Session.2 激情ブリッジミュート
調は帰り道を急いだ。もう、行く時に遭遇したあの怪異の様子は少しもなく、もう街はいつもの平穏な様子を取り戻している。
ビルの上半分を覆う巨大な液晶画面には、最近の人気歌手がでかでかと映し出されている。その中には久米次の姿もあった。だが、実際に会って話した時に比べるとだいぶもったいぶった、よく似た人という感じがした。宣伝用に顔立ちが盛られているのだ。
あの化け物と戦うのは基本的に楽なことではない。
だが、突如としてギスギスした叫びが聞こえた。
「駄目だ駄目だ! 俺の真に理解しないゲスの銭など受け取れるか!」
怒鳴り散らす声が聞こえた。いかにも不機嫌そうだが、あまり嫌な感じがしないのは透き通っていて、滑舌がいいからだろうか。
男は、久米次とは真反対の、がさつで陰険な風貌だった。硬貨を投げ返して聴衆を追い散らしていた。
(何て失礼な人! ロックじゃないぞ!)
久米次から失望されないためにも、ここで声を上げなければと調は思った。
「あの~、いくら何でも硬貨を投げ返すのはどうかと思いますよ!」
「何だ、お前?」
調は胸に手を当てて、
「私の名前は六条調! あなたのその傲慢さ、ミュージシャンとしてのポリシーに反してると思うんです!」
調は内心恐れを抱きつつも、顔の上ではあくまで毅然さを見せた。
「そもそも、お金を拒絶するってなんですか。この方々が」
「いいか。俺はまだ未熟なものでも金は受け取らないって決めてるんだ。それを、てめえは文句をつけるのか?」
「その……ロックではないと思いますっ!」
激昂させるかと思った。
しかし、意外にも相手は沈着だった。
むしろ、拍子抜けした顔を浮かべて、男は肩をすくめた。
「ん? てめえは人の信念っていうのを音楽の用語で表現しようってのか? ガキだな……」
「へ?」
「人間の信念の強さとか、正しさなんてのは美学の問題じゃない。俺はそれを音楽に結び付けて語ろうとは思わない。それは別の問題だ」
調は急に冷静になった男を見て、どう返答すればいいか迷った。だが、相手は気を取り直し、
「失礼、名乗るのが遅かったな。俺は燦堂律真。あんたは見た所俺を同じギタリストらしいな」
「はい。こう見えても音楽家のはしくれなんです」
強がって笑顔を見せる調。
「こうなったからには、俺を本気にさせたことを後悔するがいい! 俺と音楽バトルで勝負だ!」
リハーサルの後の疲労がまだ抜けきってはいなかったが、
「……受けて立ちます!」
「あれポラリスのギタリストじゃない?」
「すげえぞ、こりゃあ……」
すぐに野次馬がよってたかって集まって来た。
――高原を疾駆する孤高の狼。誰も彼には追い付けない。
――荒涼。しかしその中に自由はある。全身にまとう毛皮は決して綺麗な物ではない。あちこちから血が出て、怪我も治りきってはない。それでも汚れた体を恥じはしない。これこそが野生に生きる者の証だからだ。
律真が奏でる旋律は激しく情熱的だ。少なくともそれは、ずっと音量が大きく、
そして何より物理的な衝撃が、深紅の光を伴って律真の指先から流れ出ているのだ。調は、もうこの時点で彼の正体について感づいたが……、律真の執拗なリフが細かく考える隙を与えなかった。
見た所、今は律真の演奏の方に人々の関心が向いているように見える。他者の安易な共感を拒むこの猛々しいリフには、男女の気軽な契りなど軽々しく吹き飛ばされてしまうだろう。
「おらおら! どうした!」
ぎらぎらした音色が床や壁に弾け、少女の演奏を妨害する。
仕方がない。私もこの力を使うしかない。
彼は、音色にあの力を載せた。
槍を発射した。それは爆発した。
単に派手な音としか聞かなかったであろう、無責任にはやし立てる人々が指笛をふく。
しかし、これで確証はついた。この男は、単なるやくざなギタリストではない。
「てめえ、まさか――」
「おじさん……まさか――」
音代なのか……!?
音楽を顕現させ、怪異を討滅する者。
この金手を徘徊する謎の敵……ミューノイズと人知れず戦い、
調も律真、今まで自分以外のそれを見つけることができなかった。
だが、大衆が見ている前でそれを言い出すわけにはいかなかった。
「くそっ、今日の勝負はここまでだ!」
立ち上がるのも困難なくらいへとへとになってはいたが、このまま中途半端に勝負を切り上げたくはなかった。
「そんな~、私だってただで演奏してるんじゃないですから!」
突然、時間が止まったように風がやんだ。
比喩ではなく、陶器のように白い肌の女が空中に浮かんでいた。
黒い服を着て、炎のようにくびれのある笛を片手に。
「もっと知りたいわあ……あなたたちの音色!」
女は笛を吹きならした。その不協和音に、律真も調も思わず耳を塞いだ。
「えっ……あああ……!!」
人々が胸を抱えて苦しみだした。調は、音代ではない人間にとって彼らの雑音が耐えがたい狂騒曲であることを知っている。
このままでは、彼らの『心の音楽』が奪われてしまう。そうなったが最後、彼らはもうずっと生気を失い、日常生活もままならなくなるのだ。
(何なの、この日! 二回もミューノイズと戦うことになるなんて!!)
肩を叩く律真。
「おいゲス。悔しいがここは力を貸してやる」
調はもう、いやな表情を見せなかった。
「よくも俺に打撃を決めやがったな。この借りは後で返す」
この男は嫌な所はあるが、悪い奴ではない。
「ええ、盛大に返してやりますとも!」 にっと笑う調。
調の演奏と違うのは、律真の音色は広範囲にわたっているということだ。それは鋭い爪を生やした拳のように敵をなぎ払った。
「おらあっ!!」
「援護します!」
調のギターは槍を発生させ、律真の打撃を避けた影を的確に撃ちぬいていく。
女は、影たちが消え去ってもさしてがっかりした顔色を見せず、むしろ不敵な笑みを見せ、
「ふふふ。いいデータが取れたわ」 そうつぶやくと霧に包まれ消えて行った。
「なんか、あの二人いつの間にかいい仲になってないか?」
「さっき妙に息苦しかったけど、」
律真は決まりの悪い顔を浮かべた。
すでに落日が音色にしみこみながら、街を照らしていた。
律真を追って、後ろから声をかける調。
「あの……なぜ、音代に?」
「はぁ?」
「律真さんも聴いたんですよね? あの音を」 返答はない。
「ま、待ってください。私だって聞いたんです、あの声を! 人々の心の音楽を奪う、あの悪い奴らと戦えって――」
律真はもはや彼に付き合うのも面倒くさそうな様子だった
「うるせえなゲス。音代であるという共通点があるからって、てめえに何の関係がある」
律真は
「ただの音楽家同士だ。そしててめえは俺様の貴重な一張羅を焦げ付かせやがった。だからいずれそのお返しをさせてやる。だから、それが尽きたらもう俺たちは赤の他人同士だ」
律真は、なかば自分に言い聞かせるように言った。
調は、律真の後ろ姿を見ていることしかできなかった。何だか、ひどく孤独に見えた。
「あの……あなたの音楽、すごかったです! 律真さんにも全然引けを取りませんでしたよ」
「あ、ありがとうございます」
無論このような状況でまともに真相を教えるわけにもいかない。
「なんだか、聴いてると肩こりが直って来るような感覚もありましたし……。このチップ、受け取ってください!」
頭をかくしかなかった。
調は、自分が始めてこの力に目覚めた時のことを思い出していた。
あの時、調は心から恐怖を感じた。
人々から希望を奪う化け物を目の前にして、彼は何もできなかった。影をまとい、トライアングルを
金縛りに会い、
いつもなら勇気づけてくれるはずの、記憶に残る名曲の軽快なイヤーワームがノイズに代わっていた。
調は、自分がこのまま人間の形をした何かに変えられてしまうのではないかと恐怖した。
その時、頭の奥底から別の誰かの声がした。
「戦え、六条調。人の心の音楽を奪う者に抗え」
愛用のギターが光り輝いていた。
目の前に、黒い影がいた。短い拍子でトライアングルを鳴らし、調に向けて理性を押し殺すような音を奏でていた。
調はギターを迷わずにつかみとり、重々しくたたみかける雑音を振り切るようにリフを奏でた。
その時、雑音が弾けた。重圧をはじき返すリズムが何度も繰り返された時、鋭い音色が矛のように尖り、目の前のトライアングルを吹き飛ばした。
信じられない光景だったが、指先は迷わずに奏でるべきメロディを紡ぎ続ける。
二回目のリフが弾けた時、より強い光がほとばしてミューノイズの胴体も吹き飛んだ。
調は、ギターが奏でる破壊の力に戦慄した。まだ、呆然としていたが、とてつもない力だということは分かった。
声の主は、はっきりとわかっていたわけではなかった。それでも、彼が悪い存在ではないとははっきり分かった。
「君は、人々を救う音色の代わり。故に、君のような力を持つ者を音代と呼ぶんだ」
質問するほどの気力もなく、ただただ立ち尽くすばかりだった。
「そして、君は同じように音色を共有する者たちと戦わねばならない。人々の心から、命の音色を奪う敵に立ち向かうためにね」
相手が一体誰なのか、質問する前に、彼は消えてしまった。
調は、その言葉に従って、戦いを続けている。しかしそれは終わりの見えない戦いだ。
仲間がいるというのは心強い。しかし問題は、仲間としてこちらを認めてくれそうにないことだ。
あの律真という音代のことについて、もっと知らねばならないと調は思った。
棚には、隙間なくCDが並べられている。時代も国も様々だが、今の調にとってがそのどれも聴くつもりにはならない。上にはポラリスのメンバーの記念写真が置かれている。この時の有亜はまだ、屈託なく笑ってくれた。けれど、最近の有亜にはどこか、前のような輝きがない。喉を傷めたのも大きな理由だろうが、まだ他に何かありそうな気がする。
けれど、自分自身にも責任があるのではないか、と調は疑わずにはいられない。ポラリスという日常と、音代という非日常の板挟みの中で、そのどちらもうまくやっていかなければならないのだから。
ベッドに横になり、ひとりごつ調。視線の先には、フックにかかった愛用の帽子。
「ロックの道ってのは、険艱の道なんだなあ……」
一方、同じ頃、有亜も誰にも言えない悩みを秘めて、うずくまっていた。
有亜も、演奏に興味があった。しかし、伸び悩んだ。
有亜にとって調は親友だった。勉強も競い合ったものだ。
けれど、音楽の才能に関しては決して同じようにはなれなかった。どうしても、調のようにはうまくなれなかった。
どれだけ弾いても、有亜はうまく
「私にだって奏でたい音色があるのに……!」
調は、否定しようとは思わなかった。『下手の横好き』という言葉もあるものだ。世の中には、ひどい音痴であることを嘲笑されながらも、自分のことを不世出の歌姫と信じて疑わず魂の絶唱を挙げ続けた人だっている。
しかし声の方では間違いなく有亜の方が上だった。
高校生活も佳境に入り、自分たちのやりたいことを今のうちにやっておこう、と思った時に、仲のいい女子同士でバンドを結成することになったのだ。『ポラリス』という名前は、自分たちが人々を導く北極星になるという願いを込めた名前だ。
「ボーカルになるのはどう?」 調はそう誘ってくれた。
「有亜は歌が得意だからさ、それでみんなを沸かせることができたらいいんじゃないかって」
ポラリスの結成の時から、有亜は歌声でみんなを魅了した。
まだ一か月と少し後に演奏する予定の歌も、有亜が披露する予定なのだ。
少し前なら、それを何の迷いもなく、誇らしげに待ちわびることができるはずだった。
それなのに。
「どうしたの、有亜?」 まず調が異変に気付いた。有亜が、高い音程が出なくなっていることに。
はりきりすぎたせいだろうか。
他の人なら、きっと異変にも気づかなかっただろう。
「声が、声が出ない……!」
有亜は、ひきつった顔、か細い声で告げた。
鼓が歩み寄って、
「ちょっと、落ち着いてよ。人生が終わるほどのことじゃないんだよ?」
にこやかに調。
「まだ本番までは時間があるんだからさ」
ずっと調と一緒に頑張ってきたというのに、しばらく休まなければならないということは有亜にとって大きな引け目を感じさせることだった。
そして調にとっても、有亜がやけによそよそしくなったことは気づいていた。何かを隠している。音楽のこととなると、そわそわしたように落ち着かない。
「ちょっと遅れた!」 ということが多くなってきた。だが、古い付き合いだからこそよくわかる。有亜は絶対に何かを隠してる。
まるでやつれているのを隠している様子なのだ。
そして、「何があったの?」と言っても、
「道の途中で迷っちゃって……」 雑にごまかすばかり。
もしかしたら、有亜は私に対して何か思う所があるのかもしれない。
だが調は、有亜の懊悩が観た目よりずっと深いことまでは察することができなかった。そこまで長く気にする人間だとは思ってもいなかったからだ。
(どうして……? もっと、私に打ち明けてもいいんじゃないの……?)
『人生が終わるほどのことじゃない』? 私がみんなに尽くしてあげられないせいで、こんなに苦しんでいるのに?
そう思うとどんどんもやもやが鬱積してしまい、まともに眠れなくなる。ひょっとして私のことを疎んじているんじゃないか、と疑心暗鬼に生じてしまう自分自身に一層嫌悪感が生じる。そうやって真夜中、天井に視線で唐草模様を焼き付けた。




