Session.6 心の音色を伝えれば
あの廃デパートでのセッションから数日後、弓刃から連絡があった。もちろん、姉についての現状のことだ。再び調は鶴舞邸を訪れることになった。
部屋には弓刃だけがいた。調の戦いぶりに関して、斜めではない物を感じたらしく、
「まさかあなたにあれだけの力があるとは思わなかったわ。随分音代として経験を積んだみたいね」
「いや、まさか。まだ、ちょっとした雑魚ノイズと戦ったくらいですよ」
「音代の力は人ごとに色々な差があるのよ。私はあまり音代としての才能があるとは思えなくて……やっぱりお姉様が一番だわ」
だが、それよりも気になること。
「弦奈さんの音色は元に戻ったんですか?」
「いえ……まだ完全に元に戻ってはいないの。お姉様が試しに演奏するのを聞いていたけど、まだ以前と同じようにはいかないみたい」
弓刃の声は深刻だった。
「楽器にしばらく触れていなかったので、腕が落ちたというわけではないと思う。ミューノイズのせいで演奏をする行動自体が制限されているのよ。鍵二さんによればお姉様の力は分割して奴らに吸収されたかもしれないって」
鶴舞家は昔気質であり、電話やスマホといった文明の利器をほとんど使わない。姉妹共に、車を運転したこともないという。
現代にそのような暮らしを営む人がいるということが調にとっては驚きだった。
隣の部屋からずっとヴァイオリンの音色が聞こえていた。これまでに失われた演奏のための時間を必死で取り戻そうとしているのだ。
調にとっては十分うまいと思えるのだが、本人にとっては不足なのだ。
弓刃にとっての戦いは未だに終わっていない。調は、改めて自分の使命の重大さを理解した。
その重荷を紛らわせるためにも、調は久米次と会う時にはできるだけ明るく振舞おうとした。
ミューノイズとの戦いが非日常だとすればポラリスの面々や久米次との触れ合いはさながら日常だった。この日常で力を蓄えればこそ、あの非日常の中でも頑張っていけるのだ。
市民ホールの一室で果たして調はその日を迎えた。
「久米次さん、こんにちは!」 あこがれの人の前、いつもよりも大声であいさつした。
「元気だね、調さんも」 その勢いの良さに思わず久米次は苦笑いした。久米次は、調にそこまではきはきしなくてもいいのにと思った。
「だって久米次さんの前ですよ!? 私も久米次さんと同じくらいロックにならないと張り合いがないじゃないですか!」
「そんなに好きなんだね、ロックのことが」
「もちろんです! 久米次さんのアルバム、全部持ってますし!」
下手するとこのまま早口で自分の趣味のことをぶちまけそうなのを、調は必死で自制した。
悔しいが、どこまで行っても自分は一介のファンに過ぎないし、一緒に音楽の練習をするからといって特別になったような気分でいてはならない。良質なファンとしての節度を失ってはならない。
(久米次さんは仕事で忙しいし、今ここにいるのはあくまでもレッスンなんだから)
「嬉しいよ。君みたいに熱心なファンがいるってのは」
恥ずかしそうにしていた調の顔がついほころんだ。
「それに、音楽祭まであと一ヶ月ちょいなんですよ。それまでに、演奏を必死で上達させないといけませんから」
「いい心意気だ。……仲間たちとはうまくやってるかい? なんだか一人、張り切りすぎな子がいたみたいだけど」
そうだ、日常の中だって安らげる所ばかりではない。有亜のことは依然として懸念の種だった。
「そ、そうですね。メンバーと、ちょっとうまくいかなくて……」
「有亜って子のことだったかな」
調は居ずまいを正し、久米次の顔を正面から見る。
「名前を覚えてくださってたんですね。ええ、あの子のことです」
「有亜ちゃんは今も元気なの?」
「元気です! と言いたい所ですけど……まだ、落ち込んだ感じが取れてないみたいなんです」
有亜は、ここ数日いつもと変わらないように振舞っている。
ミューノイズのことを普通の人に言っても信じてもらえるわけはない。だから、ごくやんわりと伝えることにした。
「人々が音色を思い出せなくなってるそうなんです」
「音色を?」
「音楽の力は絶大ですから、それを何とかして抑え込もうとしている力があるのかもしれません」
と言ってみたはいいが、すでに調は後悔していた。
(どうしよう。こんなこと言ってよかっただろうか)
久米次には、ミューノイズのことなど知る由もない。
それにこんなことを言って、相手を不安にさせるわけにはいかないだろうに。
久米次は、自分のギターを眺めながら言った。
「音楽はね。僕もよくわかんないんだ。この道に進んで十二年は経つけど、いまだに僕にとっても音楽のことが分からない」
低い声で。
「人間の無数の音色。それをどれだけ味わっても、どこか満たされない……」
実に深い言葉だ、と調は思った。
「そりゃ、音楽の道は無限に広がってますから。一人の人間ではどうやっても知り尽くせないものですよ」
「だろうね。僕たちはあらゆる名曲を、十分に味わう前にこの世を去ってしまうのだから。その前に、できるだけ多くの音色を吸収しておきたい」
久米次は不思議な笑みを浮かべた。調が共感してくれたからなのか、それとも……。
「さあ、やろうか」
ポラリスのメンバーを思い出しながら、調は明朗に返答した。
「はい!」
音の台の近く、六鹿区曽富良町に位置する金手高校。
次の日の朝、有亜は、音楽室で道具を整備していた。誰よりも早く、部室に来ていたのだ。ポラリスの面々は、演奏の練習以外にも、暇を見つけてはたまり場のようにその空間を利用していた。
特にこの頃は、何においてでも人に勝りたいと思っていた。なぜ焦っているのか、自分でも分からなかった。
思えば、有亜が持っていないのを調は全て持っていた。
逆に調は音痴だった。
歌が駄目だと分かった時から、調はめっきり歌わなくなった。
ある意味その辺が有亜と調の違いだったのかもしれない。有亜は、諦めの悪い少女だった。
元から文章を書くのは好きだったし、替え歌を作るのが趣味だった。
さらに進んで、一から曲を作ることに思いが至ったのだが、そこでつまづいた。
DTMに挑戦したこともあるが、だめだった。
自分が望んでないことばかり上手になってしまうことの不本意さ。
そのまま受けることをやれば、正解なのだろう。だがそれでは満足できないのだ。
(いつからだろう……素直に音楽を楽しめなくなったのは)
調のロッカーを眺めながら、ひとりごつ。
「私は、調になりたかったのかな……」
「やぁ!」
気づくと、向こうから誰か、知らない若い男がやって来た。
「君がポラリスの有亜ちゃんだね?」
有亜には、それが初めて会った人間だとは思えなかった。しかしどこで会ったのかは分からなかった。
「そ、そうですけど?」
「そうか。良かった。ちょうどいい話があってね……」
しかし、男の物静かな様子は、どこか人を安心させるような穏やかさであり、不審な人間であるにも関わらず有亜はもう警戒心を捨ててしまった。
「君の願いを叶えに来たんだ。君は、演奏がしたかったんだろう?」
『ざわめく静寂』は、黒いエレキギターを抱えている。
有亜はそれを見て、胸騒ぎがした。禍々しいフォルムと色合いをしたギターだが、だが説明のつかない魅力を感じてしまった。
危険だと思った。
「これに触れてくれ。このギターには人の音色がこもっている。このギターを通じて、君が素晴らしい演奏者になる力を授けよう」
「どういうことですか? 私はボーカルなんですけど」
静寂は優しげな声で言った。
「さっきの話を聞いてたんだ。君はどうやら調ちゃんに成り代わりたかったそうじゃないか。僕にもその気持ちがよく分かるよ。僕も本当に音楽のことを知りたくて、誰もが感動する音楽を作りたいんだ。そして、君にもそういうのを奏でてほしい」
「でも私、昔に演奏はあきらめたんですが……」
有亜は、なぜ彼がここにいるのか、自分がここにいると知って尋ねてきたのかと疑問は尽きなかったが、とにかく静寂の謎めいた雰囲気に奥ゆかしさを感じて、もう少しだけその声を聴きたいと思った。
「さあ、早くこれを受け取ってくれ。君こそ、このギターを持つにふさわしい人なんだ」
「や、やめてください! 訳もなく人の物なんて受け取れません」
だが突然また見知らぬ誰かの視線を浴び、凍り付く有亜。
人としての生気を微塵も感じない、肌の白い女性が立っていた。
「あなたは調を憎んでいる……そうでしょう?」
誰だ? と問い返すこともできなかった。
「そんな、憎んでいるだなんて……」
「だが、少しでもやましいと思っていないなら調をさしおいて僕にサインをよこしたりはしないだろう。君はとにかく調より先に何かを手に入れようとする。そこなんだ、君の音色の溝は」
静寂は再び、
「さあ。受け取ってくれ。ポラリスのみんなも、君を新しいギター担当として迎え入れてくれるはずだよ」
「お断りします。誰かに成り代わって追い落とすなんて……そんなの、できません」
肩を落とす静寂。
「残念だよ。この世には音楽の才能の種を備えながら、それを目覚めさせることができない人間が大勢いる。君もそのままで終わりたくはないだろう?」
静寂は哀れむような声を出した。それがあまりに相手を思いやるような声であっただけに、有亜は自分が傷ついたと思うことすらおっくうだった。
有亜は、懊悩した。
女性は無理やり有亜の腕をとってギターに触れさせた。その瞬間、有亜の中に無数の人間の、奪われた音色が流れ込んできた。そして有亜自身の心も、その音色に宿る怨嗟によって塗りつぶされてしまった。
静寂は、
「君が新しくポラリスのギター担当だ。分かったね」
有亜は言った。
「分かりました。六条調の、上に立ちます」
女が有亜の肩を叩き、微笑。
「私があなたの代わりに歌を歌うわ」
すでに有亜は彼の名前を知っていた。
「ありがとうございます、京子さん」
そして有亜は部室に入った。
「あれ? 何、そのギター?」
有亜は、いつもの有亜からは想像でつかないような危険で妖艶な視線を向けて、
「これからは私が北極星になるの」
鼓は有亜の様子がおかしいことに気づいた。
「いきなり何を言い出すの、有亜?」
「これまでは調がギターを操っていたけど、これからは私がギター担当になるの」
鼓は、有亜の意味不明な言動に恐怖に駆られた。
「……は?」
有亜は黒いギターを異性の体に見立て、いとおしそうに撫でながら、
「私、ある人のおかげでギターを弾けるようになったんだ。調なんかよりずっとうまくね」
相手が有亜ではない別の誰かだと思ったが、しかし紛れもなく有亜であることにただ、愕然とするしかなかった。
だが、それをすんなり受け入れられるわけもない。
「ねえ、どういうわけ? だったら誰が歌を歌うの?!」
「歌なら私がいるわ。これから有亜の片腕としてポラリスを支えて行くわ」
有亜の隣に、赤い目の女がいた。
「え、誰――」 女が歌った。歌といってよいかどうか甚だ疑問だが、少なくとも人間にとっては『歌った』と呼べる行動だった。
一瞬鼓の視界が暗転した。
直後、もう鼓の意識はもう別人のそれに入れ替わってしまい、この女のことも、豹変した有亜のことも、全く当然のように受け入れてしまった。
「すみません、京子さん!」
倉香は、知らない名前を口にした鼓に得も言われぬ不気味さを覚える。
「ちょっと……どういうこと? 有亜が演奏する? 京子さんって?」
後ずさりして、顔を引きつらせる。
「ちょっと、倉香! 」
しかし、もう倉香も鼓が知る倉香ではなかった。
「京子さんですね? これからよろしくお願いします」
「ちょっと……何言って――」
女の歌声をもろに浴びた瞬間、倉香は突然精神の何かが消し飛んでしまった。そして、違う誰かの記憶と人格を無理やり注ぎ込まれ、
「わぁ、ごめんなさい! つい、名前を覚えてなかったもので……」 言い訳する。
一人一人あっけなく落ちて行くのを見て、にたりと笑う京子。
「京子さん、よろしくお願いします」
盤子が遅れてそこにやって来た。
鼓たちが知らない女と一緒に親しく話しているのを見て、盤子は不審な気持ちになった。
しかも、有亜が演奏する? それにこの白髪の人は?
盤子はどうしたらいいか分からず、途方に暮れた。まるで、白髪の女が一同を操っているようにしか見えないのだが。
確か、ファントムファイブの怪人にもこういう能力を持った奴がいたはずだ。こういう時、どうやってその能力を避ければいいか。
盤子は、わざと彼を知っているふりをした。
「ええと、今日は何の練習?」
京子は言った。
「リフがまだおぼつかないようだから、その辺を繰り返し練習するがあるみたいね」
そして次に、調がやって来た。
「ヒーローは最後にやってくるっ!」
調がすこぶる上機嫌で入って来た。有亜を見るなり、早口でまくし立てた。なにしろこのことをまず有亜に話したくてたまらなかったのだ。
「ここ数日、色々不安なことはあったんだけどさ、そういうのもずっと楽になったんだよ。久米次さんに色々レッスンしてもらってさ――」
「へえ、それは幸せなことじゃない」
「……え?」 久米次のことだから当然有亜も、鼓たちもさぞ喜ぶと思ったのだ。にも拘らず彼らはまるでそれに何の関心も抱いていない様子だった。
「何? せっかく私が上機嫌で話してあげてるってのに――」
きゅっと調の胸が締め付けられた。
(違う。いつものみんなじゃない)
全員の視線が冷たかった。久米次との話に興味がないのではなく、調に興味がないのだ。
有亜は容赦なく言い放った。
「残念だけど、もうあなたはポラリスのメンバーから外れてもらうの」




