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第1話 消えた翼

 20XX年、世界はかつてない緊張の淵にあった。東欧で続く戦争では、停戦交渉が完全に決裂。国境線に沿って集結する両軍の動きは、いつ大規模な衝突へと発展してもおかしくなかった。欧州全体に不穏な空気が漂う中、極東の島国、日本もその余波から無縁ではいられなかった。経済協力や人道支援といった名目で、東欧諸国との往来は依然として活発であった。その日も、ワルシャワを飛び立った民間旅客機が、一路、成田国際空港を目指し太平洋上空を飛行していた。


 日本時間午前11時38分。航空自衛隊のレーダー管制官が、突如として東京航空交通管制部からの緊急連絡を受けた。太平洋上空、伊豆諸島から東へ約800キロメートル沖合。それまで順調に飛行を続けていた、ワルシャワ発成田行き、便名AEC802便の機影が、突如としてレーダー上から消失したという。管制官はすぐさま無線を試みるが、応答はない。計器は異常を示さないが、旅客機の存在を示す光点はどこにも見当たらない。


「AEC802、AEC802。こちら東京管制。応答せよ、AEC802」


 繰り返される呼びかけは、ただ広大な空虚に響くのみだった。


 そのわずか12分後。世界の主要国が運用する偵察衛星が、太平洋上空の同一空域で、突如として発生した「核兵器級の爆発」をほぼ同時に捉えた。それは、太陽表面で発生するフレアのような、強烈な白光と、それに続く衝撃波であった。衛星画像には、爆心地を中心に放射状に広がる、通常ではありえない規模の波紋が捉えられていた。


 アメリカ・国家安全保障局の地下深く、厳重なセキュリティで守られた情報分析室。大型モニターに映し出された映像に、分析官たちの表情は一様に凍り付いた。「これは……核兵器の反応ではない」。主任分析官が呟く。即座に最高機密扱いの情報が、ホワイトハウスの地下にある大統領危機管理センターへと送られた。


 時を同じくして、ロシア・対外情報庁本部の司令室でも、冷徹な情報将校たちがモニターを見つめていた。「太平洋中央部で大規模なエネルギー放出。コードネーム『ゴースト・フラッシュ』」。報告の声は低い。彼らのデータが示すのは、通常兵器でも核兵器でもない、謎のエネルギーの発生だった。


 中国・国家安全部のサイバー情報分析センターでは、AIが弾き出した異常なデータに、幹部が眉をひそめていた。「極東の均衡に影響を及ぼす可能性あり。全面的な情報収集と分析を優先せよ」。


 そして、欧州刑事警察機構の情報分析チームもまた、大西洋を挟んだ遠い太平洋の異常に、東欧情勢との関連を疑い、顔を上げた。この事象は、核攻撃ではない。しかし、核攻撃に匹敵する、あるいはそれを超える潜在的破壊力を持つ何かが、世界に姿を現したのだ。その認識が、各国の指導部に電光石火で共有されていく。それは、世界が新たな段階の脅威に直面した瞬間だった。


 この爆発による直接的な津波や、広範囲な破壊は観測されなかった。しかし、爆心地周辺の海域では、数日間にわたり不可解な海流の乱れと、通常ではありえない規模の熱水の上昇が確認された。周辺を航行していた船舶からは、一時的な航行計器の誤作動や通信障害が報告されたが、それ以上の大きな被害は報告されず。かえってその「不可解な無害さ」が、各国の情報機関をより深く混乱させた。


 数日後。太平洋の、いまだ熱と不穏な波紋が残る海域にて。捜索活動を行っていた海上自衛隊の護衛艦が、信じられない光景を目撃する。広大な洋上に、救命ボートも、漂流物も何もない。ただ、波間に浮かぶ一人の少女がいた。黒く長い髪が水面に広がり、まるで真珠のような白い肌は、海水に濡れた形跡さえほとんど見られない。彼女は意識があったが、ぼんやりと空を見上げていた。まるで、そこが海の真ん中ではなく、自宅のベッドの上であるかのように、無傷で、そして不思議なほど穏やかな表情で。


「おい、あれを見ろ!」


 隊員の一人の叫び声に、艦橋にいた全員が息を呑んだ。すぐに救助隊が派遣され、少女は無事に保護された。冷え切った彼女の体を毛布で包みながら、救助隊員は信じられない思いで尋ねた。


「君、名前は?」


 少女はゆっくりと顔を上げ、琥珀色の瞳を隊員に向けた。その瞳の奥には、かすかな戸惑いと、しかし確かな生気が宿っていた。


「澄原……ミリア、です」


 か細い声だったが、それは確かに日本の響きを持っていた。彼女の名は澄原ミリア、16歳。日本国籍を持つが、居住地はルーマニアであるという。洋上に無傷で浮かんでいた彼女こそ、消えた旅客機と、謎の爆発の中心にいた唯一の生命反応だった。


 爆発の中心から発せられた特異なエネルギー波形。その直後に捕捉された唯一の生命反応が、彼女であるという初期分析結果。それらは各国の偵察衛星と情報機関により、既に最高機密として各国首脳部に報告していた。ミリアの発見は、謎の爆発が単なる事故ではなく、彼女の存在に根ざした、世界を揺るがす特異事象である可能性を示唆していた。


 そしてこの少女の発見が、世界の均衡を揺るがす序章に過ぎないことを、誰しもが予想していなかった。

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