五月 side.桧凪 [1]
今回は長めです(代わりに次回は短いかもしれません)。
いじめと言うには大袈裟すぎるような、嫌がらせと言うには度が過ぎているような。気が強い私は、絶対折れるものかって、負けるものかって意地を張っていたんだろうと今なら思う。
憧れだった念願の部活動。それが、十年以上経った今でも忘れられないほどの、いや、この先何十年経っても忘れられないほどの苦い思い出になるなんて、あの頃は思ってもみなかった。
部活の中ではかなり人気な方で、同級生は私も含めて十四人。そこには塾で苦手意識を持っていた美鈴もいたが、最初はそれなりに親しく話していたしうまくやっていた、と思う。
女子ばかりが十四人も集まっていれば、グループができるのは当たり前だ。私も最初はグループに属していた、はずだった。──孤立するまではあっという間だったので、あまりそれ以前のことは覚えていないけれど。
小学生のころ仲が良かったはずの子たちが、突然何の反応も返してくれない。かと思えば、普段の学校生活では何事もなかったかのように話しかけてくる。それなら、と思って部活で話しかけても、無視。
——仲間外れにするしかなかったんだろうな、と気づいたのは、卒業後一年以上経ってからだった。
思い当たるきっかけは、一つだけ。
代々一年がやることになっていた部活の準備と片付けを、引き継いでやり始めたのが私だった。意識していたわけではないけれど、結果、私は先輩に気に入られるようになった。
出る杭は打たれる。それを、美鈴たちが面白く思わないのは当然だった。
本来一年生全員でやるべき準備と片付けはいつしか完全に私の仕事になった。学年でも中心的な女子だったから、分かりやすく対立してしまった私を庇る人なんて部活内にはいなかった。
実力主義だったから同級生の中で一番下手だった私は顧問から冷遇され、最初は可愛がってくれていた先輩たちも私に見向きすることはなくなった。代わりに他の同級生が可愛がられるようになっていった。
週に五日もある活動日のたびに、否応なしに孤独を思い知らされる。一人で準備をし、部活中も必要最低限の会話しかできず、一人で片付けをして帰る。
誰かに罵倒されるわけではなく、物を壊されることもなく、暴力を振るわれているわけでもない。だからこれをいじめとは呼べない。…じゃあ、これは何と呼ぶんだろう。
私の心は段々と擦り減っていった。担任や学年主任に相談しても改善されないまま、夏が過ぎ秋が過ぎた。
引き金は、忘れもしない十二月の初め。顧問に言われて何度目かの当番決めをしたところだった。
とはいえ、「雑務をさせることも指導の一環だから当番制にしなさい」と顧問が他の先生に言われて決めさせているだけのものだったから、決めた当番などあってないようなものだ。実際過去に決めた当番が守られた試しはないので、私はもう期待もしていなかった。
しかしその日、いつものように部室内を整えてトイレと部室の鍵を閉め、職員室に向かって歩き出した私を、同級生の部員が数人が遮った。
「鍵、渡せよ」
美鈴だった。そういえば今日の当番は美鈴に決まっていたっけ、と思い出す。
大人と男子の前で被っている良い子ちゃんの皮はどこに忘れてきたの?と皮肉を言いたくなるようなぞんざいな態度だ。
逆らったら面倒なことになるだろう。私が先輩から可愛がられなくなって溜飲が下がったらしく、最近は言いがかりをつけられることも減っていたが、また大声で陰口を言われる羽目になるかもしれない。
だけど、それが何だというのか。もう既に私の中学校生活はどん底だ。
何もやらなかったくせに、鍵だけ返しに行ってやったふりをするなんて虫が良すぎる。
部活終わりで疲れていたし、反論する気力もなかった。無視して再び足を踏み出す。
彼女は私の反応に苛立ったらしく、力任せに私の右腕を引っ張った。
「待てって言ってるだろ」
痛い。うるさい。
そう返す体力は既になく、できたのは顔をしかめることくらいだった。
「何のための当番制だよ」
それはお前らが使っていい台詞じゃない。
どうでもいい言葉にいちいち苛立たずにはいられないのが、辛い。
「当番だから返してきてやるって言ってんだから渡せってば」
さっきまで手伝いもしなかったくせに。
向こうも不毛なやり取りにうんざりしてきたのか、声が大きくなっていく。
「鍵を寄越せっつってんだろ!」
ほとんど怒鳴るようだったその声に、やっと顧問が様子を見に来た。
「どうしたんだ」
「桧凪が、鍵を渡してくれないんです」
面倒臭そうに尋ねる顧問に美鈴とその取り巻きが訴える。
「なんで渡さないんだ」
言ったって無駄だろうなと思いながら一応、弁解してみる。
「…部室を整えて、掃除して、鍵を閉めるまでやったのは私だからです」
「それが渡さない理由にはならないだろ」
予想通りの答えに、もうそれ以上話すのを諦めた。同級生と私では、私が悪だ。いついかなる時も。
それ以上私が何も言わないのを見て、顧問は私を怒るモードに入った。
「とくに理由がないならさっさと渡せばいいだろうが!そんなくだらないことで時間を使わせるなよ」
怒鳴ることでストレス発散する人種だ。感情のスイッチを切って項垂れておけばいい。明日は塾だ。楽しいことを考えていれば、こんな時間すぐ終わる。
そう自分に言い聞かせ必死に現実逃避をしている間にも、顧問は声を張り上げる。
「協調性を身に着けろって言ってるよな。こっちはボランティアなんだぞ?——だいたい、お前がやるから悪いんだよ!」
お前が、やるから、悪い?
咄嗟に顔を上げて、顧問を真っ向から睨んだ。
感情をオフにしていたはずなのに、その言葉だけは許せなかった。
——こっちは毎日毎日お前らが活動するために準備と片付けやってやってるんだろうが、誰もやらねぇから。
——時間外手当貰ってるんだろ、ボランティアじゃねぇよ。
喉元まで出かかった言葉は、それでも音にはならなかった。怒りで、指先が冷えていく。
「なんだその眼は。教師に歯向かうのか」
——もういい。
鍵をもう一人の女子に乱暴に渡し、踵を返す。後ろで話はまだ終わってないなどと怒鳴る声が聞こえたけれど、私は無視して自分の荷物のところまで戻った。
荷物を持って、一番近くのトイレまでまっすぐ歩いて行った。
個室に入って、鍵を閉める。
ほっとすると同時に、涙が溢れた。それでも唇をきつく咬んで、嗚咽はどうにか堪えた。
私がよくいるいじめられっ子のようにおどおどしている大人しいタイプだったら、可哀そうにって言ってもらえるのだろうか。これがいじめだって認めてもらえたんだろうか。
そんなことを考えている自分に嫌気がさす。
悲劇のヒロイン気取り。全部、自分が蒔いた種のくせに。正しさになんか拘らずに適当にしていればこんなことにはならなかったのに。部活が嫌なら転部すればいいのに。
小学生のとき漫画で読んだいじめは、もっと酷かった。だから別にこれはいじめじゃない。たったこれだけのことで「いじめ」なんて言葉を使ってしまったら、世の中の本当に虐められている子に失礼だ。
まだ、耐えられる。いや、この程度耐えなければいけない。
そんなに酷い状況じゃないし、あまつさえ言い返せる気の強さを持っているのだから、耐えられないはずがない。
本当は美鈴たちが言っているように、意地を張って部活内の雰囲気を悪くして被害者ぶっている私が加害者なのかもしれない。
だけど、もう三回以上決めた当番が一度も守られたことはないからと、諦めてしまうのは責められるようなことなのか。何回も何回も期待して裏切られなきゃならないんだろうか。
本当は泣きたくないのに。
そんなことを考えては泣いて、泣き疲れて体がだるくなってきたころ、ようやく涙が枯れた。
頭が痛い。瞼も重いし、頬が涙でべとべとしている。眼も充血してるだろうし、酷い顔だろう。
個室から出て鏡の前に立つと、想像通りの酷い顔がこちらを見ていて思わず笑みがこぼれた。




