第3話:夢見るサポーター、掃除をする
ルミエール商会の邸宅は、ロイドがこれまで見たこともないほど豪華であった。
裏口から案内された使用人用の居住区で、ロイドは同じようにリリアーヌに拾われたという年配の庭師に声をかけられた。
「お前さんも、お嬢様に拾われたクチかい?」
「あ、はい。今日からお世話になります、ロイドです」
「そうか……お嬢様は本当にお優しすぎるからな。よく、行き倒れや使えない奴を拾ってきなさるんだ」
庭師は同情するような目でロイドを見た。
「だが、古参のメイドたちはそれをよく思ってねえ。自分から辞めたくなるまで、こき使われるぞ。覚悟しておくんだな」
その忠告は、すぐに現実のものとなった。
ロイドを呼び出したメイド長は、ロイドのステータスを確認するなり鼻で笑った。
「『夢釣り』? 清掃系のスキルでもなんでもないじゃない。……チッ、またお嬢様は役立たずのゴミを拾ってきて」
メイド長は露骨に嫌な顔をした後、意地悪な笑みを浮かべた。
「あんたの仕事は、大浴場の掃除よ。這いつくばって、床のタイルを舐められるくらい綺麗にしなさい」
案内された大浴場を見て、ロイドは息を呑んだ。
広いのは良いが、床も壁も真っ黒なヘドロのようなカビと汚れで覆い尽くされている。本来なら、高ランクの【洗浄】スキル持ちを雇わなければ太刀打ちできないレベルの惨状だった。
(これを、僕ひとりで……?)
ヘタヘタと、汚れた浴室に座り込んでしまいそうになる。
今までのロイドであれば、絶望し、涙していたことだろう。
だが、今回は違う。
希望はあるのだ。
ロイドはカバンから、白い容器『マキシクリン』を取り出した。
夢の中で見たあの動画の知識が、頭の中に鮮明に蘇ってくる。
『マキシクリンの真髄は、なんと言っても【漬け置き】です!』
動画の女性はそう言っていた。
ロイドは給湯の魔導具を操作し、浴槽に熱めのお湯を張っていく。
マキシクリンの成分である『酸素系漂白剤』は、水ではなく【五十度から六十度のお湯】に溶かすことで、最も強力に効果を発揮するのだ。
「よし、お湯が溜まった。ここに粉を入れて……」
たっぷりの白い粉をお湯に投入し、棒でかき混ぜる。
すると、シュワシュワと細かい泡が浴槽いっぱいに弾け始めた。お湯と反応して大量の『酸素の泡』が発生し、汚れを根本から浮き上がらせるのだという。
「すごい……本当に泡が出た! ええと、あとはここに汚れた物を全部入れて……」
ロイドは、カビだらけの木桶や椅子、さらにはお湯を掬って汚れた床面にもマキシクリン液を満遍なくかけていった。
そして、待つこと一時間……。
お湯を抜き、軽くブラシで撫でるだけで――。
「うわあっ! 汚れが、泥みたいに溶けて流れていく!」
力を入れる必要など全くなかった。
黒ずんでいた大浴場は、嘘のように真っ白な輝きを取り戻した。
指で擦ると「キュッキュッ」と新品のような音が鳴り、むせ返るようなカビの臭いは消え去り、代わりに爽やかなフローラルの香りが浴室を満たしていた。
「な、なによこれぇぇっ!?」
様子を見に来たメイド長は、眩いばかりに輝く大浴場を見て悲鳴を上げた。
ロイドが泣き言を言って逃げ出すと思っていたのに、数時間で新品同様にしてしまったのだから無理もない。
「くっ……調子に乗るんじゃないわよ! 次は厨房! 油まみれのグリルを磨きなさい!」
悔しそうにギリィッと歯を噛み鳴らしたメイド長は、次なる難題を押し付けてきた。
厨房のグリルは、何年もの間放置された頑固な油汚れが、まるで黒い岩のようにこびりついている。
だが、ロイドは全く動じなかった。
『酸性の油汚れには、弱アルカリ性のマキシクリンが中和して分解してくれます!』
動画の教えの通り、大きめの桶に【六十度のお湯】を張り、少し濃い目にマキシクリンを溶かす。そこにグリルの部品を沈め、三十分ほど放置した。
油汚れはお湯の温度で緩み、アルカリ性の成分がそれを徹底的に分解していく。
引き上げたグリルを軽く布で拭うだけで、黒い岩のようだった油汚れがズルリと剥がれ落ち、銀色の地金がピカピカと顔を出した。
「終わりました! 次、どこを掃除しましょうか!」
目を輝かせるロイドの前で、メイド長は信じられないものを見るような顔でへたり込んだ。
この卓越したロイドの掃除技術は、すぐに屋敷中の話題となった。
リリアーヌは「私の目に狂いはなかったわ」と大喜びし、ロイドを大いに労った。
さらに翌日のことである。
「おお……! なんということだ、体が軽い! あの素晴らしい風呂に入ったおかげで、ここ数ヶ月の不調が嘘のように消え去ったぞ!」
最近、原因不明の体調不良に悩まされていた当主であるリリアーヌの父が、劇的な回復を遂げたのだ。
大広間に呼び出されたロイドは、当主から直々に褒めちぎられ、なんと一躍『リリアーヌお嬢様の専属付き人』という異例のスピード出世を果たすことになった。
誰もがロイドの活躍を喜ぶ中――。
その日の深夜。人気のない大浴場に、一人忍び込む影があった。
ロイドをいびっていた、あのメイド長である。
彼女の正体は、商会の乗っ取りを企む敵対組織から送り込まれた『暗殺者』だった。
「馬鹿な……信じられない……」
メイド長の顔は、恐怖で青ざめていた。
彼女は数ヶ月かけて、この大浴場の見えない汚れに偽装し、当主をジワジワと衰弱死させる『呪いの魔法陣』を描き込んでいたのだ。高位の神官でなければ見破れないはずの、完璧な暗殺計画だった。
だが、魔法陣は跡形もなく消え去っていた。
そればかりか、床や壁からは微かに『強力な浄化の力(フローラルの香り)』が放たれており、新たな呪いを描き込もうとしても、魔力がツルリと弾かれてしまう。
(あの小僧……! ただの雑用係のふりをして、私の呪いを完全に浄化したというのか!? おまけに、これほど強力な結界まで張るなんて……!)
ギリッ、とメイド長は血が出るほど強く唇を噛んだ。
(ロイド……いったい何者なの……!)
ただマキシクリンで掃除をしただけのロイドが、恐るべき凄腕の魔法使いとして暗殺者に警戒されていることなど、当のロイド本人は夢にも思っていなかったのである。




