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Session.1 Hard rock, Hard luck.

凄凄危柱烈奮琴

奏武爭鳴生八音

禮樂固存人所素

士明聲隱徹其深

 金出かなで市では音楽が止むことはない。この街は常に音楽であふれている。

 市役所の前の広場の中心にはピアノが置かれ、ジュークボックスが数百メートル置きに点在している。

 夜遅くまで音楽の響きが大通りから絶えることはない。現実に楽器がかき鳴らすものであれ、スピーカーから聞こえるものであれ、ここでは四六時中誰もが音楽を聴いていた。

 だが、ふとした異常が。

 金出市の中心近く、六鹿むじか区は日木ひびき町一丁目。男は、イヤホンから聞こえる音に次第に変な音が混じり始めていることに気づいた。

「雑音?」

 しかし、イヤホンを外してつけ直しても依然として音が直ることはなかった。

 男の他にも、この異変に気付き始めた人たちがいた。

 本来ならありえないはずの金属音が流れているのだ。いくら機械が故障したからといっていきなり金切り声を揚げるわけもない。

「ちょっと、これ全然音量が小さくならないんだけど!?」

 ただ単にかしましいだけではない。心の中で何かが絶えるような気がした。音色のように切れることなく流れるはずの、もっと繊細な何かが。

 もしこの音を聞き続ければ、単に健康を害するだけではない。明確に精神の深い所にある何かが欠けてしまうと、誰もが直感で理解し、怯えた。

 だが、その音を耳にして、一切ひるむことなく立っている一人の若者。

 茶髪で、黄色い帽子をかぶっていた。体に比べても大きめの、亜麻色のジャンパーに、ポップな書体でHARD ROCK HARD LUCKとあしらわれていた。片手にひさごの形をしたかばんを持ち、どこかに出かける途中であったように見えた。

 目立つ姿だ。だが、様々なミュージシャンが集うこの金手市にあってはそう珍しい格好でもない。

 しかし、そんなしゃれた風体には似つかわしくないくらい、少女の声も眼光も怒りに冴えていた。

「出たわね、ミューノイズ……!」

 人々には、それが一体何を意味する言葉なのか分からなかった。だが少女にとってそれはれっきとして存在する脅威だった。

 黒い怪物が、スーパーの屋根から頭をのぞかせていた。よく見るとそれは、ラジカセのように横に伸びた頭を頂いていた。しかし、それははっきりと機械を再現しているわけではなかった。再生ボタンや電源ボタンの部分は、ぎざぎざした牙で置き換えられ、スピーカーの部分は歪つにひしゃげ、網の向こうに目のような模様が見えた。

 事実、それは彼にしか見えなかった。誰一人、あの怪物が今起きている異常の原因であるとは知らない。

 そして、あの怪物を倒さないことには、人々をこの危機から救うこともできないということが、今この少女の知る全てなのだ。

 少女はかばんを勢いよく開け、中からエレキギターを取り出した。彼の服装に合わせた、明るい黄色のギターだ。

「こんな所でライブなんて慣れてないんだけど……」

「おい……何を始めるんだ?」 尻餅をついたままの男が、少女を奇異に見るような瞳。

 だが少女はひたすらラジカセ頭から片時も視線を外さず、指先でギターをかき鳴らし始めた。

 ロック調の音楽が少女の手元からほとばしった。

 軽快なリフを伴うその演奏は、聴く人々にとある物語を想起させる。


――こんないびつな世界でも、前に向かって誰もが歩む。


 

 ラジカセ頭がその音色を耳にして、一瞬静止した。


――何が待っていようと関係ない。見て。私たちの目の前にはただ壮大で、面白い道ばかりが続いているの。


 音楽が持っている意味は明白だ。

 ラジカセ頭が、わずかに揺れる。驚きから、不快感へと移行するように。

 少女は、周囲の視線は一切気にせずに演奏を続けた。敵の内面の変化を観察しつつ、音色を調節していく。

 普通の人間にとって、それはただの音楽でしかないだろう。少女は、今、急に通りで起きている怪奇現象に我関せず勝手にゲリラ・ライブを始めた程度の認識しか持ち合わせていないのだろう。

 だが、この少女にとっては、そうではない。

 少女が今弾いているこの音色は、明確な『形』を持っているものだった。その音色は、つむじ風のように速く、鋭く、円錐のような形状を以て少女の前方に集中していた。

 ラジカセ頭からけたたましいノイズが鳴り響いた。その音は雷のように強烈な光と衝撃を伴い、地面や壁を打ったが、少女には一つも命中することはなかった。


――生きようよ。私がついているから。何だって怖くない。この道に宿る無限の足跡が、私たちを導いてくれる。そして、どこに至ろうとも、この道は私たちを面白い何かで満たしてくれるの。


 少女のつむぐ音色は炎のような熱を帯び、周囲の微弱な粒子を焦げつかせ、火花に変えながら長く伸びる槍の形を形成していた。

 ラジカセ頭の正面に並ぶボタンが怒りに震え、縦に開いた。スーパーから身を乗り出し、この槍を噛みくだこうと頭をもたげた。

 少女の演奏がサビの部分に達していた。ギターをかきならす指は激しく舞い、いつの間にか腕も脚も火のゆらぎのように複雑な踊りを始めていた。それは神に憑かれた巫女のようでもあった。


――さあ。私の手を握って。怖がらなくていいの。私が隣にいてあげる!


 少女の演奏が最高潮に達した時、ラジカセ頭はもう少女の目の前まで迫っていた。だがギターから湧き上がる音色も高熱にそそり立って鋭い槍をより白く燃え上がらせていた。

 最後のメロディが長く長く伸びる。

 槍が放たれた。ラジカセが吹き飛んだ。

 熱が一瞬にして止み、少女のライブが終わりを告げた。


「……あれ? 音が止んだ」

 けたたましい音を消すこともできず、うずくまっていた人々が戸惑っていた。

 そして、関心は少女に向けられた。

 もはや先程と違い、少女はもう神がかりの巫女などではなく、はにかむ顔を見せる年頃の若者だった。

 自分が行ったことを理解しない人々を前に、ただ恥ずかしそうに肩をすくめるばかり。

「あのね、君、ここはライブ禁止なんだ!」

 騒動を聞きつけて、路地から出てきた警官が詰め寄り始めた。

「す、すみません!」

 少女――名を六条ろくじょう調しらべという――は、帽子を目深にかぶり、嫌そうな顔を向ける聴衆をしり目にそそくさと立ち去った。

 一体、いつまでこんな戦いを続けなければならないのだろう。どうして私が選ばれなきゃいけなかったんだろう。こんなことをしても誰かに感謝されるわけでもないのに。

(ああ、だめだめ! 私は、常にロックに進まなきゃいけないんだから!) これもハードラックな試練だと調は思うことにした。

通りの向こうからは曇り空を背後に淡く煌めくタワーが見える。

地平線から遥かに突き抜け、人々の生活模様を睥睨するのは「おとうてな」という金手市を代表する高層建築だ。整った円錐形で透き通った色合いをしており、正午や夕方にも音色を街中に轟かせている。


「遅かったよ、調!」

 目的の場所まで来ると、すでに仲間は集まっていた。

『ポラリス』のメンバーがそろって、少女の到来を待ちくたびれていたのだ。

「ごめ~ん」

 ボーカルの神田かんた有亜ありあが茶色い壁を背後に、アキンボの姿勢で待っていた。

「もうすぐ演奏会なんだから。リハーサルにかけられる時間も短いんだし」

「道に迷っちゃって!」「いやいや。さすがに何度も来た場所なんだから覚えてるでしょ」

 演奏道具の搬入に時間をかけさせてしまったことばかりは本当に詫びなければならない。

 とはいえあの時、怪物と戦っていたなどと言えるわけもない。

 彼にとって、そのことは誰にも教えられない秘密なのだ。たとえ親友が相手でも。

 調の服装は彼らの中でもよく目立った。何しろHARD ROCK HARD LUCKという帽子が彼の存在を強烈に印象づけるのだから。

「確か前も、いつもの店に食事に誘ったのになかなか来なかったよね?」

 ドラム担当の玉響たまゆらつづみが言った。

「きっと方向音痴なんだよ」 ベースの鉢村はちむら倉香くらか

 だが鼓は、もっと深い事情があるのではないかと見ていた。

(なんか最近調の様子が怪しい。まるで私たちに隠し事してるみたいじゃない)

 それから無言でたたずむキーボードの打木うちき盤子ばんこ――前髪で目元が完全に隠れ、口も堅く結んでいるせいで表情がさっぱり読めない――だけは特に何も言わないが、少なくともそこまで不機嫌ではなさそう。

 地味な格好の子だが、彼は特撮ヒーロー番組「傾奇かぶき戦隊ファントムファイブ」の大ファンであった。

 ファントムファイブの主人公は記憶を失った五人の若者であり、不思議な力を秘めたブレスレットでスーツを着たヒーローに変身し、死後の世界を支配してさらに現世への侵略を企む悪の組織・ゴーストローグと戦う……という物語が展開されている。

 盤子の熱心な説得のおかげで、ポラリスメンバーにとってファントムファイブの毎週の感想を話すことは演奏について話すことと同じくらい重大な話題となっていた。日曜にはどうしても寝坊しがちだった調は早起きできるようになったのも、ファントムファイブをリアルタイムで見るという理由ができたからで、調にとっても彼らはまさにヒーローだった。

 そして今では、調は巨大ロボや武器玩具を部屋に置いている。

「で、もう慣れたよね? この歌も」 あらためて倉香が問う。

「私、シューゲイザーの音楽が好きなんだけどな」

 自分の得意な曲は、決まって陽気な音楽であることに、一種のコンプレックスがあった。やりたいこととできることの間に矛盾があるということは、決して居心地のいいことではない。

「しょうがないよ。才能は思った通りに手に入れられるものとは限らないんだから」

 会場は、金手市の大通りにあるライブハウスだ。最近できたこともあり、内装も非常に綺麗で整っている。全体が樹木を思わせる茶色や褐色を主とした色彩で彩られている。だが綺麗であるということは歴史が浅いということだ。人一倍認められたいという欲の強い調は、ぜひともここでささやかな歴史を刻み付けたいと思った。

「そんなことよりさ、いいこと聞いたんだよ。島沢しまざわ久米次くめじさんが直々に、音楽祭の練習をしてる人の見学に来られてるって!」

「えっ、マジで?」 予期せぬ言葉で、調は急に目を輝かせた。

 島沢久米次は、金手市のラジオ番組の司会を務める著名な歌手であり、調は彼の熱心なリスナーだった。

 久米次に何度も読んでもらったこともある調にとっては、実際に会って話ができるなどこの上ない栄誉だった。

 無論、本当に会えるとは限らないが、

「じゃあ、私も島沢さんに恥ずかしくないように一生懸命練習するから」

「うんうん、その調子だよ!」 鼓は調が乗り気になってきたのを見てしたり顔を浮かべた。


 メンバーが所定の位置につく。

 調が慣れたリフを奏でる。

 調が持つギターは、先ほどラジカセ頭を退治した物と全く同一のものだ。そして、何かを破壊するような威力の音色を発したわけでもない。

 にも関わらず、なぜあの時だけは特別だったのか。

 調と歩調を合わせながら歌う中で、神田有亜は調に対して思いを寄せた。

 有亜は調が羨ましかった。

 彼は、調と自分は対等な存在だと思っていた。

 だが、今は違う。倉香たちに対する後ろめたさも感じる。

 それを、まだ有亜は誰にも告げてはいない。


 鼓は、有亜の悩みを知っているわけではなかったが、調の弾き方に何とも言えないせわしなさがあることに気づいた。何か、急ぎ過ぎているような。


 演奏を一通り終えた。

 調はメンバーの表情を眺めた。鼓たちが満足げな様子なのに対し、有亜はどこか物足りないように目を細めている。

 しかし、それを気にする時間はうせてしまった。

 すらりとした体型の、優しげな顔だちの、30代ほどに見える男が壁際に立っていた。

 まず一番初めにその存在に気づいたのが調だった。その直後に、もう誰もが驚いていた。金手市の音楽好きならこの男の顔を知らないものなどいない。

「久米次さん!?」

 思わずあがってしまった。

「緊張する必要はないよ。君たちが演奏するのをずっと聞いていたんだ」

「君たちがポラリスなんだね?」

 有亜がさっと答える。

「はい。一週間後に控えている音楽祭に備えて、リハーサルをやってる所なんです」

 だが調にとってはそれどころではなかった。何とかこの憧れの人に、ロックな所を見せねばならない。

「あの……ええと……」

 てんぱってしまう調。

(落ち着け、私!)

 少しだけ置いてから、真正面から胸に手を置いて告げる。

「六条調です!」 うっかりがなり立てた調子になってしまい、有亜たちを驚かせてしまった。

「まさか、君があの調さんなんだね」

「そ、そうです」

 調は、緊張を避けながら懸命に話した。

「君はよくコメント送ってくれたよね。音楽のことについて、相談してくれた」

「えへへ……。実は私が音楽の道を進んだのも、一部は久米次さんのおかげでもあるんです」

「ははは。恐縮だよ」

「すごいじゃん、調。久米次さんの前でよどみなく話せるなんて」

 倉香がほめた。しかし、有亜は何となく心が穏やかではなかった。

(どうして、私じゃないんだろう)

 何かをしてもらいたかった……ような気がする。

 本当はそんなものなんてないのに。だが、現実に存在する悪感情をどうやって否定すればいいのだろう。

「さ、サインをお願いします!」

 有亜は、手帳の一頁を強引に差し出した。

「え、ここに?」

「は、はい!」

 調たちは、稀有な機会なのだからそれも当然なのだろうと思った。それから、彼らが撤収する頃になっても、調はまだ離れようとはしなかった。

「ちょっと調、まだここにいるの?」

「も、もうちょっと話したくて!」

「もう……後片付けの負担、増えるんだけど」

 鼓には、調がファンというよりは厄介な追っかけのように見えた。倉香は、(やっぱり最近の調、なんかおかしい)と思った。


 大体のメンバーが去った後で、二人だけが残された。

 常に練習や勉強のスケジュールがたてこんでいて、本来なら撤収しなければならないのだが、それでも調は憧れの人に伝えておきたいことがあった。

「あの子は、……有亜は私にとって親友なんです」

 率直に打ち明ける調。

「もちろん他のメンバーも大切な仲間ですけど……一番打ち解けて話せるのがあの子で。でも、有亜は最近元気がないようなんですよね」

「それはどうしてだい?」

 穏やかな声だった。ラジオやライブで聞いたのと同じく、柔らかで、それでいて力がこもっていて、人を慕わせる魔力があった。

 調は、それにつられて説明する。

「元から声が低いのがコンプレックスで……私自身は高い声を出そうとし過ぎて喉を傷つけちゃったんです。それから、思ったように歌えないそうで……」

「私、有亜を勇気づけたいと思ってて……だから、もっと頑張らなきゃいけないと思うんですどね」

 それを聞き、少し考えこむ表情をしてから、久米次は低い声でささやいた。

「じゃあ……二人きりの練習なんてのはどうだろう? 忙しいからそこまで長い時間がとれないかもだけど、僕が特別に稽古をつけてやろう」

「いいんですか?」

「もちのろんだよ!」

 親指を立てる久米次。調は欣喜雀躍。


 こうして約束を交わした後、ずっと希望と共にある調の後ろ姿を静かにみやった。しかしその表情は、調と親しげに話していた時とは全く違っていた。

「六条調……君の音色は私にとって興味深いんだ」

轉軸玲瓏磊落聲

八音千變逐騒爭

彈如獨樂希衆樂

終灼驚天破響平

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