第22話 魂を燃やすとき
だが、教会の執念は、彼らの覚悟を嘲笑うかのように、包囲網となって具現化した。
山脈の中腹、開けた岩場に出たときだった。
四方、そして頭上の岩棚から、無数の影が降り立った。
先ほどの異端審問官たちだけではない。重厚な鎧に身を包んだ神殿騎士団、さらには魔物王の領域であるにも関わらず、狂信的な信仰心で恐怖を麻痺させた武装兵たち。
総勢、五十は下らない。
「待っておったよ。逃がさんぞ、穢れし者どもよ」
包囲網の中から、一人の高位審問官が進み出た。その手には、禍々しいほどの神聖魔力を帯びた錫杖が握られている。
「貴様らの魂を浄化し、その骸を聖都への手土産にするとしよう」
グレイが舌打ちをした。
「チッ、いくらなんでも早すぎる。やっぱり、位置情報はダダ漏れってわけか」
彼は懐から数本の爆裂瓶を取り出したが、表情は渋い。
「俺の結界石じゃ、この数は防ぎきれんぞ」
「下がっていろ」
ライオスが、前に出た。
迷いのない足取りに、アリアには気付いてしまった。彼の一歩一歩が、自らの命を削りながら踏み出されていることが。
「ライオス……!」
アリアが彼の背中に手を伸ばす。
鎧越しでも分かる異常な高熱。左鎖骨の刻印が、心臓がもう一つあるかのように、ドクン、ドクンと暴れ回っている。
「アリア。グレイ」
ライオスは振り返らず、黒い剣を構えた。
「俺が道を切り開く。お前たちは、その隙に走れ」
「無茶だ! この数を一人でだと!」
グレイの制止を、ライオスの身体から噴き出した金色の光が遮った。
これまでの戦闘で見せた闘気とは次元が違った。
陽炎のように揺らめくような、光ではない。
実体を持った炎。
ライオスの皮膚の一部が硬質化し、金色の鱗が浮き上がる。瞳孔が完全に縦に裂け、人の形を保ったまま、その存在が『竜』へと近づいていく。
竜人族の、限定解放。
自らの魂を燃料とし、先祖返りを起こす禁断の技。
「来い。纏めて灰にしてやる」
ライオスの咆哮と共に、戦端が開かれた。
戦闘と呼ぶにはあまりに一方的で、凄惨な光景。
襲いかかる神殿騎士の剣を、ライオスは剣だけでなく、硬質化した左腕で直接受け止める。金属音が響くより早く、彼の剣閃が騎士の鎧ごと胴体を両断していく。
兵たちが放つ浄化の魔法弾が雨のように降り注ぐが、ライオスの纏う金色の炎はそれらを蒸発させる。
「バカな……! 人の身で、これほどの魔力を!」
「ひるむな。奴は異端だ。神の鉄槌を下せ」
敵の増援が次々と雪崩れ込む。
ライオスは、その濁流の中心で、荒れ狂う嵐のように剣を振るった。
一撃ごとに敵が吹き飛び、血しぶきが舞う。
だが、その圧倒的な力の代償は、即座に支払われていた。
剣を振るうたび、ライオスの口からごぽりと血が溢れる。
金色の炎が強まるほど、彼の鎧の隙間から噴き出す血の量が増えていく。
皮膚が裂け、筋肉が断裂し、それでもなお、刻印が無理やり肉体を繋ぎ止め、動かしているのだ。
「ライオス!!」
アリアは、その場から動けなかった。
逃げろと言われた。だが、置いていけるはずがない。
目の前で自分のために、文字通りライオスはすり減っているのだ。
「回復を……回復をさせなければ!」
アリアはグレイの制止を振り切り、戦場の只中へ駆け寄ろうとした。
だが、彼女の手から放たれた金色の光。『還元の光』は、ライオスの身体に届いても、弾かれるように霧散してしまった。
「無駄だ、アリア!」
グレイがアリアの肩を掴んで引き戻す。
「今の奴は、体内が魔力の坩堝になってる! 下手な干渉は、奴の制御を乱して自爆させるだけだ!」
「でも……でも、このままじゃライオスは!」
アリアの視界の先で、ライオスが膝をついた。
数本の槍が、脇腹と太腿を貫いていた。
「取ったぞ! 冒涜者の首を!」
騎士が勝利を確信して剣を振り上げる。
「邪魔だッ!!」
ライオスは、刺さった槍を筋肉だけでへし折り、喉の奥から竜の咆哮を放った。
熱線が敵を消し飛ばす。
だが、その反動でライオス自身も崩れ落ちる。
「ガハッ……!」
大量の血塊を吐き出し、ライオスが崩れ落ちる。
左鎖骨の刻印は赤熱し、周囲の肉を焼き焦がしていた。
「ライオス!」
アリアは、今度こそ彼のもとへ滑り込んだ。
彼の身体を抱き起こす。
熱い。火傷しそうなほどの高熱。
血の匂いと肉の焦げる匂いが、アリアの鼻孔を強烈に刺激する。
「……逃げろと……言った、だろう……」
ライオスは焦点の合わない瞳で、血まみれの手を伸ばし、アリアの頬に触れようとした。
だが、その手は空を切り、力なく地面に落ちた。
限界だ。
誰の目にも明らかだった。
彼の命の灯火は、もう風前の灯火ですらない。燃え尽きた灰の中で、最後の熾火が燻っているだけだ。
周囲を、残った敵兵たちが取り囲む。
「終わりだ、異端者ども」
高位審問官が、嘲るように近づいてくる。
アリアは、ライオスの身体を強く抱きしめた。
自分の心臓の音が、痛いほどうるさい。
涙は出なかった。
ただ、胸の奥底から、どうしようもない衝動が突き上げてくる。
(助けなきゃ)
彼を失うくらいなら。
彼が死んで、自分だけが生き残るくらいなら。
アリアは、ライオスの左鎖骨にある、赤熱する刻印に自分の手を重ねた。
ジッ、と皮膚が焼ける音がする。
激痛が走るが、アリアは手を離さない。
かつて、聖堂でしようとしたこと。
自らの『生の輝き』を天秤に捧げ、穢れを相殺すること。
今ならわかる。あれは逃避だった。
だが、今は違う。
(私の命を、彼にあげたい。私の未来を、彼にあげたい)
自己犠牲という綺麗な言葉ですらない。
ただの、強烈なエゴイズム。
自らの魂を燃料にしてでも、ライオスを生かしたいという執着。
「……アリア、何をする気だ」
背後でグレイが息を呑む気配がした。
アリアは、意識を集中させた。
自分の魂の形をイメージする。
かつては空っぽだった器。
今は、ライオスへの芽生え始めた感情と、イザベラへの想い。そして、生きたいという願いで満たされた、光り輝く器。
それを、ひっくり返す。
中身をすべて、この刻印を通して、ライオスの中へ注ぎ込む。
(全部、あげる)
(私の喜びも、悲しみも、未来も、全部)
(だから、死なないで!)
「——受け取って、ライオス!!」
アリアの絶叫と共に、彼女の全身から眩い光が奔流となって噴き出した。
子供を治した時の穏やかな金色の光ではない。
魂そのものを燃やし尽くす、白く、純粋で、危険な閃光。
光は刻印を通じてライオスの体内へとなだれ込む。
枯渇していた彼の魔力回路に、アリアの生命力が暴力的なまでに充填されていく。
「ア……ガァァァァッ!!」
意識を失いかけていたライオスが、激痛と、内側から溢れ出る力の奔流に目を見開き、絶叫した。
彼の背中から、光の翼のようなものが現れた。金色の闘気が形作った竜の翼が、爆発的に展開する。
「な、なんだこの力は!?」
審問官たちが後ずさる。
アリアは、意識が遠のくのを感じた。
寒い。
身体の中身が空っぽになっていく感覚。
ああ、これは、聖堂で感じていた『空虚』の極致だ。
けれど、不思議と怖くはない。
私の命が、彼の脈動になっているのが分かるから。
(生きて……ライオス……)
アリアの身体から力が抜け、彼女はライオスの胸に崩れ落ちた。
それと入れ替わるように、ライオスが立ち上がる。
その瞳は、完全な金色に染まり、人の理性を超えた領域の光を放っていた。
聖女の魂を喰らい、顕現した守護竜の姿。
敵を殲滅するための、美しくも残酷な獣の姿がそこにはあった。




