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第8話|人生の終焉

【警告】

本エピソードでは、主人公の精神が崩壊する様子や不快に感じる場面が描写されます。



数日後、アミカは稲本玲奈の自宅の前にいた。


今日は動画撮影を一緒にやると約束していたが、やはりまだ不安は拭えない。胸の奥に澱のように溜まった不吉な予感に、何度も深呼吸を繰り返す。


「でも、今回はお金がかかるわけじゃない。大丈夫。」


そう言い聞かせ、震える指でチャイムを鳴らした。


「那賀さーん!来てくれてありがとー!」


勢いよく開いたドアの向こうで、玲奈が満面の笑顔で手を振っている。その高すぎるテンションに、「こ、こんにちは……」と苦笑いが漏れた。


それでも、高嶋以外と最近まともに会話をしていなかったアミカとしては、無性に嬉しい気分になった。

同じような境遇の、同じ思いを持った人と話せる、ただそれだけのことが、今の彼女には救いのように感じられたのだ。


玲奈の部屋に上がる。


それはまるで、高校生の女の子の部屋だった。カラフルなクッション、流行りの雑貨、そして無造作に置かれた化粧品。アミカの生活とはかけ離れた、眩しいばかりの「今どき」の空間だった。


「早速だけど、今日は那賀さんの動画を撮ってみようと思うんだけど、どうかな!」

玲奈はいきなり本題に入った。


「え? 私!?」


アミカは驚いて声を上げた。

まさか自分を撮るとは思っていなかったのだ。


玲奈は、そんなアミカの動揺を気にする様子もなく、満面の笑みで続ける。


「大丈夫、首より上は映らないようにするから、身バレすることはないよ!」


「どんな動画を撮るの?」


アミカが恐る恐る尋ねると、玲奈は自身のスマホを取り出し、得意げに動画を再生した。


「これ、私が50万再生もらった動画だけど、こんなイメージかな。」


アミカは凍りついた。スマホの画面に映し出された動画に、目を見開く。


「……なにこれ……」


そこに映っていたのは、胸元が強調され、ミニスカートを履いた玲奈が、ただストレッチ運動をしているだけの動画だった。


だが、ストレッチをするにはあまりにも不自然な服装と、その動き。玲奈はカメラに向かって胸元を意図的にアップで見せたり、足を何度も組み直したりしている。


「これって……」


アミカが驚いて固まっていると、玲奈が続ける。


「こうやってやるとさ、男性視聴者が増えるんだよね!もちろん、下着を出したり、それ以上過激にするとダメだよ。動画停止くらうから。でも、そのギリギリを攻めていくの。」


何を言っているんだ、この人は……。


アミカは頭が真っ白になった。

だが、玲奈はアミカの困惑など微塵も感じていない様子で、純粋に視聴数を伸ばす方法のひとつだと熱く語っている。


「ほら!コメントも見て!」


玲奈に促され、アミカはコメント欄に目を落とす。途端に、吐き気がした。見るに耐えられない、性的な内容の言葉の羅列。


「稲本さん、まさかと思うけど……」


アミカは、確認するように言葉を絞り出した。

だが、玲奈はそんなアミカの様子も意に介さず、満面の笑みで答える。


「大丈夫だよ!私が那賀さんにアドバイスしてあげるから安心して!」


いやいや、そういう問題じゃない。


「これを私にやれってこと!? うそでしょ!?」


アミカは全力で拒否した。


「待って稲本さん! 私には無理! 絶対無理! これはできないよ!」


だが、玲奈の甘い誘惑が始まった。


「え? 簡単に稼げるのにもったいなくない? 私のこの、50万再生の動画での広告収入、あまり高くはないけど、3万円だったよ。」


3万!?

たったひとつの動画で!?


アミカは衝撃を受けると同時に、頭の中で素早く計算を始めた。

三万円あれば、子供たちのお年玉はすぐに返せる。高嶋のプライベートセッションで使った二万円を合わせても、まだお釣りが来る。


たった一つの動画を上げるだけで、三万円。


玲奈が続ける。


「本当に大丈夫だよ! 絶対身バレしないし、那賀さんだって分からないから! アフィリエイトなんかより簡単だよ! ね、一回やって見ない?」


アミカは誘惑に負けた。


「本当に大丈夫なんだよね? 私だって絶対にばれないんだよね?」


念押しするアミカに、玲奈は「うん!」と一言で応じた。


「……じゃあ、とりあえず一回だけだよ?」

アミカは、最後の抵抗のようにそう告げた。


玲奈は早速説明を始めた。


「動画の内容は何でもいいの。そうだなあ。あ!ちょうど今日のおやつで作ろうと思ってたパンケーキの材料あるから、それ作ろう!那賀さんが作っているのを私が正面から撮影するから。」


「あ、え、うん……」


アミカは、その勢いに圧倒され、曖昧な返事しかできなかった。

玲奈は、アミカの全身を値踏みするように見て、口元に手を当てた。


「でも那賀さんの服装が地味だなあ。あ!そうだ!那賀さん私と同じぐらいの体型でしょ?だったら……これかな!」


そう言って、玲奈は引き出しから、鮮やかなピンクのホットパンツとブラトップを取り出した。


「えええええ! 待って!!」


アミカは思わず叫んだ。


「むりむり! そんなの絶対無理!」


しかし玲奈は、人を乗せるのが本当にうまかった。


「那賀さん綺麗だから絶対大丈夫だよ。スタイルもいいし、絶対似合う!一回着てみて!ね!お願い!」


押し切られたアミカは、別室で着替えを済ませ、玲奈の前に現れた。


「……こう?」


玲奈は、目を輝かせ、叫んだ。


「那賀さん最高! え、めっちゃかわいい! やばい!」


その言葉に、アミカも悪い気分ではなかった。ここ何年も「可愛い」なんて言われたことがなかったのだ。羞恥心はあったが、それよりも微かな喜びが勝った。


「じゃあ早速始めるね。まずそこの椅子に座って。」


言われた通りに動くアミカ。玲奈からの指示は止まらない。


「材料をボールに入れて……あ!普通に入れるんじゃなくて、カメラ意識して!もうちょっと前屈み。もうちょっと。そうそのへん!その体勢をキープして混ぜて!うーん、その場所だと下半身があまり見えないから、ここに立って。あ!めっちゃいいじゃん!かわいい!」


アミカは恥ずかしくて顔から火が出そうだった。


純粋にこんな格好をしている自分への羞恥心もあったが、それと同時に、玲奈からの「可愛い」という言葉と、動画の再生数への期待が、彼女の羞恥心を麻痺させていく。


「はいOK!あとは音声とかは上手く編集してみるね。那賀さん、めっちゃ可愛かった!絶対すごい見られるよ!」


「そ、そうかな……」


アミカは照れるばかりだった。

玲奈は「じゃあこれ早速編集してアップしてみるね」と言って、パソコンに向かった。


アミカは玲奈の部屋のソファーで休憩していたが、気がついたら、うとうとして眠ってしまっていた。


その時、一瞬、微かなシャッター音のようなものが聞こえた気がした。だが、すぐに意識は深い眠りへと落ちていった。


どれくらい経っただろう。玲奈がアミカを優しく起こしに来てくれた。


「編集終わったよ!ほら、これなら顔もバレないでしょ?」


編集された動画を見せてもらった。

アミカは画面の中の自分を見て、顔が赤くなるのを感じた。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。なにこの格好。穴があったら入りたい、逃げ出したいほどの羞恥心が襲いかかる。


玲奈が「どう?」と聞くので、アミカは声にならない声で「い、いいと思うよ」と返事をするのが精一杯だった。


そのまま二人でランチに行き、アミカは帰宅した。


その日の夜遅く、玲奈からメッセージが届いた。


「那賀さん見て!アップした動画がもう20万再生超えたよ!」


URLと共に送られてきたメッセージ。本当は見たくないんだけど……そう思いながらも、アミカはURLを開いた。


「え! ほんとだ! すごい! 本当に?? 20万再生? え?」


玲奈の言うことは間違っていなかった。


「アフィリエイトであんなに苦労していたのに。ただパンケーキを作っただけだよ? 20万再生? え? ということは、これの広告収入って、1万近くになるってこと? うそ? すごい!」


自分の体を晒した動画とはいえ、目に見えて効果があるのは事実だった。


「すごい。本当にこんな簡単に稼げちゃうんだ……」


玲奈から、すぐに次のメッセージが届く。


「すごくない? 絶対那賀さんも自分のチャンネル作ったほうがいい!ぜひやってみて!」


これなら、すぐにお金を返せる!稼げる!抵抗は初めはあったけれど、短期で稼げるなら躊躇はなかった。


翌日、アミカは自分のYouTubeチャンネルを作成した。


「えっと、動画の内容よりも見た目、だったよね。」


クローゼットを探すが、玲奈のような露出度の高い服は持っていない。


「こんなのしかないけど、やってみるか。」


玲奈に教えてもらったように、少し短めのスカートを履き、白のブラウスを着てコーヒーを淹れる動画を撮影してみた。

「こ、こんな感じかな? 大丈夫かな? 顔は……うん、見えていないよね。」


動画編集は上手くできないが、BGMの付け方だけは聞いたから、それをセットして。


「これでOKかな。」


こうして、アミカのYouTubeでの初めての投稿が終わった。



だが、ダメ。

うまくいかない。


玲奈の動画が20万再生を突破したというのに、アミカの動画は、10万再生どころか、たったの300再生。


「どうして? なんで? 稲本さんの言う通りにやったはずなのに……何がいけなかったの?コメントも来ていない。どうして!!」


パニックがアミカを襲う。


脳内で同じ言葉が何度も繰り返される。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう……何をしてもうまくいかない、どうしよう!」


もう頭は真っ白だった。

全く稼げない事実とともに、これまで使ってしまった何万円ものお金、そして子供のお年玉にまで手を出してしまったことが、恐怖としてアミカを襲う。


過呼吸気味になる。

息ができない。


苦しい。


目の前がクラクラする。

血の気が引いていく。


足に力が入らず、うまく立っていられない。


そうだ、足りなかったんだ。

もっと過激じゃないとダメなんだ。そうじゃないと、観てもらえないんだ……。


もう自分の意思で考えているのかも分からない。

正常な判断力を完全に失っている。


「こんなんじゃ足りないんだ。もっと……私、稼がないと……!」


パニック状態のまま、アミカは震える手でトップスとボトムスを脱ぎ始めた。


過激なほど、きっと観てもらえるんだ。

もっとやらないとダメなんだ。


えっと、とにかく強調する。

胸元を強調して、それから、えっと……。


もう何を考えれば良いのかも分からない。


ただ、衝動に突き動かされるように、次の動画へと意識が向かう。



その時だった。


ふと、ドアの隙間から、無邪気な子供たちの寝顔が見えた。


「はると...さくら...」


「……下着姿にまでなって、私、何してるの……?」


一瞬、我を取り戻した。

頭がキンと冷えたような感覚に陥る。


「なにしているのよ私! こんな格好で何してるのよ!! 私は何をしているのよ!!」


押し殺したはずの嗚咽が喉の奥からこみ上げ、アミカは、泣き声が響かないように、クッションに思いっきり顔を埋めた。


小さな子供のように、声を殺して、ただ泣いた。

泣きじゃくった。


「どうしてこうなっちゃったのよ!なんで!なんで!どうしてなの!!」


どれくらい時間が経っただろう。

もう一時間は泣いただろうか。


少しずつ、アミカは我を取り戻していった。


もうやめよう。

あとで、稲本さんにも、高嶋さんにも言おう。

全部、やめるんだ。


パジャマに着替え直し、少しでも気分転換をするために、SNSを開いた。


あ、稲本さんのポストだ。


なんだか、稲本さんのポストがバズっている? 「いいね」が3000? 凄いことになっている。


アミカは、嫌な予感を覚えながら、その内容を確認した。



内容を確信した瞬間、アミカの手からスマホが滑り落ちた。


それに続いて、アミカも崩れ落ちていく。


もう涙は出ない。

涙を出すことすら忘れてしまったのかもしれない。


終わった……。


私の家庭も。私の仕事も。私の人生も。

全部が、終わった。


声が出ない。


何も見えない。


そのまま気絶するように、アミカは床に倒れ込んだ。


玲奈からのポストには、こう書かれていた。



@renachan_lovely07

お金に困ってたおばさんのセクシーポーズwwwww超面白いwwwww

もうなりふり構わず何でもやるんだってwwwこんな人初めて見たwww

[※画像添付:ブラトップとホットパンツ姿でソファーで眠る、アミカの姿。顔ははっきりとは映っていないものの、その体型や状況から、アミカと特定できるような写りになっている。]

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