十一月 side.桧凪
たんぽぽホームに入ってから、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。あと少しで十二月になる、秋の終わり頃。
他の入居者の人たちとカードゲームをして、好きな小説を読んで、伊東さんを手伝ってご飯を作って、──ただ、穏やかな日々が過ぎていく。
たまにみんなで遠出をすることもある。一週間前には、仲良くなった同年代の三並さんの要望で紅葉を見に、お弁当を作って行った。
その三日後、三並さんは危篤状態に陥った。伊東さんには仮眠をとるようにと言われたけれど、眼が冴えてしまって眠れなくて、結局明け方まで付き添っていた。三並さんは意識を取り戻すことはないまま、日が昇り始めたころに息を引き取った。
ここは死にゆく人が行き着く場所だ。涙は出なかった。ただ、紅葉を眺めながら、綺麗ねと呟いたその横顔だけが、脳裏から離れなかった。
伊東さんは淡々と、けれど丁寧に、その後の処理をしていった。三並さんが彼女自身が望んだように、近くのお寺に無縁仏として埋葬されることになった。
そういう全ての手続きを終えて、伊東さんは私に向き合った。
その眼を見て、次は、私なんだな、と思った。
「オリオン座で良かったですか?」
しておきたいこと、叶えて欲しいことを一つだけ書いてください──陽仁のお陰で、私のアンケートの空欄は全て埋まった。
「はい」
私はゆっくりと首肯した。
「一度、綺麗なオリオン座が見てみたいんです」
伊東さんは柔らかい表情で頷いた。
「ここから車で十分ほど行ったところに海岸があるので、そこで見ましょうか。綺麗に星が見えるらしいんです。この時期だと午前零時くらいでないと見えないみたいなんですが、大丈夫ですか?」
「はい。お願いします」
夜遅くの外出と言うことで、私と伊東さんだけで行くことになった。
その一週間後の午後十一時半、伊東さんが車を運転して、海岸まで連れて行ってくれた。
十一月中旬の海岸はすっかり真冬のようで、冷えきった風が吹き荒れていた。
コートに身をうずめて、空を見上げて、──思わず声を漏らした。
「うわぁ…」
満天の星空、だった。
綺麗な…本当に綺麗な、星空だった。
伊東さんは私の隣に立って、しみじみと言った。
「綺麗ですねぇ」
私は声もなくただ頷きながら、空を眺めた。
「オリオン座って、どれなんですか?」
伊東さんに訊かれて、ハッと我に返り、オリオン座を探した。南東の空にオリオン座を見つけて、指で指し示す。
「あの星とあの星、その下に3つちょんちょんちょんって星があって、…少し見にくいけど、その下に二つ星があるの見えますか?」
「あー!あれですか?」
「そうです!それを、こう…一筆書きするように結ぶと、リボンのような形になりません?」
「確かに!蝶ネクタイみたいな形になりますね。思ったより大きいんですねぇ」
その感想に、昔の陽仁の声が蘇った。
──問題だとあんなに小さく書いてあるのにね。
オリオン座って意外と大きいんだね、と私が言ったのに対して、陽仁はそんな相槌を打った。
「星座、詳しいんですか?」
伊東さんの質問に、笑って首を振る。
「ぜんぜん。分かるのはオリオン座と夏の大三角形くらいです」
そう答えると伊東さんは少し驚いて、首を傾けた。
「じゃあ、オリオン座に特別な思い出があるんですか?」
私はゆっくり瞬きをして、答えた。
「はい。…忘れなきゃと思いながら、忘れられなかった思い出が」
伊東さんは気を使ってくれたのだろう、それ以上は何も訊かず、そうなんですねと微笑んだ。
十五歳から今まで、オリオン座を探さなかった年はない。よくよく数えてみれば、それは十四年間──私の人生の半分にも及ぶ。
最初の四年は、いじましいなと苦笑しながら見上げた。次の三年は、懐かしいなと思いながら見上げた。あいだの六年は、頭上で輝くそれらに元気づけられていた。…去年は、星々を眺めながら、どうすべきか胸のうちで問いかけた。
オリオン座は、私の錨のようなものだった。心の奥深く、柔い部分に刺さったまま抜けず、しかしそれがあるから安心して進むことのできる、錨。
あまりにも陳腐で、言葉にする気にもならないような、恋心の象徴。
多分、これで最期だろう。オリオン座を見れるのは。




