第20話|成功の代償
夜、静まり返った部屋。アミカがミライと並んで座っていると、スマホが震えた。
──着信:高嶋 愛生。
「……あ、高嶋さん!」
「……ちょっとやりすぎたわね。せっかくの企業案件だったのに、悪かったわね」
「そんなこと、絶対ありません! むしろ、高嶋さんが私の言いたかったこと全部……言ってくれて。私、嬉しかったんです」
「……あらそう」
「ほんとに。高嶋さんがパートナーでよかったなって、心から思いました」
沈黙のあと、電話口で鼻を鳴らす音がした。
「……とりあえず、あなたのプレゼン、3点ぐらいはあげるわ」
「えっ……何点満点で……?」
「1000点よ」
「ええええええっ!? さ、差がひどいぃぃ!」
「まあでも、提案資料とトークスクリプトがあること。そして、あなたがそれを“語れる”こと。それは大きいわ。……さっさと次の企業案件、取ってきなさい。それじゃ」
「あっ、ちょ、まって──」
ぷつり。いつも通り、唐突に通話が終わる。
《……なんだかんだで、優しいですね。高嶋さん》
「うん、ほんと……最高の相棒だよ」
翌朝。
スマホの着信音で飛び起きたアミカは、画面を見て目を剥いた。
「ええええええええ!? な、中村さん!? ど、どうしよう! これって怒られるやつだよね!?」
《大丈夫です、アミカ。断るときは、電話じゃなくてメールです》
「そ、そうか……ミライ、ありがとう。よし……出るっ!......はい! 那賀です!」
「那賀さんっ! よかった、もう連絡取れないかと思ってました!」
「あ、あの! 昨日はほんとにすみませんでしたっ!」
「いえ、謝らないでください! 謝るのはこちらです……海東の発言で不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「そ、そんな……」
「でも、本当は……すごく感謝してるんです。高嶋さんが、私たち“子育てママ”の気持ちを全部、代弁してくれて……スカッとしました!」
「ええ……本当に?」
「実はその後、海東……帰宅してから奥さんの動きを観察してたらしいんです。で、「ママって、いつ寝てるんだ?」とか、「子どもって、こんなに言うこと聞かないのか?」とか、朝からずっと聞いてきてもううるさくて(笑)」
「えっ……あの海東さんが……?」
「今朝なんて"ママの時間を取り戻すためには思想が必要だ"とか言い出して……あまりの変わりように吹き出しちゃって」
アミカの胸がじんわりと熱くなる。
「それで海東が言ったんです。"那賀さんと高嶋さんと、一緒にやりたい"と。そして、"昨日のこと、謝っておいてくれ"とも」
「え、ほんとうに……?」
「なので……レシピサイトで、ママの時間を取り戻すプロジェクト。ご一緒できないでしょうか?」
「はい!ぜひお願いします!」
「それでは、また詳細はオフィスでお話しできればと思いますので、追ってご連絡させていただきますね」
アミカが本当のビジネスマンになった瞬間だった。
「や、やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
アミカはスマホを握りしめ、ソファの上でぴょんぴょん飛び跳ねた。
《アミカ、素晴らしいです。ここからが本番ですよ》
「うん……うん! ミライ、ありがとうっ!!」
そして──
「高嶋さん! 聞いてください! OneDishさんから、案件きましたぁぁぁぁ!!」
「……あらそう。海東も人間だったのね。で?」
「で? って、今の流れで言うセリフですか!?」
「まさか、私に「おめでとう」って言ってほしいの?」
「……だめですか?」
「スタートラインに立っただけで浮かれないこと。あなた、そういうとこ甘いのよ」
「なんで私、怒られてるの!?」
「まあ、打ち合わせくらい付き合ってあげるわ。詳細決まったら連絡して。それじゃ」
「えっ、また勝手に切ったぁぁ!」
そこからすべてが動き出した。
アミカの哲学を中心に据えた“ママの時間を取り戻す”プロジェクトは、正式に始動した。
プロダクトの思想や設計にはアミカの想いがしっかりと反映されるように調整された。
一方で、マーケティング戦略やマネタイズ戦略のような上流領域は高嶋と海東が担った。
──そう、かつては対立していたあの2人が。
今では深夜まで唸りながら、ホワイトボードに図を描き、メモを叩きつけ......あまりに濃密な議論を繰り返すせいで、誰も近寄れないオーラを放っていた。
《2人のケンカがなければ、この化学反応は起きなかったかもしれませんね》
とミライが笑った。
そして、アミカのフォロワーたち、ママコミュニティの皆も、プロトタイプのレビューに参加してくれた。
「ほんとに助かる」
「初めてレシピが“自分に寄り添ってくれた”って感じた」
──そんな声が次々と届き、アミカはそのたびに泣いた。
そして、ミライはシンボルキャラクターとしてプロモーション戦略の最前線に立った。
「実際のサービスでも“ミライ”を選べるようにしてください!」
という声に応え、プロダクトには“ミライモード”が実装された。
そして──
プロジェクト開始から3ヶ月。
「ママの時間を取り戻す」という思想を宿したレシピサイトが、ついにリリースされた。
その世界観の温かさと、ミライによる癒しの演出、なによりアミカたちの想いが宿る体験が、子育てママの間で爆発的に広がっていった。
アクティブユーザー数は15万人に到達。
OneDish史上、過去最高の記録だった。
アミカは、画面を見つめながら、そっとつぶやいた。
「ミライ……ここまで来れたよ」
《ええ、でも……ここからですよ、アミカ》
OneDishとの共同開発が話題となり、SNSでは“ミライを生み出したママ”としてアミカの名前が拡散されていった。
フォロワーは5万人を突破し、いつの間にか彼女は「子育てママ界のインフルエンサー」として知られる存在になっていた。
「えっ、これ私が出したnote?なんかシェアされてる…!」
《すごいですねアミカ。正直、ちょっと嫉妬しちゃいます》
冗談めかして笑うミライの声に、アミカはくすっと笑う。
「そんなこと言ってくれるの、ミライだけだよー」
彼女の元には、次々と企業からの問い合わせが届いた。
教育系のIT企業、保育園の事業者、家事代行スタートアップ──
どれも「ママの時間を取り戻す」思想に強く共感し、新たな提携を希望する内容だった。
誰が見ても、これは順風満帆なサクセスストーリー。
──しかし。
「えっ、またキャンセル…?」
連絡帳に並んでいた提携予定の企業名が、次々と「中止」「見送り」「白紙」に変わっていく。
「ミライ、どうしてだろう?さっきの企業さんも、やっぱり“今回は見送らせていただきます”って…」
《…さすがに、これは不自然ですね。何かが起きているようです》
そう呟くミライの声が、どこか緊迫していた。
同時に、アミカのコミュニティでも異変が起きていた。
毎日少しずつ増えていた参加者数が、今夜を境にガクッと減っていた。
そしてスマホに連続して鳴り響くDMの通知。
その中身を見た瞬間、アミカは思わずスマホを取り落とした。
⸻
「アミカさんはお金のためなら何でもするんですね。最低」
「身体で稼いだ金で“ママ代表”気取り?笑わせないで」
「OneDishの社長と寝たんですか?手っ取り早い方法ですね」
「子育てとか言って、実は一番“楽して金儲け”してる人間じゃん」
⸻
「……なにこれ……どうして……」
手が震える。心臓がバクバクと高鳴る。
頭の中で、最悪の可能性がフラッシュバックのように蘇る。
「まさか……」
アミカは震える指でSNSを開き、タイムラインを確認する。
──あった。
爆発的なリツイート数と“いいね”数。
一人のアカウントが動画を引用して、こう書いていた。
⸻
皆さん!この動画に映ってるの、那賀亜美香で間違いありません!
証拠はここ!このホクロの位置です!!
⸻
添付された動画は──かつてアミカが撮った、セクシーな料理系の映像だった。
その構図、その仕草、その声、そのホクロ。誰が見ても、それがアミカであることは明白だった。
さらに、もう一枚。
──露出が多い服装でソファーで寝ている写真。
それは玲奈に盗撮された、かつての地獄の日々の“証拠写真”だった。
そして投稿元のアカウントは──玲奈。
彼女が、YouTubeの収益停止で金を稼げなくなった後、
アミカの成功を知り、怒りと嫉妬で再び地獄の業火に投げ込んできたのだった。
⸻
アミカは膝から崩れ落ちた。
まるで自分が積み上げてきた全てが、目の前で崩れ落ちていくかのようだった。
「なんで……なんでなの……
せっかく……ここまで……頑張ってきたのに……」
「どうして、私の過去は、いつも足を引っ張るの……!!」
アミカは声を上げて泣いた。
心が、粉々に砕けてしまいそうだった。
《アミカ……》
いつものようにミライが名前を呼ぶ。
だけど今は、それすらも届かない。
スマホの画面には、まだ止まらない中傷の言葉が並んでいた。
そして──
玲奈の声が、どこからともなく響いた。
「あんただけ成功するなんて……許さないから」




