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Session.5 G線下の憂え

 もし鍵二がいなかったら弓刃は結局冷たく突き返していた所だろう。彼がいたからこそ、すぐに中に通してもらえたのだった。

 弓刃にとっても、鍵二は一目置く人物だった。

「鍵二さんじゃないですか!」

 その姿を見て、弦奈の声が明るくなった。

「お久しぶりです、シニョーラ・ゲンナ! イギリス公演で共演したのも、もう三か月前のことでしたね」

 優しく、しかし真面目な調子で鍵二は答えた。

「あの……お二人は顔見知りで?」 調。

「やだなぁ、鶴舞姉妹の演奏を知ってるなら僕の音色だって聞いたことがあるんじゃないのかい?」

 苦笑する伊達男。その肩を叩きながら律真が、

「こいつはジャンルが違うんだ。疎いのは無理もねえよ」

 しかし弦奈を顔をはっきり見ると、やはり鍵二は心穏やかではいられないようだった。実際鍵二の知っている弦奈はもっと爽やかで、瀟洒で、人をときめかせる美貌の持主だったから。

「まだ……楽器には触れられませんか?」

 うつむく弓刃。

「姉は、彼らによって音代としての力を吸われただけではなく、演奏をするための知識も奪われてしまったんです……」

 弦奈は弱々しい声で言った。

「何も思い出せなくなるんです。頭の中に空虚ができたように……」

(これだけの立派な人でも、こんな風になってしまうなんて)

 調は、人々から夢を奪うミューノイズに怒りを覚えた。

 再び寝込みそうになる姉を見やりながら弓刃。

「私は、お姉様から音色を奪った奴を許せないのです。ですから、鍵二さんならもしかしてその手がかりになるものがあるのではと思ったのですが」

「僕には、思い当たることがある」

 鍵二は言った。

「仕事の合間にずっと索敵をしていたんだ。あいつらはいきなりこの世界に現れるわけじゃない。人目に付かない場所に潜伏している」

「索敵?」

 律真が説明する。

「鍵二は自分の演奏で出した音を奴らに反応させることができるらしい。ずっと演奏しながら密かに敵を探ってたんだ。どんな理屈かは分からんが……」

「僕にだって分からないさ。ただ、街の北西で最近、人間がよく無気力になる、なんて話を耳にしてね。一回試しに立ち寄ってみたら高い所から強いミューノイズの強い反応があった」

「ミューノイズが潜伏している……ってことですか?」

 尋ねる調。

「きっと強い音色を狙って、待ち伏せしているのかもしれない。そして、奴の体から漏れ出る音色は黄色かった」

「きっと、それだわ……! あいつらが私から奪ったのもその色の音色だった。」

 姉の方が急に眼の色を変える。

「私からもお願い、弓刃」 弦奈は哀願するように言った。

 姉からこう言われては、妹も断り切れなかった。

 わずかに律真の体が震えていた。

「つまり、俺たちにそこに乗り込めってのか? 怖いのは苦手なんだが」

「ええと、僕自身がそこに乗り込むのはさすがに難しいな。あそこから楽器はもう撤去されているだろうからな」

「俺たちだけに戦えってのか?」

 慌てて鍵二は両手のひらを見せ、

「いや、君たちだけってわけじゃないよ! 遠くから僕の音色をそこに届けて、君たちに支援することはできる。近距離での戦いには向いていないからね」

「支援って、どんなことをするんですか?」

「聴きゃわかるさ」 律真は、にやりと笑った。


 ◇


 楽器を持ちながら出歩くことは、この街ではさほど不自然ではない。男女が楽器を携えて行き来することくらいはそう目に留まらない。

 わずかな小さい音ではあるが、調の耳元にチェンバロのリフが聞こえた。それに混じって、鍵二の声。どうやら音代だけが距離を越えて、自身に向けられた楽器の音を聞くことができるらしい。

<今から僕の音色を君たちが向かう所に届ける。君たちがミューノイズに襲われるのに備えて、色々強化をかけてあげるよ>

「すごいですね……そんなこともできるんだ」

<ただ、僕自身は無防備になってしまうがね。基本は護衛が必要なんだが>

 律真が言う。

「だからこいつは基本的に一人じゃ戦えない。とにかく今は手短にやんなきゃいけないわけだ」

「実際、手短に済んでくれたらいいんだがな。何せ奴は現れる条件が特殊なんだ」

 時はまさに正午に近づこうとしていた。通行人がかなり多い時間帯だ。しかし、他の街区に比べるとどこか少ない気がした。

<このあたりを通りかかって、謎の化け物に襲われて無気力になった人間がいる……って話は都市伝説みたいなものさ。だが僕たちはそれが都市伝説じゃないことを知ってる。教えても、誰にも信じちゃもらえないがね>

 律真のスマホから鍵二の声が聞こえた。

「ミューノイズのこと、本当はもう少し信じられてもいいんじゃないですか? やっぱり、人が多ければそれだけみんな本当かなって思って、真実を知ろうとするんじゃ……」

 律真は冷たく言った。

「馬鹿言え。連中に何を言おうが信じねえさ」

(でもそれじゃ、ただの現状維持じゃないですか)

 調は、腑に落ちなかった。知ってくれる人がいればいるほど、ミューノイズがなぜ現れたのか、音代の力を授けたのか誰かなのか調べてくれる人も現れるかもしれないのに。しかし、険しい表情で、弓刃が突如。

「ミューノイズの気配がします」

「分かるんですか?」

「上に。この二つのアパートの間です」

<よし。じゃあ始めるぞ>

 急にチェンバロの音が聞こえてきた。それも、頭の中から響くように。調がまごついていると、律真が言った。

「奴が演奏を始めたんだ」

 実際、この時の鍵二は自宅の中で演奏を行っていた。

 目をつむり、手がひとりでに動き出すのに任せて音楽を紡ぎ出す。


 ――古城の中に集う幽霊。時代から取り残され、いまだに古臭い衣装に身を包み、何百年も前のことについて今日起きた話のように語り合っている。


 三人はすると、自分たちがまるで何か盾のような物に囲まれた感覚を覚えた。

「どうだ、すごいだろ?」

「わぁ、なんだか軽い鎧を着こんでいる感じです」

 鍵二の演奏は、しばらく続いた。


 ――しかし、再び全ては色あせる。枯草が床を覆い、蔦が壁にかかっている。けれど彼らの存在は決して否定されることはない。


 音色が佳境に近づいた時、突如として調は悪寒がした。


 建物と建物の間に、黒い何かがひしめいていた。

 それは、ふくらんで丸みを帯びた巨大なカスタネットだった。しかし、内側から瘴気のような音色を垂らし、雑音を流していた。

 化物に気づいて、市民たちが次々と逃げ出していく。

「あんな所に、ミューノイズが……!」

「どうやら時報に反応して姿を現していたみたいだな」

 カスタネットの開いた姿は怪物の口のようにも見える。

 その時、表面に三つほど目が生まれたのを調は見た。そして、間違いなくこちらを――

「引け!!」 叫ぶ鍵二。

 カスタネットは落下した。

 わずか数秒後にその巨体が地面に激突し、不協和音があたりにこだました。

 彼らは実態を持たない。地面にひびが入ったわけでもない。

「俺達音代の音を待っていたってわけだ!」

 律真の声は危機感にみなぎっていたが、どこか楽しげでもある。

 カスタネットに足が生え、遅いが重い足取りで三人に近づいてきた。

 口を打ち鳴らしては、あたりによどんだ音色をまき散らし、鼻が曲がるような異臭を放つ。

 のろい奴、と一瞬調は油断した。だが敵の体の側面から素早く触手が伸び、調の全身をわしづかみにしようとする。

 その時ピッツィカートが響いて敵の腕を細切れにさせた。

「何をしているの?」

 弓刃はつっけんどんに言った。

「お姉様なら、こんな奴なんて一瞬で……!」

 調はむっとした。姉を褒めるために他人を貶めなくてもいいのに。

 だがこんなことで気を散らしている場合ではない。

 調は高音をかき鳴らし、何度もカスタネットの口の中を狙った。そして何回か失敗した後、ようやく一撃を喰らわせた。

 はがれるようにして流れ出す音色の奥、闇の中に光り輝くものがある。

「あれは……お姉様の音色!?」

 弓刃が身震いする。マイクからよだれのように流れ出る音が、黄色い霧を垂らしていたからだ。

「こいつが弦奈さんを襲ったんですか?」

「いえ、こいつとは少し違うわ。でもこの音色は確かに……!」

 鍵二が冷静に、

「少なくとも、倒して確かめる他はないだろう」

 弓刃は、調の方に顔を向け、

「感謝するわ。あなたの力がなければ見つけることはできなかった」

 固い表情ではあるが、確かに調のことを認めたという風の優しさがほの見える。

「ど、どういたしまして!」 嬉しさよりは、戦いについていかなければならない焦りで、つい早口になってしまう。

 二人のやり取りには何も言わず、冷静に次の選択を降す律真。

「よし、鍵二は攻撃の支援を頼む!」

「了解した!」

「エレキギターとヴァイオリンのセッションか……俺にとっちゃ珍しい組み合わせだが」

 それから律真は調に向き直り、

「なあゲス。やることは分かってるよな?」

「ええ、分かってますよ!」 本名を呼んでくれないことに未練たらたらだったが、今は仲たがいしている場合ではない。

 少女の演奏が槍を錬成した。火でできた槍だ。


 ――同じ志を持って集まった仲間たちがいた。彼らと衝突し、協力し、そしてここまで来た。


 ミューノイズのマイクがけたたましく響き、調の演奏を妨害しようとしたが調は避けた。

 律真と弓刃が息を合わせて楽器を鳴らし、頭にでたらめに生えた奴のマイクをいくつか吹き飛ばした。その間にも、調の音色が彼の体を包み、ライブ会場のような熱気を錬成している。


 ――別に好きなタイプの人間だったわけでもないし、自分から仲良くしようとしたわけでもない。みんなが自然体で振舞っていた。それがなぜか気が合って離れられない。


 なぜ、訳の分からない化物と対峙し合えるのか、いまだ調は自分でも分からなかった。

 ただ、ポラリスのみんなにも奴らの害が及ぶとするなら、調は何が何でも自分がみんなを守らねばならない、という願いにつき動かされ、調は奏で続けた。

 曲のサビが終わり、次の節に入ろうとした所で調はこの演奏を切り上げた。すでに槍はミューノイズに巨大な風穴を開けられる所にまで大きくなっていた。

 ミューノイズも、他の音代たちも、調が思ったより強力な力を持っていることに驚いていた。曇りなき瞳……。純粋に音楽を追求しようとする求道者としての精神を、さすがの律真も認めないわけにはいかなかった。

 だがそんなことを調は気にしていなかった。彼の精神はすでに音色が紡ぐ物語の主人公に同化していたからだ。

「放て」

 調は告げた。そして彼の音色がほとばしった。それは巨大な風穴をあけ、もはや敵にその巨体を維持できなくさせていた。

 敵の体が弾け飛び、様々な音色が四散した。あまりに多くの種類の楽器の音色が耳をつんざくように流れ出て、遠く旅立って行った。

「マラヴィリョーゾ!」 鍵二の叫び声と共に、手を叩く音が聞けこえた。

 しかし、弓刃は気が気でなかった。

「あの中に、お姉様の音色があればいいのですが……」

 律真は調の隠された実力に舌を巻いた。

(こいつ、意外とやるな……!)


 ◇


 調たちが雑音と戦いを繰り広げている間、ある場所。

 どこにあるか分からない、闇に満ちた空間の中で二人の男女がひそかに語らっていた。

 黒い服に身を包み、人間の肌とは思えない、陶器のような質感の白い肌をしていた。

「やられたよ……」

「それにしては、あまり辛そうでもない表情じゃない、『ざわめく静寂しじま』?」

「これくらいよくあることさ。さほど落ち込むべきことでもない……それを彼らの音色は教えてくれたんだ。ところであれはできたのかい、『うるわしき狂騒』?」

『ざわめく静寂』は問うた。

「ええ。沢山の人間の心の音色を吸って、とても優雅に育ってくれたわ」

『うるわしき狂騒』は答えた。

 壁や床から、不協和音がにじみ出ていた。上手に演奏したいと思っているのに、その方法を知らないせいで歪んだ音になってしまっているかのようだ。

 だが彼らにはそれが汚い音色には聞こえなかった。むしろそれが人間にとって自然な音色だと信じて疑わなかった。

「これからある音代に会うつもりなんだ。あの音楽に対する熱意、そして胸の内に宿る音……実に肥えているよ」

「すぐに奪わないの?」

『ざわめく静寂』は微笑を浮かべた。しかし、その深い意図をくみ取らせはしない、不自然な所作で。

「まださ……もっと甘い音になってからさ」

 女は男を手招きした。男はそれに従って奥へと進んだ。

 壺の中で黒い液体がぐつぐつと煮えたぎっていた。『うるわしき狂騒』は平気でその中に片腕をつっこむと、その中から黒い、禍々しい艶を見せるギターを取り出した。

「見て……彼らの音色でとても素晴らしい楽器になった」

 彼は、頬を赤らめながら自慢した。

 相手もそれを見て、出来具合に満足したのかすこぶる上機嫌。

「いいじゃないか……これだけの出来の楽器なら、ぜひあの子の親友にわけてあげるべきだ」

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