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第6話 各国の影

 G7サミットを翌日に控えた東京は、過去にない厳戒態勢にあった。主要国の首脳たちが続々と羽田空港に降り立ち、そのたびに周辺の道路は封鎖され、武装した警官が厳重な警備を敷いていた。街は普段とは異なる緊張感に包まれ、ヘリコプターの音が上空を絶えず旋回していた。国際メディアの報道陣も数多く押し寄せ、連日、日本の首相官邸や関係省庁の動きを追い続けている。


 外務省の佐伯優は、ほとんど眠ることなくサミット準備に奔走していた。彼が担当する澄原ミリアを巡る問題は、G7の非公式議題、あるいは水面下の交渉において、最も重要かつ危険なテーマの一つとなっていた。内閣官房長官が打ち出した「能力抑制装置の開発と技術共有、そしてミリアの自由意思を尊重した国際管理」という日本の提案は、各国に衝撃を与えた一方で、その理想主義に対する懐疑的な目が向けられることも予想された。


「首相官邸地下会議室にて、閣僚会議を開始します」


 秘書の呼び声で、佐伯は重い足取りで会議室へと向かった。そこには、首相、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、内閣情報官ら、日本の安全保障を担う最高幹部たちが集まっていた。彼らの顔には、この数週間の疲労が色濃く刻まれている。


「各国の反応は概ね予想通りだ。日本の提案に対し、表面上は肯定的な姿勢を見せつつも、その裏で自国の国益を最大化するための策動を進めている」


 内閣官房長官が、プロジェクターに映し出された最新の国際情勢分析図を指し示しながら、硬い声で報告した。


「米国は、抑制装置の開発を日米同盟の枠組みで行うことを強く主張。技術主導権を確保し、最終的にミリアの能力を自国の防衛システムに組み込む可能性を探る動きが見られます」


 画面には、ペンタゴンの研究機関がミリアの能力をシミュレーションしていると推測される衛星画像が重ねて表示されていた。彼らは日本の提案を受け入れるフリをしながら、既に独自の研究を進めているのだ。


「ロシアは、大使館ルートを通じて強力な揺さぶりをかけてきています。彼らは、ミリアは自国に所有されるべきという主張をより強めており、国連安保理での議論をちらつかせながら、引き渡しを要求してくるでしょう。裏では、カリーニン少佐ら情報機関員による、強硬な『確保』の動きが懸念されています」


 ロシアは会議の場にいないからこそ、より過激な手段に出る可能性がある、と報告は締めくくられた。不在のロシアが、最も危険な存在となるかもしれない。

 続けて、G7参加国やそれ以外の主要国に関する報告がなされた。


「EUは、ドイツとフランスが中心となり、抑制装置の共同開発と、欧州主導での国際管理体制の構築を強く訴えてくると思われます。特に、テロ組織への流出に対する警戒感が極めて高いため、彼らは、抑制装置の技術が万が一にも悪用されないよう、厳格な管理体制を求めてくるはずです」


「中国は、G7にはオブザーバー参加の国もあるが、今回の問題に関しては距離を置く姿勢を見せつつ、水面下で各国の動向を注視しています。彼らは日本の提案に対し、即座に支持を表明することなく、状況を有利に進めるための新たな戦略を練っていると見られます。将来的には、彼らが独自の国際管理体制を提唱し、アジアでの主導権を握ろうと画策する可能性が高いでしょう」


「インドは、抑制装置の技術共有と、ミリアの能力の平和利用という日本の提案に、最も理解を示す姿勢です。彼らは、この問題を多極化する国際社会における新たな協力の機会と捉え、G7という枠組みを超えた、より広範な国際連携を模索しようとしています」


 報告が終わると、重苦しい沈黙が会議室を支配した。どの国も日本の提案を額面通りに受け取ることはなく、自国の国益を最優先して動いている。日本は、この複雑に絡み合う思惑の中で、ミリアを守り、かつ国家の安全を確保するという、極めて困難な道を選ぼうとしていた。


 外務大臣が口を開いた。


「日本の提案は、理想的ではありますが、あまりにもナイーブすぎると受け取られる可能性もあります。各国は、この『抑制装置』の技術を、軍事的な優位性を確立するための手段としか考えていないかもしれません」


 防衛大臣がそれに続く。


「抑制装置が完成したとして、それが本当にミリアの能力を完全に制御できるのか。現時点では不確実な要素が多すぎる。もし暴発すれば、我々は国際社会に対するアドバンテージを失うことになる」


 強硬派の意見は、常にリスク回避と国家防衛に傾いていた。佐伯は、その意見も理解できた。だが、ミリアを「兵器」として扱うことの非人道性、そしてそれが国際社会に与える負の連鎖を考えると、日本の提案こそが唯一の希望だと信じていた。


 内閣官房長官が、佐伯に視線を向けた。


「佐伯君。君はこの中で、ミリアと最も多く接している。彼女は、日本の提案をどのように受け止めると思うか?」


 突然の問いに、佐伯は一瞬戸惑った。閣僚たちの視線が一斉に彼に集まる。


「彼女は……自分の持つ力が、これほどまでに大きなものだとは、まだ完全に理解していません。しかし、自分が旅客機事故に関わっている可能性に深く心を痛めており、二度と同じことを繰り返したくないと願っています」


 佐伯は、ミリアの純粋な心と、彼女の言葉の重さを伝えようとした。


「加えて、自分の能力が平和のために役立つのであれば、と協力的な姿勢を見せています。抑制装置の開発も彼女自身が望むことだと、私は考えます」


 佐伯の言葉に、会議室の空気がわずかに和らいだ。しかし、それは束の間のことだった。


「彼女の意思を尊重することは重要だが、それは最終段階の話だ。まずは、抑制装置を完成させ、その上で国際管理の議論を進めるべきだ」


 首相が、静かに、しかし力強く言った。


「G7では、日本の提案を明確に、しかし粘り強く訴える。抑制装置の開発は、国際的な技術協力を仰ぐ。そして、その技術を特定の国が独占することは許さない。これは人類共通の課題であり、特定の国の国益に利用されてはならない」


 首相の言葉は、日本の覚悟を示していた。G7の場で、日本がミリアという「パンドラの箱」を開き、世界の新たな秩序形成を促す。その重責が、佐伯の肩にのしかかった。


 翌日、東京の中心部でG7首脳会議が開幕した。国際メディアは、東欧情勢、経済問題、気候変動など、多岐にわたる議題に注目していたが、各国首脳が密室で交わす真の会話は、澄原ミリアという「特異国防対象」を巡るものだった。


 夕食会が終わり、非公式な場に移った各国首脳たちの間で、いよいよミリアの話題が持ち上がった。日本の首相は、まず各国の首脳に、ミリアの能力に関する最新の分析データを提示した。それは、彼女の感情の揺らぎが、いかに巨大なエネルギーの暴走を引き起こし得るかを示す、衝撃的なものだった。


 フランス大統領が、険しい表情で口を開いた。


「これは、想像以上の脅威だ。もし、この力がテロリストの手に渡れば、パリやベルリンが壊滅する可能性も否定できない。我々は、早急に彼女の能力を無力化するための、共同研究を始めるべきだ」


 ドイツ首相も同意する。


「彼女の出自がルーマニアであることも、看過できない。もしロシアの息がかかっているならば、東欧の不安定化のリスクも発生しうる。東欧の危機は、そのまま欧州の安全保障問題に直結する」


 英国首相は、冷静沈着な態度で日本の提案に言及した。


「抑制装置の開発は、理にかなった提案だ。しかし、その技術がどの国の管理下に置かれるのか、その後のミリアの処遇はどうなるのか。そして、一度開発された技術が、本当に平和利用に限定されるのか、厳格な取り決めが必要だろう」


 米国大統領は、日本の提案に対し、表向きは協力的姿勢を見せたが、その言葉の端々には、米国の技術的優位性を確保しようとする意図が滲んでいた。


「日本の提案は、非常に建設的だと評価する。この抑制装置は、人類の新たな脅威に対する共通の防衛策となり得る。しかし、その開発には、米国の持つ最先端の技術とノウハウが不可欠だ」


 彼は、抑制装置の開発主導権を米国が握るべきだと暗に示唆した。


 日本の首相は、各国の思惑が渦巻く中で、粘り強く日本の立場を訴えていた。


「我々が提案するのは、特定の国がこの力を独占することではない。この力を、人類共通の脅威と認識し、共に管理し、共に平和利用の道を模索することだ。抑制装置の技術は、開発された暁には国際的に共有されるべきである」


 しかし、各国の首脳たちは、日本の首相の言葉を額面通りに受け取ることはなかった。彼らの表情には、自国の国益をどう最大化するか、そしてミリアの能力をいかに自国の手中に収めるかという、打算的な計算が見て取れた。


 佐伯は、会議の様子をリアルタイムで情報官から受けていた。各国が、ミリアの持つ力を「核兵器」のように捉え、その潜在的な脅威を前に、新たなパワーバランスの構築を模索している。誰もミリアという「人間」そのものに、真摯に向き合おうとはしていないように見えた。


 これは長期戦になりそうだ。


 佐伯は心の中で呟いた。 G7という舞台は、あくまで始まりに過ぎない。これから、国連安保理、そして様々な国際会議の場で、ミリアを巡る激しい外交戦が繰り広げられることになる。日本は、ミリアを守り、その能力を平和に繋げるという、困難な道のりを歩み始める覚悟を、世界に示すことになったのだ。


 深夜。日本の首相は、わずかな側近と佐伯を伴い、官邸の最上階で東京の夜景を見下ろしていた。


「佐伯君。我々の提案は、各国の良心に訴えかけるものだ。しかし、国際政治は常に、国益と力の均衡で成り立っている。この難しい道を、我々は進まねばならない」


 首相の言葉は、疲労と、しかし揺るぎない決意に満ちていた。


「はい。承知しております」


 佐伯は、深く頭を下げた。彼の脳裏には、極秘施設の一室で不安そうにしているミリアの顔が浮かんだ。彼女は、この世界の思惑の渦中にいることを、まだ知らない。だが、いつか彼女自身がその力を自覚し、世界の行く末を左右する選択を迫られる日が来る。その日のことを考えると、どこか気分に影が差してしまうのだった。

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