八月 side.桧凪 [1]
八月 side.桧凪 [1]
血液内科に行って治療をしないと言ったけれど、医師や看護師には、治る可能性がないわけじゃないんです、若いんだし自暴自棄にならずに、もう一度しっかり考えて一週間後にまた来てくださいと言われてしまった。しかし、何度考えても結果は同じだ。
もう六日目だ。リネン類のチェックをしながら、治療すべきなんだろうけど、でも、と同じ問答を繰り返していると、後ろから声をかけられた。
「何か、悩み事があるの?」
ハッと顔を上げると、笹木さんと目が合った。
「すみません。仕事中なのに集中できなくて」
「ううん、物思いに沈んでたから大丈夫かなって思っただけ。…私で良ければ、相談に乗るけど」
いえ、と一瞬辞退しかけて止まる。
どちらにせよ仕事は辞めなければならないし、仕事を辞めるなら事情を話さなければならない。…笹木さんの申し出は、渡りに船なのかもしれなかった。
言葉を選びながら、口を開く。
「少し、相談というか…話したいことがあるんですが」
「うん」
どこから話すのが良いのだろうか、と悩んだ末に、一番言っておかなければいけないことを言うことにした。
「仕事を辞めないといけなくて」
「え?」
笹木さんは驚いたように目を見開いた。
「辞めないといけないってどういうこと?」
怪訝そうに問われて、視線を落とす。
「この前の、健康診断で…白血球数過剰で引っかかって。血液内科で再検査してもらったら、白血病なんだそうです。しかも、治りにくい…五年生存率が二十パーセント以下、みたいな種類の白血病らしくて」
「…そうだったの」
その先を、言うか迷って、意を決して口を開いた。
「……どうしても、治療を受ける気にならなくて」
「…そっか」
笹木さんは目を伏せて頷いた。驚いた様子はなかった。想像していた反応と違って戸惑い、ふと気づく。そういえば確か、血液内科の看護師は笹木さんと同期だったような。
「知ってたんですね。白血病のことも、私が治療を断ったことも」
笹木さんは弾かれたように顔を上げ、後ろめたそうな表情になった。
「ごめんなさい。血液内科の同期から、あなたのところの看護師の子が、まだ若いのに治療しないって言ってて、少し話せる機会があったら話しておいて欲しいって言われて」
「いえ。自分より若い子が、それも知ってる子が治療しないって言ってたら、そう言いたくなるのも分かるので…」
多分、私でも考え直した方が良いと言うんだろうし、自分より親密そうな知り合いがいたら相談してみるだろう。噂話がすぐに広まる院内では、守秘義務などあってないようなものだし。
私が怒っていないのが分かったのか、笹木さんは少し表情を緩めて首を傾けた。
「……死にたくない、とか。まだやりたいことがある、とか。そう、思わないの?」
「自殺願望はないし、積極的に死にたいわけではないですが、じゃあ治療してまで生きたいのかというと、そうでもないなって思って」
どう説明すべきか迷って、言い淀んだ。
私自身でもどうしたいのか、分かってないのかもしれない。
「中学生のころ、一度自殺しようとしたことがあるんです。そのとき、陽仁──廣中さんに止められて」
「……そうだったの」
笹木さんは少し納得したように頷いた。
「高校は楽しかったし、あのとき自殺しなくて良かったって思ったことも沢山あります。いつかそう思える日が来て欲しいと思って、この仕事を選んだんです。…でも」
息を吸って、続ける。
「私の生きる目的は、『貰った命を全うするため』である気がしてしまって。今も変わらず私の根底には希死念慮がある気がするんです。もう疲れた、全部終わりにしたい、みたいな願望が。それに、今回のことで、両親が亡くなっている私には、承諾書にサインしてくれる肉親すらいないことに気づいてしまって。もう良いのかな、って気になっちゃって…」
言い切って、俯いた。精神科の看護師としてあるまじき思想なのは分かっている。
「もう、分かりません。どうするべきなのか、何が正解なのか」
そう言って苦笑を浮かべたが、笹木さんは困ったように眉根を寄せた。
「…正解はないんでしょうね。こういう話には」
しばらくの沈黙の後、笹木さんが言った。
「暗い話をしてすみません」
笹木さんは、ううん、と首を横に振った。
「私から振った話だし、気にしないで。…治療しないのも一つの選択肢だと思うし、職業とか周りの目とか気にしなくていいと思う、けど…あなたが亡くなったら、私は哀しい」
言ってることがぐちゃぐちゃだね、と笹木さんは小さくため息をついた。
治療を受けるのか、受けないのか。
相談する前よりどうすべきか分からなくなった二択が、私の頭の中をグルグルと巡っていた。




