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君は、  作者: 千草色
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二月 side.陽仁 [1]

 コンコン、というノック音が聞こえた瞬間、体が強ばった。

 日に何度も聞いているはずのノック音は、何度聞いても慣れない。…それが、自殺未遂をした後ろめたさ(ゆえ)と、人と会うのが怖いせいだとは分かっているにも関わらず。

 デジタル時計を見る。十七時半過ぎ。

 どなたですか、と一応尋ねてみたものの、ある程度想像はついていた。夕食にしては少し早いし、看護師の巡回でもない。面会可能時間の最終時刻は十八時だが、家族は午前中に来たばかりで、家族以外で見舞いに来る人は思い当たらない。──一人を除いて。

 分厚い扉越しにくぐもった声が予想通りの名前を告げる。

「浜名桧凪です。入ってもいい?」

 十年前からほとんど変わらない声音が固くないことにほっとする。彼女に、下手なことを言ったらまた自殺してしまうんじゃないかと気を使われるのは嫌だった。

「いいよ」

 そう答えると、スーッとドアが右に動く。見舞客のように必要以上に慎重なわけでもなく、普段看護師が開けるように勢いがいいわけでもない自然な動きは新鮮だ。

 彼女は部屋の中に入り、ドアを閉めてベッドの近くの椅子に座った。

「久しぶりだね。もう十三年くらいになるかな」

 そんなに経つのかと一瞬驚いたが、最後に会ったのは中学の卒業式だから確かにそれくらいかもしれない。

「…そうだね」

「声が低くなったね。あと、背が高くなった」

 背の順で前から三番目くらいだった僕の背丈は高校のときに十センチも伸び、今は百七十センチを超えている。

「君は変わらないね」

 声も容姿も、髪の長ささえも変わらない。

「人はそんなに変わらないものだよ」

「それは内面の話であって、容姿に関しては変わると思うけど…」

「内面が成長した分容姿が変わらなかったの。力学的エネルギー保存の法則的な。成長エネルギー保存の法則」

「上手いこと言った!みたいな顔しない。全然上手くないから」

「内心、感心してるでしょ」

「いや、全然。精神的にも変わってないんじゃないかと思い始めてる」

 桧凪は酷いなぁと大袈裟に頬を膨らませ、次いで吹き出した。

 これ何のやり取り?と笑う桧凪を眺めながら、心中で呟く。——君も変わったよ。昔はそんな柔らかい表情できなかったじゃないか。

 昔の、尖っていた彼女を思い出す。口を横に結んでいて、寄らば切る、みたいな雰囲気で。笑みを浮かべることなんてほとんどなかった。

 あの表情も懐かしいけれど、今の方が楽しそうで幸せそうだ。

 ——僕とは、真逆。

 自己嫌悪に陥りそうになって、考えるのを止めた。

 現実に意識を戻す。

「…それで、何か用があるんじゃないの?」

 言ってしまってから後悔した。桧凪はここへ、昼の話の続きをしに来たのだろうとは分かっていたのに。訊かないでおけば、まだ他愛もない話で盛り上がれたかもしれない。

 けれど桧凪は、あっさりと首を横に振った。

「用?特にないよ?」

「じゃあ何しに来たの」

「強いて言えば、口約束を守るために、だね。さっき、後でって話だったから」

 その場の雰囲気で言っただけの言葉だろうと期待していなかったから、単純に嬉しかった。

 こういうところ律儀だよなぁ、と思う。少し頑固だが真面目で責任感が強いところは変わっていない彼女の長所だ。 

 少しほっとして頬を(ゆる)ませた僕を見て、桧凪は不思議そうな表情を浮かべた。

「逆に何しに来たと思ったの?」

 てっきりあのとき濁した話を聞きに来たのかと思っていたから、拍子抜けした。

 そう言うと、桧凪は穏やかながらも真剣な表情になった。

「私は君が話したいことだけ聞いていたいから、訊かないよ。今はプライベートだし」

「治療する側としては聞いておきたいんじゃないの」

 親にさえ自殺未遂の理由を話さないのは僕の我儘で、甘えだ。話したくないから話さないなんて、子どもじゃないのに。

 そんな自己嫌悪を見抜いたように、彼女は首を横に振った。

「私は、話したくないことは話さなくていいと思ってる。自分のことを誰にどこまで伝えるか決めるのは、正当な権利だよ。誰しも話したくない過去の一つや二つあるしね」

 逆に、と桧凪は続けた。

「逆に君が聞いておきたいことはないの?こっちの病棟について知ってることは少ないけど、それでも同じ病院内のことだからある程度分かるよ」

 少し考えて、ふと浮かんだ疑問を口に出す。

「これからずっと僕の担当は君?」

「あぁ…いや、担当は変更になったんだ。知っている人が相手では冷静な判断ができない可能性があるから、担当できない決まりなの」

 桧凪は首を横に振って答える。

 少しがっかりしたのが顔に出ていたのか、桧凪は躊躇(ためら)いながら切り出した。

「それで、君が良ければ、なんだけど。これからもお見舞いに来ていい?一週間に一回くらい」

 ドクンッと一つ、心臓が大きく脈打った。握った手がじんわりと温かく、湿っていく。

 彼女と話すのは楽しいからお見舞いに来てくれるのは嬉しいはずのに、心はブレーキをかける。

 話す回数が多くなれば多くなるほど、失望される可能性も高くなっていく。もし桧凪にさえも見捨てられたら、僕は──。

 頭を振り、嫌な想像を振り払う。普通の声のトーンになるように意識して、頷く。

「うん。来て欲しい」

誤字報告、ありがとうございます。

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