第6話:夢見るサポーター、誘いを断る
密かに動いた影……。
それは紛れもない、メイド長であった。
「ええいっ! こうなったら仕方ない。呪いがダメなら、直接その首を掻き切ってやるわ!!」
突如、部屋の隅から悲痛な叫び声が上がり、メイド長がエプロンの下からギラリと光る短剣を引き抜いた。
彼女の正体は、商会を狙う敵対組織から送り込まれた凄腕の暗殺者。
後がない彼女は、恐るべき速度でリリアーヌのベッドへと殺到した。
この場に戦闘経験のあるものはいない。プロの暗殺者を止められるようなものは、誰もいない。
はずだった……。
「お嬢様を、殺させはしないっ!」
ロイドは咄嗟にリリアーヌを庇うように立ち塞がり、ポケットから『あるもの』を取り出した。
それは、金属でできた細長い筒のような容器。
先日、リリアーヌが中庭で「虫が嫌い」と怯えていたのを見て、ロイドが夢の異世界から持ち帰っていたアイテムだ。
動画の中で『どんな厄介な害虫も、これ一本で瞬殺!』と謳われていたモノ。
――その名も『殺虫剤』である。
「邪魔だ、小僧ォ!!」
迫り来るメイド長の顔面に向け、ロイドはスプレーのノズルを強く押し込んだ。
プシューーーッ!!!
ノズルから噴射された白い霧が、メイド長の顔を直撃する。
「ふんっ! 目潰しの煙幕のつもり!? こんなもの、風魔法で吹き飛ばし――が、がぁぁぁぁぁっ!?」
メイド長は呪文を唱えようとした瞬間、喉を掻きむしって床に転げ回った。
「が、はっ……息が……! 全身が、焼けるように……ッ! あ、あぁぁぁっ!!」
カラン、と短剣が手からこぼれ落ちる。
あれほど素早い動きを見せていた凄腕の暗殺者が、わずか数秒で白目を剥き、完全に泡を吹いて気絶してしまったのだ。
「ふぅ……よかった」
ロイドは、胸を撫でおろした。
(やはり、強化されているっぽい?)
殺虫剤の「害虫の神経を麻痺させ瞬殺する」という効果が、『自分たちに害をなす敵』へと強化され、必殺のデバフアイテムへと進化しているのだろう。
プロの暗殺者を一撃で倒すスプレーなど、見たことも聞いたこともないのだから。
「なんて威力の魔法薬だ……!」
神官が震える声で呟き、当主は腰を抜かしたままへたり込んでいる。
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆け込み、気絶したメイド長はすぐさま捕縛された。
後日行われた尋問により、彼女が商会の乗っ取りを企む組織の暗殺者であったこと、そして大浴場に呪いの魔法陣を仕掛けていたことまで全てが明るみに出た。
そのことを知ったリリアーヌの父である当主は、感激し、ロイドにお礼を言った。
「おお、ロイド君……! 君はただの天才錬金術師というだけではなく、凄腕の魔法使いでもあったのだな! 君がいなければ、私と娘の命は確実になかった……! どうだろうか? このまま商会に残り、私を助けてはくれないだろうか」
今まで雲の上の人と思っていた大人物からの圧倒的なまでの感謝と称賛の眼差し。
本来であれば、これ以上ないほど喜ばしい状況のはずだった。
しかし――。
その温かく、期待に満ちた言葉を浴びれば浴びるほど、ロイドの心の中には、黒く冷たい『恐怖』が急速に広がっていた。
(天才錬金術師……? 凄腕の魔法使い……? 違う、違うんだ。僕はそんなんじゃない……!)
ガタガタと、ロイドの膝が震え始める。
息が荒くなり、視界がぐにゃりと歪んだ。
『お前を拾ってやったのは、レアアイテムを複製できると期待したからだ!』
『寝てるだけのポンコツ! 期待はずれのゴミスキル!』
頭の中にフラッシュバックするのは、かつて自分を追い出したパーティーのリーダー、ガイルの怒声。
そして、自分を見限った両親の冷たい眼差しだった。
「……む、無理です」
ロイドは青ざめた顔で、当主の手を振り払った。
「ロイド君……?」
「期待しないでください……! 僕は、天才なんかじゃない! 何もできない、落ちこぼれのサポーターなんです!」
ロイドは泣きそうな顔で、後ずさりをした。
「今はたまたま、夢の中で便利なものを見つけたから役に立てました。でも、明日は見つからないかもしれない。明後日には、またガラクタしか持ち帰れないかもしれない……!」
「そんなこと、我々は気にしないぞ!?」
「気にするんです! みんな最初はそう言って、僕に期待して……でも、僕がその期待に応えられなくなったら、結局最後は『役立たず』って言って捨てるじゃないか!!」
悲痛な叫びが、部屋の中に響き渡った。
もう、あんな思いはしたくない。
信じて、尽くして、それでも期待はずれだと切り捨てられる、あの絶望感をもう二度と味わいたくなかった。
「……だから、お断りします。僕は一人で、気ままにやっていこうと思っています」
ぽろぽろと涙を流しながら震えるロイドの姿を見て、当主とリリアーヌは息を呑んだ。
この優しく控えめな少年が、これまでどれほどの理不尽な仕打ちを受け、心をすり減らしてきたのかを悟ったのだ。
「……ロイド君。君の思いはよくわかった。そういうことなら非常に残念だが、諦めるしかあるまい。今、もう町は君の噂で持ちきりになってしまっているし、この町にも居づらいのだろう」
当主は、目に見てもわかるほど、ガックリと肩を落としていた。
「あ、あの……すいません。僕、ここを出て、あちこちの街や国を旅してみたいなって思っているんです」
「なるほど。自由にあちこちを旅して回るか……それなら、商人になるのが一番だ! 自分の足で歩き、自分の力で商品を売り込む。一から商会を立ち上げるように道を切り拓くのは、たまらなく面白いぞ。ちなみに、商業ギルドには登録するんだろう?」
ガバッと、落ち込んでいた当主が顔をあげる。
「ああ、あ……、はい、そのつもりです」
「そうか、それはよかった! これは推薦状だ、これをもって商業ギルドにいけば、制約なしで商売が出来るシルバーランクのプレートをもらえる。これで商売を始めなさい」
シルバーランク……。
5年以上商売をしないと得られない、一級の商売人として認められた証だ。
特定のビジネスを除き、大半のビジネスを事前許可なしで行うことができる。
「当主様、ありがとうございます!!」
深々と頭を下げるロイドに対して、当主は低姿勢でロイドを引き起こす。
「いやいや、これくらいは当然だよ。でも、もし君が恩を感じてくれるなら、君のアイテムを我が商会で取り扱いさせてほしい」
「はい?」
「いや、何も独占ってことじゃないんだ。一部でいい。頼む! この通り!」
ロイドは、苦笑した。
商魂たくましいとはこのことだろう。
困り果てているロイドの手を、リリアーヌがそっと握る。
「ロイド、あなたが助けてくれたこと。わたくしは決して忘れませんわ。困ったら、いつでもこの商会を頼ってくださいまし」
「はい! お嬢様、お世話になりました!」
◇ ◇ ◇
翌日。
旅支度を整えたロイドが、屋敷の者たちに見送られて街を出て行った直後のこと。
リリアーヌの父である当主の顔から、温和な商人の笑みがスッと消え去った。
代わりに浮かび上がったのは、裏社会すら牛耳る大商会トップとしての、冷酷で底知れない怒りの表情だった。
「……調べはついているな? あの優しく才能に溢れた少年の心を壊し、ゴミのように捨てた愚か者どもの素性は」
控えていた側近が、深く頭を下げる。
「はい。この街を拠点とする『紅蓮の牙』という中堅の冒険者パーティーです。リーダーのガイルという男が、ロイド殿を無能扱いし、荷物持ちとして酷使した挙句に追放したとのこと」
「そうか」
当主は、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「見る目を持たぬ無能な塵芥どものせいで、我が商会は世界最高のスキル持ちを手に入れられなかった。これは、大損害にも匹敵する」
当主は冷たい声で、側近に命を下した。
「『紅蓮の牙』に対する我が商会からの融資、並びに物資の支援を全て即刻打ち切れ。さらに、息のかかった全ての商業ギルド、宿屋、武具屋に通達を出せ。奴らとの取引を一切禁ずると」
「はっ。いかがいたしましょうか、奴らが泣きついてきた場合は」
「門前払いにしろ。ルミエール商会の怒りを買った者がこの街でどうなるか……あの少年の味わった絶望の何倍もの苦しみをもって、骨の髄まで思い知らせてやれ」
街の権力を掌握する大商人による、完全なる社会的な包囲網。
自分たちが追放した「役立たず」のせいで、激しい報復と破滅の運命が待ち受けていることなど、『紅蓮の牙』の面々は知る由もなかった。




