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君は、  作者: 千草色
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四月 side.陽仁 [2]

 桧凪との面会日は、それから三日後の十四時に決まった。桧凪は夜勤の日なので十五時までは休みらしく、病院に来るのを一時間早めて来てくれるそうだ。

 そんな話を聞いたときは、僕のためだけに時間を割いてもらうのは申し訳ないからせめて自殺未遂と母のことは真っ先に謝ろうと考えていたのに、いざ桧凪を前にすると言葉が出なかった。

 挨拶とともに軽く言葉を交わしてから数分、お互いに言うべき言葉を探している気まずい沈黙が続いている。

 何か言わないとと思っていたのは同じだったのか、やや遠慮がちに桧凪が口を開いた。

「そうだ。何か、欲しいものある?暇潰し用の本とか」

 少し考えて、首を振る。

「無いよ。ありがとう」

 読みかけの本はまだ半分以上残っているし、持ち込み禁止のものが多すぎて禁止されていない欲しいものは思いつかない。

「ううん。何かあったら、スタッフ()てでも大丈夫だから言ってね」

 うん、と頷くと短い会話は終わってしまう。謝罪はなるべく早くしないといけないのに、依然として声に出す勇気が持てないまま、十分も経ってしまった。面会時間は二十分までと言われているから残り十分しかない。

 あのさ、と脳内で三十回は繰り返しただろうか。

 一瞬、自分の口から漏れた声だと思った。

「あの、さ」

 顔を上げると、こちらを恐る恐る伺う桧凪と目が合った。僕の声じゃなかったのか、とやや安心するのと同時に、言えない後ろめたさが膨れ上がっていく。耐えられなくて、目を逸らした。

「面会者が私で、本当に良かった?会いたくないとか関わらないでくれとか、私に遠慮して言えないこと、ない?」

 不安そうな声で言う桧凪に、大きくかぶりを振る。

 そんなこと、あるわけない。むしろ、僕の方が。

「母さんとどっちがいいか訊かれて、桧凪が良いって答えたのは僕だから。会いたくないなんて思うはずがないよ。むしろ…」

 言い淀んだが、覚悟を決め、口を開く。勢いに任せて謝罪するなんて嫌だけど、今なら言えそうだ。

「ごめん。母さんが桧凪にいろいろ言ったって話、藤木先生から聞いた。迷惑かけてごめん。会うなって言われたの、断ってくれてありがとう」

「それは君が謝ることじゃないよ。私は私の意見を言っただけだし」

「それでも、嬉しかったから。あと、もう一つ」

 息を吸って、続ける。

「自殺未遂して、ごめん」

 桧凪は目を見開いて、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「それこそ、謝ることじゃ、ないよ」

 半分泣いているような震えた声に、鼻の奥がつんと痛む。

「心配かける気はなかったんだ。二度目の自殺未遂を起こす気もなかった」

「じゃあ、なんで…」

 責める口調ではないのに、叱られたときのように肩が縮こまる。

「退院して、日常に戻るのが怖くて。社会に出て、ちゃんと働かないといけないなんて、当たり前のことなのに。自殺未遂したのもただ逃げたかっただけで、現実逃避でしかないし、そもそもこんな僕が社会に戻って役に立つわけがないし。家族にも友達にも他人にさえも迷惑ばかりかけて、その上退院したくないなんて子供じみた我儘で…って考えたら、耐えられなくなって、手首を切ったら少し落ち着くかなと思って、カッターで切ったら血が垂れそうになって気がついて。気付かれる前に洗わなきゃと思って洗いに行ったら想像以上に止まらなくて。やばいって思ったときには遅かった…みたいな…」

 言い淀んで、口を噤む。桧凪の様子を伺うと、桧凪は黙ったまま、俯いて表情は読めなかった。

 しん、と静まり返った室内がいたたまれなくて、ごめん、ともう一度言う。

「ごめん。心配かけて。もうしないから」

 ハッとしたように桧凪が顔を上げた。やや驚いて目を合わせると、桧凪は何でもない、というふうにゆっくり首を横に振った。

「私が、抑止力になれたら良かったんだけどな」

 ぽつんと呟くように桧凪は言った。

「自傷行為に及ぶ前に頭によぎるような人に、なっていればこんなふうにはならなかったのかもしれないね」

「いや…」

 それは違うと言いたいのに、否定できない。何を言えばいいのか分からず、ごめん、と再び謝ると桧凪は厳しい顔で真っ直ぐ僕を見た。

「謝らないで。陽仁は何も悪いことはしてないじゃない。相談してくれればって思っちゃったけど、とはいえ相談を持ちかける勇気は私にも無いの。だからその前に相談してくれれなんて言う気は無いし、相談できない気持ちは分かる。それに心配かけるとか迷惑かけるとか、気にしなくていい」

 いつも丁寧な桧凪の語尾が微妙に乱暴になるときは、本気のときだ。それは分かっていても、心配や迷惑をかけたら嫌われる、と思ってしまうから、素直には頷けなかった。

 それさえも見抜いたように桧凪が言った。

「心配とか迷惑とかかけたら嫌われるかもしれないって恐怖感があるなら、私は絶対嫌いにならないから、安心してよ」

 絶対は絶対ない、という有名な台詞が脳裏をよぎる。

 随分疑わしげな顔をしていたのか、信じられないか、と桧凪は苦笑した。

「十五年分の利子付きの恩返しみたいなものだから、信じて欲しいんだけどね。──今日はもう時間だからここまで。話の続きはまた今度。笹木さん呼んでくるから待ってて」

 そう言ってから立ち上がってドアを開け、スッとドアの向こうに消えていった桧凪を、僕は見送ることしかできなかった。

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