見上げます。そうして、深い青の髪を水中のようにゆらゆらとなびかせて、まっしろな歯をむき出しにして、しあわせそうにきらきら笑って、両手を思い切り振るのです。
「たすけてぇ~!!」
あー! 苦しいですねサンディ、苦しそう! よかったですね!
ほら、みなさんも満面の笑み。
そうして定時船は去りました。いつものことです。
両手を広げたままのサンディはばたりと倒れ込んで――ああ、いいえ。これはお昼寝ですね。ええそうです。そうに決まってる。絶望なんかではありませんとも。私はまだ人間です。私は人間。人間だ。もう、眠気は抗いがたいけれど、目覚める時には必ず、人として目覚める。負けない。抗いたい。最後までこの星に飲み込まれてしまいたくない。
最後まで飲み込まれてしまいたくないからもう終わってくれ早く終わってくれ早く早く早く早く。
……ああガスが……。
あー。たのしい~。もうわかんな~い。宙きれいだな~。
あはは。まあサンディ。ご機嫌ですね。とってもすてきです!
そうだね。あはは。――あはは!
ぼくたちみんな、とってもしあわせ!
「死にたーい!!」
fin.




