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君は、  作者: 千草色
6/21

三月 side.桧凪 [1]

 再会してから、二週間が経った。

 三日に一度くらいの頻度で、日勤のときは仕事終わりに、夜勤のときは仕事の前に、陽仁の病室を訪ねる。

 最初は表情が乏しかったけれど、安心感からか最近は明るい表情も見せるようになってきた。笑う、とまではいかなくても、口角を上げたり表情を和らげたり。

 しかし一方で、そろそろ次を考えなければならない頃に差しかかっていた。

 一時は生死をさまよったとはいえ怪我自体は大したものじゃないから、二週間も入院していること自体がかなり異例だ。特別扱いは自殺未遂をした人を簡単に退院させるわけにはいかないからで、それも抜糸が終われば救急の病棟にはいられない。

 退院か、転科か。

 今日は夜勤なので、早めに寮を出て病院へ行き、病室に向かった。

 病室の前でノックしようと片手を上げ、止まる。

「この子はおかしくなんてありません!」

 決して穏やかとは言えないその声は、聞き覚えがあった。──陽仁のお母さんだ。

「……」

 藤木先生が答える声が聞こえる。それに対して、また陽仁のお母さんがやや興奮した声で何かを言う。

 少しして引き戸が開いた。先輩看護師の笹木(ささき)さんと藤木医師は私を見つけて一瞬止まったけれど、すぐ中に一礼して病室のドアを閉めた。

「お疲れ様です」

 そう言い、軽く頭を下げる。笹木さんは得心したような顔をして頷いた。

「ああ、そうか。浜名はこれから夜勤だったね」 

「はい。あの、廣中さんは…」

 さっきのやり取りが気になってそう訊くと藤木医師と笹木さんは顔を見合せた。

「今は、行かない方が良いと思います。刺激してしまうかもしれないので」

 藤木先生に言われて頷く。

 私も、陽仁のお母さんにはできるだけ会いたくない。

 だからこそ。

「明日にします。ですが、その」

「個人情報ですから、それ以上は」

 藤木医師に遮られてハッとする。

「…すみません」

「友達が心配なのは分かるけどね。先に着替えておいで」

 笹木さんの言葉に頷き、一礼して踵を返す。ロッカールームへ急ぎながら、反省した。

 何があったのかを知りたいなら陽仁に直接訊くべきだ。「心配だから」は理由にはならない。

 そんな気持ちとは裏腹に、心配は段々と大きくなっていく。

 ロッカールームに入り、コートと私服を脱いで自分のロッカーのハンガーにかけて白衣に着替える。

 何があったのかは、あのお母さんの性格を考えれば容易に想像がつく。

 多分、精神科にかかっていることを知らなかった陽仁のお母さんが来ていたタイミングにちょうど診察が重なってしまったのだろう。精神科病棟への入院を勧めたのかもしれない。それで、精神科の治療なんて必要ない、頭がおかしいとでも言うのかと怒った。息子が普通の状態ではないと認めたくないから。治療しなければ、辛いのは陽仁自身なのに。

 あの調子では自殺未遂についても、何てことをしたのと陽仁を責めているだろう 。衝動でしてしまっただけだとでも思っているかもしれない。

 だから、とても心配だった。

 白衣に着替え終わり、ぎりぎり肩につくくらいのミディアムボブを後ろで束ねる。

 あのお母さんが一筋縄ではいかないことを、私は十二分に知っている。それを、陽仁が嫌がりながらも完全に拒否できずにいることも。

 今、退院するのはかなり危険だ。まだ信頼関係を築いている段階で治療があまり進んでいない上に、自殺未遂の原因の解決もできていないからだ。このまま退院したとしても、二度同じことが起こらない保証はない。むしろ、自殺までのハードルが低くなっている。二回目が起きたとき、再び助けられる保証は、ない。

 ロッカーの扉を閉め、嫌な想像を振り払う。

 時計を見る。十五時四十分。お見舞いのために早く来ていたので、開始時間より二十分早い。

 しかし特にやることもないので、ロッカールームを出て精神科のスタッフステーションに向かう。

 スタッフステーションの前で、回診から帰ってきたらしい笹木さんと行き会った。

「あ、浜名。もう行っても大丈夫だよ。先程帰られてたから」

 笹木さんはどこに、とも、誰が、とも言わなかったけれど、それだけで十分だった。

 何も言えずにいる私を、笹木さんが促す。

「ほら、まだ時間もあるし、行ってきたらどう?」

「ありがとうございます」

 何とかそれだけ言って、早足で陽仁の病室を目指す。

 ノックの返事を聞く時間も惜しく、はい、と聞こえた瞬間ドアを開けた。

「どうしたの、そんなに急いで」

 一見普段と変わりないように見えるけれど少し暗い彼の表情に、何と言えばいいのか迷う。とりあえず、ドアを閉めて、ベッドに近寄った。

「着替えてるなんて珍しいね。それに時間ギリギリじゃない?」

 陽仁の言葉に、うん、と頷いて、直球で訊いた。

「大丈夫?」

 あぁ…と陽仁は苦笑した。

「さっきの、聞いてた?」

「陽仁のお母さんが、怒ってるのだけ聞こえて」

「それでタイミングずらしてくれたのか」

 ありがとう、ごめん、と謝る陽仁に、首を振る。

「君が悪いわけじゃないもの。それより…」

 続けようとした私を、彼が遮った。

「僕は大丈夫。心配してくれてありがとう」

 暗い顔のままで笑う陽仁に、大丈夫じゃないでしょうと言いそうになるのを堪える。

 代わりに、少し軽い調子で言った。

「大丈夫じゃなかったら、ちゃんと言ってね?」

「うん、分かった」

 陽仁が頷いたのを見て少し安堵する。

「もう時間でしょ。じゃあね」

「うん、また」

 不安は残っていたけれど、時間の余裕もなかったので挨拶を交わして病室を後にした。

 後で、後悔することになるとも知らず。

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