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君は、  作者: 千草色
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二月 side.桧凪 [1]

 浜名(はまな)です、と笑みを浮かべて軽く会釈をすると、相手は目を見開いた。

 相手の視線が私の胸元のネームプレートをなぞる。

 ──浜名桧凪(ひなぎ)

 瞠目するその表情に、静かに淡い希望が崩れていく。

 彼の名字も珍しいから、そんなはずがないことは分かっていたけれど、同姓同名の別人だったら良かったのに。

廣中(ひろなか)さん。浜名がどうかしましたか?」

 異質な雰囲気を感じ取って、隣の藤木(ふじき)医師が問う。

 彼ははっとして何か言おうとしたように見えたけれど、すぐに諦めたように黙って首を振った。

「それでは、簡単に診察しますね。言いたくないことは言わなくても大丈夫ですので、答えられる範囲で答えてください。まず──」

 穏やかな声で藤木先生が話し始めるのを聞きながら、私はぼんやりと中学の頃を思い出した。

 私が通っていた中学は、二つの小学校の卒業生が入学する、そんな中学だった。人数比も半々くらいで、だからこそどちらの小学校の出身かという意識が強かった。だから、年に一度クラス替えがあったにも関わらずたいてい同じ小学校の生徒同士でグループ化していた。

 そんな環境の中で、私が同じクラスですらなかった陽仁(はると)──廣中陽仁と喋るようになったのは、塾が同じだったからだ。

 それなりに大きな集団塾で、同じ中学の同級生も多かった。けれど、いや、だから、私は塾に馴染めなかった。休み時間になるたび、騒がしくなる教室を抜け出して廊下の隅に置いてある金魚の水槽の隣で本を読んでいた。

 「…何故、自殺したいと思ってしまったのだと思いますか」

 先生の問いに、現実に引き戻される。

 自殺未遂で運ばれてきたのが陽仁かもしれないと知ってから、私はずっと考えていた。どうして、自殺なんか。けれど、どれだけ考えても、昔の彼と自殺未遂をした事実は結びつかなかった。

 陽仁は少し迷って口を開いた。思わず、肩に力が入る。

 しかし、質問の返答はただ一言だけだった。

「生きていても仕方ないと思ったからです」

 そう話す態度も口調も、あまりにも淡々としていて現実味がなかった。諦観、という言葉がふと脳裏に浮かぶ。

 彼は、自分の人生さえ諦めなければ耐えられないような環境を経てここに来たのだろうか。

 手元の書類に目を落とす。浴室でのリストカットによる自殺未遂、という文字は何度見ても変わらないし消えない。

「生きていても仕方ないと考えるようになったきっかけだと思う出来事はありますか」

 核心を突いたその問いに、彼は目を伏せた。

「…あります。ですが、詳しいことは話したくありません」

「分かりました。これで終わりです。ありがとうございました」

 藤木医師に続いて礼をして病室を後にしようと踵を返す。と、腕を掴まれた。

 振り返ると何か用があったわけではないようで、掴んだ方が驚いている。

「ごめん」

 彼が手を放しながら申し訳なさそうに謝るのを聞いて、苛立った。彼に、ではなく、彼がそんな表情をするようになった原因を作った人に。

 同時に、何か言わないと、と思った。でも何を?

「…また後で」

 口下手な私が咄嗟に上手な返しを思いつけるわけはなく、苦し紛れに発した一言を置き去りにして病室を出た。また後でって、私は後で何をしに来るつもりなんだろうか。というか、そもそも来ないでほしいと思われている可能性もある。

 一旦先の発言は忘れることにして、藤木先生にどう事情を話そうか考えながら精神科のスタッフステーションまでの廊下を歩く。さすがに話さないわけにはいかないだろう。

 少し奥まったところにある精神科のフロアに入り、スタッフステーションの一角、患者さんから見えない位置まで移動する。

 先生と直角になるように四角形のテーブルを囲む。私が口を開く間もなく、藤木医師が問うた。

「廣中さんとはどういう関係ですか」

 藤木先生は泰然自若としていてどんな話題でも自然体で淡々と話してくれる。患者さんにも人気なその雰囲気のありがたさが身に染みた。

「中学の頃の友人です。名前から予想はしていたのですが、確証は持てなかったので…。事前に報告できず、すみません」

「そういうことでしたか。本人なのか、分からない状態で報告するのは無理があると思うので大丈夫ですが…知り合いであれば、担当は変更せざるを得ませんね」

 はい、と頷く。精神科でなくても、基本的に、知り合いの治療には関わらない。何かあったとき、動揺して対処できなくなってしまうのを避けるためだ。

 実際、私も常に冷静でいられる自信はなかった。

「私が病室に行くのも止めておいた方が良いでしょうか」

 不安げに尋ねた私に、藤木医師は少し考え込み、ゆっくりと口を開いた。

「…僕に、プライベートに立ち入る権利はありません。ですから、担当の精神科医としての意見しか言えませんが」

「はい」

「気軽に話せる相手がいる、というのは、大きな心の支えになります。廣中さんが負担に思わないのであれば、浜名さんと話すことで気が楽になる部分もあるでしょう。ですが」

 藤木先生は一旦言葉を切って、私の目を真っ直ぐ見た。

「不安や悩みを抱えていることに、違いはありません。言葉を選んだり、踏み込まれたくないラインを見極めたりということは大切です。大丈夫だと思いますが、できるだけ気をつけてください」

 穏やかな声音だったけれど重く響いたその言葉を、ゆっくりと咀嚼して胸に刻む。

「分かりました」

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