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第4話 加圧

 国家安全保障会議での「特異国防対象」認定から、わずか数日が経過した。しかしその短い期間に、日本を取り巻く国際情勢は、これまでにない速度で緊迫の度合いを深めていた。各国からの外交ルートを通じた問い合わせは、もはや情報共有という建前を捨て去り、露骨な圧力を伴う要求へと変貌していた。


 外務省アジア大洋州局の一室。佐伯優は、多国間協議の準備に追われていた。彼のデスクには、米国、ロシア、中国、EU、インド、そして東欧諸国等から送られてきた、おびただしい数の外交文書が山積している。


「米国は共同研究を名目にミリアの身柄拘束を要求。ロシアは旧ソ連時代の研究関連情報を盾に引き渡しを迫り、中国は『極東の安定』を掲げつつ、実質的な国際管理権を主張。EUは欧州全体の安全保障リスクを強調し、インドは平和利用という大義名分で主導権を握ろうとしている……」


 佐伯は、部下がまとめた各国の要求を読み上げながら、額に手をやった。どの国も、その奥底には自国の国益と覇権への野心が透けて見える。外交交渉とは建前と本音の駆け引きだが、これほどまでに本音が剥き出しになった状況は、佐伯の外交官人生でも初めての経験だった。


 特に、ウクライナやポーランドといった東欧諸国からの圧力が強まりつつあった。彼らは、ミリアがルーマニア出身であることに着目し、爆発の性質がテロ組織の新型兵器に類似している可能性を指摘。ミリアの過去と能力の早急な解明を、欧州全体の安全保障問題として日本に突きつけてきた。彼らは、自国が地政学的な要衝にあるがゆえに、予測不能な脅威に対する極度の警戒心を持っていた。その焦燥感が、日本への要求をより一層先鋭化させている。


「佐伯さん、各国大使館からの非公式な接触も激化しています。特に米国、ロシア、中国の大使館からは、連日、高官が訪れては『進捗状況』を尋ねてきます。その口調は、もはや要請ではなく、脅迫に近いものになってきています」


 部下の報告に、佐伯は唇を噛んだ。日本政府は、ミリアを最高機密扱いにしているとはいえ、その存在はすでに主要国に筒抜けになっている。もはや隠し通せる段階ではない。


「日本政府は、ミリアを単独で抱え続けることはできない。しかし、どの国に引き渡しても、それは新たな火種となるだろう」


 佐伯は、内閣官房長官の言葉を思い出していた。「核兵器級の爆発」を起こせる人間。それを抱え続ける重圧は、佐伯自身にもひしひしと伝わってくる。


 日本国内でも、ミリアを巡る世論が揺れ始めていた。


 最初は一部のインターネット掲示板やSNSで囁かれていた「旅客機事故の不自然さ」が、ゴシップ誌や週刊誌によって報じられ始めたのだ。匿名情報源からのリークとして、「政府は何かを隠している」、「唯一の生存者は政府の管理下にある」といった憶測記事が乱立。公式発表の少なさと、謎の爆発現象が相まって、人々の不安を煽っていた。


 そうして「AEC802便の真相究明を求める市民の会」が発足し、防衛省前でデモが行われる事態に発展した。マスコミは連日、政府の対応を批判し、情報公開を求める声を大きく取り上げた。世論は「政府は無責任だ」、「国民の安全が脅かされている」という不信感と、「真実を知る権利がある」という声に二分され、混乱を極めていた。


「このままでは、国内世論の不満が爆発する。我々は、透明性を示す必要がある」


 内閣官房長官は、定例記者会見で苦渋の表情を見せた。しかし、ミリアの能力や各国の情報戦といった機密情報を、安易に公開することはできなかった。それが、さらなる混乱とパニックを招くことは明白だったからだ。


 一方、富士山麓に厳重に警備された、陸上自衛隊「対非常特異事象班」の特殊研究施設にて。


 ミリアは、佐伯や三宅との面談以外は、この施設の一室で過ごしていた。そこは快適ではあるものの、外界から完全に遮断された場所だ。彼女には、自由な行動は許されていなかった。


 三宅剛士班長は、ミリアの能力検証を開始するため、彼女の部屋を訪れた。元特殊部隊の精悍な顔つきの男は、しかしミリアの前では、常に丁寧な言葉遣いを心がけていた。


「澄原さん、これからあなたの、その……能力について、いくつかの検証を行いたいと考えています」


 三宅は、ミリアの椅子と向き合うように座り、視線を合わせる。彼の傍らには、心理学の専門家である女性研究員が控えている。


「私たちも、あなたがなぜあの海にいたのか、なぜ無傷なのか、まだ理解できていません。しかし、あなたが持つ力は、とても大きなものである可能性があります。それを知ることは、あなた自身を守るためにも、そして、同じようなことが二度と起こらないようにするためにも、非常に重要なことなんです」


 三宅は隠し立てせず、正直に目的を伝えた。彼は、ミリアをあくまで「人間」として扱い、信頼関係を築くことを重視していた。彼女の協力が不可欠だと知っていたからだ。


 ミリアは、三宅の言葉を真剣な表情で聞いていた。不安そうな色が瞳に浮かぶ。


「私の……力……」


 彼女は、自分の掌を見つめた。そこに、特別な力があるとは、彼女自身、全く自覚していなかった。


「はい、お願いします」


 三宅は、静かに頷いた。


 能力検証は、施設内の特別に設計された実験室で始まった。ミリアは、様々なセンサーを取り付けられた椅子に座り、心理学研究員からの質問に答える。視覚、聴覚、感情に関する刺激を与え、その際の彼女の生体反応と、周囲の空間への影響を精密に測定するのだ。


 最初の数日は、特筆すべき異常は見られなかった。ミリアは質問に明るく答え、時には冗談を言って研究員たちを和ませた。


「これ、SF映画みたいですね! 私、宇宙人になっちゃったのかな」


 彼女の屈託のない笑顔に、研究員たちは思わず笑みがこぼれた。しかし、その笑顔の裏に潜む「無意識の危険性」に、彼らはまだ気づいていなかった。


 ある日の検証中。心理学研究員がミリアに、旅客機事故の際の恐怖に関する質問を深く掘り下げて行った。


「あの時、何か、強い感情を抱いた瞬間はありましたか? 例えば、不安、恐怖、あるいは……怒りのような感情は?」


 ミリアの表情が、わずかに曇った。彼女は記憶を辿るように、天井を見つめる。胸の奥で、忘れかけていた漠然とした不安が、じんわりと広がるのを感じた。まるで凍てつくような、言葉にならない嫌悪感が全身を駆け巡る。


「えっと……よく覚えてないんですけど……でも、すごく、嫌な感じがしたような……ううん、うまく言えないんですけど……」


 彼女の声が、微かに震え始めた。その瞬間、実験室内の精密機器が、一斉にピーッと警告音を鳴らし始めたのだ。空気は一瞬にして淀み、耳鳴りのような高周波音が響き渡る。モニターに表示された数値が、異常な高まりを見せる。


「な、何だ!?」


 研究員の一人が叫んだ。計器盤の針が振り切れ、一部のセンサーからは煙が立ち上る。室内の照明が、一瞬、パッと消え、すぐに復旧した。だが、その間に、高価な測定機器のいくつかが、完全に機能停止に陥っていた。壁に取り付けられたモニターのガラスにひびが入り、回路がショートする焦げた匂いが鼻腔を刺激する。


 ミリアは、自分の身に何が起こったのか理解できない様子で、目を丸くしていた。彼女はただ、不安そうに眉をひそめ、小さく体を震わせていた。


「ごめんなさい……私、何もしてないんですけど……」


 彼女の声は震え、その瞳には恐怖が宿っていた。彼女自身、この現象に全く気づいていないか、あるいは自覚症状がないのだ。


 三宅班長が、モニターに映し出された波形を凝視した。それは、通常のエネルギーではありえないほどの急激な変動を示していた。


「これは……」


 彼は息を呑んだ。解析チームの主任が、顔色を変えて報告する。


「班長! 瞬間的に、通常の雷撃の数十倍に匹敵するエネルギーの揺らぎを観測しました! しかし、これは電磁波でも、既知の物理現象のどれとも一致しません!」


「感情……だっていうのか……」


 三宅は、ミリアの表情と、モニターの波形を交互に見つめた。ミリアがほんのわずかな感情の起伏を見せただけで、これほどのエネルギーが周囲に影響を及ぼすとは。彼女がもし、強い恐怖や怒り、悲しみを覚えたとしたら? あの旅客機事故の爆発が、彼女の「感情の揺らぎ」だったとしたら?


 主任研究員が、顔を青ざめながら続けた。


「解析の結果、彼女の能力は臨界的なエネルギー変換を伴う、『感情連動型の暴発現象』であると判明しました。現在の技術では、このエネルギーの発生源も、その制御方法も、全くの未知数です」


「つまり、制御不能……ということか」


 三宅の問いに、主任研究員は無言で頷いた。


 その報告は、直ちに内閣官房長官へと伝えられた。長官は、その報に顔色を変えた。日本が抱え込んだのは、やはり「予測不能な兵器」だったのだ。しかもその兵器は、感情という極めて不安定なトリガーによって、いつ暴発するかわからない。


「彼女は無意識のうちに、国家を、世界を壊滅させ得る力を持っている」


 内閣官房長官の言葉は、深い絶望を含んでいた。ミリアの存在は、日本政府にとって、単なる外交問題や安全保障問題を超え、国家の存亡を揺るがす、「時限爆弾」へと変貌していた。


 佐伯もまた、その報告を聞いて青ざめた。ミリアの純粋な笑顔の裏に潜む、あまりにも巨大な、無意識の危険性。彼女を守ろうとする自身の使命感と、国家の危機という現実の狭間で、彼の心は激しく揺さぶられていた。


 彼女をこのまま抱え続ければ、国民の不信感は募り、やがて政府への怒りに変わるだろう。そして、もし彼女の力が公になれば、日本は国内外からのさらなる猛攻に晒されるに違いない。彼女は、本当に私たちが守れる存在なのか。


 佐伯は自問自答を繰り返した。各国からの圧力は、これからさらに苛烈になるだろう。日本は、この制御不能な「爆弾」を、一体どう扱っていくべきなのか。その答えは、まだ見えない暗闇の中にあった。

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