源頼朝戦記 外伝 [高橋紹雲の命脈]
豊臣秀吉が九州に迫る。その前に島津家は九州全土を手中におさめるべく、風前の灯火となっている大友家に力攻めを行っていた。
斜陽の大友家を見捨てずに忠義を尽くした立花家と高橋家。その高橋家の当主高橋紹雲は、息子立花宗茂を立花山城まで後退させ、自らは岩屋上に七百余りで籠っていた。
四万の島津の大軍との最後の決戦が迫る夜更け、どこからともなく不思議な男女三人が目の前に現れる。
岩屋城。
島津の大軍、数万が城を幾重にも取り巻き、昼夜を分かたぬ攻撃が続いていた。矢は尽き、兵糧も乏しい。
それでも、城内にいる七百余の兵は幾たびも島津の猛攻を跳ね返し、皆、紹雲と共に死ぬ覚悟を固めていた。
夜更け、静まり返った本丸の一角で、紹雲は独り、火の落ちた松明を見つめていた。
かつて栄華を誇った大友家はいまや風前の灯火、援軍は望めぬ。
しかし、豊臣秀吉の援軍が九州に大挙して進軍しているはず。少しでもここで島津を足止めができれば、大友家、そして立花山城に籠る息子・立花宗茂が生き残る可能性は高くなる。その覚悟を胸に、城内の兵たちも、己に命を捧げてくれているのだった……
島津の旗は無数に翻り、明日には必ず総攻めが始まる。
「……いよいよ明日は、死を覚悟しての戦いとなろう」
つぶやきは誰に届くでもなく、夜気に消えた。
武士として、主家に殉じる覚悟はできている。だが幼い頃に養子として立花家に嫁がせ、今は立花家の当主として斜陽の大友家を必死に支える宗茂を思うと、胸は張り裂けそうだった。
(我が死が、宗茂一人に重き荷を背負わせる……。それでよいのか……)
迷いを断ち切ろうと、紹雲は天を仰いだ。
その刹那――
空が、不意にざわめいた。
黒雲が渦を巻き、風が逆巻く。城外の敵も、城内の兵も気づかぬまま、本丸の一角だけが異様な静けさに包まれる。
目を凝らした紹雲の前に、三つの影が立っていた。
一人は、白地に笹竜胆の旗を背にした武者。その凛然たる姿は、歴史に名を刻んだ大将――源頼朝。
隣には、異国めいた装束をまとった神秘の女。
そして、その傍らには、透き通るような瞳を持つ少女がいた。
「……何者だ」
紹雲の声は、戦場で鍛えた声にもかかわらず、震えていた。
三人は穏やかに歩み寄り、やがて頼朝が静かに告げる。
「高橋紹雲殿。我らは、時を越えて参った」
紹雲の眼差しは、異界から現れた三人を射抜くように見据えていた。
頼朝は一歩進み出て、静かに言葉を紡ぐ。
「高橋紹雲殿。わしらは、未来の世に希望を残すために、時を越えて集った者たちじゃ。
今の世に未練を残さぬ武将を招き入れ、この戦国の世の無用な死を防ぎ、未来へと血筋をつなぐ――そのために」
紹雲は眉をひそめた。
「……未来の希望、だと?」
卑弥呼が、穏やかな声で続ける。
「今から千年の後の未来は、乱れに乱れております。過去に死なずにすんだ人の命を守り、未来に希望をつなげる、それしかございません……。
ご存じの通り織田信長の覇道は拡大を極め、やがて信長亡き後、今大友家を救おうとしている秀吉は、この後多くの人材を粛清し、民を苦しめました。国外への戦まで挑み、幾多の命を散らしたのです。
やがて太平の世が訪れますが……それまでには、多くの武家、人が滅びてしまったのです」
「……申されることが良く分からぬ……おぬしらの戯言の相手をしている暇は無い!」
紹雲の手が、腰の刀の柄にかすかに触れる。
だが少女――ミクが一歩進み出て、澄んだ瞳で紹雲を見上げた。
「私の名前は高橋ミク――未来には、あなたと立花宗茂様の血が続いています。
その末裔こそ、私の“主”であなたと同じ高橋姓を名乗っております。
主は、自らが生きる未来で滅びゆく人々を救いたい……その希望を、私に託しました」
その声には、どこか祈りの響きがあった。
紹雲の胸の奥で、強く押し込めていた父としての想いが疼き始める。
「……宗茂が……我らの血筋は未来でも生きる……?」
「はい」
ミクは真っ直ぐに答える。
「宗茂様はこの後“西国無双”と称されるほどの名将となり、その血脈は絶えません。
ですが――あなたがここで果てることも、また未来に必要なのです」
頼朝がうなずき、言葉を継いだ。
「紹雲殿はすでに使命を全うされた。もう命を落とす必要は無いのじゃ――我らはそなたとともに未来の希望のため戦いたい、そう思い、この場に参った。」
一瞬、重苦しい沈黙が落ちた。
やがて、紹雲の口元に薄い笑みが浮かぶ。
「……なるほどの……わしが死ぬことが、あやつの生を燃やす火種となるか」
彼の瞳に、かえって光が宿った。
「これぞ、武士の誉れ。
主家を守り、宗茂に未来を託し、そしてその血が遥か後世までも続くとあらば……これ以上の死に場所はあるまい」
紹雲の顔はどこか誇らし気であった。
「貴殿たちとあらたに戦う事も面白そうじゃ。
だが、ここでわしに命を捧げた部下たちを置いて、わしだけ去ることは出来ぬ。
そなた等の話を聞けてようござった!
死に場所を得た、武士の誉ぞ!」
ミクは、異を唱えた。
「武士の誉れなんて、やめてください!どうか私たちと、生きてください!」
そんなミクを卑弥呼は制止する。そして、深く頷いた。
「では、我らは去りましょう。貴殿の死が、確かに未来を変えることとなります……。
あなたの命の価値は、未来永劫人々の心を動かし、生き続けます」
紹雲はまっすぐに頼朝を見据え、声を張った。
「源頼朝殿。卑弥呼殿。そして未来の我が家族、ミクよ。
この高橋紹雲、生涯最後の時を迎えるにあたり、そなたらと巡り会えたこと……まことに感謝いたす!」
その声は、静かな夜を震わせ、岩屋城の石垣に反響した。
外では、島津の鬨の声が響き始める。決戦の夜明けは近い。
頼朝たちの姿は、霧のように掻き消えていった。
残された紹雲は、凛然と立ち上がり、太刀を握りしめる。
「さあ、参ろうぞ。これぞ我が死地――これぞ、我が誉れ!」
夜明け。
空はまだ薄闇に包まれていたが、岩屋城を囲む島津の大軍は、すでに鬨の声をあげていた。
太鼓が轟き、山々が揺れる。数万の軍勢が一斉に押し寄せ、七百余で守る城を飲み込もうとしている。
「一歩も退くな! ここが我らの死地ぞ!」
「島津に我らの意地を見せよ!」
兵たちの声が重なり合い、岩屋城は最後の炎に包まれた。
高橋紹雲は甲冑を正し、主従の前に立った。
その眼に迷いは無く、決意の光に満ちている。
「みなのもの! わしらは今、日ノ本に二度と現れぬ誉れを得る!
一人でも多くの島津兵を我らとともに黄泉へと連れてまいる!
我らの死は、必ずや宗茂の糧となり、大友を救う礎となる!
――いざ参らん!」
鬨の声が応じ、城門が開かれる。
島津の黒々とした大軍へ、わずかな騎兵と足軽が突撃した。
矢が雨のように降り注ぎ、炎が立ちのぼる。
敵は押し寄せ、押し返しても次々と波のように溢れてくる。
兵は一人、また一人と斃れていった。
それでも紹雲は、先頭に立ち続けた。
太刀は折れ、槍は砕け、血に濡れた甲冑は赤黒く染まる。
「頼んだぞ……宗茂……」
ふと、彼の脳裏に未来の光景がよぎった。
頼朝たちの姿、そして息子が大将軍として戦場を駆ける姿。
その幻に微笑を浮かべながら、紹雲は最後の力で叫ぶ。
「――頼朝殿! 貴殿らの未来に……我が命、託す!」
その瞬間、島津兵の刃が彼の胸を貫いた。
血が噴き、地へと膝をつく。
「……宗茂よ……生きよ……」
声は風に溶け、彼の身体は大地に沈んだ。
岩屋城は、火の海となり、やがてすべての守将が壮絶な討ち死にをとげる。
だが、この玉砕は島津の進軍を遅め、息子・立花宗茂が籠る立花山城は落城することなく、豊臣秀吉の大軍勢が九州に上陸をする。
この岩屋城の死闘は九州中に鳴り響き、「紹雲四十八騎」の奮戦とともに後世へと語り継がれることになる。
――その影を、時の狭間に消えゆく頼朝たちが静かに見届けていた。
「家族……そう言ってくれた……」
ミクは涙ながらに、一人つぶやいていた……
戦国時代で戦う、謎多き頼朝軍。
立花宗茂の末裔の“主”から、戦国時代に頼朝軍団設立のために派遣されたミクは、義に準じて壮絶な最期を迎えた名将高橋紹雲の説得を試みますが、義の猛将は決意を変えません。
しかし、この高橋紹雲の決意が、“源頼朝戦記”の物語のはじまりでもあります。
どこかで高橋紹雲について描いてみたいと思っていました。
高橋紹雲の魅力を多少なりともお伝えできたら嬉しく思います。