表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君は、  作者: 千草色
30/37

八月 side.陽仁 [1]

 八月二十八日と決まった退院に向けて、準備は着々と進んでいた。僕の受け入れ先であるグループホームは病院と連携している施設なので、比較的スムーズに話が進んでいく。グループホームの職員さんの何人かとも面談をしたけれど、みんな良い人で、退院に対する不安はだいぶ小さかった。

 一方で、閉鎖病棟に入る前に会ったきり、母とは一度も面会していない。理解してくれることはないだろうという諦念と、もしかしたらという淡い期待が綯い交ぜになって複雑な気分だ。桧凪のことなど、何と言われるか…。

 だからはっきり言って、あまり会いたくはない。

 特に退院が近づいている今、余分な精神的ダメージを負いたくない。

 そう言うと、藤木先生は「逆ですよ」と首を振った。

「今だから、です。退院した後では遅い。今なら、病院スタッフがいます。最悪、退院を延期したって良い」

「でも…」

 消極的な僕の目を真っ直ぐ見て、藤木先生は続けた。

「お母様がトラウマになっているのは分かります。どうせ理解して貰えないと思うのが、否定され続けてきたからだということも。ですが、人は変わります。今では私や笹木さんの話に耳を傾けてくれますし、グループホームに行くことも承知してくれています」

「そう、なんですね…」

 それでも僕は頷けなかった。グループホームに行くことを承知しているというよりは、承知するしかないから仕方なくしている感が拭えない。

「私や笹木さんも話していましたけど、浜名さんもお母様に何回も頭を下げて、説得してくれたんですよ」

「桧凪が…?」

 驚いて思わず呟いてしまった。藤木先生は頷いて続けた。

「その浜名さんも、今回の面会には賛成しています。…私や笹木さんでは信用できないかもしれませんが、浜名さんの判断なら信じられるのではないでしょうか」

 正直、母の桧凪に対するイメージはかなり悪い。説得するために、どれだけ嫌な思いをしたのか、想像に(かた)くない。

「……分かりました。会ってみます」

 結局、桧凪に弱いんだよなぁと思いながら、頷いた……のが、三日前だ。

 こんなに早く来ると思わなかった、と面会室の前で小さく溜め息を吐く。

 いつかはしなくてはならないことだ。腹を括って、面会室のドアをノックした。

 桧凪とのときより倍は重くなっているんじゃないかと思うほど重いドアを押し開ける。

 久しぶりに見る母の顔は少しやつれている気がした。心労をかけたからだと思うと途端に申し訳なくなったけれど、今回は下手に出てはいけない。ちゃんと対等な立場で話さないと。

「……久しぶり、ね。元気そうで良かったわ」

 母がぎこちなく笑ったのに合わせて、愛想笑いを浮かべる。…かなり気まずい。

「それ、愛想笑いでしょう」

 母に指摘されて、笑顔が凍りつく。母はこちらの様子を気にせず続けた。

「本心なのか違うのか、嫌なのか嬉しいのか、昔はちゃんと分かっていたのにね。いつの間にか、貴方の表情を見分けられなくなった。それで、焦ってたのかもしれないわね」

 母は俯いたまま、ぽつんと言った。

「桧凪さん、良い人ね」

「え?」

 驚いて、声が出た。聞き間違えか?

「先生や看護師さんも、良い人だけど。最初は精神科なんて胡散臭いと思っていたから、全然話を聞く気にならなかったけど、私の話まできちんと聞いてくれたしね。でも、桧凪さんは凄いわ。正直桧凪さんには良いイメージがないから随分と辛く当たったの。それでも、陽仁のために協力してくださいって繰り返し頭を下げてた」

 あまりに驚いて何と言えば良いか分からなかった。…もはや洗脳の域じゃないか。

 一体僕は何を懸念していたんだろう?

 桧凪のことを悪く言われるかもしれないとか気にしていたのが何だか馬鹿馬鹿しくなって、思わず笑ってしまった。

「ちょっと、なんで笑うの。真剣なんだけど」

「いや、流石だなぁと思って」

 桧凪はいつも、想像の遥か上を超えていく。

 あれだけ嫌われていた相手に真っ向から立ち向かおうだなんて他に誰が考えるだろう。

 笑ったら何だか吹っ切れて、もう何でも言ってしまえという気になった。

「自立したい。そのために、退院したら、聞いてるかもしれないけど、グループホームに行く。実家には帰らないし、これから先も住む気はない」

 そうきっぱり言うと母も少し寂しそうな表情で頷いた。

「先生たちにも、桧凪さんにも言われたわ。その方が貴方に合っているだろうからって。…決めたからには、しっかりしなさいね」

 うん、と頷く。母を前にして、こんなに真っ直ぐ自分の考えを口に出来たのはいつぶりだろう。そもそも、そんなことがあっただろうか。

 すっきりした気持ちで面会を終え、病室に戻った。

 想像していたより何千倍も気持ちが楽だった。あんなにあっさり認めて貰えると思わなかった。…母を疎む理由も無くなった。大袈裟でなく、こんな日が来るなんて、思わなかった。

 桧凪にはもちろん、先生や笹木さんにもお礼を言わないとな、と日記を開いてメモを残しておいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ