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Session.4 陽光響くプレクトラム

 ミューノイズがここ数日現れることはなかった。

 現れないことは良かったが、それでも安心はできなかった。

 弓刃は、ミューノイズを検知する能力がある。水や風の音が順序をばらばらにして響いているのに気づいたのは、弓刃が突然あの表情を見せた直後だった。

 しかし調は、それができなかった。音代にもある程度能力に差があるということだ。ならばなおさら、欠点を補うために力を合わせなければならないのに。

(だめだ。私だけじゃできないことが多すぎる。仲間を集めないと)

「何考えてるの。また有亜のこと?」

 鼓が上から覗き込むように問うて来たので、どきっとした調。

「有亜のこと……かな?」

「かなって何だよ。ずっとそのことについて悩んでるようにしか見えないけど」

 ポラリスのメンバーが、ちょうど部室に集まってたわいもない話に興じていた。有亜はこの日、家の用事で早退していたのだ。

「有亜ってさ、昔から演奏にあこがれてたじゃない。だから、またあの頃を思い出して、つい懐かしんじゃうんじゃないかって」

 ずっとキーボードにつっぷして寝ていた盤子が目覚め、即興で諫めるようにリフを奏でた。

「調。……考えすぎ」

「浅く考えられないから、そんな風になってんの」

「ファントムレッドはもっとさっぱりしてる。そういうことでいちいち悩まない」

 ファントムレッドは、ファントムファイブの主人公だ。

 特撮ヒーロー番組に半ば精神を支配されている盤子は、日ごろの生活でもしょっちゅう特撮由来の言葉をあげてものを言う。

「そりゃ死んで、ヒーローとしての力をもらって復活したんだもんね。悩むことに意味がないんだ」

 あの物語の主人公は、本来なら死んでいるはずなのになぜか蘇られたのだ。ある意味では、音代よりも訳の分からない境遇にいると言える。

 でも、それはいつか終わりがあるから安心して見られるのだ。戦隊物なら一年で完結するから、いつかは戦いが終わることもはっきりしている。

(けど、私の戦いは違う)

 ミューノイズがいつまで現れるかも分からない。

 それに有亜との関係がどうなるかも。

 倉香は、言った。

「それに比べれば調の悩みなんて大したことないって~!」

 調は、必死でいらいらするのを抑えた。

「鼓は……どう思う?」

「さあ? 私は調には調なりの切実な理由があると思うけど……」

 盤子はふたたびリフを奏でた。

 ――調が悩んでいることは、杞憂に過ぎない。それはコミカルな一時なのだ。

 ポラリスの面々はいい意味で変人の集まりだと思っていた。彼らはみな、学校のはみ出し者だ。

 そしていつもなら、調は誰にも話せないことを鼓たちになら相談できた。だが今や、彼らにすら打ち明けるわけにはいかないことができてしまった。

 普通の人は、ミューノイズのことなど知らない。そして、知らない方がいい。部室が、いつもより疎ましく思えた。


 ミューノイズが、音楽を愛する者たちを狙っているということだけは確かだった。そして敵である音代を憎んでいるということも。

 彼らに負ければ、もう二度と音楽を演奏することはできない。

 日木町数百メートルごとにピアノを納めた小屋が配置されているのを、この日でももう何回通りかかったか分からない。

 横を見れば派手な色合いのドローンが通りを飛び交い、流行の音楽を鳴らしていた。

 手を振って見上げれば近づいてくれるし、金を払って正面についている液晶画面を操作すれば、好みの音楽を流してもらうこともできる。

 以前は調はこの手の機械に好んでお金を落としていたのだが、この頃になると、もはや音楽その物に忌避感を感じるようになっていた。

 音楽に近づけば近づくほど、奴らに狙われる可能性も高くなる。ただでさえ音楽であふれているこの街で奴らを避けるなどどだい不可能な話。

 郵便局前の階段にうずくまって物思いにふけった。

「チャオ! コメ・スターイ?」

 薄い橙色のトレンチコートに、サングラスを付けた伊達男だ。優しげに振舞っているようには見えるが、久米次に比べれば軽薄で、ともすれば芯がないように思えてしまう。

 相手の言葉の意味が分からない調は、どう答えればいいのか分からず硬直してしまった。

「イタリア語だよ。気分を尋ねようとしてたんだ。何だか悩んでいるように見えたからさ。ねえ、どんな気分?」

 調は、相手のなれなれしい様子に嫌悪感と若干の恐怖感。

「そりゃ、悩んでますよ。これで悩んでないように見えますか?」

「あっはっは。ごめんごめん」

(そんな) ジト目になってしまう。

 伊達男は真面目な表情になって、

「昨日の演奏、聴いてたよ。急に街中で始めたからびっくりしちゃって」

「えっ、見てたんですか……」

「その時は僕も急に胸がしめつけられてさ、ものすごい耳鳴りが頭の中で轟いたんだ。でも君の演奏を聴いてたらなぜかそれが収まった。君のおかげだよ。グラツィエ」

 この人が音代であるとは調には思えなかった。

(どうやってごまかそう)

「ええと……ロック要素が不足していたんです」

 しかし、言いよどむ調をよそにして、

「あの時、すぐ近くにピアノやチェンバロがあればあいつらをすぐにも撃退できたんだが」

 驚いて、不意に立ち上がってしまう。

「あっ、あの、もしかしてあなたは――」

 指を鳴らし、したり顔を浮かべる伊達男。

「チェルト・ケ・シ! 君は音代だろう? 実は僕もなんだ。君の演奏はすごかったよ。君は敵と直接戦うのが得意なんだね。なかなかの威力だと分かった」

 だがもう、素直に喜ぶことはできなかった。

 音代たちが、互いに連帯できそうにない連中であることを調はもう思い出した。

「それは嬉しいですけど……」

 調がどう答えるべきか迷っていると、急に鍵二がサングラスを外した。

 陽気さのある端麗な目だ。色の濃く、やや彫の深い顔は、ラテン系の風貌を感じさせた。ただ、妙に幼い、いたずらっ子な感じもあって、そのギャップに調はどきっとした。

「言い忘れていたね、僕の名前は或門あると鍵二けんじ。以後、お見知り置きを。音代同士、味方は多い方がいいだろ?」

「確かにそうなんですけど、私が会った音代の人たちがどうしてもそういうのに乗り気じゃないんです。前はよくライブを開催していた鶴舞弦奈さんが音代ミューノイズにやられて、元に戻すために妹さんががんばっていて……私も力を貸したいんですけど、あの人は自分の力で解決したいみたいで……」

「鶴舞姉妹が? それは驚いたな。まさかあの人たちが音代に選ばれるなんて。その辺の人間に力をばらまいているというわけでもなさそうだな」

「力をばらまいてる……」

「一体誰がそんなことをしているのか分からないが、どうやら音代を作っている誰かは意図して選んでいるみたいなんだ」

 音代の素質がある人間を選んでいるというのだろうか。

 音代であることを受け入れて、戦えるほどの覚悟など調にはなかった。困っている人を見て、そのまま放っておくのは気分が悪い。そんな消極的な理由で戦っているに過ぎない。

 この男はどうなのだろう? もう少し、戦うことに乗り気なようだが。

「僕に協力させてくれよ。君もあの子を助けたいんでしょ?」

「でも、どの人もあまり協力的じゃないですし」

 尻込みする調に対し、鍵二は推しが強かった。

「なら僕が君の最初の戦友ってことになりそうだな。君も僕にとっては貴重な同胞なんだから……」

(わー、この人、私をもう戦いに引き入れようとしてる?)

 鍵二は構わず自分の戦い方の話をしている。

「僕は移動して戦うことはできないが、その代わり広範囲に音の効果を及ぼすことができるんだ。音と反応させてミューノイズを検知することもできる。もしかしたら、弦奈さんの音色を奪い取った奴を突き止めることもできるかも」

「え……本当ですか?」 調の顔がふっと明るくなった。

「鶴舞家の令嬢は気位が高いから、果たして見ず知らずの人を受け入れてくれるどうかは分からないが……」

 ここで一気に声の調子を変えて、

「まあ、立ち話はこの辺にしておこう。この街の人間として音色を聴いてもらわない訳にはいかない。ちょっくら僕の演奏でも聞いてくれよ」

 調はそこで一気に現実に引き戻された。

「チップを要求しませんよね?」

「まさか。同志として、今回だけは無料にしといてやるよ」

 近くにある白い煉瓦でできた、円柱が並んで神殿風の建物に入った。その中には一つのチェンバロが安置されており、誰でも演奏ができる。こういう施設はみな市の税金で維持されているものだ。

 神殿の中に入った時からもう鍵二は神妙な表情をしていた。もう町中の陽気なギャル男などではなく誇り高き演奏家だった。

 部屋の隅の黒いソファに座る調。

 鍵二はチェンバロの前の座席に腰を下ろすと、静かに深呼吸し、祈りを捧げるようにしばし天を仰ぎ、制止する。


 ――黒いローブに身を包んだ賢者がいる。俗世から遠く離れた洞窟の中、人知れず台座に深く突き刺さった剣を背後に、その時を待っていた。もう何十年もの間、剣を誰一人として台座から引き抜くことはできなかった。それは力で抜けるものではないからだ。


 チェンバロの透き通る音は、調を没入させた。


 ――ある若者が洞窟を訪れた。この世をはかなみ、あらゆる名誉を軽蔑していた。誰からも愛されず、しかし賢者は彼を一目で、普通の男ではないと看破した。


 調は、音楽を実体のある形として認識することができる。そこにある感情も、世界観も、具体的なイメージとして創造することができるのだ。


 ――賢者は洞窟の奥に若者を案内し、ささった剣を見せた。若者が全く信じない様子で剣に触れると、突如として全身に衝撃が走った。そしてためらいつつも剣を挙げると、それはするすると台座から抜けて行った。

 待ちわびた人間がついに現れたのだ。壮大な旅の門出がこうして始まった。


 調は拍手した。

「うん。この音色だ」 自画自賛するように鍵二。

 二人は神殿を出ると、横に立って歩いた。

「もしかして君が探してるのって、律真くんか?」

「ご存知なんですか?」

 鍵二は頭をかきながら、何事でもないように、

「いや~大変だったよ。この前互いの演奏について話し合おうと石投げられたし」

「い、石?!」

「どうやら僕が元恋人のことを夢で見てうなされてたのを聴いちゃったみたいなんだ。でも寂しがり屋なんだろうな。きっと僕以外に自分の音色を理解してくれる人がいないから、ああなんだ」

 鍵二はそれを軽い口調で話すので、きっと深い馴染みなのだろうと思った。

「あいつがいる場所は知ってるさ。なあに、いつものことだ。……いたいた!」

 果たして、鍵二が手をあげた先に律真がいた。

 普通に歩けば見落としてしまいそうな路地の奥、ギターの整理をしていて、あの時のおらついていた様子から対極的に思えるほど物静かな様子だった。

「やぁ! 律真! 元気かい?」

「鍵二、お前こそ女を連れ歩いてどういうつもりだ?」

「まさか! こんな若い子と一緒にデートする趣味なんてないさ」

 明るい声からすると、見知った人間なのだろう。

「彼女はどうやら君の助けが必要らしいんだ」

「俺は誰かに協力してはやらんぞ」

 調は真剣に、

「あの時はすみませんでした。私が音代としての力を勝手に発揮して、律真さんを傷つけそうになったこと」

 反射的に律真の背筋が飛び上がる。

「思い出したぞ! あの時のお返しをさせろ」

 血相を変え、鍵二が、

「ちょっと、駄目だって!」

 しかし案外律真は冷静だった。

「ああ、俺だって好き勝手誰かに危害を加えたいわけじゃない。ゲスがあの時俺に一撃を加えたのは正当防衛だ。だからミューノイズとの戦いでてめえに借りを返す。ミューノイズに襲われそうになった時に俺がお前に当たるすれすれの所で攻撃を外してやるよ。それでいいな?」

「分かりましたよ。じゃ、私の依頼についてちゃんと聞いてくれます?」

「それが俺を納得させるものならな」(やっぱ説得するの難しいじゃないですかー!)

 しかしこうなっては引き下がれない。

「鶴舞弦奈さんって人を助けてほしいんです。あの人も私たちと同じ音代だったんですよ」

「何だ? そいつは俺と違っていいとこ育ちの嬢ちゃんだろう? いけすかねえな」

 調はやはり失敗したのではないかと青ざめた。だが、そこまで不機嫌にはなっていないようだ。

「おいおい、にべもなく断るつもりかい? 彼はこの街のプリマ・ドンナだ。もし彼を見捨てることがあればそれはこの街の音楽家全ての名誉にかかわることになる。それは君も分かっているだろう?」

「そりゃそうだ」

 しぶしぶ聞きながら、頬杖をつく律真。

 弁論家のように、しつこく論駁を続ける鍵二。

「君はこの街に誰にも汚されない音色を轟かせる一匹狼だ。だが一匹狼でいられるのも他の人たちが、妥協の末に人々に認められる音楽を作って成功しているからなんだ。もし彼らがいなければ、君が妥協して人々の心を満たす音楽を作る羽目になっていただろう!」

「鍵二、お前はそうやってすぐに権威とかに訴えるからだめなんだ!」

 そう言いながらも、鍵二の言葉にはそこまで不快感をもよおさなかったらしい。いや、鍵二の長い話を黙って聞いているだけでも、調にとっては驚きだった。律真はすぐ、調に問うた。

「で、知ってるのか? 鶴舞の娘の居所を」

 調は頭をかきながら、

「まあ、一応……」


 弓刃の懊悩はますます深くなっていった。

 一人でヴァイオリンなど、満足に演奏などできたものではない。

 しばらく休憩すると、六条調のことが思い出された。

 かしましい電子音とけばけばしい衣装に身を包み、俗な雰囲気に満ちた少女ではある。しかし、その外見に反して心は清く澄んでいた。あの曇りなき瞳……。

 弓刃は、葛藤した。彼の助けを得なければ、姉を元に戻すことはできないだろう。

 姉と妹は、ずっとコンクールで優勝し続けてきた。姉妹は二人で一人だったのだ。それが今では、妹が一人で苦闘をしいられているのだ。そして、姉には申し訳ない気持ちにばかりさせてしまう。

 やはり、他の人に頼るしかないのだろうか。そう思った時、インターホンが鳴った。

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